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第1章 歓楽の町《カルディア》Ⅱ

<1>



 俺とさゆねこは地下迷宮をガンガン進んでいく。ヘリオスソードで暗闇を照らし、さゆねこの弓で一匹ずつ仕留めていく。ろくなものはドロップしないが、なんか強くなってるって感じがして実にいい。


「あっ、階段ですよお兄さん」


 一階層目をぐるりと回る感じで移動した先、とある小部屋の隅っこに階段があった。つーか何階層まであるんだろうな。


「……今日はここまでにしてもいいような気がする」

「いいんですか?」


 というか、別に先に進む必要もなかったりする。


「カルディアに滞在するだけの金を稼ぎたかったんだけど、宿屋はあんなだし、もうダンジョン前でログアウトすりゃよさそうだからな」

「武器防具も買ったばかりですしね」

「ぶっちゃけ、次の町に行ってもいいとは思ってる」

「えー? さすがに早過ぎませんか?」

「……まあ、だよな。とりあえず、今日はここいらで引き上げよう」


 ダンジョンは奥に進めば進むほどいいってものでもない。帰りのことも考えなきゃダメだったりする。せっかくいいものを見つけても、外に出るまでにモンスターにやられたりしたら元も子もない。

 階段までのルートは覚えている。俺たちは来た道を戻り、地下迷宮を脱した。



<2>



 翌日。金曜日。現在時刻は『16:28』。

 今回はログインに手こずらなくて済んだ。昨日ログアウトした、カルディアから離れた屋敷の庭内に戻ってくる。さゆねこはまだこっちに来ていないらしいな。一人で近い迷宮に潜るのもアレだし、少し待っておこうか。


「いやー、やっぱよかったな」

「俺ぁ今日もサラちゃんのところにするわ」

「アニスとかいう姫さま、様様だよな」

「こう、なんつーの? 胸が、な?」

「ああ、やべえよな!」


 冒険者たちの会話が気になってしまう。

 アレか。カルディアではやはり楽しいことが起こっているのか? 兄貴、ああ、あんたもそこにいるのか? 男だもんな、なんかこう、気持ちいいことが待ってるんだったら気になるよな。

 ……俺は別に何も気にしていないが、なんとなく。こう、なんとなーくカルディアに行こうと決めた。



<3>



 カルディアに近づくにつれ、独特の臭いと喧騒が濃くなってくるのが分かる。画面の前でゲームをしているだけで到底分からないものだ。そして分かりたくもなかったものだ。

 俺は町の広場めいた場所に出る。日が暮れると路地裏や表通りの大店から客引きの女性がやってくる。誰も彼も露出度が高い。NPC、プレイヤー問わず、灯りに誘われる羽虫のようにふらふらと店の中へと入っていく。

 ふと疑問に思った。カルディアのとある店ではなんかこう気持ちいいサービスが行われているに違いない。NPCが誘われていくのは分かる。俺と同じく、彼らにもナナクロ世界の女性が『ただの』美人にしか見えていないはずだからだ。が、プレイヤーはどうだ? 普通のやつには出来の悪い3Dのキャラにしか見えていないんじゃなかったのか? そんなキャラに誘われるがまま誘われるか? 特殊な性癖を持っているのか?


「……分からん」


 行ってみれば分かる。中へ入ってしまえば分かるのではないか。

 やに下がった連中の顔。俺だって少しくらいは羽を伸ばして鼻の下も伸ばしちゃっていいんじゃないのか。思えば、俺は訳が分からないままナナハシラクロニクルの世界に呼ばれてしまった。しかも、死んだ時に出会ったやつの言うことが本当なら、俺は本来ここに来る予定ではなかったらしい。俺はちょっとばかり苦労し過ぎているんじゃないのか。死にかけたっつーか、実際死んでたようなもんだし。

 よし。

 行く。

 行くぞ、俺は。

 なんかこう、めっちゃいい思いがしたい。所詮異世界めいた場所での出来事だとしても、夢の中の出来事だとしてもいい夢には違いないんだ。

 しかし足が動かない。俺はビビっていた。脳裏には何故か鶴子やラベージャの顔が浮かんでくる。しかも俺のことを軽蔑したかのような視線を送ってくる。よせ。やめろ。


「アカン……」


 俺は自分の意気地のなさに絶望した。

 絶望している俺の傍に影が降り立った。……NPCのガキだった。さゆねこと同じくらいのチビだな。どこからどう現れたのか定かではないが、そいつは偉そうに腕を組んでこっちを見下ろし、ふふんと笑った。

 妙な羽根のついたハンチング帽から出ている、白くてふわふわの髪の毛以外、全体的に黒っぽい恰好をしたお子様だ。だぼっとした半ズボンからは黒い靴下が覗いている。パッと見、RPGだと貴族の坊ちゃんって感じのやつだな。


「なんだよ、お前」

「ふ。オレさまを知らないのか。オレさまは、カプリーノ・ルージュ・エバーグリーン。かのエバーグリーン家の血を引く、正統な……!」


 俺が尋ねると、お坊ちゃんは少年か少女なのか分からないくらいの声で答えた。自信満々である。

 意識してじっと見据えると、そいつが名乗った通りに『カプリーノ・ルージュ・エバーグリーン』と表示された。長い名前だな。『かの』とか言われてもこっちの世界のやつのことなんか分からないんだって。

 俺は今は絶望している。相手をしている余裕はない。


「そうか、じゃあどうぞどっかに行ってくれ」

「なっ!? オレさまを無視するつもりか!」


 カプリーノとか名乗ったガキは大層ご立腹らしい。俺の服を掴んでぶんぶんと振り回そうとする。勘弁してくれよ。どうして俺はこう絡まれるんだ。


「なんで俺に話しかけたんだよ。他にも冒険者はいるじゃねえか」

「ふっ、それはな、お前が破廉恥な冒険者ではないからだ。オレさまはお前を評価している。ありがたく思うのだな」

「ありがとう。じゃあな」

「この町の店に入らなかった冒険者はお前くらいのものだ」

「……いや、入りたくても入れなかったっつーか」

「不潔極まりない裏切り者どもの巣窟だ。だがお前は見所がある。オレさまのしもべになってもよい!」


 しもべて。


「つーか、なんだ? お前はそういう店が嫌なのかよ。お前だって男だろ」

「な、なっ……?」


 カプリーノは顔を真っ赤にして俺を指差す。


「けだものめ! オレさまは不埒なことなどしないっ」


 けだものて。


「だいたい不潔とか不埒とかさー、どんな店なのか知ってんのかよ」

「うむ。女と一緒に寝るのだ。そうすれば冒険者は一皮剥ける」

「えっ、し、知ってんのか?」

「冒険者はこの町の……特別な力を持った女と一緒に寝れば力が強くなる。だが、それは外法だ。反則だ。そんな楽なことがまかり通ってよいものかよ」


 ……あー。そういうことか。プレイヤーはカルディアの店を利用して自分のパラメータを上げてたってわけだ。あるいは、プレイヤー自身やジョブの方に経験値でも入る仕組みなのかもな。何にせよ、金さえ払えば戦闘ナシでレベルアップできるって寸法だ。謎が解けた。よかった。この町に妙な性癖の持ち主はいなかったんだ。


「そりゃあ盛り上がるわけだわ。この町を拠点にすりゃあかなり楽が出来る」

「愚か者め! 本来、あのようなことは易々と行われるものではない。アレは、いわば儀式なのだ。セラセラのバカ娘が来てからこうなった」

「そうなのか?」

「そうなのだ。オレさまはあのバカをカルディアから追い出したいのだ」


 アニス・セラセラか。

 ドリスも言ってたが、あんまりいい感じじゃない姫さまみたいだな。だけど、喜んでるやつらだっている。カプリーノはどうしてだかあの姫さまを嫌っているけどなあ。


「だからお前はオレさまのしもべになって、カルディアを元通りにすることを手伝え。いいな?」

「いや全然よくねえよ」

「なぜだっ」

「理由がねえもん。俺にだってやることはあるんだ」

「…………っ! う、ううううぅううううう」


 あ、泣きそうだ。

 偉そうなこと言ってたが、やっぱりただのガキだな。

 カプリーノは袖で目元を擦ってから、距離を開けて俺を指差す。


「覚えていろっ、お前は必ずオレさまのものにするからな!」


 カプリーノは半泣きで走り去り、雑踏の中にその姿を隠した。なんだったんだ、アレは。



<4>



「……どうしてこっちの町に来ていたのですか?」


 カルディアでさゆねこと合流するも、じっとりとした目つきで見られてしまう。


「ちょっと道具を買い足しに」

「怪しいのです。まあ、何をしていても構いませんが。ただしわたしに危害が及ぶようなことはやめて欲しいです」

「しないって」


 俺はけだものでも誰のものでも欲望のしもべでもない。


「さあ、用事は済んだしとっとと行こうぜ」


 さゆねこに背を向けてさっさと町を出ようとしたが、向こうの店から大きな物音が聞こえた。揉め事でもあったのだろうか。

 他の野次馬と共にしばらくの間その店を眺めていると、一人の男が叩き出されるのが見えた。その男は、店の人に死ぬほど怒鳴られていた。


「金もないのに来るんじゃねえよ!」

「いー? おかしいっすね、ここ来るときはー、マジであったんすよー」

「ねえじゃねえか!」

「ヤベー、店長超バイブス上がってないすか?」

「ぶっ殺すぞ!」

「パねー。パねーっすわー、マジでー」


 店の人に胸ぐらを掴まれる若い男。語尾を伸ばすその独特の口調とイントネーション。長めの金髪にヘアバンドでデコ出し。じゃらじゃらとしたアクセサリーとこっそり見えているタトゥー。終始ヘラヘラしてヤバイを連発。

 あ。この人アレだ。関わりたくない人だ。話を聞いてると金もないのに店に入ったのは男みたいだし、悪いのも男の方だろう。誰が見たってそう思う。

 ここは歓楽街だ。ああいうプレイヤーもたくさんいるんだろうな。アカウントをBANされそうな行為だ。


「行きましょうかお兄さん」

「そうだな」

「お兄さんもバイブス上げたりしたいのです?」

「そうだな。……いや、しない。したくないから。あっ、おい! シカトすんなよ!」



<5>



 町の出入り口に差し掛かったところで、其処此処から恐れ戦くような悲鳴が上がった。なんだ?

 視線を前方に戻すと、カルディアの町に向かって、頭、体、足。板金鎧で身を固めたやつらがやってくる。どいつもこいつも二メートル近い巨体だ。圧力が半端ない。まるで白い壁が迫ってくるようだった。

 ほとんどのプレイヤーはそいつらに道を譲る。重装備軍団はそれが当然だと言わんばかりにゆっくりと歩く。俺たちを威圧しているかのようだ。


「お、お兄さんお兄さん」


 さゆねこに引っ張られて、俺も重装備軍団に道を空ける。すると、先頭にいたやつがこっちを見下ろして立ち止まった。

 黒盾さんに似ているが、また違う意匠の鎧だ。黒盾さんは悪役っぽかったが、彼らの装備は正義そのものって感じで白に統一されている。よく見ると、一人一人の兜や脛当ては違うみたいだけど。


「……君」


 男の声だった。


「お、俺ですか?」

「そうだ。隣のアバターの子は幼く見えるが、君のパーティメンバーか?」


 俺ではなく、さゆねこがそうですと答える。


「そうか。だが、こんなところに連れてきてはいけない。色々と危険だからな」

「危険って?」

「カルディアに来るのは初めてなのか?」

「昨日来ました」


 俺に話しかけてきたやつが片手を上げる。すると、他の重装備軍団が一糸乱れぬ動きでびしっと整列した。


「我々は《我らが秩序テミス騎士団》。この町の悪徳を許さず、秩序を守るクランだ。私はリーダーのウルツァイト。何か困ったことがあったらいつでも相談に来るといい」

「は、はあ」


 ウルツァイトと名乗った男は俺たちに背を向ける。彼が歩き出すと、先まで止まっていたなんとか騎士団って連中も歩き始めた。


「さっきの人たちは何がしたいのでしょうか」

「要は自警団だな。この町の平和を守ってるんだってよ」

「はあ。ご立派ですね」


 まあ、なあ。

 このゲームの運営は何もしてなさそうだし、カルディアみたいな怪しい雰囲気のところも出てくる。例えば、ゲームを出会い系サイトの代わりに使おうってやつとか、チャットやメッセージを駆使して女性プレイヤーにセクハラするやつとか。そういうやつらを取り締まったり、警告したりするのが普通の運営だ。

 が、ナナクロに関しては期待できそうにない。そうでなくてもこの広いゲームを見通すのは難しい。運営の目が届かない場所だって出てくる。じゃあどうするか。プレイヤーである。プレイヤーがプレイヤーを注意し、取り締まるのだ。

 さっきの人らがやろうとしてんのはそういうことだろう。恐らく。


「正義の味方ですね。いい響きだと思うのです」


 そういうのがウザいって人らもいるから、何とも言えないんだけどな。ともかく、なんかこの町のNPCともプレイヤーとも関わりたくないってのが本音である。



<6>



「……? お兄さん、何だか疲れてますか?」

「そうかもしれない」


 なんか地下迷宮に潜る前から色んなやつと会ってたからな。しかもだいたいがアレな感じだったし。


「いいよ。さゆねこは夜の九時までしかゲームできないんだろ? ダンジョン行こうぜ」


 俺がそう言うと、さゆねこはちっちっちっと指を振る。


「今日は金曜日なのでゲームをしてもいい日なんです」

「へえ、何時まで?」

「十時までです」

「一時間だけかい」

「一時間も多く遊べるのですよ?」


 小学生からすればそうなるか。俺ももっと純真な心を持とう。


「……そうだな。よっしゃ、さくっと第二階層に行くか」

「おー、です!」


 しかし、地下迷宮か。いったいいつから開放されてんだろう。町の人らの話をぼーっと聞く限りじゃあ、まだ誰も最深部に辿り着けていない感じだ。デカドロス島のイベントが始まった時と違って、プレイヤーも多いしやる気もある。レベルの高い人らもいるんだし、もっと攻略が進んでてもおかしくはないはずだけどな。


「先に進むのはワクワクしますね!」

「だな」


 しかしこの後、俺たちは第二階層、第三階層と、変わり映えしない地下迷宮の風景にげんなりすることとなる。どこに行っても石の壁。あっちに行っても石の壁。ここはなんだ。地獄なのか。



<7>



 カルディアで最も大きな屋敷の中から、アニス・セラセラは物憂げな顔で町並みを見下ろしていた。


 ――――気がちっとも晴れませんの。


 アニスは王族だが姫の一人に過ぎない。王都キャラウェイでは彼女よりもドリスの方が可愛がられて力を与えられている。つまらなく、腹立たしい。

 だが、アニスもこの町では権力者だ。この町の王にも近しい存在だ。王位継承レースにかこつけてカルディアを貰い受けたアニスは、邪魔者を立ち退かせて、快楽で冒険者の心を掴み、彼らの使う金で私腹を肥やしていた。このままいけば屈強な兵士も装備も、新たな王城すら築けるかもしれない。そしてゆくゆくは……。


「……じきに、あの玉座も私のものになりますわ」


 アニスは暗い笑みを浮かべた。その笑い方はドリスとよく似ていた。

 しかしだ。カルディアで絶頂を極めようとしているアニスを悩ませているものがいくつかある。

 一つは《我らが秩序テミス騎士団》というクランだ。彼らはこの町で行われている『不埒な』ことが気に入らないらしく、アニスにとって不利益となる行いをしていた。あのクランのメンバーが居座り続けると、この町の居心地を悪いと感じて出ていく者が増えるかもしれない。

 もう一つはエバーグリーン家の生き残りだ。既に大半の者をセラセラ家に従属させたとはいえ、残っているやつが厄介だった。たった一人。だが、恐るるに足りずとアレを野放しにしておけば、致命的な痛打を浴びせられるかもしれない。

 最後の一つが昨日出会った冒険者の男だ。名は聞いていなかったが、彼はドリスのことを知っていたようなそぶりを見せた。あの男がドリスの間者スパイだとすれば自警団まがいのクランや、エバーグリーンの生き残りよりも厄介な障害に成り得るだろう。


「ああ、もう。全然気持ちよくない。早く準備が終わらないかなあ」


 アニスは町並みから目を逸らして息を吐いた。ああ、民草もお父様も、みんなみんな、言うことを聞いてくれれば楽なのに。そう思いながら、彼女は目を瞑った。

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