09.『だから、何で君はそうなの……』
その後鮮やかに泥酔した客を摘まみ出したコネホは、その客が座っていた席に悠々と腰掛けて再度帰還の挨拶をした。その頃には既に荒事に慣れた客たちは自分たちの話に戻っており、コネホの声に答えるのはマヤとベロニカぐらいのものだ。先ほど摘まみ出した客の懐から飲み代にプラスしてくすねた少々を使って飲む酒は美味かろう。何しろタダ酒だ。コネホは満足そうな笑みを浮かべている。
「へえ、あのクリスがねぇ……」
またもや接客に戻ったベロニカを見ながら、コネホは小さくそう呟く。昔からクリスを知っている者にとっては、奴が誰かと共にあちこちを放浪していたというだけで驚きなのだ。何しろ極端な人嫌いである。本人としては自覚はない、というか、自らが嫌いな者は人間ではないという認識らしいから余計に性質が悪い。
「丁度よかった。お前なら判るかい?」
「本質? そんな難しいもの判らないよ。自分でも理解できないのが普通なのに」
「欠損の方だよお馬鹿」
ひどいなぁ、とケラケラ笑いながらも、コネホの視線は揺るがない。じっと細い背を見つめる細めた目は、どうなのかとマヤが再度問いかける前に戻ってきた。楽しげに喉を震わせて、グラスを煽るコネホの言葉をマヤは待つ。
「何だろうね。とても、大切なものなんだけれども」
「判らないのかい? お前でも?」
挑発するような言葉をかければ、存外酒に弱いコネホはうっすらと酔った様子で口を開いた。
「判るさ。判るけれどもね……何と言っていいやら」
おや、とマヤは目を丸くする。クリスもそうだが、コネホも大概、身内に対して口を慎まない節があるからだ。そんなコネホが言葉を選んでいるという時点で、ベロニカが特別なのはすぐに判る。流石に惚れた腫れた云々ではないだろうが、と思いつつもマヤの表情は笑みに変わっていった。
にたりと、先ほどのコネホと同じような笑みを浮かべるマヤを見て、当のコネホは困ったように眉を寄せた。空になったグラスを置くと、すぐに出てくるのは水である。ありがたく喉を潤したコネホは、マヤの目の前でそっと今回の出稼ぎの件について語り始めた。今この場でこれ以上、ベロニカについて話すつもりはないと言いたげな態度を、マヤも黙って受け入れた。
*
最後の客を送り出してから、店の掃除をしたのはベロニカとマヤだ。コネホは基本的に手伝わないし、マヤもそれを強制したことはない。今頃はきっと、朝になって起きてきた子どもたちに色々と土産をたかられているころだろう。大兄ちゃんは大変だねぇ、と階段を上る背に投げかけた言葉は、肩を竦めるポーズで返された。
「マヤさん、これはどこに片付けるのです?」
「ああ、それは奥。樽は適当にその辺置いときな」
食器を洗うのはやるからテーブル周りを片付けさせて、全て終わる頃には子どもたちが降りてきていた。客の残り物などで適当に朝食を出せばあとは勝手にやるだろう。マヤの教育方針は基本的に放任だ。締めるところは締めるがあとは自分の判断に任せる。そうしてコネホもクリスも大きくなったのだから、間違ってはいないに違いない。
子どもたちは全員この街に住んではいるが第五種ではないので、何人かは朝食が終わると近くの街に授業を受けに行く。教会が主導している教育活動なのだが、これもマヤは止めようとは思わなかった。この街の住民に第五種というレッテルをはりつけた相手であってもそれは子どもたちに何ら関係はないからだ。
「やあ、終わった?」
片付けが終わった頃合いを見計らったように、コネホが二階から降りてくる。どうやら土産はきっちり配り終わったらしい。一仕事終えた様子でやれやれと肩をすくめるコネホに朝食を出して、マヤはようやくベロニカにコネホを紹介した。
コネホはマヤの実子だ。クリスや子どもたちにとっては長兄であるから、大兄ちゃんと呼ばれている。だったらクリスは小兄ちゃんかと言われればそうではなく、兄ちゃんと呼ばれているのがマヤにとっては首を傾げたくなるところである。
隣に座ったベロニカに不躾と言われても仕方ないような目を向けながら、コネホは遠慮なしに質問を投げかけている。年齢、出身地は勿論、どうやってクリスと出会い、どうしてクリスを逃亡の相手に選んだのかまで。時には普通に口説いているのではないかと思われるような笑みを浮かべて趣味などを聞くものだから、マヤが呆れ顔になってしまうのも仕方ないだろう。クリスに関わる質問では目だけを真剣なものにしているあたり、兄心は複雑だとでも主張する気だろうか。
「年齢は知りません。旅に出る前は綺麗で大きな白い建物にいました。クリスに出会ったときの話はマヤさんに話しましたし……理由はそこにいたからです。第六種ですもの、あなたと同じ理由です」
ベロニカの台詞で、コネホからの問いはぱたりと途切れた。次いで聞こえたのは笑い声だ。コネホがこれほど笑う姿を久々に見たと思いつつ、マヤは肩を竦める。言っておけば良かっただろうか。この娘は、人が突かれて平然としていられないところを平気でざくざく突き刺すような子だと。
「は、っはは……はーあ、久々に笑った……」
「まあ。大丈夫です?」
「大丈夫大丈夫。……そうか、判らないわけだ。君自身が判っていないんだから」
コネホが小さく微笑んで、それからマヤに視線を向ける。ばちりと合った視線。いつぞやの、幼いコネホが脳裏に浮かぶ。その隣には、手を引かれてきょとりと首を傾げる幼いクリスの姿もあった。
「きっと、楔がないんだ。抑制力のような……そうだな、リミッターがないっていうのが一番近い」
「……第六欠損の話かい」
「ああ、大丈夫。彼女は俺と同じだから」
本人の目の前で話をするのが憚られて、マヤは顔をしかめながら言葉を返した。が、コネホの言葉はあくまでも軽いものだ。笑い混じりにけろりと言ってのけた言葉に、マヤの方が口を噤む。どういうことだと聞くまでもなく、コネホはベロニカに向き直って最後の質問を投げかける。
「君は、人が考えていることが見えるんだよね」
コネホの問いに、ベロニカはこくりと頷きながら答えた。コネホと同じ、軽いとしか思えないような調子で。
「はい。あなたと同じです、コネホさん」
*
ちゃぷん、と湯が跳ねる音がする。細く長く息を吐いて力を抜き、ふう、と目を細めれば次第に疲労感が抜けていった。気付かぬ間に疲れは蓄積していたらしい。肩まで湯に浸かれば、程よい温度の湯が身にしみていくような感覚を得た。
ベロニカは今、風呂にいる。日常的に風呂に入るなどどこの貴族だと言われそうだが、ここは相変わらず砂漠の街フェラルだ。では何故砂漠でこんな贅沢が出来るのか、と言えば話は簡単で、フェラルの地下には巨大な水脈があるのであった。地下と言っても非常に奥深くである。こんなものどうやって人間が引き上げたのかと言われれば、その昔、とある第六種がその六能をもって整備したというから驚きだ。何でもありか、とクリスであればツッコミを入れているところである。
その第六種は教会でも重要人物だったらしく、それを匿った所為でフェラルは第五種を住まわせる流刑地のようなものにされたのだが、住人たちは特に気にしていない。元々水不足で治安が悪く第五種だらけだったのだから、それに豊富な水がプラスされたことに怒りを覚えるような馬鹿はいないだろう。
フェラルの民家の地下にはこういった隠し部屋があり、大抵は風呂と生活用水を貯め込む倉庫に分かれている。滅多に余所者が来ない第五種の街であるからこそ守られている秘密だ。ベロニカ自身がいつもの調子でうっかり口にしないとも限らないのに、と口にすれば、コネホもマヤも笑って手を叩いていた。
クリスであっても同じ反応をするだろうか、とベロニカは不意に考える。きっとあの場にクリスがいたならば、ベロニカと同じ危惧を抱くに違いない。ベロニカのそれは純粋な疑問だったのだが、クリスのそれはきっと危機回避本能のようなものだ。
『だから、何で君はそうなの……』
苦労人体質なのだろうなと考える頭の中で、クリスの声が響いている。何故と言われても判らないし、そう、というのが一体何を指すのかも判らない。ただ漠然と、クリスがその状況について怒っていることは見て取れたので、ベロニカはいつでも首を傾げるのだ。だって気に入らなかったのだ。気に食わなかったのだ。そう行動して悪いだなんて、ベロニカはちっとも思っていない。
クリスは勘違いしているようだが、ベロニカにだって善悪の判断くらいはつく。自分の善のみを押し通して生きれるほど、世界は甘くないことも知っている。けれどもベロニカには理解出来ないのだ。これまで理解しなければならないのだと、言い続けるような存在が傍にいなかったから。
『逃げるよ、ベロニカ』
「はい、クリス」
あれほど嫌がっていた、逃げる、という単語に素直に従ったのは、クリスが嘘をついていなかったからだ。ベロニカのことを馬鹿正直だ何だと言う割に、クリスだってよっぽどのことがなければ嘘をつかない。だからベロニカはクリスを信用した。クリスの方はどうだろうか。ベロニカを、少しでも信じていてくれればいいのだけれど。
「今は何をしているのでしょう」
続けられた一人言に、湯が跳ねる音が聞こえた。のぼせてしまう前に上がらなければ。今一度手足をぐっと伸ばしたベロニカは、最後に湯で顔を洗ってから立ち上がった。