決意と感謝
カルムとミーティアは村に辿り着くと、ファリナの家へと向かった。
昨日の影との戦いで、影は生き物の死体を、それも死んでまだ間もない肉体だけを操れるという事が分かった。
死んで間もない物でなければ、一月前にカルムが捌いて三人で食べた熊肉の新鮮さが説明つかないし、死体を操る事については、影の支配が解かれた生き物たちが、皆死んでいる事で説明がつく。
カルムは、昨日の戦いで五人の内三人は殺したが、二人には致命傷を与えていない。しかし、朝には五人全員が死んでいた。ただ操られていただけならば、二人は生きていてもいいはずなのだ。
まだ穴の多い推測ではあったが、カルムはとりあえず影は死体を操るという結論を出した。
そして、その推測から、山の中にある家で夜を明かすよりも、村の中の方が安全という結論を出したのである。
村では人も動物も死体は基本的に、焼いてその魂を天に還すという葬儀方法を行っている為、村の中に死体はない。
なので山で一夜を明かしてから出発するよりも、村の見知った者の家に泊めてもらって、翌日出発した方がいいと考え、ファリナの家にやって来たのだった。
二人でファリナが住む店の前に立つ。日が落ちたばかりだったが、もう店の営業は終わっているようで、一階には明かりはなく、ファリナの家族の居住空間になっている二階の窓から、煌々とした明かりが漏れている。
「今日は此処に泊めてもらおう」
「ここは何処?カルムの家?」
「違うよ。俺の知ってる人が住んでる。でも大丈夫。俺の友達だから、怖がらなくても平気だ」
「……うん」
カルムは店の扉を叩いてみたが、二階から誰かが下りてくる気配はない。
諦めずに何度も扉を叩くと、扉の内側で何か動く気配があり、鍵を開けたような音と共に扉がゆっくりと開くと、赤い髪を後ろに下ろしたファリナが出迎えてくれた。
「もう、どなたですかこんな時間に……」
「遅くにすまない、ファリナ。早速で悪いんだけど、今晩泊めてくれないか」
「カッ……!?」
カルムの顔を見たファリナの顔が、首から熱が上がっていくように段々と赤くなる。
そして、カルムの方をじっと見たまま声も出さずに固まり、不意打ちによる混乱と緊張の赤が髪の毛まで染めた所で、階段を荒々しい音を立てながらファリナの父親が下りてきた。
「ファリナ、さっさと追い払えって……なんだお前かよカルムー!とうとう山を下りて俺んとこに来る決心がついたのか?それとも家出かーおい!まあ上がれ上がれ!今丁度夕飯食ってんだよ!」
うちの娘の手作りだぜ!と両腕でファリナとカルムの肩を抱いて家に迎え入れようとした男であったが、カルムの足元に隠れる様に立っているミーティアに気付くと、カルムを睨みつけ、この子は何だと声を潜めて尋ねてきた。
「親父さん、悪いけどこの子については……ここでは何も言えない」
「何も言えないだと……俺の家に妙な厄介事を持ち込むつもりじゃねえだろうな?」
「それは……信じてほしい。貴方たちに危険な事は何も起こらないと約束する」
「ふん……訳ありか」
男はそれ以上の事を追及する事無く、黙って三人を家に引き入れた。家の扉が閉まる音でようやく自分を取り戻したファリナが、慌ててスカートの皴を伸ばしたり、髪に手櫛を入れて身なりを整える。それを見た男が、こいつがそんな細かい事気にする性質かよ、とカルムの背を叩いたので、ファリナは男の尻を思い切り叩いた。
店の中に、男の悲鳴と、パシンと言う乾いた音が響いた。
カルムとミーティアは、ファリナの家で夕食をご馳走になった。
小麦粉で作られた様々な形のパンと、鶏ガラの出汁に野菜を煮込んだスープが並ぶ豪勢な食卓だった。テーブルに並べられたパンたちは色も違えば食べた時の食感や、味まで全く違う。
カルムは特に果汁を練り込んで作った丸いパンを気に入り、ミーティアは肉と野菜を挟んだサンドイッチをたくさん食べた。
ファリナはカルムが自分の作った料理を気に入ってくれた事が嬉しかったようで、カルムに何度もおかわりを勧め、それを受け取って貰う度に、エへへと笑いながら照れ隠しにミーティアの頭を撫でた。恋する少女の目にはミーティアの頭の角など些細な事のようで、まったく気にする様子はなかった。
ファリナに撫でられるたびにビクビクしていたミーティアも、カルムの安心してもいいという言葉と、ファリナの親愛により、食事の途中から大人しく撫でられるがままになり、黙々とサンドイッチを食べ続けた。
ファリナの父は、そんなファリナの姿を見て、若かった頃の母さんが照れた時にそっくりだ、と、一人複雑な心境で三人の子供たちを見つめていた。
食事も終わり、片付けられたテーブル。そこを挟んでファリナの父親とカルムが向かい合っている。父親の隣にはファリナが、カルムの隣にはミーティアが座っている。
ファリナはカルムの隣に座るミーティアの角に今更ながら気がついたようで、ミーティアの角に驚いていたが、カルムの心配ないという言葉を信じたのか、特にその異様について追及してくる事は無かった。
「まず、家に入れてくれて、夕食までご馳走してくれてありがとう。それで今からこの子、ミーティアっていうんだけど、この子の事を二人に話そうと思う」
初めに口を開いたのはカルムだった。ファリナの父はテーブルに腕を乗せ、体を乗り出してカルムの言葉を聞き漏らすまいと見つめる。隣に座るファリナも、緊張した顔つきだ。
「話をする前に、一つだけ言わなくちゃならない事があるんだ」
「もしこの子と、この子の周りの状況を貴方たちが知ったら、貴方たちの身に危険が及ぶかもしれない」
「それがどういう危険かは、この子の事情に深く関わる事だから、今は言えない。でも、命に関わる事なんだ」
「もし、今の言葉を聞いても事情が知りたいというのなら、話す。嫌だというなら、話さない。そして、俺たちはここから出て行く。貴方たちとは、今日会わなかった事にして」
そこまでカルムが話すと、ファリナの父はテーブルを叩いて、もったいぶらずに早く話せ!と声を荒げた。命の危険がなんだ!と啖呵を切る父を、ファリナが呆れたような顔で背中を撫でて宥める。
「私は、カルムさんたちを家から追い出すような事はしたくないから……話してください」
カルムは二人の態度と覚悟を見て、しばらく思い悩んでいたが、話す覚悟を決めたのか、テーブルに手をついて話し始めた。
「一月前に、東の空から飛んできた流星の事は覚えてる?」
カルムの問いかけに父は頷き、ファリナはもしやという顔をした。どうやら、昨日の買い物の時のカルムの様子を思い出しているようだった。
「一月前、でかい流星がこの村の上を飛んでいったんだろ。俺は直接見たわけじゃあないが、牛の世話をする奴が見たって騒いでたのを覚えてる。あいつは早起きだからな……で、それがなんだっていうんだ」
「その流星は俺の住む山に落ちた」
父とファリナは声が出なかった。父は目を見開きカルムの方を見つめ、ファリナは口を手で塞ぐように固まっている。
「初めに気付いたのは俺だった。俺は流星が落ちる瞬間を見たんだ。それでいてもたってもいられずに落ちた場所まで行った。そしたらこの子が倒れていたんだ」
いずれはミーティアにも教えなければならない事だったし、カルム自身が信頼しているこの二人には隠し事はしたくなかったので、カルムは正直に話した。
ミーティアの方を向いて、黙っていてすまない、と謝るカルム。ミーティアはカルムの顔を見ると俯き、カルムの服の袖を掴む力を強めた。
カルムは全てを話した。
流星の事。それに乗ってやって来た角を持つ少女の事。
影に支配された動物の事。そいつらがミーティアを狙っている事。
自分の父であるテツウチの死。
そしてミーティアを守る為、明日からカルムはミーティアと共に旅に出る事。
全てを二人に話した。
この話を聞いて二人が影に狙われることになるかもしれない、という不安を感じていたが、カルムの言葉は止まらなかった。
もしかしたら、カルムは自分が巻き込まれた運命を誰かに聞いてほしかったのかもしれない。
一人で背負うには重過ぎる宿命を、誰かに話すことで一緒に背負ってほしかったのかもしれない。
ミーティアを守ると決めた。しかし、敵は強大で、いつ自分が死ぬか分からない過酷な旅が始まる──その前に、カルムという人間を知る者に、話しておきたかったのかもしれない。
「俺が今話せる事はこれで全てです。正直、全部を信じてくれるなんて思っていないけれど……本当なんだ」
カルムの話を聞き終わった二人は初め無言だった。
いきなり出来損ないの御伽話のような事を話し始めたカルムの事を、頭のおかしい奴だと軽蔑しているのかもしれない。誰がそんな話を信じるものかと、憤っているのかもしれない。
「……カルム」
「はい……」
「その生き物の影に潜む化け物ってのは……村まで入って来るのか」
「かもしれない……でも村には死体がないから、少なくとも山から下りてこなくっちゃあならない。朝までは、安全だと思う」
そうか……と呟き、自分の顎ごと髭を掴む様に撫でる男。やがて考えがまとまったのか、カルム達の方を向いて口を開いた。
「カルム、お前がこの村に初めて来たのは何年前だった?少なくとも十年は前だったよな……初めの頃は、笑わないどころか表情すらねえ不気味なガキだと思ってた。お前の親父さん……鍛冶師が一人で住んでると思ってた山から来たお前を、誰もが気味悪がって近づかなかった。うちの娘だって、お前を怖がってた」
男の言葉を聞いて無言で目線を落とすカルムに、だが、と言葉を繋いで話し続ける。
「俺はずっと見ていたんだ。山からやって来た奇妙な子供をな。お前は、どんなに拒絶されても俺たちに関わる事を止めなかった。大した根性だと思ったよ。お前と同じ年頃のガキに石を投げられても、お前はめげなかった」
「そして……忘れもしねえ。二年前の春だ。お前は俺の娘を助けてくれた」
「お前が蹴り飛ばしたあの貴族の野郎はな、ここいら一帯を領地に持つでかい家柄の奴でよ。ふらっとやって来ちゃあ、気に入った娘だとか、家畜だとかを奪っていく。はした金だけよこしてよ……他の村でも、この村でもずいぶん好き勝手してた奴だった。そいつに対して、俺たちはいつも泣き寝入りだった。可愛い娘が浚われても、大事な家畜が奪われても」
「俺は奴に奪われた人間を沢山見てきた。悔しかったよ。でもどうすることも出来ねえ。そいつは突然やって来るんだ。大事な物を隠そうにも隠せない。娘がいる家は出来るだけ娘を外に出さずにいるぐらいしか出来ない……毎日ビクビクして暮らしてたさ」
当時を思い出しながら、男はポツリポツリと語り続ける。
「そして遂に、俺の娘が奴の目にとまった。その時、俺は諦めたんだ……女房の忘れ形見で、可愛くてしょうがない一人娘が、あのクズに連れていかれると思うと腸が煮えくり返ったが……俺一人が立ち向かった所で、死体が一つ川に浮くだけだ。そして、連れて行かれた先での娘の待遇も悪くなる」
「でも、お前は違った。そりゃあそうだ。山で育ったお前には、貴族だのなんだのはわかりゃあしないんだからな。ファリナの腕を掴んで自分の馬車に連れ込もうとしている奴の、太って下も見えないだろうってくらいに膨らんだ腹に……一発蹴りをぶち込んだ!」
「その時俺は怖かったぜ。この小僧何てことをしやがったんだ。これでお前は死んだぞ、ってな。叫びたかった。だって、今まで奴に歯向かった奴らは皆死んでいたんだからな」
「でも、お前は死ななかった。それどころか、奴の取り巻きの護衛全員、剣で打ち倒しちまった!」
空中にその映像が映っているかのように、空を憧れの視線で見つめる男。ファリナもその時の事を思い出し、赤くなった頬を両手で包んだ。
「凄かったぜえあれは。片手に剣を握ったお前がよ、訓練を受けた大の男達と互角どころか、囲んで何人も同時に切りかかってきても全く動じずにぶっ倒していったんだ」
「倒された奴らは足や腕を引きずりながら、毬みてえに川まで転がって行った奴を重そうに引き上げて、這う這うの体で逃げて行った」
「それから何度もファリナを奪いに来た奴を、お前は毎回川に蹴り落としてたっけ。商売の邪魔だーって言いながらよ……そしていつからか、奴は来なくなった」
「その時からだったな。お前に対する村の奴らの態度が変わり始めたのは」
「お前が守ったんだ。ファリナだけじゃねえ、この村全てをだ。感謝してもしきれねえ」
そして、男はテーブルに手をついて頭を下げる。その姿を見てカルムは慌てて頭を上げる様に懇願するが、男は頑なに頭を上げようとはしなかった。
「俺はお前を信じるぜ。どんな突拍子のない話だろうが、お前が言うなら信じる。そうさ、俺が信じなくて誰が信じるんだ!」
下げていた頭を唐突に天井を仰ぐように上げた男は、太い腕を伸ばしカルムの頭をいつものように乱暴に撫でて、俺はお前の味方だ!と言い放った。
カルムは、嬉しさに泣きそうになるのを堪え、ファリナの父に一言、ありがとうと言った。
「私も信じる」
男の隣で黙って話を聞いていたファリナは、カルムの方を真っ直ぐ見て、何かを決意したように言った。
「私も、どんな時でもカルムさんの味方です!お父さんだけじゃない、私もいますから!」
真剣な目でカルムを見つめながら叫ぶファリナ。
カルムは二人の友人の言葉に感謝すると同時に、自分の横にいる少女を必ず守ると、心の中で改めて強く、強く誓った。