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竜と影の物語  作者: ジュリー
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生と死

 柔らかい羽毛のベッドの中で、カルムは目を覚ました。


寝たままの姿勢で手を天井にかざす。レイピアに貫かれ、大穴が開いているはずの左手は、初めからそんな傷などなかったかのように綺麗だった。

体を起こし、服の上から傷を確認してみても、あの戦いで受けたはずの傷は一つもなく、まさかあれは夢だったのではないかと自分の記憶を疑ったが、確かにあの影と戦った事を覚えている。


 どうなっているのだ、と頭を抱えそうになったが、記憶を整理していく中で、奴らの凶刃に倒れたテツウチの事を思い出した。自分が生きているのだから、父も生きているかもしれない。安否を確かめるためにベッドを降りようと体を動かしたが、何かが脚に乗っている重みを感じ、掛け布団を捲ってみた。


 ミーティアが、白い頬に涙の跡を残し、眠っていた。腕はカルムの腰回りに絡みついており、ミーティア自身はカルムの脚に頭を乗せている。


 カルムはミーティアの寝顔を見つめる。すると頭の中に、意識がなくなる前に見た、あの黄金の光が思い出された。



 あの時、自分は死んでいたはずだった。影に操られた男たちに体を突き刺され、体を引き裂かれて終わっていたはずだった。だが、あの黄金の光に包まれて、目が覚めたらベッドの中で生きており、さらには無傷である。


 辻褄が合わない事態に混乱する頭を深呼吸をすることで落ち着かせ、とりあえず一階の様子を見るために、ミーティアをベッドに寝かせて階段を下りた。



 階段を降りると、噎せ返る様な死臭と血の匂いで思わず吐きそうになった。咳き込む口に手を当て、一階の惨状を確認する。


 居間のあちこちに血が飛び散っており、壊れた椅子やテ-ブルの破片で足の踏み場に迷うほどだった。

テツウチの部屋に続く扉付近の床に血だまりが作られており、そこにカルムとテツウチを襲った男が死んでいた。カルムを五人がかりで押し潰そうとしていたはずの男たちは、五人がバラバラの場所に吹き飛ばされたように倒れていた。


カルムは、男たちの中にテツウチの姿を見つけ出し、冷たくなったテツウチの体を抱き上げた。血に汚れ、瞼の閉じられた顔を見つめる。



 テツウチの体を抱きしめながら、声を上げず、カルムは静かに涙を流した。




 カルムは、テツウチを含めた六人の死体を家の外に運び出し、離れた所に埋葬した。

木の枝で作られた簡素な十字架が、物言えぬ寂しさを感じさせる。


 テツウチの死体だけは、家の近くの鍛冶小屋の横に埋めた。

山の頂上、一番見晴らしのいい場所に埋めようかとも思ったが、自分が一番慣れた場所が、テツウチもゆっくりと眠れるだろうと思い、この場所を選んだ。


 カルムはテツウチの墓穴を掘る時まで表情を崩さず、感情を出さず、決して涙を見せなかった。しかし、ついに限界が来たのか、頬を一筋の涙が伝ったかと思うと、堰を切ったように涙が溢れだした。何度も嗚咽を吐き、その度に作業は中断した。


シャベルで土を掘り返す度に、最愛の父親を失ったのだという現実を、これ以上ないほどの実感として体験させられているのだ。

カルムの体を、テツウチとの暖かな思い出が通り過ぎていく。カルムはついにシャベルを投げ出し、地面に顔を伏せ、堪えきれない悲しみを口から吐き出すように、泣いた。



もうあの日々は戻ってこないのだ。

あの厳しくも優しかった父はいなくなったのだ。

何も知らなかった自分を救ってくれた、あの大きな手で撫でられる事は、もうないのだ。



墓穴を掘り終り、土をかけ、テツウチの体が見えなくなっても、カルムは自分の体の中の一生分の涙を出し尽くすのではないかと思う程に、泣き続けた。



 作業が完全に終わる頃には、すでに日も西側から橙色に山を照らす時刻になっていた。



カルムはテツウチの墓の前で、心を失ったのかと思われるほどにじっと、立ち尽くしていた。


 ふもとの村の死者への手向けを真似て、山から摘んできた花に溢れた墓には、テツウチの打った剣が垂直に刺さっている。十字架の代わりだった。

カルムはこれからの事を考える気力もなく立ち尽くす。テツウチは死に、自分は生き残った。



 山から冷たい風が吹き、カルムの体を通り抜けていく。その風の冷たさはカルムの心の奥、テツウチとのある日の思い出を、心臓の鼓動が全身を波立たせる感覚と共に、唐突に思い出させた。




 「ねえテツウチ、命って何?」

幼いカルムが、テツウチの背負う猪の死体を見つめながらテツウチに尋ねる。

 猪を背に背負いながら、テツウチは何も言わず何かを思案しているようだったが、やがて口を開き、カルムにこう言った。




 命というのは、生きているという事だ。そして生きているという事は、他の命を奪い続けるという事だ。


 猪は草を食べる。草の命を奪って生きていた。そして、俺たちはイノシシの肉を食べる。猪の命を奪って生きる。猪に食われる草も、土から生きる為の糧を奪っている。



 生きていく限り、俺たちは奪う事を止められない。奪った命の分まで生きなければならない。



 残酷な事だがな。と、遠くを見ながら話す父の姿が印象的だった。




 その時だけ、滅多に表情を表に出さない父が、誰かに問いかけているような、視線の先の何者かに許しを請うような、そんな表情を見せていた。

カルムがテツウチのその表情を見たのは、その時が最初で最後だった。




 靴が砂利を踏む音に、カルムは振り返った。


ミーティアが、何も言わずにカルムを見つめていた。黄金色の髪と同じ色をした美しい瞳が、泥に汚れたカルムの姿を映している。


 ミーティアの瞳に映った自分の姿を見て、なんてひどい顔をしているんだろう、とカルムは思った。


 「私のせい……?」


 ミーティアは、カルムの方を見ながら、いつものように駆け寄ってくることもなく、体の横で小さな手を握り締め、消え入りそうな声で言った。


 「私がここにいたせいで……死んだの?」

 「私のせいで……カルムは泣いてるの?」


 俯いたミーティアの目から大粒の涙がこぼれ出す。

その場で立ち尽くしながら涙を流す少女の姿に、カルムは何も言えなかった。


 カルムはゆっくりとミーティアの傍に歩み寄り、震える小さな体を、そっと抱き締めた。

ミーティアはカルムに抱き締められる時、一瞬驚いたように体が跳ねたが、カルムの胸に押し付ける様に顔を埋めると、大声で泣き出した。


 「ごめんなさい……ごめんなさい……!」

 「違う。君のせいじゃない……君のせいじゃないんだ……」


 腕の中で小さな肩を震わせながら泣き続ける少女を、カルムは泣きやむまで抱き締め続けていた。頭の中で、あの時のテツウチの言葉が何度も繰り返されていた。

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