第4章 hic salta!Ⅲ
<1>
『レイドボス、《不倒の眼・ヘリオス》が出現しました。これよりデカドロス島全域が戦闘エリアとなります』
……なんだ、こりゃ?
「そうか。やつが」
俺が驚いていたのは急に現れたメニューに対してではない。空から現れた巨大なモンスターが、さっき見つけた洞窟に向かって攻撃を仕掛けたからだ。
やつ(・・)から放たれた極大の輝きは誰に対してのものだ。仮にあそこが地下のダンジョンと繋がっていたなら、そこにいたプレイヤーは一たまりもないだろう。
「ここもまずいな。ラベージャ、隠れよう」
いつもは率先してモンスターに斬りかかっていくラベージャも、今回ばかりは俺の指示に逆らわず、遮蔽物に身を隠す。そうして、崩れかけた建造物から俺たちは見た。
太陽の巨像が空を飛んでいた。
姿形はあのモンスターと似ているが、無機物っぽさはまるでない。ぱつんぱつんに膨れ上がった腕や足、浮き上がった血管。パンチパーマみたいな黄金色の髪も身に纏っている赤い外套も、風によって揺れてはためいている。息遣いも、こちらを見下ろす視線も、像ではなく、やつが生きているモノだという証左に他ならない。
アレが不倒の眼ヘリオスというボスなのか。だけど、どうしていきなり出てきたんだ? もしかして地下か? 俺たちは逃げ帰ったが、他のプレイヤーが何かやったのか?
考えている内、ヘリオスが動く。やつは島全体を見下ろせるような位置まで飛び上がり、掌を俺たちの方へとかざした。
「あ。なんかやってくるな、これ」
俺は半ば諦めかけていた。戦闘中はログアウトも出来ない。ログアウトするには二つの方法がある。戦闘エリアから脱するか。もう一つはここを戦闘エリアではなくすかだ。つまり、あのボスを倒さなきゃならない。
「……どうすれば、いいんだ」
ラベージャがうろたえていた。俺には慰めることも出来やしない。
ヘリオスは高出力の光属性の魔法を撃とうとしていた。やつの両手から放たれた魔法は、直接には島に向かわず天へと上る。はるか上空から雨霰と降ってくる光弾。着弾の衝撃と音が島全体を震わせる。
「くっ、どうか、柱の加護を……!」
あとはもう、当たらないでくれと祈ることしか出来なかった。
<2>
攻撃が止んだらしい。視界には土煙がいっぱいに広がる。俺は自分のステータスとラベージャを見た。……どうやら、まだ生きているらしい。魔法をかすりはしたのか、はたまた瓦礫か岩の破片にでもぶつかったか、少しだけHPは減っていたが他は問題ない。
マジで柱の加護とやらがあったのかもしれない。王都に戻ったら大聖堂に行ってお祈りと感謝をしよう。
「おい、ラベージャ。ラベージャ」
「……ヤサカか。私たちはどうなった?」
ラベージャはずっと目を瞑っていたらしい。さすがに、こいつでもさっきのにはビビるか。
「分かんねえけど生きてる。さっきのやつは、どこだろうな。この煙ん中じゃあ何も見えない」
その場で立ち尽くして煙が晴れるのを待つ。やがて、一陣の強い風が吹いて、視界を覆っていた煙が流れた。
俺たちは島の端にいた。震える足に鞭を打ち、坂道を上る。高いところから島を見渡すと、中央部分の丘がなくなっていた。先のヘリオスの攻撃によって平らにされてしまったらしい。ああ、なんだよもう、地形が変わるほどの威力だったってのか。
ヘリオスは平らになった場所に突っ立っている。まるで俺たちプレイヤーを待ち構えているようだった。見通しが良くなったから、ここから入り江へ逃れようとしても見つかってしまうだろうな。それでも逃げるか。もしくは、あのバケモノとやり合うのか。
「二人だけじゃあダメだな。地下に行ってみよう。他の冒険者が残ってるかもしれないからな」
「何……? ヤサカ、お前、どうするつもりなんだ」
「まだ考えてない。でも、逃げるにしても戦うにしても頭数は欲しいからな」
俺はナップザックを背負い直して、あの祭壇跡地を目指すことにした。
<3>
ヘリオスは未だ動かない。俺たちが来るのをマジで待っているらしかった。ただ、入り江の船に向かおうとすればどうなるかは分からない。
ひとまず、俺たちは例の階段を下りて小部屋に辿り着く。そこには数人のプレイヤーがいた。だけど、ちょっと様子がおかしいな。
「すんません、何かあったんですか?」
俺たちの存在に気がつくと、一人の男性プレイヤーが小部屋の奥、通路を指差した。
「やられた。たぶん、何かのギミックっつーか、トラップっつーか。ボスが出たって表示されたあと、この奥の広間でボッコボコにやられたんだよ」
「ヘリオスとかいうボスっすか?」
「わっかんねえ。光属性のえぐい一撃をみんな喰らってさ、たいていのやつはデスペナでボ・フかキャラウェイに戻されたと思う」
デスペナ?
俺が不思議に思っていると、他のプレイヤーが答えてくれた。
「初心者? HPが0になったら教会のある場所に戻されるんだ。だから、そいつらがここまで戻ってくるとしても結構時間かかると思うよ」
普通のプレイヤーはそうなるのか。俺はどうなるんだろう。教会に戻されるだけで済むんだろうか。ぜひそうあって欲しい。
「で? 外にもなんかいるの?」
「つーか、たぶん外のやつがここに攻撃を仕掛けたんだと思います。島の地形が変わって、真ん中あたりに陣取ってますよ」
「げえ、マジ? どうっすかなあ、ここのメンツだけじゃキツそうだよなあ」
間違いなくやばいだろうな。ヘリオスの攻撃で一撃死したプレイヤーが多いのなら、戻ってきても戦力にならない(俺も含めて)。ただ、さっきのは不意打ちだった。ある程度の準備をしてくれさえすればどうにかなるかもしれない。……が、戻ってこない可能性もある。
ざっと見たところ、小部屋にいるプレイヤーの平均レベルは30。だけど十人もいない。更に言えば前衛ばかり残っている。たぶん、魔法使いや弓兵はHPが他のジョブより少なくてやられたんだろう。俺もラベージャも得物は剣だ。後衛から援護するなんて向いていないし、たぶん出来ない。じっとしてても始まらないな。
「あの、全員で逃げませんか? 外にはボスがいて、この島は戦闘エリアになってますけど入り江に行けば船でボ・フまで戻れるかもしれません」
「……ああ、確かに。さっきみたいなのを撃ってくるのが相手じゃ、俺たちだけじゃ分が悪い。立て直すにしたってここにいてもどうしようもないからな」
一人が俺に同意してくれると、あとの人たちもぞろぞろと立ち上がって撤退の準備を始めた。
「よし、そんじゃあ、えーと『八坂』君か? 俺たちはバラバラのパーティだけど、入り江まで共闘ってことでいいな?」
「オッケーです。よろしくっす」
色々と不安はあるが、やってみるしかないだろう。
<4>
俺たちは総勢八人になった。遮蔽物に身を隠しながら少しずつ進み、ヘリオスの目から逃れながら入り江を目指す。
何だか全然違うジャンルのゲームをやっている気分に陥ったが、そもそも俺はゲーム世界の中にいるだけでゲームをやっているわけではない。
足音を殺して、物音を出来る限り立てずに進む。隣にいるラベージャの耳遣いも、俺の心臓の鼓動さえもモンスターに気づかれていそうな気がしてストレスで死にそうになっていた頃、思わず、誰かが声を上げてしまった。
入り江は見えた。見えたが、そこには船の一艘、漕ぎ手の一人だっていなかったのだ。
「出られねえじゃねえかよっ」
大柄な男が入り江の方を指差した。同時にヘリオスが動く。やつは前にも見た時と同じく、掌を俺たちに向けてかざす。
まずいと思った時にはもう遅い。入り江を指差していた男の頭上に雷が落ちる。ヘリオスの魔法だ。俺たちは衝撃の余波を受けて後方へと下がる。直撃を受けたプレイヤーの体が黒焦げになり、やがて光の粒子と化して消えた。……蘇生時間に猶予はあったかもしれないが、間に合わなかった。彼はデスペナルティで教会まで飛ばされてしまったのだろう。
「ちっくしょう、余計なことして死にやがったぞ! さっきの!」
「どうすんだよっ、これさあ!」
もう大声を出しても構わない。何せヘリオスには俺たちがここにいることがばれているんだ。
もう戦うしかない、か? 入り江まで行っても船がない以上、すぐには島から出られない。だったら……。
「血迷うなよ、ヤサカ」
ラベージャが俺の肩を掴んで、引き寄せた。
「地下の小部屋に戻れ。他の冒険者、あるいは、キャラウェイの兵士が動くかもしれない。助けが来るまでそこで大人しくしていろ」
そう言ったラベージャは剣を抜いている。こいつ、まさか。
「お前はどうすんだよ……」
「私が時間を稼ぐ。全員まとめて死にたくないだろう」
「だ、あっ! おいって!」
ラベージャはヘリオスに向かって駆けだした。俺は慌てて後を追おうとするも、他のプレイヤーに押し留められる。
「NPCだろっ、あれ!」
「ほっといても死なねえって。今の内に遠くへ逃げようぜ」
離せ。離してくれ。
「つーか死に戻りもアリか?」
「あー、この状況辛いよな。フレと合流したいし、俺らも突っ込む?」
俺はあんたらとは違うんだ。気楽に死ねないんだよ、俺も、あいつも。
ラベージャは、プレイヤーからすればただのNPCだ。ただのデータだ。偽物の世界だ。でも、あいつだけじゃない。他のNPCだって、この世界に生きている人間なんだ。笑って、怒って、飯を食って、寝て……本当の世界で生きている。
『ただのデータ』の為に自分の命を危険な場に晒すのは馬鹿なのかもしれない。でも、もうダメなんだ。知ってしまったら、分かってしまったら見捨てられない。見殺しになんか出来ない。
だからごめん、兄貴。今だけは、俺よりも、兄貴よりも、ラベージャを……この世界の人間を優先させてくれ!
「おっ、おお……っ!」
俺はナップザックを放り投げるようにして下ろし、引き留めていたやつらを引き剥がして、駆ける。
後ろからは俺を馬鹿にするような、罵るような声。だけどいいんだ。これでいい。
「ラベージャ!」
レベルは低い。装備も安物。スキルだってろくなものがない。
俺はまだこの世界について何も知らない。でも、やる。戦ってやる。今の俺はゲームの中の『ヤサカ・ナガオ』じゃないんだ。今の俺だって、現実世界と繋がっている本物の『八坂長緒』なんだ。ここで逃げたら俺は現実でも逃げたってことになる。もう嫌だ。もう逃げるのは止めにするんだ。
「バカ! 逃げろと言ったろう!」
ラベージャは怒っている。俺は彼女の隣に並んで、一緒に駆けた。
「前にも言ったじゃねえか。全部捨てちまえたら楽だろうけど、そんなのダメなんだ」
「状況が違う」
「生きるのを捨てんのもダメなんだよ」
「……そうか。では、足を引っ張るなよ」
「ああ、頑張る!」
ヘリオスの両手から光の衝撃波が放たれる。まともに喰らえば一発でHPを持っていかれるだろうが、
「このまま突っ込むぞ。無理な体勢で受けるよりずっといい」
「分かった」
正面から行く。
俺とラベージャのHPが減る。だが、お互いまだ生きている。
衝撃波を抜けた先、ヘリオスが待ち構えているのが見えた。更に速度を上げて前へ踏み込む。
やつは、今度は魔法ではなく直接殴りかかってきた。巨体に似合わず素早い一撃。だが、俺は地面を転がるようにして攻撃を避け、ヘリオスの腕を斬りつける。全然効いてない。だけど、通した意地は0じゃない。
「ヤサカっ、こいつは神だ。遠い時代に忘れ去られた太陽の神だ」
「だからなんだよっ」
「巨像とは違う。甘く見るなよ」
そんな余裕はない。
俺は得物を握り直して回復アイテムを使用する。ラベージャにもそれを渡してヘリオスと睨み合う。
「私が斬りつける。ヤサカ、援護を頼む。私の背中は預けたからな」
俺は頷く。ラベージャはヘリオスとの間合いを一足で詰めた。あいつの攻撃の方が威力が高い。……回復アイテムはまだある。俺は限界を迎えるギリギリまで盾になろう。
だが、ヘリオスのHPゲージは戦闘を始める前と全くと言っていいほど変わっていなかった。




