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第2章 姫に心を

<1>



 休み時間。俺の顔を見た椎はぎょっとしていた。


「隈、すげえな」

「そうか?」

「寝てねえの?」

「……まあ」


 椎は、いいなあ、とかのたまった。


「そんだけハマってるゲームでもあんの? 俺にも教えてくれよ」


 俺は苦笑いしか出来なかった。



<2>



 今日は水曜日か……ちょっと曜日の感覚が怪しくなってきたな。

 夕方、俺は家に戻ってログインの準備を進める。その時、鶴子からメールが来た。


『今日、体調悪そうだったけど大丈夫? また徹夜でゲームしてたの?』


 …………どうせなら直接言ってくれればいいのにな。俺は当たり障りのないことをメールで返して、ノートパソコンの前に座った。



<3>



 小部屋に戻るとスィランが小さく笑った。不思議に思っていると、後頭部に激痛が走る。


「オルァ! また勝手に出てやがったのか!」

「……いってえ」


 兵士に殴られたのか、俺は。ちょうど、俺たちを呼びにでも来ていたらしい。


「一度残ったくらいで調子に乗ってんじゃねえぞ、戦奴風情がよ」

「だから、戻ってきてんだからいいじゃねえかよ」

「だぁから! お前らが脱走とか! 勝手なことしたらどやされんのは俺たちなんだよ! 今日は頼むぞ、おい。あのフェネル様が闘技場に来てるんだからな」


 そうなのか。あの、フェネル・セラセラが。名前しか聞いたことがないけど、ドリス・アニスの姉ちゃんだからなあ……。


「お前ら、大人しくしてろよ」


 兵士がどやどやと小部屋に入ってくる。俺とスィランは手枷をされて、昨日と同じように兵士に囲まれながら地下通路を歩かされた。

 そうしてまた闘技場の控え室らしき部屋に通されて、長椅子に座らされる。今日もまた、観客席からの声が聞こえてきていた。


「本日より予選が終了し、個人戦が始まる。死なない限り、勝ち続ける限りは、戦い続けることとなる。よろしいかね戦奴諸君」


 よろしくないが、どうしようもない。

 その後も、年老いた兵士は訓示のようなものを長々と喋る。学校の朝礼なんかを思い出し、俺は息を吐いて目を瞑った。



<4>



「ヤサカ・ナガオ。長く生き残りたけりゃあ、なるだけいい装備を選ぶんだな」

「ああ、分かった」


 今から個人戦とやらが始まる。ルールは昨日やった団体戦と特に変わりはない。タイマンになるだけだ。どちらかが降参するか、あるいは、戦えなくなるまでやり合うだけだ。

 俺たちは自分の番が来るまでアリーナの地下に位置する控え室で武器や防具を自由に選ぶことが出来る。とはいえ、パッと見た限りでも大したものはない。プレイヤー側は自前の装備で固めてくるから、この時点で俺たち奴隷側は不利だ。

 

「いい装備って言ってもなあ」


 使っていいのは兜、胸当て、盾に、剣や槍とか。性能よりも見栄え優先って感じで、身を守らせることは考えてくれていない。

 俺にはヘリオスソードがある。ただ、今呼び出すと取り上げられるかもしれないから、アリーナでないと装備できないな。

 錆びていない、刀身が欠けていない片手剣と盾。それから兜を掴んで、俺の準備は終わった。スィランは武器以外には何も装備するつもりがなさそうだった。


「なあ知ってるか。この闘技場で、毎年どれくらい奴隷が死ぬか」

「さあな。俺たちが連れてこられた後も、奴隷はたくさん、後から後から来てた。数え切れないくらい死んでんじゃねえのか」

「百人も死なないそうだ。闘技場はロムレム以外にもこの大陸以外にもあるが、ここの闘技場は奴隷に対して特に手厚くて優しいのさ」


 意外だった。使い捨ての、ボロ雑巾みたいに扱われるものばかり思っていたが。


「戦えなくなった奴隷がどうなるかは知らねえけどな。だが、人気さえ出りゃあ誰かに買ってもらえる」

「戦奴として売られて、また誰かんところに買われるのか?」

「待遇はよくなる。あんたと二人きりのちいせえ部屋からは抜け出せる。上手くいきゃあ奴隷から解放されるかもしれねえ。……女ならどっかの金持ちの情婦イロにな。いや、男でも同じか」


 イロて。


「知らねえのか? 金持ちの女は強い男に抱かれたがるのさ。王族だか貴族だか、温室育ちの連中はけだものに興味があるんだろうな」

「ペット感覚かよ。俺は嫌だね」

「だったら逃げ出せばいい。その気になりゃあ逃げられんだろ? なあなんでだ? 変態か? 死にたいのか? なんでまだ奴隷になってんだ?」

「意地だよ」


 スィランは笑った。俺を嘲っているのかもしれない。

 その時、アリーナの方から大きな歓声が聞こえてきた。兵士が俺たちに向けて大声を張り上げる。


「次ー! 次だ! ええと、ああ、誰でもいい!」


 そうか、試合が終わったのか。

 俺は周囲を見回す。名乗り出る者はいなかった。スィランにどうするのか尋ねると、肩を竦められた。


「スィランはもっと後がいい。まだ観客席は盛り上がる。もっと、いいところで戦いたい」

「そうか。……おおい、なあ! 俺が行くよ!」


 俺は兵士に向けて手を上げる。嫌なことは先に終わらせておくのがいい。俺は昨日と同じく、アリーナへ繋がる通路へ行くように促された。

 通路を進み、アリーナへ近づくにつれて歓声が大きくなる。俺が息を呑む音も、心臓の鼓動も、何もかもが掻き消される。

 やがて門が音を立てて開き、俺はアリーナへと足を踏み入れた。



<5>



 靴底が砂を食む。

 沈みかけた陽が眩しくて、俺を目を瞑った。何者かが、大音声で前口上を述べていた。プレイヤー側と奴隷側の参加者の名前を読み上げているらしい。


「両名、観客席中央! 一階席のフェネル・セラセラ様にぃ! 頭を下げろ!」


 フェネル……ああ、そうか。ここに来てるんだったっけ。どいつだ?

 俺は中央の観客席を見上げる。護衛の兵士やらも大勢いたが、ひときわ目立つやつがいた。この距離じゃあそいつが美人なのかどうかは分からないが、長い銀髪をしている背の高い女がいた。フェネルってのはあいつかな。


「それでは試合をぉぉおおおお! 始める! 双方に、ハシラサマのご加護を!」


 ラッパが鳴る。打楽器の音が響く。観客が叫び、地鳴りが闘技場を震わせる。

 昨日で慣れてしまったのか、あまり緊張はしていなかった。対戦相手の男は俺と同じ剣士っぽいな。レベルは少し上だし、装備もいいだろうけど、不思議と負ける気はしなかった。

 持っていた剣の切っ先を砂地に突き刺す。下に敷いてある板にまで刺さった感触。スキル《戦意上昇》を発動。片手でメニューを操作し、ヘリオスソードを呼び出して構える。スキルの効果時間には期待できない。短期決戦を仕掛けたいところだ。

 俺は剣の切っ先を引きずるようにしながら走る。


「だああっらああ!」


 相手が剣を横薙ぎに振るう。少しだけ遠いな。当たらない。俺は一瞬だけ立ち止まり、空振りの隙に剣での切り上げを叩き込む。ダメージが通って、相手のHPゲージを一割削る。

 まだだ。ちゃんと見ろ。落ち着いて……初めてここに来た時のことを思い出す。ニードルボアたちと同じだ。プレイヤーにも予備動作があって、パターンがある。そいつを見極めろ。



<6>



 フェネル・セラセラはロムレムを支配する、セラセラ家の姫である。

 件の王位継承レースにも参加し、最有力だと目されている。その理由はフェネルの性根、その苛烈さにあった。彼女はドリス、アニスの二人とは違い、従軍経験がある。小さい規模の争いだったが、かつてフェネルはセラセラ王に代わって兵を指揮し、亜人たちと剣を交えたのだ。

 フェネルの剣の腕前は並の兵士十人分とも言われている。彼女が男児として生まれたなら、今頃はセラセラ家の騎士団を率いていただろうとも言われていた。

 現王は争いを好まない穏やかな性質の持ち主だ。だが、そのことを危惧している家臣もいる。争いのない世など長くは続かない。だからこそ、フェネルのようなものが望まれているのかもしれなかった。


「黒服の冒険者のことを知りたい」


 フェネルが、アリーナで戦っているものを指差す。


「……は、はっ。あの冒険者は……」


 フェネルの傍に控えていたロムレム兵は委縮しっ放しだった。彼女が纏う雰囲気が緊張を強いるようなものであったし、何よりもフェネルは美しかった。彼女は王族の持つ気品、前線に立つ将軍のような凛々しさをも備えている。

 フェネルの前に立ったものは、まず最初に、腰まで届く豊かな白銀色の髪に目を惹かれる。次に白く透ける肌。整った造作。切れ長の瞳と視線がぶつかれば、薄い紅色が放つ意志の強さに目を逸らさざるを得ないだろう。

 戦士として締まった部分もあるが、女性らしい丸みを帯びた肉づきのよい体を包んでいるのは白と青を基調とした衣装ドレスだ。フェネルは更に肩当ポールドロン籠手ガントレット脛当グリーブを装着している。

 アニスやドリスも充分に美しく、花のようだとたとえられるが、二人とは違い、フェネルには完成し切った女性の色香がある。二人が花ならば、フェネルの怜悧な美貌は月だとも誉めそやされていた。


「どうしましたか」


 フェネルに見上げられて、ロムレム兵は背筋を伸ばした。


「失礼しました。あの冒険者はヤサカ・ナガオという戦奴のようです」

「……戦奴?」


 フェネルは眉根を寄せる。この闘技大会には多くの冒険者が参加している。だが、奴隷側として出場する冒険者は今までにいなかった。


「何かの手違いでそうなったのかもしれません。詳しい報告は受けていないもので……」

「そうですか」


 フェネルは席を立ち、アリーナのヤサカ・ナガオという冒険者がもっとよく見えるように、マントを翻して前に出た。

 一見すると、ナガオはどこにでもいるような剣士にしか思えなかったが、彼はクレバーだった。相手の動きをじっと見つめて攻撃を躱し、確実に攻撃を叩き込んでいる。華やかさはないが堅実だ。ある意味では、アリーナに存在するものの中で彼が一番、ものを殺すことを良く知り、弁えている。


 ――――珍しい。


 多くの冒険者プレイヤーは死を恐れない。なぜなら、彼らには明確な死が存在しないからだ。ストトストンの外の世界からやってきた冒険者は、『死ねば』光と化して教会に戻る。それだけだ。だから、闘技大会に挑む冒険者の多くはけだもののような戦いぶりを見せる。ダメージを負っても剣を振り回し、己の身を傷つけながら勝利をもぎ取るのだ。

 だが、ナガオは違う。彼は傷つくのを――――死を恐れている。

 面白い。フェネルはナガオに幾ばくかの興味を抱いた。


「ヤサカ・ナガオという冒険者と会いたい」

「……はっ。ですが、彼が生き残らねばそれも叶わないでしょう」

「いいえ。アレは勝ちます」


 やがて、ナガオの対戦相手が光と化して飛んでいく。観客席は大して盛り上がっていなかった。



<7>



 俺は勝った。けど観客席からは大して歓声が起こらなかった。我ながら、スィランとは違って地味なやり方だったからな。まあいい。勝てば官軍ってやつだ。残らなけりゃ次はない。

 アリーナを出て控え室に戻ってくると、スィランに肩を叩かれた。


「おい、もっと盛り上げてくれよ。全然声が聞こえてこねえ。客が白けちまったんじゃねえのか」

「仕方ないだろ」

「仕方ねえのはこっちだ。見てろ、スィランが手本ってのを教えてやる。おい、こっちだ! スィランがやる!」


 スィランは槍を二本だけ手に取り、アリーナへと走っていった。やる気満々じゃねえか。

 俺は長椅子に座り、ゆっくりと息を吐き出した。……疲れた。


「おい、ヤサカ? ええと、ヤサカ・ナガオはお前か?」

「……? ああ、そうですけど」


 兵士が俺を見下ろしている。なんだ?


「お前と会いたいって人がいてな。俺もよく聞かされてないんだが、まあ、ともかくついてこい」

「俺と?」


 もしかして、さゆねこか? アリーナで俺が戦っているのを見ていたのかもしれない。俺は立ち上がり、兵士に案内されて地下通路を歩く。すると、鉄格子で区切られた空間に通された。なんだここ。でかい牢屋か?


「ここで待っていればいい。俺は後ろにいるから、終わったら呼べ。逃げようとしたらどうなるか分かってるよな」

「分かってますって」


 牢屋じゃなくて、刑務所の面会所みたいなもんなのかもしれない。

 言われた通り、俺はその場で立ち尽くして待っていた。ややあって、向こうから足音が聞こえてくる。……がちゃがちゃとうるさい、擦れるような金属音が複数聞こえてきた。さゆねこじゃないみたいだな。


「おい、もっと離れろ」


 兵士が俺の前に立ち、下がるように言う。仕方ないから数歩後ろへ下がった。

 兵士は四人いる。真ん中には、女がいた。


「あっ」


 思わず声が出てしまう。その女は、その長い銀髪は、ついさっきも見たばかりだ。


「……フェネル・セラセラ?」

「貴様っ」


 兵士が俺に武器を突きつけようとするが、フェネルが彼を押しとどめた。


「構いません。……お初にお目にかかります。私はフェネル・セラセラ。ヤサカ・ナガオ。先の試合はお見事でした」

「どうも」


 マジかよ。アニスには会うな会うなって言われてたのに、もう会っちまった。まさかこんな形でとは思ってなかったけどな。俺はよくよく姫さまと鉄格子に縁があるらしい。


「お姫さまが俺に何の御用ですか?」


 ドリスやアニスのことを思い出すと、俺のフェネルに対する口調は知らない内にぶっきら棒なものになってしまう。が、彼女はそのことを全く意に介していない。少なくとも表情には出さなかった。……フェネルの切れ長の目はラベージャと似ているが、こいつの方がきつい感じがする。


「要件だけ伝えます。私に買われなさい」

「……はあ?」

「私はお前に興味を持っています。強い奴隷には私のもとが似合います」


 俺を買う?

 そういやスィランもさっき言ってたな。王族だか、そういうのは闘技場で戦ってるやつに興味があるとか。


「嫌だね」


 兵士が一斉に剣を抜いた。鉄格子が見えないのかよ。


「なぜですか」


 フェネルがそんなことを聞いてくる。俺は頭を掻きながら答えた。


「ドリスもアニスもそんなに好きじゃないけど、借りってもんがあるんだ。俺は、あんたら三人の内の誰の味方にもならないって約束してるんだよ」

「……二人を知っているのですね」

「三人とも腹の中はよく似てると思うぜ。髪の毛も……ああ、あんたの髪は金色じゃないけどな」


 フェネルの肩がぴくりと動いた。なんだ?


「私に買われる気はないのですね」

「ないな」

「お前は冒険者です。なぜ、そんなところに?」

「……色々あったんだよ。奴隷とか、俺はそういうのが気に入らない。あんたの部下かどうかは知らないけど、ムカつくやつに煽られたってだけだ」


 そうですか。フェネルはそう言って、俺の後ろを指差した。


「お前はいずれ私のものにします。必ず。それまでは決して闘技場から逃げないで欲しい」

「へー。逃げたらどうすんだ?」

「お前以外の奴隷を皆殺しにします」


 ころ…………マジか、こいつ。

 冗談だよな? いや、目がマジだ。奴隷を全部殺すだと? ロムレムの闘技場は、ここいらで一番奴隷に優しいんじゃなかったのかよ。


「お前は他の冒険者とは少し違っているようです。死ぬのを怖がっている。自分が死ぬのも、恐らく、他人が死ぬのも」


 少し嫌な感じがした。俺の中身を言い当てられているような居心地の悪さを覚える。


「明日も今日と同じ時間に試合を行います。お前が出てこなければ、闘技場の奴隷を全てけだものに食わせます。兵士に嬲らせて、冒険者に殺させます。血肉は観客席に放り込み、残った骸はロムレムの町ごと焼いて――――」

「わ、分かった! 分かったからもう言わなくていい! 逃げなきゃいいんだろ。明日も戦えばいいんだろ」

「ええ」

「……あんたのものになるつもりはないけど、逃げないよ。ひとまずはこれでいいだろ」

「ええ」


 フェネルはそれでとりあえずは満足してくれたのか、マントを翻して俺に背を向ける。


「それでは、また」

「会いたくねえよ」


 フェネルは兵士たちと共に来た道を戻っていく。俺はその場に座り込みそうになった。とんでもないやつに目をつけられてしまった。あいつ、フェネル・セラセラ。ドリスやアニスが可愛く思えるくらいえげつねえ。

 これで俺は逃げ道を塞がれた。さっきまでは安易なことを考えていたけど、頭に血が上って阿呆なことをしたツケが回ってきたらしい。なんてこったい。

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