第3章 湖上の華Ⅳ
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ナガオが去った後、ドリスの私室にラベージャが戻ってきた。彼女は話の途中で逃げられたことに憤慨していたが、決して顔には出さなかった。
「姫さま、お疲れさまでした。上手くいったようですね」
「まあね。所詮は外の世界の人間だもの」
そう言ってドリスはベッドの上で体を伸ばした。ぽきぽきと骨が鳴った。
「争いのない国で生まれ育った、キャンディみたいに甘い子だもの。兵士を人質にとったって、あいつは絶対に傷つけることなんか出来なかったわ」
「先の少年が優しいからですか?」
「臆病だからよ。人を探しているなんて言っていたけど、本当のところはどうかしら。あいつは行動に起こすことも、真実に触れることにも臆病に違いないわ」
ドリスは嗜虐的な笑みを浮かべる。生来の気質によるそれを認めて、ラベージャは内心で『またか』と思った。
「明日が楽しみね。冒険者どもがダンジョンに入ってたくさん死んでくれても構わないし、残ったやつらを従わせるのも素敵だわ。強靭な肉体と精神を持つ、使い捨ての兵の誕生よ。一度でも手懐けてしまえばこっちの良心も懐も痛まない。『ハシラサマのご加護のお陰ね』。ふ、ふふふふふ」
「全く、誰も信用していないのですね」
「信じられるのは自分だけよ。ラベージャ、あなたも肝に銘じておきなさい」
暗がりの部屋に、昏い喜びを湛えたドリスの目がぎらついていた。
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しかし、妙なことになったな。
俺は自宅のリビングで昼飯のカップラーメンを食べながら、ドリスのことを思い返していた。
昼前に王都に到着して、速攻NPCの事情に巻き込まれちまったが、兄貴を探すのにあの世界の王族の協力は有り難い。ダンジョンに潜るのもやぶさかじゃない。恐らくだが、明日はナナクロのアップデートが入る。ダンジョン開放ってことはイベント周りが臭いな。普通、そういう予定なんてのはもっと前から告知しておくもんだけど、ナナクロに関しちゃ普通の対応を期待していない。
新しいイベントが始まれば人はそっちに集まるだろう。兄貴だってナナクロの冒険者として存在しているんならダンジョンに来るかもしれない。
「けど、ダンジョンか……」
少しばかり気が重い。ドリスは冒険者に期待しているみたいだけど、俺はまだ始めたばかりだ。ソロでダンジョンをクリアするなんて無理だろう。事情を隠したまま、さゆねこやカァヤさんと合流するのがよさそうだな。
なんて、その時の俺は軽く考えていた。
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今日は日曜日でナナクロをどっぷりプレイできると考えていたが、捕まったり城の中を歩き回されたりダークエルフの女の愚痴を聞いたりで疲れていたのだろう。少しだけ、少しだけ仮眠を。そのつもりで布団の中に入ったが普通に眠ってしまった。起きたらもう日が暮れていた。この際なので風呂に入ってさっぱりし、家族と晩飯を食べた後、俺はログインを試みることにした。
何度目かのチャレンジの後、俺はログインに成功した。
「ふー、あれ? ここどこだ?」
俺はセルビルの宿屋ではなく、薄暗い部屋にいた。……ああ、見覚えがある。足元には紙に描かれた魔法陣もある。ここはドリスの部屋だな。そういやそうか。ログアウトした場所にログインするのが普通だもんな。
「……ちょっと」
「ん?」
ドリスの部屋なのだから、当たり前のように彼女もそこにいた。なぜかパンツ一枚だけの格好をしていたが。
「よう、なんかここに出ちまった」
ドリスはバスタオルで裸を隠していた。風呂上がりかな。まあ、タイミングが悪かったというやつだろう。俺も鶴子の家に遊びに行った時、こういう場面と遭遇したことが何度かある。焦る必要はない。俺は悪くない。悪いのは、間だ。
「じゃあな、俺は町で買い物してくるから」
「ちょ……! このっ、王族の、このような姿を盗み見るなんて……!」
「別に覗いてたわけじゃないぞ」
「外道! 処刑よ、処刑。不敬よ、不敬」
王族が言うと本気に聞こえるし実行できそうだからやめて欲しい。
俺は出て行こうとするが、なぜかドリスが引き留めて罵詈雑言を吐きまくる。この騒ぎを聞きつけたのか、ラベージャが部屋に入ってきた。そして剣をすらりと抜いた。
「やはり冒険者は信じられないな」
「おい、事故だ。俺の本意じゃないんだって。この魔法陣だよっ。俺はこいつに呼ばれてここに来ちまったんだ!」
「……何? そうなのですか、姫さま」
ドリスはむっすーとした顔だったが、ふて腐れながらも頷いた。よかった。これで晴れて無罪放免だ。
「そういうわけだ。じゃあな」
「待ちなさい。ラベージャ、こいつについていきなさい」
「はっ。……は? なぜですか?」
「買い物をすると言っていたわ。代わりに払いなさい」
はあ? 俺は、そんなもんいらねえよと突っぱねた。いや、冷静に考えるとかなり助かるのだが、そうすると、昨日の今日までやってきたことが全部無駄になるみたいで嫌だった。
「遠慮しないでもいいのよ。お前ごときの装備を整えるお金には困っていないもの」
「ぐっ……けど、いらねえ。俺にも意地ってもんがあるんだ」
「そう? まあ、困った時は言ってね。恵んであげる。だって王族だもの」
「くそう! でも助かります!」
ムカつくが金持ちとは仲良くなっておきたい精神。
「ラベージャ、しっかり見張ってなさい」
「別に逃げやしないよ」
「彼もそう言っていますが」
「いいからついていきなさい」
「……………………はい」
奢ってもらうつもりはないんだけど、ラベージャは俺の買い物に渋々ついてくることになった。
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「あんたってダークエルフなのか?」
城下町に着いた時、俺はそんなことをラベージャに聞いてみた。
「……悪いか?」
何となく、その返しだけでダークエルフってのがどんな種族なのか分かってしまった。
「いいや、別に」
「ふん。私が姫さまの近衛兵だからといって気を遣わなくてもいいぞ」
「だから、別にって。何せ日本って平和な国の生まれだからな。神様は信じてるけど無宗教だし、そりゃあ外国人にいきなり話しかけられたらびっくりするけどさ、そんだけだよ」
「ふん」
ラベージャは不機嫌そうに黙り込む。ダークエルフについては触れない方がよかったか。まあ、今後は注意しておこう。
「それより、おすすめの店とかないのか? ここまでついてきたんだし案内くらいはしてくれよ」
「知らん」
「お前が俺を無理矢理連れてったせいで、町をちゃんと見て回れなかったんだよ。あーあー、今頃は宿屋のベッドでぐっすりだったのになー」
「……知らん」
とか言いつつ、俺の後ろを歩いていたラベージャは歩調を速めて前に出る。どっかに案内してくれるんだろう。俺は彼女の背中を追いかけた。
「道具屋と宿屋と飯屋なんかも案内よろしく」
「……知らんっ」
意外と扱いやすいやつかもしれない。




