第1章 始まりの町《セルビル》Ⅳ
<1>
翌朝。
俺はベッドから体を起こして、自分のいる場所が、自分の部屋だと確認する。当たり前のことが嬉しくてしようがない。
昨夜のことは全て夢だったのだろうか。……いや、そんなはずはない。俺はあの後、兄貴の部屋を調べに調べ尽くした。もともと、兄貴は余計なものを持たない主義だったので特に何も出てこなかったが、学生服が一揃い分とケータイがどうしても見つからなかった。たぶん、向こうに――――ナナハシラクロニクルの世界に置き去りになったままなのだ。
その後、俺は平生よりびくつきながら学校に行き、椎と出会った。
「よーす、なあ、ナナクロさ、ログインできたか? 俺ぁ結局あきらめちったー」
「そ、そうか」
椎は残念そうに言う。
どうしたものかと悩んだが、昨夜のことを言ったところで馬鹿にされるのがオチだろう。ぶっちゃけ、こうして日本に戻ってこられた今となっては、俺だって本当のことなのかどうかあやふやになってきそうなくらいなのだ。
だが、気になることはある。
「なあ、ナナクロ作ってる会社ってさ『ミラーエイト』ってんだろ?」
「ああー、そういえばそんな名前だったな。何? ナガオそんなんまで調べてたん?」
「そりゃあ、ログインすらさせてくれないゲームを作りやがった会社だからな。名前くらい調べて当然じゃねえか」
「電凸とかした?」
「するわけねえだろ」
ミラーエイト。
そう、あのナナクロを作った憎きクソ会社だ。だが、ネットで検索をかけてもろくなページがヒットしなかった。GMコールもクソも反応はない。どうやら本拠は海外にあるらしく、日本語のページが全くと言っていいほどなかったのである。
そんな馬鹿な話があるかと憤慨したが、あんなことを引き起こすゲームの製作会社だ。何をしでかしても不思議ではない。つーかクソゲーだろ死ねバーカとか叩かれるのが嫌で姿を隠しているんじゃないか。
「ナガオ。俺はもうナナクロやんねえけどさ、お前はどうすんの?」
やるわけねえだろ。
次にあんな世界行ったら、今度こそ死んじまうかもしれないし、帰って来られる保障だってどこにもない。
「……俺は、まあ、もうちょっとチャレンジしてみる」
「マジ? すげえな、応援してるわ。俺はもうログインミスりまくって萎えた。面白そうなら教えてくれよな。俺も再チャレンジするかもだからさ」
ああ、と生返事をする。
俺だって止めたい。やりたくない。だけど、ナナクロを続けなくちゃいけない理由も見つかってしまったのだ。
<2>
兄貴がいなくなった。
その理由も原因も、全てここに――――ナナハシラクロニクルにある。
俺はそう考えて、決めつけた。兄貴の服もケータイも、どうしてナナクロにあったんだ。兄貴は、昨夜の俺と同じようにゲームの中に連れていかれたんじゃないのか。そうして、数か月経ってもまだ帰られないでいる。
正直、高校に上がってからは兄貴との仲は良くなかったように思う。だけど血を分けたたった一人の兄弟なんだ。あのくだらねえ世界で酷い目に遭ってるんなら助けなくちゃいけない。見殺しに出来るはずがねえんだ。
と、意気込んでみたのはいいものの、今日は中々ログインできなかった。学校から帰ってすぐさまナナクロにチャレンジしているが、かれこれ数十分はログイン画面でストップしている。
ちくしょう。向こうにいた時は帰りたくて仕方がなかったけど、まさか向こうに行きたくて仕方がないって状況になるとは思いもしなかった。
「クソ。クソが。クソゲーが」
ノートパソコンに向かって毒づくと、画面から強い光が放たれた。もう驚きはしなかった。
「来やがったな!」
<3>
気がつくと、俺はベッドの上にいた。自室のベッドではない。固くて、毛布もない安普請のベッドだ。
「ここは」
体を起こして、自分がどこにいるのかを確かめる。……宿屋だ。ハッとして、俺は目の前の空間に対して意識を集める。半透明の板こと、メニューくんが現れた。
もう間違いない。ここはナナクロだ。俺はまたここに戻ってきたんだ。
立ち上がって服装を確認すると、学生服を着ていた。内ポケットには兄貴のスマートなケータイが。
時間を確認すると『17:07』だった。俺が自分の部屋にいた時間と同じだ。窓の外の景色も、昨夜とは違い、夕陽に染まっている。こっちとあっちの世界の時間はきっちりリンクしているらしい。
俺は息を吐き、行動を起こすことを決意した。その前に、メニュー画面にログアウトの項目があるのを確認しておく。……よしよし、ちゃんとあったぞ。これでいつでも帰れることが判明したわけだ。
「……んだよ、思ってたより何とかなりそうだな」
気楽な気分になり部屋を出て階段を下りる。すると、宿屋のおかみさんと目が合った。彼女は昨夜よりも機嫌の悪そうな顔になり、俺を指差した。
「あ、あんたっ、鍵も返さないで何をしてたんだい」
「鍵?」
ああ、そういや受け取ったっけ。えーと、ああ、ズボンのポケットに入ってら。
「昼までに出てってくれってのも無視してたんだね!」
「あっ、そういやそうでした。いや、あのですね」
「言い訳はいいよ、もう。これだから『始まりの町』なんてところはヤだよ。あんたらみたいな冒険者が後を絶たないからね」
始まりの町? セルビルはそう呼ばれているのか。
ああ、でも、そうか。ナナクロを始めたプレイヤーは皆ここからのスタートになるんだもんな。
皆? ここから、スタート……?
「あっ、あの! マジですんませんでした! 俺の有り金全部払います!」
「はあ? 何もそこまでしなくたって……」
「ただ、この宿屋の台帳を見せて欲しいんです」
「宿帳を? ダメだよそんなの」
そこをなんとか!
俺は頭を下げながらメニューを操作し、有り金を引き出す。
「だからダメだって。何の因果であんたなんかにうちの宿帳を見せなきゃならないんだい」
「じゃ、じゃあ調べてください。俺の兄貴がここに泊まったかもしれないんです」
「あんたの兄さんが泊まったからって、なんでさ」
「行方不明になったんですよ。俺は兄貴の手がかりを探してるんです」
おかみさんは目を丸くさせた。
「いなくなったって、いつのことだい」
「数か月前なんですが」
「……あんた、この宿屋に何人の客が泊まりに来ると思ってんのさ。王都の宿にゃあ敵わないだろうけどね、うちだって結構人が来るんだよ? はっきり言っちまうと、面倒だからやりたかないね」
ぐっ、そりゃそうだよな。無理を言ってんのはこっちだし、そもそもお願い出来るような立場じゃない。
「ああ、もう、そんな顔して。……あんたの兄さんってことは、冒険者ってことかい」
「え? たぶん、そうだと思いますけど」
「だったら冒険者ギルドの方で聞いてみなよ。あんたと同じで、兄さんもカードを持ってんだろうからさ」
あ。そうか、その手があったか。
俺はおかみさんにお礼を言って、ギルドへ向かった。
<4>
冒険者ギルドは、昨夜とは少し様子が違っていた。俺以外の冒険者が何人かいたのだ。その人たちはカウンター近くの案内板を見て、何事かを話し合っている。そのくせカウンターには誰もいない。
どうしたものかと立ち尽くしていると、肩を叩かれた。振り向くと、赤毛でエプロン姿の女性が立っていた。
「…………ああ、プロエさん」
「はい、昨夜はどうも。八坂長緒くん」
名前を思い出せなかったが、プロエさんの頭上に名前が表示されていたので事なきを得た。しかもちょうどいい。この人だって俺が戦っている後ろでサンドイッチを食ってたアンポンタンだけど、ギルド職員であることに間違いはないんだ。
「すんません、いっこお願いがあるんですけど。『八坂剣爾』ってやつのことを調べて欲しいんです」
「ヤサカケンジ?」
「俺の、行方不明になってる兄貴なんですよ」
「あらあら、それはそれは」
言いつつ、プロエさんはカウンターの向こうに行き、椅子に座った。
「『八坂剣爾』さんね。その名前の人が冒険者になっているかどうか調べればいいの?」
「はい、まずはそれだけを確認しときたくって」
「少し時間がかかりそうだから、依頼でも受けていけばいいんじゃないかしら」
プロエさんは案内板を指差した。ああ、そういうことか。あそこに留められている紙に依頼の内容が書かれているのか。
ぼんやりしていると、一人の男が紙を一枚取って、カウンターの方に向かってきた。俺は邪魔になりそうだったのでスペースを空ける。
横でその男とプロエさんのやり取りに聞き耳を立てる。……どうやら、受けるクエストを決めてカウンターにで職員に報告する仕組みらしい。
俺も何か探してみるか。というか、ゲームをプレイするだけなら金は装備品やアイテムだけに使えばいい。しかし俺には生活必需品や食料だって必要なんだ。いや、やばくなったら実家(あっちの世界)に戻ればいいのか。
それにしたって金はあっても困るものではない。簡単そうなクエストをこなしておこう。
『《猪の針》を五個持ってきてください』
……猪の針? それって、もしかしなくても昨夜に戦ったニードルボア関連のアイテムか? よし、とりあえずプロエさんに聞いてみよう。
俺は気になったクエストの紙を取り、カウンターに持っていく。
「あのー、猪の針っていうのはどうすりゃいいんですかね」
「あ、その依頼を受けるんだ。猪の針はね。昨日のニードルボアが落とすから」
落とす。倒せばドロップするというのか。そういや魔物の死体は霧になってすぐに消えてたっけ。死体からはぎ取ることは難しそうだ。いや、好き好んで死体の解体なんかやりたくねえし出来そうにもないけど。
ともかく、相手がニードルボアなら何とかなるな。
「じゃあ、この依頼を受けます」
「ん、了解です」
プロエさんは俺の持ってきた紙に判を押す。
「それまでには『八坂剣爾』って人のことが分かると思うから」
「お手数かけます。そんじゃあ、行ってきます」
「はいはい、気をつけてねー」