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竜と影の物語  作者: ジュリー
3/11

ミーティア

 翌朝、カルムが初めにした事は、家の前に転がっている熊の死骸を捌く事だった。


 虫や動物に食われている部分を切り捨て、部位ごとに切り分けた肉を日陰に用意した木の大台に乗せていく。朝まで起きていたテツウチに「捌いておけ」と言われたので、仕方なく朝から血と獣の匂いにまみれながら仕事をしているのだ。


 脇腹の内出血も、一日寝たら大分痛みも治まったし、熊を捌くのは初めてではなかったので、作業は順調に進んだ。



 少女はそんなカルムの仕事ぶりを、切り株に座りながらじっと、子供特有の集中力で観察していたが、昼前に起きてきたテツウチに家の中に入る様に言われると、素直にその言葉に従い、家の中へ入っていった。


 そういえば、あの子の名前もまだ知らないな、と、カルムが思ったのは、少女が家の中に入ってからであった。



 家の周りの血が染み込んだ土は、狼などの獣を寄せ付けるので、肉を切り分け保存し終わったら、掘り出して山に捨てにいかなければならない。長丁場になりそうな作業にどんよりした気分になったが、昨日一晩中自分と少女を守っていてくれたテツウチへの感謝が、そういった小さな感情を吹き飛ばしてくれた。



 テツウチは眠る前に「あれは生き物の影だ」とカルムに伝えていた。



 それならば、自分は鹿の影に襲われ、テツウチは熊の影を相手した事になる。

確かに、この惨状を見たらそれも頷ける。鹿は自分の角が折れるのも構わず攻撃してきた。

熊は両腕両足を斬り落としてようやく元に戻ったのだなという事は、熊の足の落ちていた場所と、胴体の場所の離れ方で大体分かった。テツウチに足を斬り落とされても腕で這って動いたのだろう。普通の動物ならばそんな事はしない。化け物の恐ろしい執念である。



 熊は全身、骨以外は余すところなく食べられるので、切り分けと、それぞれの部位に合った保存を完了するのに手間はかかったが、何とか昼までかけて粗方の作業を終える事が出来た。


 作業の過程ですっかり血の匂いが付いてしまったカルムは、血の付いた服を洗うために川に向かい、ついでに自分に染み着いた獣臭も川に入って水に流した。

 川辺から覗き込むと、意外と深い川底まではっきりと見えるほどに澄んだ川は、山頂からの湧き水が年月を経て流れ続けた結果であり、カルム達はこの川から、魚や砂鉄といった恵みを得る事が出来た。


 川の水は泳ぐには冷たかったが、それよりも獣くさい方が嫌だったので、洗った服が乾くまでの時間、カルムは水遊びを楽しんだ。川底まで潜って空を見上げ、水流によって歪む景色を楽しんだり、魚と一緒に泳いだりした。



 服が乾く頃には日も暮れ始めており、家で待っているだろうテツウチと少女の為に、魚を何匹か捕った後、川を後にした。


 山を歩く間、また黒い獣が襲ってくるかもしれないという不安はあったが、この山で一番強い獣である熊に取りついても勝てなかった、という事を影が理解しているなら、もう山の獣に取り付くことはないだろうとも思っていた。鹿でダメなら熊、熊でダメなら何になるのか。


 それに、テツウチほどではないが自分にも剣の心得はある。熊にはまだ勝てる自信はないが、先日出会った鹿程度なら、もう遅れは取らないと、固く心に誓ってもいた。



 家に帰ってみると、テツウチが少女に絵本を読み聞かせている最中だった。

「ただいま」と呼びかけると、テツウチは顔を上げてカルムの方を見たが、少女がすぐにテツウチに話の続きを読むようせがんだので、カルムにお帰りの声が返ってくることはなかった。


「……こうしてお姫様は、王子様と幸せに暮らしました」

「面白かった。ねぇ、もう一回読んで」

「……昔々のお話です。ある国に世界で一番勇敢な心を持つ……」


これまたカルムが子供の頃よく読んでいた本を、物置から引っ張り出してきたらしい。

 テツウチの背中から覗き込むと、何度も開かれて所々擦り切れ、年季が入った本を、テツウチの横で真剣に見つめる少女の姿があった。

 自分も昔はああやって、寝る前に本を読んでもらっていたな、と懐かしさを覚え、邪魔をしないでおこうと、川で捕ってきた魚を包丁で捌いた。




 その日の夕食はカルムが作った。熊肉と内臓を野菜と一緒に味噌で煮込んだ鍋と、川で捕ってきた魚の塩焼きだった。


 「そういえば、君の名前はなんていうんだ」

 カルムが鍋からよそった熊汁を、テツウチに教えられながら、見る者を不安にさせる手つきでスプーンを操り、黙々と食べ続けている少女は、カルムの方を見て「分からない」と答え、逆にカルムに向かって「私は誰?どうしてここにいるの?」と聞きかえしてきた。


「……俺は君を山で見つけたんだ。どうして山にいたのかも、覚えていないのかい」

「知らない……」


 それだけ言うと少女は俯いて黙ってしまった。カルムはその姿に少しの罪悪感を覚えたが、何も知らないのならこれ以上問い詰めてもしょうがないと思い、少女に食事の続きを促し、自分も夕食を食べる事にした。

 


 昨晩テツウチがばらばらに切り裂いて、朝カルムが捌いた熊肉は、そのまま焼いて食べたのでは獣臭く味も落ちるが、調理の前に酒に漬け臭みを抜き、味の濃い味噌と合わせる事で、完全と言っていいほど獣臭さは消され、柔らかく美味しい肉として食べる事が出来た。

 味噌と共に熊の脂身も出汁に使われており、箸でつまむとほろりと崩れるくらいまで煮込まれた野菜に良く染み込んでいる。

 魚の塩焼きも、塩のみで味付けしているのが逆に魚本来の旨味を引き立てており、鍋と共に三人の舌を十分に満足させる出来栄えだった。



 カルムが一杯食べる内に、少女は三杯平らげた。その都度カルムが汁をよそってあげたのだが、どうやら肉が気に入ったらしいこの少女は「このおいしいのいっぱい入れて」と鍋の中を指差して指示してくる。

 腐らせるよりはましだとかなりの量の肉を鍋に投入した結果、最近食の細くなってきたテツウチと、若さはあるが、特に肉が好物という訳でもないカルムの二人だけでは食べきれない量になっていたので、腹いっぱい食べろと、カルムは肉を特別多くよそってあげた。


 少女の瞳が、一匙鍋から肉を掬う毎に輝いていくので、カルムは思わず苦笑した。




 「名前がないのは不便だ」

夕食も終わり、三人は居間で寛いでいた。

 少女は、木に革を張り、中に綿を詰めたテツウチ自慢の長椅子に横になり、本をペラペラとめくりながら絵を楽しんでいた。カルムとテツウチは居間のテーブルを挟んで座り、少女をこれからどうするか話し合っていた。


 「記憶が戻るまではとりあえずここに置いておくにしても、名前がないのは不便だ」

そういいながらカルムは少女の方を見る。


 流星として山にやって来た事は、まだ少女には伝えていなかった。余計な情報を与えて、記憶をますます混乱させることになるかもしれないからだ。それにはテツウチも同意した。


 「自分の事を何も覚えていない……お前と同じだな」そう低い声で言うテツウチは、カルムを拾った時の事を思い出しているようだった。


 「あの黒い化け物の事も気になるし……頭の角の事もある。人が多くいる場所には連れて行かない方がいいと思う。最悪、殺されるよりも酷い事になりかねない」

 「ここにいる内は、俺とお前であの子を守れる、か……」

 「あの子は人ではないけれど、一度……いや、二度助けたわけだから、俺はあの子を見捨てたくない。父さんには……その、迷惑をかけるだろうけど」

 「気にするな」

一人も二人も変わらん、とテツウチは静かに微笑んだ。



 とりあえずのこれからを話し終えたところで、カルムは、自分の傍らに少女が立っている事に気付いた。瞼は半分閉じられ、頭を重そうに揺すっている。

 「……眠い」

 本を脇に大事そうに抱え、ベッドに連れていくようカルムの袖を引っ張る少女は、見た目以上に幼く見える。しかしこの少女は、この世界の事も、自分自身の事も、何もかも分からないのだ。



 カルムは自分がテツウチに拾われた時の事を思い出した。

 自分が誰なのか、どうしてここにいるのか。

 不安で誰かに縋りたくて、でも誰に頼っていいのか分からなくて。



 「……分かった。じゃあ、もう寝ようか」

 こくりと頷いた少女の小さな手を握り、寝室に向かおうとしたカルムに、テツウチは「俺の部屋のその子のベッドはお前の部屋に移した」と窓の外を見ながら言った。


 二階。カルムは自分のベッドに腰掛け、上手く寝付けない少女を優しく見守っていた。

昨日の寝つきの良さは何処かに逃げていったのか、布団を被り一度は目を閉じた少女だったが、今はカルムの方に体を向け、カルムの差し出した手を両手で強く握っている。その瞳には不安の色が浮かんでおり、そのまま少女の今の境遇を現しているようだった。


 恐らく、いや、確実に、夕食の際のカルムの言葉が原因だった。

仕方のない事ではあったが、軽率な発言には違いなかった。少女が自分から話そうとしないのだから、そこには理由があるはずだったのだ。


 「ここには何も怖いものは来ないよ。安心して眠るんだ」

カルムにそう言われても、少女は納得できないようで、カルムの手を掴んで離さない。

 カルムは考えた。そもそもこの子は何が怖いのかすら分からないのだ。分からないのが怖いのだ。ならば、どんな言葉が彼女を癒せるというのか。


 窓の方に目を向けると、カーテンの隙間から月が輝いているのが見えた。昨日は雲が隠していた光が、カーテンの隙間から細い線となって部屋を照らしている。


 その光景を見ているうちにふと、カルムは気が付いた。


 「君は、自分の名前が分からないんだね」

 こくりと頷く。

 「じゃあ……俺が、君の名前を付けてあげる」



 父から自分はカルムという名を貰った。ならば、自分もこの子に与えよう。



少女が体を起こして不思議そうにこちらを見る。どんな名前にしようか少しだけ考えたが、すぐに思いついた。


 「君の名前は、ミーティア。これからはミーティアだ」


 父から教えてもらったこの世界の言葉の中で、『流れる星の光』という意味を持つ。

流星に乗ってやって来たこの子には、相応しい名だと思った。


 「ミーティア……私はミーティア……」と、小さな声で何度も繰り返す少女。

段々と声は大きくなっていき、最後にはカルムに向かって、「私はミーティア!」と笑顔で叫んだ。理由は分からないが、カルムも何だか嬉しくなって、笑顔になる。

 「じゃあ貴方は?貴方は誰?」

弾むような声で聞いてくるミーティアに、そういえば教えていなかったと、失敗したように頭を掻き「俺はカルムっていうんだ」とミーティアを真っ直ぐ見つめて答えた。


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