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第1章 始まりの町《セルビル》

<1>



「ああ、もうっ。なんだってこんな時に忘れちゃうかな」


 一人の女が、独り言ちながら建物の外に出る。陽が傾きかけた空は、もう間もなく夜一色に染まるだろう。

 低い塀。女は街の中を息せき切って駆け抜けて、番のいない門を潜る。途端、開けた草原が視界を埋めつくす。彼女は気を取り直すかのように、立ち止まって周囲に目を遣った。

 門の近くでは数人の男女が慌ただしく動き回っている。彼らは、土くれの上に足で絵を描いていた。……否、それはただの絵ではなかった。


「おい、早くしてくれよ」


 女の到着を認めた一人の男が声を荒らげる。彼女はぺこぺこと頭を下げながら、その絵に近づいていく。

 女は、持っていたあるものを絵の上に落とした。それは、琥珀色の小さな石だ。地面に落ちた石は容易く砕けて、絵の周囲に破片を散らす。


「こいつがなきゃあ始まらねえからな」


 男が呟くと、地面の上に描かれた線が光る。淡い輝きは絵だけでなく、周囲一帯を包み込んだ。


「さあ、今度はどんなやつが来るかな」

「簡単なやつだといいんすけど」

「だなあ」


 ぼやき声は、光に次いで発せられた、より大きな音によって掻き消された。

 光と音の中から現れたのは、紺色のジャケットを身に纏った少年であった。



<2>



「ん……んん……?」

 俺は家にいた。自分の部屋でPCゲームをプレイしていたら突如として俺の目を強い光が焼いた。眩しくて堪えられなくて目を瞑っていたら、風が吹いた。窓も開けてない部屋の中だってのに。おかしいと思って目を開けると、


「おお、来たな」

「あんだよ、男かよ。しかもガキじゃねえか」

「えー? ちょっといいと思いますけどね」


 知らない人がいて、見覚えのない景色が広がっていた。空は暗い。星が輝いている。

 俺は何度も目を擦って瞬きをする。草っぱらだ。草原が広がっている。こんなところ、俺の住んでる周りにはない。見たこともない。……マジでどこだ? っつーか、なんだ?

 振り返ってみると建造物がある。低い塀と、門。人の声が聞こえてくる。もしかすると町なのかもしれない。


「おい、返事しろって」


 ここは、間違いなく俺の知らない場所だ。

 だが、目の前にいる髭面の中年男は間違いなく日本語を話している。じゃあ、ここは日本なのか? でも、どうしてだ。部屋にいたってのに、なんで外に放り出されて変なやつらに囲まれてるんだ、俺は。

 かなり迷ったが、俺は目の前にいるやつらとの会話を試みようと決めた。情報が少な過ぎる。


「あの。ここって、どこ、ですか」


 俺がそう言うと、髭面の男は目を丸くさせた。


「聞いてないのか?」

「聞くって、何を」

「石の声だよ」

「はあ?」


 ああ、やばい。

 何かこの人たちすげえやばい感じがする。

 俺が固まっていると、見知らぬ三人はひそひそ話を始める。漏れ聞こえてくるのは『やべえ』とか『めんどくさい』とか『まあどうでもいいか』とかいう危険ワードだ。

 やがて相談が終わったのか、よし、と、髭面の男が俺に向き直る。


「兄ちゃん。とりあえずやってみりゃあ分かるって。少しくらいなら手伝ってやるからよ。今回だけだから感謝してくれよな」

「……やるって。いや、何を」

「いや、言ってただろ。聞いてただろ。セルビルに魔物モンスターどもが向かってきてるから退治してくれって」


 モンスター? セルビル?


「た、退治……?」

「おう。兄ちゃんも分かっただろ。石が教えてくれたんだからよ」

「だからっ、石ってなんなんだよ?」


 俺の口調は自分でも気づかない内に荒っぽくなっていた。こうなったらとことんまでやってやるぜみたいな気分に陥っていた。


「いきなりやれだの意味分からないことばっかり言いやがって。あのな、俺はなあ」

「あ。来ました、来ました」

「毎回のことだけど、あいつらも大変っちゃあ大変だよなあ」

「来たって……?」


 俺は、草原の向こうに目を凝らす。暗がりだったが、何か、動くものが見えた。動いているのは一つ二つじゃない。もっと多くのものが動いて、こっちに向かっている……?


「な、なんすか、アレ」

「え? だからモンスターだって。町に入れないように頑張ってね」


 はあ?


「今来たばっかの俺にそんなことさせんのかよ!?」

「それが君たちの仕事でしょ」

「俺は学生だ!」


 つーかモンスターってなんだよ! やっぱり日本じゃないのかよ、ここ!


「ああ。まあ、気張ってくれや。兄ちゃんに柱の加護がありますようにな」


 ……柱。

 そこで、俺はこの場所の察しがついた。同時に、目の前が真っ暗になって真っ白になって激しく点滅を始めた。



<3>



 兄貴が、いなくなった。


 俺の兄貴、八坂剣爾やさか けんじがいなくなったのは数か月前のことだ。当時、大学受験を控えていた兄貴は部屋にこもりきりで、ろくに飯も食わないまま机にかじりついていた。


 父さんも母さんも心配していたが、頑張ってくれているんだなと喜んでもいた。俺は、兄貴がほとんど一日中勉強することを不思議に思っていた。何故なら、兄貴は頭が良かったからだ。昔からそうだった。教科書なんかもパラっとめくっただけで中身を全部覚えちまうし、大人顔負けに弁が立つ。学校のテスト前でも余裕綽々で、兄貴が勉強というものに困っているところなんか一度だって見たことがなかった。大学の受験だって同じようにサラッとクリアするだろうと思っていたし、東京の一流大学にも現役で合格するだろうというのが周囲の思惑だったはずだ。


 だが、兄貴は大学に合格しなかった。受験しなかったのだから当たり前だし、そもそもいなくなってしまった。本当に、忽然と。


 いなくなったことに最初に気づいたのは母さんだった。ある日、母さんは、部屋に入らないでくれという兄貴の言いつけを破って、根を詰めているだろうからと夜食を持っていった。部屋には誰もいなかった。ノートパソコンのディスプレイが煌々と光っているだけで、何の音もしなかった。その部屋に兄貴がいたという痕跡は、阿呆みたいに何もなかったのだ。

 気晴らしに散歩にでも行っているんだろうという楽観的な思考はすぐに打ち崩された。家族総出で思い当たるところを探して、知り合いにも片っ端から連絡をしたが見つからなかった。警察に捜索願いを出したが、今も兄貴の影すらも掴めていない。


 行方不明者は、日本では毎年十万人近くもいるらしい。

 しかし、そのほとんどはどのような形であれ発見されている。治安のいい、さして広くもない島国で完全に姿を隠すのは難しいのだ。

 それでも見つからないのは、もう兄貴が普通の人の目に触れるところにはいないからなのだろう。……兄貴はどうしていなくなっちまったんだろう。受験のストレスか。家族の問題か。あるいは、誘拐でもされたのか。

 俺は、どれも違う気がする。兄貴は頭が良かったし、強かった。自分というものを持っていた。きっと、自分の意志で俺たちの前から姿を消したんだ。だから見つからないんだ。



「ナガオ。ナガオー、八時よ。朝ごはん出来てるからね」

 母さんの声と足音が、俺の部屋の前から遠ざかっていく。物音が鎮まってから、俺は布団から顔を出した。

 ぼうっとした頭のまま起き上がり、寝間着のままで部屋から出てリビングに降りた。テーブルの上には朝食が用意されていて、俺はマーガリンの塗られたトーストを齧った。まだ温かい。

 テレビを点けて、適当なニュースを流し見しながらトーストを齧って頬張る。そいつをホットミルクで流し込んでいると、そろそろやばい時間になってきた。空っぽになった食器を洗って二階に上がり、制服に着替えて家を飛び出て学校に向かう。学校が終わったら友達と寄り道して、家に帰ってゆっくりしてゲームをして眠る。

 俺こと、八坂長緒やさか ながおの一日はこんなものだ。

 ……もう、慣れた。

 俺も、母さんも、父さんも、周囲の人たちも、兄貴のいなくなった生活に、世界に、完全に適応したのだ。



<4>



「ナナクロ?」

「おう」


 とある日。俺は友人のしいから、『ナナハシラクロニクル』というゲームをやらないかと誘われた。

 俺はゲームが好きだ。

 特にRPGが好きだ。殊更に、MMORPGが好きだ。人と話すのは苦じゃないし、それがゲームってんなら尚更だ。現実では全くの他人だとしても、ゲームの中じゃあ頼れる仲間。そういう人と協力して攻略していくっていうのが面白い。

『ナナハシラクロニクル』はMMORPGらしく、俺は二つ返事で了承した。


「おお、そうかそうか。じゃあ二人でクソゲーを遊びつくしてやろうぜ」

「クソゲー?」

「おう、クソゲー」


 椎の話を聞くに、ナナクロは色々な意味で有名らしい。制作している会社はナナクロの他にもゲームを世に送り出しているが、クソゲー製造機という評価を下されている。共通して言えるのは、その会社のどのゲームもバグやメンテナンスが多く、サーバーも不安定でろくにログインも出来ない。ゲームの世界観や設定はガバガバでグラフィックも所々雑だが、もうどうにかなって回り回ってそこが一部のゲーマーに受けているらしい。

 まあ、気持ちは分かる。ゲームも料理も同じだ。美味いものばかり食ってると、たまには一風変わったものも食べたくなる。好みなんか人それぞれだしな。


「とはいえ、クソって分かってるのに突撃するのはなあ。地雷が見えてるんだろ。それってもうただの爆弾じゃん」

「だって『グラファン』がゴミアプデだったんだもん。新しいのに手ぇ出したいんだよ」

「ああー。まあ、それは、うん」


 俺たちは一緒に『グランドドリームファンタジー』という超大作を謳ったMMORPGをやっていたが、先日、プレイヤーがかなり不利になるようなアップデートが行われた。公式のホームページやTwitterや匿名掲示板は荒れに荒れている。炎上し過ぎてもう燃えるところがない状況だ。


「クソゲーだったらハマらんで済むじゃん。すぐに別のゲームに移行出来るし、暇潰しとしちゃあ最適だろ」

「その通りだな。でもなー、クソなんだろ?」

「なあー、頼むよー。一緒にゲームやってくれるやつなんか中々いないんだよー」

「ああ、もう。分かった分かった」


 そこまで言われりゃあ仕方ない。俺もナナクロに付き合おう。

 ナナクロに対しては軽い気持ちだった。家に帰って、あるものを見つけるまでは。



<5>



 家に帰って晩飯を食って風呂にも入ってゲームをする準備は整った。

 だがしかし、ナナクロをプレイする前に問題が発生した。俺のパソコンくんが壊れてしまったのだ。起動させたくてもうんともすんとも言わなくなった。

 ナナクロはクソゲーだ。だが、やりたい。プレイしたい。出来なくなるかもしれないと思うとやりたくなってしまう。俺は頭を抱えてベッドの上で寝返りを繰り返して、


「あっ」


 いいことを思いついた。

 そうだ。兄貴のノートパソコンを使えばいいんじゃねえか。スペック的には問題ないはずだし。

 兄貴の物はほとんどそのまま部屋に残っている。着替えもパソコンもスマートフォンも。許可なく勝手に使うのは少しだけ気が引けたが、許可の取りようもないんだからしようがない。一時的な救済措置だ。兄貴が帰ってきたら適当に謝っておこう。

 そんなわけで母さんの目を気にしつつ、兄貴の部屋からパソコンを拝借することにした。

 俺は自分のパソコンを退かして、ノートパソコンを勉強机の上にセットする。ロックがかかっていたら一巻の終わりだなと思っていたが、その心配は無用だった。すんなりと起動してくれて、画面には初期設定のままの、飾り気のない壁紙が現れた。


「……兄貴らしいわな」


 まったく、どこで何をしてんだろうな。まあ、今はいいや。こうしてゲームが出来てるわけだし。

 俺は兄貴のパソコンをある程度自分好みの設定に変えて、ナナクロのインストール作業を始めるべく、ブラウザを立ち上げようとした。


「……嘘だろ」


 だが、あった。

 兄貴の使っていたパソコンのデスクトップに、ナナクロのアイコンが既に鎮座していたのだ。

 俺の思考は少しの間だけ止まった。……なるほど。すげえ簡単な話だ。つまり、そうか。兄貴はナナクロをプレイしていたのか。あ。もしかして部屋にこもって机にかじりついていたのって、このゲームを遊んでいたからなのか? あ、兄貴……。

 でも手間が省けたな。ちょうどいいから兄貴のデータを使うのもいいかもしれない。そう思ってナナクロのアイコンをクリックしてゲームを立ち上げてみたが、ログイン画面のところで手が止まった。

 そういやそうか。俺は兄貴の使っていたIDもパスワードも知らねえんだよな。テキストに残しておいてくれると助かるんだけど、そこまでプライバシーに踏み込むのもどうかと思われた。親しき中にも礼儀あり。いくら身内のパソコンといえど『新しいフォルダ』の中身を検めるわけにはいかないってやつだ。新しいアカウントを作って、ちゃんと初めからプレイしよう。

 ゲームの登録作業を進めていると、椎から連絡が来た。20時ちょうどだった。


『ダメだ。ログインできねえ。そっちは?』


 ナナクロ。どうやら噂通りの代物らしい。

 俺も今から試してみると椎に返事をして、マウスをカチカチといじる。いじる。いじる。いじる。


 ……。

 …………。

 ………………。


 ダメだ。ログインできねえ。何度も何度も糞長ったらしいオープニングを見せられ続けてゲームをやる前からお腹いっぱいだ。今日はもう諦めるか。だけどその前にあと一回だけチャレンジしよう。そう思って、最初から登録作業をやり直してみる。

 その時だった。

 ノートパソコンのディスプレイが激しく発光して、俺の目を焼いたのは。



<6>



 ……ああ。

 ああ、そうか。

 ちくしょう、思い出した。

 そうだ。

 そうだった。

 セルビルは町の名前だ。

 俺は、モンスターを退治してくれって、セルビルの冒険者ギルドから依頼を受けたんだ。

 空を見る。

 暗くて見えづらかったけど、巨大な影が聳えているのが分かった。地面から空に向かっているのは巨大な柱だ。

 この世界には、柱がある。


「ここは、ナナクロなのか」


 恐らく、石の声ってのはゲームのガイドのことなんだろう。

 モンスターの退治ってのは、チュートリアルクエストのことなんだろう。

 ってことは、俺は今、ゲームの世界にいるってことなんだろう。


「納得できねえ」


 自分の置かれた状況が何となく分かった。だからって、そんなわけねえだろって否定しまくる俺がいる。どんな魔法を使えばこんなことが起きるんだ。

 現実からゲームの中に行っちまう。それはもはや、別世界に行くってことと変わらねえ。

 ここはもう俺のいた世界とは違う世界なんだ。


「納得なんか、出来るか!」


 俺が納得しようがしまいが、モンスターの群れははっきりと目視できるところまで迫っていた。



<7>



 世界には七つの柱が立っていた。

 天と地を結ぶ、七つの柱が。

 人々はその柱を崇拝し、昼夜問わず崇めるべく近くに家を建てた。家の数が増えると人も増えて、やがてその地は国となった。

 この世界の地に、海に。柱は確と屹立している。柱は七つ。人の住まう地も七つ。七つの大陸がこの世界にはある。

 世界の名はストトストン。

 あなた方がこれより住まい、生き抜くことになる世界だと心得よ。


(『ナナハシラクロニクル』オープニングより抜粋)

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