雨が私の元に運ぶ物
シトシトと空が涙を流す
まるで私の心を代弁するかの様に
そしてスッと外の庭に咲く
クチナシの花弁へ集まる様子を
私はぼんやりと眺めていた
昔、本で雨が奏でるこの音は
この世に胎児として
産まれてくる前、
母体の中で流れる波長と
同じ周波が生じる様で
その音が何故か懐かしく、
心を落ち着かせてくれるのだと言う
しかし私には
そんな雨が
大嫌いだ
なぜなら、
その本を読み聞かせてくれた父も
外で雨の降る中楽しげに
クチナシの花の世話をしていた母も
もうこの世には居ない
私を残して2人はとある場所で静かに
眠っている
それは突然の不運で誰かが決して
悪い訳ではない
梅雨の雨が降りしきる視界の悪い中
走って来たトラックに
2人は撥ねられこの世を後にした
当時、高校生だった私は
突然担任から呼び出されその事実を聞かされた
一瞬にして頭が真っ白になり
ぼんやりと時が過ぎ
気が付けば葬式も
全て終わった後だった
ふと視線をカレンダーに向けると
今日が両親の命日だった
重い腰を上げ、部屋着から
モノクロカラーの
チュニックワンピースに着替え
赤い傘を持ち家を出た
途中、花屋に寄り母が好きだった
クチナシの花束を買う
母からいつも香っていた甘い香りが
私の鼻腔をくすぐる度、
胸が苦しくなった
墓地へ着くとそこには先客がいた
幼なじみの奏斗が瞳を閉じ祈る
「今年も来てくれたの?」
「ああ
葵の両親には世話になったからな」
「そっか。
いつもありがとう
2人共きっと天国で喜んでるよ」
そしてそっと花束を置き
線香を上げる
「あれからもう5年が経つのか…」
「そうね
時が流れるのは速い
相変わらず雨は私に不幸しか
運び来ないけれど」
そう言いながら
2人の名前が刻まれた墓標を見つめる
あの時、
ただ息をするだけの人形だった
私を支えてくれたのは奏斗だ
多くの同情や憐れみの視線から
常に私を守ってくれた
取り乱したり涙を流さない私を見て
冷酷な人間だと思う人たちへ
いつも私の代わりに怒ってくれた
嫌いな雨の中に紛れ
1人、涙を流す私を
必ず見つけ、抱きしめてくれた
でも私達はもう子供じゃない
今では立派な大人だ
「ねえ、奏斗?」
「ん?」
「もう、ここへ来なくても良いよ」
「………」
「もう私は大丈夫だから」
ウソ
「子供じゃないし」
嫌だ
「1人でも生きて行けるから」
離れたくない
そう思う私の想いとは裏腹に口が
勝手に言葉を紡ぐ
「ね?」
そして
「もう終わりにしようよ」
私は決別の言葉を口にした
「…そうか
お前がそれで良いならいい」
「うん
今まで支えてくれてありがとう」
「ああ
じゃあな」
「うん
バイバイ」
そう背を向け歩き出す
彼の背中を見送る
…上手く笑えていただろうか
これ以上、彼に優しくされたら
2人を亡くした時決めた
1人で生きて行くという、
信念が崩れそうだった
誰も失いたくない
その為には大切な愛する人から
離れる事が必要だった
失うのが怖いからその恐怖を
また味わってしまったらもうきっと
私は立ち直れないだろうから…
この想いに蓋をして
死ぬまでこの気持ちを伝えず
生きて行こう
だからどうか
今は
そう顔を覆い俯くと
優しい温もりに包まれる
「…やっぱりな
そんな事だと思ったよ」
「奏斗…?」
「ああ、俺だ」
「どう…して…」
「俺がお前を
置いて行くわけがないだろ」
「でもっ…!」
ふと奏斗が私から離れた
「俺がお前を好きだから」
思わず耳を疑った
決して叶う事などない
聞くことはないと思っていた言葉が
聞こえた
「葵が辛いのは分かる
きっともう誰も失いたくないと
考えてるのも」
「…っ!」
「そんな未来は存在しない
絶対に葵を残して居なくなったり
しないから」
「やめてよ!
そんなたちの悪い冗談は
聞きたくない!
放っておいて!
もうこれ以上は…!」
「嫌だ」
「奏斗!」
「聞いてくれ
俺も本当は、怖いんだ」
「奏斗も…?」
「葵の両親が居なくなって
最初はお前が落ち着くまで側に
居ようと思った
光を失った瞳、表情が抜け落ちた顔
それらが徐々に色づき
輝き始めたのを見て俺は思った
愛する人の笑顔を
この手で守りたい」
初めて聞かされる彼の想いに
耳を傾ける
「もう絶対に泣かせない
愛してるからこそ余計にだ
側に居てくれ」
「いいの…?」
「ああ」
「何処へも行かない…?」
「約束する」
「絶対…?」
「ああ
返事は?」
「はいっ…!
私も貴方が、奏斗が好き…!」
その瞬間離れた距離が
一気にゼロになり
きつく彼の腕の中に閉じ込められる
そしてクチナシの花束を
私に差し出す
「これは今の俺の気持ち
花言葉は分かるか…?」
「‘私は幸せものです’…?」
「そう
葵とこうして居られるだけで
もう十分だ」
「そっか…」
そう私は笑みを零す
お母さん、貴女が言った意味
ようやく分かったよ
あれはまだ私が幼い日…
「葵?
この花にはね、花言葉があるのよ」
「花言葉ー?」
「そう」
「どんな意味ー?」
「さあね?
自分で調べてごらんなさい?」
「教えてくれないのー?」
「内緒よ?
でも私はお父さんからこの花束を
もらってこうして3人で
居るだけでいいの」
「だってそれだけで
私はーーーーーーだから」
「ねえ、奏斗?」
「ん?」
「私も貴方と
こうしているだけでいいの
本当に私はー…」
そう呟くと彼は優しげに微笑んだ
【終】