第2章 迷い路Ⅲ
<1>
「一か月前の話さ。セリアックの兵士だった兄貴は柱を見回ってる時に殺されたんだ。誰にやられたのかは分からないけど、焼け死んでたところを見つけられたんだ」
ジンはそうして話を切りだした。
「兄貴は、俺と違って出来が良かった。……いや、言い訳か。俺が普通のことを出来ないだけだな。俺はおっちょこちょいで臆病で、肝心なところでやらかしちまう。色々やろうとはするんだけど何やっても空回りでさ。自然、兄貴と比べられて周りからも何となく冷たい目で見られてんじゃないかって感じるようになるし。実際、そういう風に見られてたんだろうとも思うよ。でも兄貴だけは違った。俺のことをちゃんと一人の人間として分かっててくれてた」
「兄貴、か」
「ああ。兄貴の仇を討ちたいよ。だけど、それよりも理由ってのがあるならさ、それを知りたいんだ。どうして兄貴が死ななくちゃいけなかったのかって。死んだ方がいいやつなんてこの世界には山ほどいるのにさ、なんで兄貴だったんだよって」
ジンの兄の名前も顔も、俺は知らない。
だけど俺は知っている。フェネルが以前、セリアックの兵士が殺されたと言っていたからだ。……そうか。その兵士ってのはジンの兄貴だったのか。
「アンタも、フェネル様も騙してて悪いとは思ってる。けど、俺にはこれしか出来ないんだ。兄貴をやったやつがいるならお役人に引き渡した方がいいし、理由だって聞きたい。それにハシラサマに何かしようってつもりかもしれないんだろ。俺は兵士じゃないし、王様でもなんでもないよ。だけどこの世界に生きてるんだ。見過ごすなんて出来ない」
俺は、ジンと俺は似ていると思った。同じように兄貴の幻影に振り回されていると思って話を聞いていた。
だけど違うんだな。ジンは兄貴を無目的に追いかけている訳じゃない。自分を持って、保ったままでいるんだ。
俺とは、違う。
「俺も兄貴を捜してんだ。こっちの世界に来たまま、いなくなっちまった兄貴を」
「そう、だったのか」
「ああ。俺はジンに協力するよ。フェネルに言いつけたりもしない」
「……い、いいのか?」
いいんだ。
「じゃあ、俺もアンタに力を貸すよ。なあ、見つかるといいな」
「おう、ありがとうな」
<2>
ジンの話を聞き終えたタイミングで、後ろから『ぎい』と軋む音が聞こえた。フェネルが小屋から出てきたのだ。俺とジンは何も悪いことをしていないのに背筋をびっと伸ばして立ち上がり、背後を見る。
フェネルはこっちを見て、申し訳なさそうに目を伏せた。
「体を拭きたいのですが」
はあ?
「勝手に拭けばいいじゃねえか」
「ば、バカっ。分かりました! お任せください! 湯を沸かしますんで、しょ、少々お待ちを」
「いや、そんなもん自分でやらせればいいじゃんか」
「滅そうないこと言うな!」
ジンは火を起こす為に適当な木の枝を拾いに行こうとする。まったくしようがねえな。
「あんまり離れた場所に行くなよ」
「おお、分かってるって!」
フェネルはジンに礼を言い、彼の姿が見えなくなったのを確認してから口を開いた。
「あの兵士の弟だったのですね、彼は」
「……盗み聞きしてたのかよ」
「お前たちの声が大きかったのです。この森は静かなのですから、聞かれたくないことはもっと小さな声で話しなさい」
しれっとした顔で。
俺は広げていた地図を畳み、そいつで自分の肩を叩く。
「それに、私は最初から分かっていました」
「ジンが案内役じゃないってことを、か?」
「彼が嘘を吐いていることをです。敵なのか味方なのか決めかねていましたが、先ほどの話で判断できました」
やっぱ怖い女だな、こいつ。
「だったらいいだろ。ジンも連れてってやってくれ。あいつにだって理由があるんだ。それに置いて行っても一人で森を進むに違いないぜ」
「構いません。私は《リーダー》の指示に従います」
リーダー?
「冒険者は複数人でパーティを組み、このような地を進むのでしょう? ならば今の私はセラセラの姫ではなく、セリアックの兵をまとめる将でもありません」
「俺がリーダーなのか……」
「ええ」
フェネルは薄っすらとした笑みを浮かべている。
「もしかしてちょっと楽しんでる?」
「え? いえ、分かりません。ただ、私一人でここまで来ることは困難だったと言えます」
「ま、確かに。お前一人だったらダンゴムシのモンスターと延々戦ってただろうからな」
いや、フェネルは冒険者じゃない。あるいはイベントに巻き込まれないですんなりと先に進めたのかもしれないな。
「それよりも。ジンの兄貴は焼けて死んだって言ってたよな」
「ええ」
脳裏に浮かぶのは一人の男であった。ろいどという、火を使うやつだった。
「あいつがやったのかな」
「可能性は高いでしょうが、本人から聞き出すまでは分からないことです」
「ま、そりゃそうか。じゃあ、ともかくジンのことはもういいよな」
「異存はありません。あのもののお陰で助かっているという部分もあります」
だったら問題ないな。
<3>
その後、木の枝をしこたま拾ってきたジンと一緒に火を起こして湯を沸かしてから、俺はナナクロをログアウトして自分の部屋に戻ってきた。
食事を済ませて、風呂に入ってベッドの上で横になる。
『なあ、見つかるといいな』
頭ん中をぐるぐるしてるのは兄貴のことだった。
あの兄貴が誰かに殺されてるとか、どっかで死んでるとか、そういうことはないだろう。だが、生きている兄貴とナナクロで再会したとして、俺に何が出来るのかが疑問だった。
現実世界に連れて帰るのが目的だが、刹那やろいどたちの言葉が本当なら、兄貴は自分の意志でログアウトしなかった、ということになる。無理矢理引っ張ってくるしかないんだけど、俺の力じゃどうしようもないんだろうなって諦めの気持ちもゼロではない。
「会ってみなきゃあ始まらないか」
寝返りを打ち、手に持った携帯電話をぼうっと眺める。そうしている内、俺は眠りに落ちた。
<4>
土曜日。午前七時。朝飯と身支度を済ませて、俺はナナクロにログインした。
昨日と同じく、森のエリア6地点にある、小屋の前に戻ってこられた。
「おお、ナガオ。思ってたより早かったな」
「おはよう。まあ、あんまり遅いと何を言われるか分からないからな」
ジンは小屋の前で飯の準備をしていた。薪代わりの枯れ枝を燃やしつつ、網を器用に設置して、その上に乗せた小さい魚を焼いている。脂が火に当たる度、ぱちぱちと音を鳴らしていた。フェネルはまだ中で休んでいるのだろうか。
「この辺、魚なんかいたんだな」
「向こうに池があったんだよ。釣り竿も持ってきてたからな」
「器用じゃねえか」
「遊びの延長だよ」
「少しは休めたか?」
俺がそう尋ねると、ジンはばつの悪そうな顔になった。
「それがさ、アンタがいなくなった後、夜中にフェネル様が見張りを交代しましょうって言って、俺を休ませてくれたんだよ」
「あいつがか?」
「なんか、ナガオはフェネル様を悪く言う時があるけどさ、あの人は俺たちみたいな連中のことも考えてくれてるんだって」
そういうもんだろうか。
「なあ。兄貴のことをどうにかしたらさ、ジンはその後どうするつもりなんだ?」
「この後? うーん、そうだなあ」
ジンは魚の焼き加減に注意しつつ、空を見た。
「俺も兄貴みたいな兵隊さんになりてえなあ。兄貴の代わりをやるってわけじゃないけどさ」
「……ああ、そうか。そりゃいいな」
ジンは笑う。
夢を見ながら笑っているのだ。俺にはそれが、途轍もなく羨ましかった。
俺は彼の顔を直視できず、小屋の方に視線を逃がす。
「あいつ、まだ寝てるのか?」
「いいや、フェネル様ならもうとうに起きてると思うけどな」
早く来いって言ったのはフェネルだろうに。俺はずかずかと歩いて、ノックをしてから小屋の扉を開けた。
部屋の中には、窓ガラスを見ながら髪の毛をいじくるフェネルと、簡素なベッド、家具があった。
「よう、おはよう。なんだよ、準備なら終わってるじゃないか」
「……おはようございます、ヤサカ・ナガオ。準備はまだ残っています」
硝子を介して視線を合わせる。フェネルはつまらなそうに息を吐き、こちらに向き直った。
「手伝おうか?」
「いえ、今終わりました」
言って、フェネルは槍を手にして小屋を出て行く。なんだったんだ?
<5>
「次、こっちの道だ」
「ああ」
森の中に入ると、まだ朝早いってのに木々が陽光を邪魔して薄暗い。俺たちはその中を黙々と歩いていた。俺もそうだけど、フェネルもジンも緊張しているのだろう。もうじきに何かが起こる。この先には誰かがいる。予感めいた何かが俺たちの背中を突いて急かしている。
ジンに先導されつつ、俺はメニューを開いて現在地を確認した。今はエリア7。だいたい、これで半分以上はこの森を攻略していることになる。
「ふう……」
俺は酷く疲れていた。
この森はだだっ広くて視界も悪い。湿気ていて気持ちのよくない場所だ。だけど戦闘も辛くはない。凶悪なボスもいない。だというのに、一歩進むごとに自分という存在をやすりで削られているかのような感覚を受け続けていた。
分かれ道に差し掛かる度、俺たちは立ち止まって地図を見る。そうして決めた、自分たちの選んだ道が合っているかどうか、半ば祈りながら歩くのだ。
<6>
ぐるるる。
音が鳴る。
ぐるるる。
腹が鳴る。
餓えた獣はよく研がれた爪を持っている。
飢えた獣は上手く仕留める術を知っている。
獣たちは同じ方向を見据える。
彼らの縄張りに入り込んだのは三つの肉塊だ。八つに刻んだところで彼ら全ての腹を満たすのは困難だろうが、ここは深い深い森の奥。招かれざる客とて滅多に立ち寄れぬ、柱の聳える神の園。爪牙をもって久方ぶりの客人をもてなせば、無聊を慰めることは可能だろう。
そう、満たされていないのは何も腹だけではない。
噴き出る鮮血。獲物の断末魔。それがのたうち回る様。
彼らはそれが見たい、聞きたいのだ。
<7>
僅かに届く陽の光が俺たちの真上に坐した。メニュー画面で時刻を確認すれば十一時を回ったところだった。
今、俺たちはエリア9を抜けて10個目のエリアに到達したばかりだ。今まではじめじめとしていて狭苦しい鬱蒼とした森だったが、ここいらは開けた場所になっている。ここで休息するのも悪くはない。そう思って口を開きかけたが、フェネルに声を発することを押し留められた。
フェネルは立ち止まり、鼻をひくつかせながら周囲の様子を確認している。俺も彼女を真似てみるが、犬じゃあるまいし何も嗅ぎ取れやしなかった。
「なあ。なんだってんだよ?」
その時だった。
『千死万行~森の代弁者~のイベント状況が更新されました』
イベントが、更新?
俺は受信したメッセージを開き、目を通した。
『ストーリーボス、《群狼・サウザンドモンスターズアタック》が出現しました。これよりビュリャジリャドゥドゥメの森、エリア10が戦闘エリアとなります。その場にいるプレイヤーの皆さんはお気を付けください』
……ボス?
このタイミングで?
「おいフェネル……」
言いかけたが、俺の声はもっと大きな声――――獣の吼え声によって掻き消されてしまう。
耳をつんざくようなそれは正しく鯨波であった。俺たちはいつの間にか、狼の群れに囲まれてしまっている。
狼には見覚えがあった。ロムレムへ向かう途中で戦ったグラスウルフと似ている。だが、表示された名前は違っていた。
「『群狼』……?」
名前こそ違うが、色変えただけじゃねえか。
俺とフェネルは得物を構える。ジンも腹をくくったのか、慣れない手つきで剣を握り締めた。
唸り声がそこかしこから聞こえてくる。敵の数は多い。パッと見た限りでは把握できないくらいだ。数十、数百。あるいはそれ以上の狼が俺たちを取り囲んでいるのかもしれない。まるでこの森自体を敵に回している気分だった。
「自分から攻めようとするなよ。来たやつを払ってくんだ」
「わ、わかった……!」
ジンの手は震えている。剣の切っ先までもがカタカタと。
戦力としては当てにできないだろう。間違いなく俺たちは不利だ。この相手の数、本当ならもっとしっかりと編成したパーティでないと挑むことすらままならない。頃合いを見て逃げるのも考えておかないとな。
「フェネルもいいな?」
「分かっています。皆、離れないように。それから、後背の道を塞がれては撤退することも叶いません」
「ああ、気をつけよう」
俺はグラディウスの柄を握り直す。妙な感触だった。しっくりとこないというか……もしかすると、俺は今ビビっているのかもしれない。しかし切られた戦いの火ぶたは元に戻らない。始まったのなら前に進むしかできないんだ。




