第1章 歓楽の町《カルディア》
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ちくしょう!
俺は宿屋を出て頭を掻いた。
「どうでしたかお兄さん」
「ダメだった。馬鹿っ高い。この町の宿屋はどんだけ高級なんだよ」
「何か、とてもいいサービスでもあるのでしょうか?」
「さあな。けど、こんなんじゃあこの町を拠点に出来ないぞ」
キャラウェイを拠点にすればカルディアまでの乗合馬車でかなり金を持ってかれちまう。かと言って、素直にこの町の宿屋を利用するのも難しい。
「こうなったら直接地下迷宮に行くか」
「いいのですか?」
いいも悪いもあるものか。俺はさゆねこを連れて町を出た。
地下迷宮の場所はすぐに分かった。冒険者たちが行ったり来たりしていたからだ。ダンジョンから戻って飯を食うやつ。今からダンジョンに潜ろうとしているやつってのは雰囲気で分かる。俺はそいつらについていけばいいだけだ。
森の間の道を抜けていくと開けた場所に出る。最初に目に入ったのは大きな洋館だ。誰かの屋敷だったのだろうか?
その屋敷は荒れ果てて、朽ちている。冒険者たちは屋敷の庭でダンジョンへ入る最終確認なんかを行っていた。
「貴族の家だったのかな」
「さっきよりは落ち着いているのです」
なんだろうな、ここ。町に近い建物なのに荒れ果てている。誰も手入れとかしなかったのか? つーか、住めるだろここ。しかしそんなことを言ってもさゆねこには無視されるだろう。あまり気にしないことにしておこう。
庭は広く、百を超えるプレイヤーがいてもスペースには余裕がある。また、NPCやプレイヤーも露店を出していた。最悪、ここでログアウトしちまうか。人は多いし、モンスターがいる気配もない。
「どうしますか、お兄さん」
……ぶっちゃけ、カルディア周辺に兄貴がいるとは思えなかった。何せ兄貴はお堅い性格だ。ゲームとはいえこっちの世界にいるなら、ああいったところには好んで立ち寄らないだろう。
だが、手ぶらで帰るのも癪である。まだここらには来たばかりだ。すぐに決めつけて立ち去るのも早い気がする。
「行ってみるか。たぶん、あの屋敷の中に地下迷宮の入り口があるんだろう」
「光属性の武器は装備してますか?」
「おう」
俺にはヘリオスソードがある。ヘリオスのドロップしたバリバリの光属性の武器だ。おまけにドーンナックルもある。こいつはジョブを『格闘家』にすれば武器にもなるし、そうでなくても革のグローブのように普通にも装備できる。
俺たちが屋敷の中へ向かおうとした時、後ろの方の冒険者たちから歓声が上がった。なんだと思って振り返ると、黒々とした人だかりがあった。
重装歩兵のごとく、がっちりと鎧を着込んだやつらがいる。有名なクランなのかと思っていたら、どうやらそいつらはNPCらしかった。
そうして、そのNPC重装歩兵に守られる形で現れたのは背の低い少女である。プラチナブロンドの髪にパーマでも当てているのか、ふわっとしていた。さゆねこと同い年にしか見えないのにガッツリ化粧もしている。着ているドレスも彼女の目と同じく深い蒼色だ。護衛もクソほどいるし、どっかのお嬢様か?
少女は俺たちプレイヤーを睥睨した後、腰に手を当てて大口を開けた。
「冒険者のみなさーん! ダンジョンに入りたいですかー!?」
……は?
俺とさゆねこは、いきなりのテンションに戸惑うも、他のプレイヤーは慣れた様子で威勢のいい返事を返していた。
「魔物を殺すのは気持ちがいいですかー!?」
「おーう!」
「女を抱くのは気持ちがいいですかー!?」
「おーう!」
「気持ちがいいのはよいことです。ではみなさん、今日も頑張ってくださいね」
「おーう!」
コール&レスポンスが終わると、冒険者たちはぞろぞろと屋敷の中へ入っていく。何だったんだ、今のは。
「むちゃくちゃ下衆なことを言ってたのです」
呆気にとられていると、さっきのお嬢様が俺たちの方に近づいてきた。ふと、見覚えがあるような気がして、ついつい女の子をじっと見つめてしまう。
「……あら? あなた、初めての方ですね?」
「ま、まあ、このダンジョンに来るのは初めてだけど」
「そうですか。カルディアはとても気持ちのいいところです。ゆっくりしていってくださいね」
女の子は笑った。その笑みは、
「……ドリス?」
あいつによく似ていた。
ドリスの名を出した途端、女の子の顔が歪む。しかしそれも見間違いかと思えるほどの一瞬の時間だ。彼女はすぐに新たな笑みを作り直す。
「もしかして、ドリスを御存じ?」
「もしかすると、あんた……ああ、いや、あなたはアニスというお姫さま?」
「ええ。私はアニス・セラセラ。どうぞお見知りおきを、冒険者さん?」
その笑みにゾッとしかける。そういやドリスは言ってたっけ。気をつけろとか、なんとか。……ん? つーか、このちっちゃいのがドリスの姉さんなのか。妹かと思った。
ともかく理解した。この地下迷宮を支配しているのはアニス・セラセラだ。カルディアをああいう町にして冒険者を集めて、煽って、労っているのか。あれ? 別になんつーか、普通によくねえ?
「気持ちよくなりたいのなら相応の対価を支払うことです。その為に頑張ってくださいね」
「は、はあ、どうも」
そうしてアニスはお供を連れて去っていった。
「さっきのNPCのお姉さん。わたしには見向きもしなかったのです」
「子供だったからじゃねえの?」
「……何か、もっと嫌な感じでした」
確かにいいものではなさそうだ。
<6>
屋敷の中も、外の庭と同じく荒れ果てていた。しかし俺たちの目的はこの建物ではない。冒険者の後を追いかけてみると地下へと続く階段が見つかった。
「普通の家の地下室ではないのですか?」
「降りてみりゃ分かるよ」
階段を下りていく。左右の壁には蝋燭があり、足元まで明るかった。俺とさゆねこは黙々と階段を下りる。下りる。下りる。先は見えない。さっきまで見えていた冒険者の背中も見えない。
「さゆねこ。離れるなよ」
「お兄さんこそ」
さゆねこはがっしりと俺の服を掴んでペンギンみたいによちよちと歩いていた。
何だか妙だな。地下迷宮とは聞いていたけど、どうやらここは普通の屋敷でもなく、俺たちが足をかけていたのは普通の階段でもないらしい。
ちょっと不安になってきたが出口が見えた。俺とさゆねこは駆け出して広い場所に出る。
触れてみると冷たい。床も壁も石で出来ていた。カルディアの建造物のようにしっかりした造りではない。地下をスプーンで刳り貫いたような感じだ。それだけで人の手はあまり加えられていない印象を受ける。叩けば崩れそうだし、壁に触れるとさらさらとしている。
この広間には俺たち以外には誰もいない。ここが地下迷宮のスタート地点なのだろうか。
ふと左右を見ると、広間には二つの通路があり、通路には小さな蝋燭がある。恐らく、どこもそういう作りになっているのだろうが。アレ以外の明りがなきゃ、ちょっと周りがよく見えないな。
「蝋燭以外に何かあればな……」
「そうですね。このダンジョンは薄暗くて見えにくいのです」
他の冒険者はどうしてんだろうか。ちょっと先に進むのが嫌になってきた。ここにも独特の臭いがある。だが、キャラウェイやカルディアといった町の臭いではない。……ここの臭いは、恐らく。
「お兄さん。帰りませんか?」
「……どうしてだ?」
「怖いとかではないのですが、すごく嫌な感じがするのです。それに、わたしたち二人だけでは、やっぱり」
怖いんだな。
けど、そうか。カァヤさんがいなくなって間もない。さゆねこの心細いって気持ちはよく分かる。俺だって、昨日までなら隣にラベージャがいた。あいつは強かった。俺はあいつに助けてもらってばかりだったな。
「次に会った時、カァヤさんに『強くなりましたよ』って言いたくないか?」
「……言いたいです」
「もう少しだけ進んでみようぜ。お前がどうしても怖いから帰りましょうって言うんなら、俺もそうするよ」
「誰も怖いなんて!」
はいはい。
<7>
とりあえず、最初の広間から右の通路を進んでみることにした。よく耳をすませば、あちこちから得物を振る音やプレイヤーの声なんかも聞こえてくる。俺たちだけじゃないってことが分かったのか、さゆねこは安心したらしい。
「……ん?」
通路を歩いていると頭に何かが当たった。さゆねこが短く叫ぶ。
「キイイイイアアアアアアアアアアアアッ!」
「おわあああああああっ!?」
耳元で甲高い音が響いた。まるで音波だ。音の暴力だ。
誰だっ。そう思って前を睨みつけると、
『暗がりコウモリ』
モンスターの名前が表示されていた。けど、見えねえ。薄暗くて見えないんだけど。
「ずるくないですか?」
「なー! ずるいよなこれー!」
しかしやるしかない。俺は鞘から新たな得物、太陽神剣をすちゃりと抜く。すると俺たちの周囲を光が照らした。
これは武器についてた能力なのか? うっ、眩しい。刀身をまっすぐ見ると目が潰れちまいそうだ。だけど、これで光源の心配はなくなったな。おまけにモンスターの姿までばっちり見える。
「さらば!」
「何がさらばですか、かっこ悪い」
俺は易々と暗がりコウモリとやらを倒してしまった。一撃だ。これがジョブチェンジの力か。これがヘリオスソードの力なのか。すごいな。
リザルト画面を確認しつつ、俺は天井の高さと通路の間隔を認めた。
「どうしたのですかお兄さん」
「いや、ちょっとな」
ここは狭い。リーチの長い武器は使いづらくなるかもしれないな。ヘリオスソードは片手剣だからまだマシだけど、サブウェポン的なものもあるといいかもだ。




