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竜と影の物語  作者: ジュリー
1/11

出会いと始まり

 かあん、と何かが弾けた音がする。

 熱された鉄の塊に金槌が振り下ろされる音だった。

 打っているのは、短く揃えられた黒髪に白髪のまざった男だ。

 炉の熱を受ける男の額や頬には玉のような汗が浮かび、火の放つ光を反射させている。

 無言で、一心に金槌を振り下ろす男の姿は、何処か近寄りがたく、鬼気迫るものがあった。

 何度か鉄を打つと、桶に入った水に漬けて冷やし、持ち上げて具合を確かめ、再び熱し、角度を変えてまた打ち込む。

 どうやら男が作っているのは剣のようだった。


 カルムは、そんな男の姿を、小屋の扉を少し開けて、見つからないように見ていた。

 カルムからは男の後ろ姿しか見る事は出来なかったが、それで十分だった。

 カルムは、男が鉄を打っているのを見るのが好きだった。

 

 何度も槌を打ち込まれ、炎に熱され、段々とその形を変えていく鉄が、カルムには、まるで男が鉄に命を与えているように見えた。

 まだ幼いカルムは男の仕事を手伝う事も、小屋に入ることも禁じられていたので、こうして覗き見ているのだ。


 しばらく見続けて満足したのか、カルムは音をたてないように小屋から離れ、ある程度まで距離を置くと、小屋に背を向けて走り出した。

 何故だか知らないが胸の奥の方から嬉しさが溢れ出してたまらなかった。

 小屋から少し離れた場所にある木造の家を横切り、森の中を駆けた。

 鉄と同じようにぐにゃぐにゃになり、木に雲に石、魚や森の動物達の姿を次々と真似て、最後に男に一振りの剣にされる自分の姿が頭に浮かんでいた。

 自分は何にでもなれるのだと思った。


 カルムは男の実の子ではない。

 彼はどんな理由か独身を貫いていて、人の生きる街を離れ、人の立ち寄らぬ山の深い所にたった一人で家を建て、森から生きる恵みを貰い、たった一人で鉄を打つ。

 そんな生活を選んだ男が人々から理解されるわけもなく、男はますます一人になった。

 男がどうして自分と暮らしてくれているのかカルムには分からなかった。

 カルムは男の名前も知らない。

 呼び名が無くては不便だからと、カルムが勝手にテツウチと呼んでいるだけだ。

 男も勝手にカルムと名付け、そう呼んだ。


 森の中にある大きな木の下でカルムは仰向けに寝転んでいた。

 日はまだ自分の頭上にあり、木の枝葉が強すぎる光から守ってくれている。

 木を中心に円の形に開けている、この場所はお気に入りだった。


 テツウチに拾われた時の事は覚えていない。

 テツウチも多くは語らない。ただ雪が降っていたと答えるだけだった。

 以前しつこく聞いたときに一度だけ──森が止まっていた。様子を見に森に入ったらお前を見つけた、と言った。

 カルムには意味が分からなかったが、滅多に感情を表に出さない男が、その時だけ微笑んでいたので、からかわれていると思い、真面目に答えてと怒ったものだった。


 遠くで鉄の鳴る音がする。

 心地良い音色だった。

 規則的に聞こえてくるその音は子守唄にも聞こえた。

 不器用な男の愛情にも聞こえた。

 胸一杯に森の空気を吸い込み、カルムは目を閉じた。


 遠くでは、鉄の鳴る音がいつまでも響いていた。





 柔らかい羽毛のベッドの中で、カルムは目を覚ました。


 体を起こし、まだ光に慣れない目をこすりながらカーテンを開ける。

 どうやらまだ起きる時間には早かったようで、薄暗い世界から、外の冷気が窓ガラスから部屋に染み込んでくるような寒気を覚えた。

 もう一度ベッドに入る気分にもなれず、かといってこんな時間から何が出来る訳でもないので、窓辺に椅子を引っ張ってきて、ぼんやりと外が明るくなるのを待とうと、自分が見ていた夢の内容に思考を落とした。


 夢を見ていた。

 幼い頃の夢だ。

 自分がまだテツウチと出会って間もない頃の、懐かしい夢だった。


 カルムがテツウチと出会ったのは、およそ十年以上も前になる。

 カルムはそれ以前の自分の過去を知らない。

 何故山にいたのか、何故一人だったのか、何も覚えていない。

 しかしカルムはテツウチを愛していたし、二人で山で暮らす生活は、出会ったばかりの頃の青白く弱弱しかった少年の体を、強く逞しい青年に成長させるには十分だった。


 いつしか背の高さもテツウチを越え、老いの見え始めたテツウチが苦労して持ち上げる丸太や鉄の塊も、簡単に持ち上げられるようになり、鍛冶の仕事も習うようになった。


 ただ、生来であろう深い湖の青を映したような髪の色と、冬に空から降りてくる雪のような肌の白さだけは、日に照らされながら山を一日中走り回り、熱い炉の前で熱気にあぶられても変わる事はなかったが。


 今ではテツウチの事も父と呼ぶようになり、山を下りないテツウチの代わりにふもとの村まで行き、山では手に入らない米等の穀物や服、旅商人から胡椒などの香辛料を買ったり、カルムの方からは山で狩った鹿や猪の干し肉となめした毛皮、父が作った剣や斧、防具を売ったりしている。


 山から下りて初めは、誰からも怖がられたり、不審な者のように扱われた。

 独り身の男がどこからか浚ってきた子供を無理やり働かせているという噂が流れる事もあった。


 しかしそれらの風評は、時間と、カルム自身の誠実さ、そして父の作る品物の素晴らしさがそういった誤解を解いてくれて、今では特に親しい者からは娘の婿にとせがまれるまでになった。


 父との思い出を心に浮かべながら、木から飛び立つ鳥の姿や、朝露に濡れる葉の美しさなどを眺めていると、東の空が明るくなっていることに気付いた。


 初めは太陽が昇り始めたかと思った。


 しかし、その光は日の光というにはあまりに眩しく。


 何事かと窓を開け、身を乗り出したカルムの目に。


 黄金に輝く小さな流星が、山に向かって落ちてくるのが見えた瞬間。


 地面に、木に、空気に、そしてカルムに体を突き抜けるような衝撃が走った。



 窓から身を乗り出していたカルムは、その衝撃に危うく頭から地面に落ちそうになった。

 何とか後ろに転がって部屋の中に戻れたが、頭をしたたかに床に打ちつけてしまい、カルムは痛みに顔を歪めた。 


 振動はすぐに収まり、部屋はいつもの静けさを取り戻した。

 しかし、カルムの心のざわつきは治まらなかった。

 あれは何だという好奇心が心臓の鼓動となって、カルムの心を逸らせている。


 そこからのカルムの行動は早かった。

 素早く山を歩くための服装に着替え、ドアを開け階段を駆け下りる。

 家の玄関を出る際に、流星の起こした衝撃で飛び起きてきたテツウチに、どこに行く気か尋ねられたが、どう答えたものか分からなかったので、分からないとだけ言って外に出た。


 冬を越え、もうすぐ春がやってくる季節ではあったが、日も明けきらない外はやはりまだ肌寒く、外套を着ていても息が白くなるだろうと思うほどだ。

 先程見た光景を思い出し、落下地点の恐らくの予想を立て、森に踏み込む。


 瞬間、カルムの体を足の裏から頭のてっぺんまで一気に恐怖の感情が駆け上ってきて、全身に鳥肌が立つ感覚を覚えた。


 一歩。

 ただ一歩入っただけだというのに。

 全く違う世界にたった一人放り出されたようだ。


 カルムは十年以上山で暮らしてきた。

 月も隠れる夜の中、病気に倒れたテツウチの為に山で一晩中薬草を探し続けた事もある。

 目を瞑っていても迷う事のない自分たちの山に、居てはいけないものが入り込んだ。

 直感でそう感じたカルムは、すぐさま引き返し、テツウチの打った剣や鎧を保管している小屋に入り、一振りの片手剣を選んで腰に下げた。


 何かがいる。

 狼よりも恐ろしく、熊よりも凶暴な生き物が、流星に乗ってやって来た。

 ならば山に生きる者として、自分はそれを討たなければいけない。そう感じていた。


 恐ろしさを腹の奥に飲み込んで、ゆっくりと、目の前の地面の存在を確かめるように一歩一歩踏みしめながら、森を歩く。

 心の奥底まで這い寄ってくる恐怖も、腰に差した剣を握る事で少しは和らぐ心地がした。

 自分はただ狩られるだけの獲物ではないという認識が、心を強くしているのであろう。

 森の異常な静けさに違和感を感じるくらいには落ち着いてきていた。


 しばらく進んで、このあたりに落ちただろうと当たりをつけた場所に辿り着いた。


 流星が貫いていったのであろう破壊の惨状は、相当なものだった。


 地面は半円状に山の斜面を沿うようにえぐれており、その直線上に生えていた木は全てなぎ倒され、辺りには土砂と木片が混ざった物が散乱している。

 えぐれた地面の深さは、カルムの腰ほどもあった。


 破壊の規模に体が震えたが、しかし、これを辿っていけばあの流星と出会える。

 そう考えたカルムは、削り取られ柔らかくなった地面を道しるべに、山を登って行った。


 流星の足跡の終わりは、意外にもすぐに訪れた。

 子供の頃カルムがよく飛び降りて遊んだ岩が粉砕されていて、そこで勢いが落ちたのだろう、ほどなく地面のえぐれは消えているようだった。


 流星に近づくにつれ、体に蜘蛛の巣のように纏わりついてくる恐怖が徐々に強まってきているのを感じていたカルムだったが、その感情の根源がこの先にあると分かっていても足が止まる事はなかった。

 砕けた岩の残骸を踏み越えて、その先に目をやる。


 カルムは思わず唖然とした。


 樹木の枝葉が密集し、空を覆う事によって、日の光さえも届かない深い森の中、そこにぽっかりと空いた、苔むした地面からなる小さな空地。

 山をえぐり、木を薙ぎ払い、岩を打ち壊した流星があるはずのその場所には。


 空から落ち、燃え残った岩の残骸が煙を出しながら佇んでいるのでもなく。


 子供の頃絵本で見たような、翼を持ち火を吐く怪物が、その長い首をもたげてカルムを食べようと待ち構えているのでもなく。


 そこにあったのは、裸の子供が倒れている姿だった。


 まさか流星とぶつかったかと思い助け起こそうと傍に寄ったが、もしそうならば五体満足でいられるはずもない。

 そう思いなおしたカルムは、ある程度の距離を置いて子供を観察する事にした。


 たとえこの子が迷子だったとしても、まだ夜明け前であり、ふもとの村からここまで来るのに二時間はゆうに超える。


 そもそもこんな深い森の中に子供が一人でいるはずもない。


 目の前でうつぶせに倒れている、少年なのか、少女なのかすら分からないこの生き物は、一体何だ。

 体が微かに上下していることから、息をしている事は分かる。

 助けるべきか、腰に持つ剣でその命を絶つべきか、カルムは迷った。


 恐らく流星の正体はこの子供だと、カルムは推測した。つまりこの子は人間ではない。

しかし、この子供からは未だカルムに絡みついている恐怖の感覚は全く感じない。


 こんな事態は生きてきて経験したことがないので、どうするべきか見当もつかない。

 腰に差した剣の柄をいじりながら思案するカルムだったが、突然、何者かに見られている感覚に襲われ体が跳ねた。


 森に入った時に感じた恐怖が、それも今まで感じていた纏わりつく靄のような薄い感覚ではない。

 深く、濃い泥のように体を飲み込んでいく恐怖の感情。目の前の子供が発しているのではない。


 自然に体が動いた。

 倒れている子供を後ろに守るようにその場で剣を抜く。

 逃げろと体全体から危険信号が発せられたが従う訳にはいかない。

 自分はこの感覚の正体を倒すためにここにいるのだ。未だ姿の見えぬ相手に集中するべく剣を構える。

 逃げるにしても相手の姿くらい確認しなければここに来た意味がない。


 がさり、と目の前の叢が揺れる。

 カルムは知らぬうちに汗をかいていた。

 じっとりと肌に張り付く嫌な汗だ。

 気を抜くと足が震え、奥歯がカチカチと鳴りそうだった。


 果たしてそれは獣だった。

 山では珍しくもない、大きな角を持った牡鹿。

 いつものカルムならむしろ狩る為に追いかけていただろう。

 しかし、その鹿は普通の鹿ではなかった。

 鹿と目が合った瞬間、カルムは無意識の恐怖で戦う事を諦め、剣を持つ手を下げていた。



 あれは何だ。


 鹿であって、鹿ではない。



 体が黒い。




 影がない。





 近づいてくる。






 恐 ろ し い 







 思考が恐怖に邪魔される。

 足が地面と一体になったかのように動かない。


 カルムは動けない。


 ゆっくりと近づいてくる鹿はしかし、すでにカルムの目の前まで迫っていた。

 瞬間、爆ぜる様に鹿が動き、頭が横に振るわれる。


 カルムは動けない。


 鹿の角の一撃を受け、横一直線に吹き飛ばされたカルムは、背中から木にぶつかり枝葉を揺らした。

 痛みと衝撃が、カルムの体を包んでいた恐怖を頭から弾き飛ばし、ようやくカルムは正常な思考を取り戻す事が出来た。

 鋭い痛みが脇腹から全身に波のように伝わっていく感覚に、声も出ない。


 持っていたはずの剣は、吹き飛ばされた際に森のどこかに消えたようだった。

 これで自分は逃げるしかなくなったな、と、木に手を掛け、痛みに震える膝を強引に動かし、立ち上がりながら自嘲する。

 ふとカルムが横に目をやると、自分の傍に、鹿の片方の角があった。

 どうやら相手は自分の体がどうなろうがお構いなしのようだ。

 脇腹から発せられる痛みの強さからも分かるように、カルムは相当の威力で殴られたらしい。


 恐怖を痛みで紛らわし、広場にいる鹿の化け物を睨む。

 黒い体の鹿の化け物は、倒れている子供にもう片方の角を振り下ろそうと、天を見上げている。

 まさにその時だった。


 気づいたらカルムは駆けていた。

 恐怖など、痛みなどその瞬間だけどこかに消えていた。

 子供を助けようとも考えていなかった。カルムの心のままに体が動いていた。夢中だった。


 間一髪、カルムは飛び込むようにして子供を抱え、丸まりながら地面を勢いのままに転がる。

 鹿の化け物の角は子供に突き刺さることなく、地面を深くえぐり、根元から折れた。


 子供を胸に抱え、座った姿勢のままカルムは鹿を見た。

 もう恐怖を感じている暇はなかった。

 完全に成り行きだが自分はこの子供を守った。

 その瞬間に、あの化け物にとって自分は敵になった。敵とは戦うしかない。


 しかし、鹿の化け物は、獲物を取られた怒りを露わにカルムに突進してくるでもなく、黒く染まった瞳でこちらを見つめるばかりで、攻撃してくるような雰囲気は微塵もなかった。

 黒い体に、広場を覆う木々の隙間から漏れた光が筋になり、鹿を照らしている。


 警戒しながらゆっくりと立ち上がる。

 胸に抱く子供は、見た目よりも少々重い。

 鹿の方を見ながらゆっくりと後ろに下がる。

 鹿の化け物はただ見ているだけだったが、森の中にカルムの体が隠れる瞬間、黒い何かが、鹿の体を這いずる様に素早く地面に流れ、影になったかと思うと、カルムの良く知る茶の毛皮を持つ鹿に戻った。

 そして足を伸ばしたまま、まるで切り倒される樹木のように、地面に倒れた。


 子供を抱きかかえながら、カルムは家を目指していた。

 子供の体が冷たかったので、自分の着ていた外套を包むように着せた。

 どうやら子供は女の子らしかった。

 ふもとの村の子供たちを頭の中で思い出し比べてみても、どこにも違いはないように見える。

 しかし唯一、頭の左右に一本ずつ。鹿でも山羊でも牛でもない、内側に丸々ように曲がった不思議な形をした角が生えている事だけが、自分が助けたモノの異常さを演出していた。


 初めは木の枝が刺さっているのかと思ったが、しかし髪を掻き分けてみると、刺さった物ではなく、頭から直接生えているものだと分かった。

 やはりあの流星の正体はこの少女なのだろう。角が生えている事と、空を飛ぶ事に何の因果関係があるのかは知らないが、何か確信めいたものをカルムは感じていた。


 もうすっかり日は昇り、山を滑るように駆ける暖かい風が、少女に巻き付いた外套の切れ端を持ち上げて遊んでいる。

 あの鹿の化け物が倒れた時から、山にあった嫌な感覚はなくなり、いつも通りの騒がしさを取り戻しているようだった。


 脇腹の鈍痛は、未だ引くことを知らずにカルムを苦しめていたが、そんな事に気を使っている余裕はカルムにはなかった。

 今はあの感覚はないが、いつまたあの化け物に出会うかもわからないのだ。

 早く家に着きたい。家まで行けば父がいる。とりあえず休む事は出来るだろう。そう考えていた。



 ただ、自分の腕の中で安心に包まれているような、可愛らしい寝顔を見せる少女の事と、自分はもう普通の人生は歩めないのだろうという奇妙な実感だけは、頭の中から消える事はなかった。

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