07.「……危ないなぁまったく」
カウンターを挟んでの食事が終わり、改めてマヤにベロニカを紹介した。彼女は第六種であり、騎士団に追われていたところに鉢合わせ、なんやかんやする内にクリスも巻き込まれてしまったのだと。端的過ぎるとは思ったが、マヤは文脈を正しく読み取ってくれた。
「あんたは厄介事の星の下にでも生まれてきたのかねぇ」
その結果が、これである。言うに事欠いてそれか、と肩を落としたクリスを慰めるベロニカだが、その原因が自分であるとは判っていない。厄介物だと言われているのだと教えてやろうかと思ったが、やめた。理解はしても納得はしないのだから、無駄な努力でしかない。
「で、しばらくこの子を匿えって?」
「うん。ちょっと資金が危なくてさ、近場で稼ごうかなって」
第五種、つまるところ犯罪者の町と称されるフェラルに近いだけあって、この近辺は治安があまりよろしくない。端的に言えば危ない仕事で一気に金を稼ごうというわけだ。危ないとは言っても第四種の基準なので、特別性の耳と足を持つクリスにとってはそこまで難しいわけではない。代わりに失敗すれば教会へ強制連行されるリスクはあるが、それはどんな仕事であっても同じなので今更言うべきことでもないだろう。
「ここからなら、リッチーかビヴァリーかな。あの辺最近どうなの?」
「その二つはやめときな。領主が代わってキナ臭いからね」
「へえ? あの街、警備ザルだから仕事しやすかったんだけどなぁ……」
クリスが請け負う仕事というのは、主に情報収集である。物の盗みは足がつくので面倒だが、たまたま話している内容が聞こえた程度は仕方ない。俗にそれを盗聴と呼ぶのだとしても、三軒隣の屋根の上から屋敷内の接待内容が聞こえてしまっただなんて、誰も信じやしないだろう。
特に、クリスが先ほど挙げた二つの街では非常に仕事がしやすかった。自己顕示欲の塊でしかない大きな屋敷には流石に警備員がうじゃうじゃといたが、昼間から酒を飲んでいるような者も少なくなかったのだ。警備の隙を縫って屋根に上り、しばらく座って会話内容の概要を覚える。特に数字関係はしっかりと。それだけで目玉の飛び出るような額が懐に転がり込んできたのだから、濡れ手に粟とはこのことだ。記憶に頼る部分だけが辛く、その時ばかりはどうしてここも特別製ではないのかと自分の頭を恨んだものだ。
食器を片付けながら、決して穏やかとは言い難い世間話をほぼ二人だけでつらつらと続ける。既に朝食を食べ終わっていたベロニカも立ち上がって、自発的にカウンターを拭いてくれている。彼女自身の意思はさておいて匿うだの稼いでくるだのいう話が出ているというのに、あくまでも様子は静かだった。
ここまでは、気にしないのか。不意に浮かんできた考えを握り潰して、クリスは食器を流し台に置く。後でやっておくと言ってくれたマヤに甘えて頷いた。クリスは、自分が無意識の内にベロニカを探っていることを知っている。今もそうだ。癇癪持ちの子どものようでいて、年老いた賢者のように確信を突くベロニカ。彼女に一体どこまでの干渉が許されるのかを、ついつい量ってしまっていたのである。
底の見えない彼女のボーダーラインは一体どこにあるのだろう。底なし沼かもしれないのだが。
「そういうわけだから、ベロニカ」
自嘲で思考を締めくくり、頭を切り替える。今すべきは報告であって、熟考ではない。既に相談でもないのは言わずもがなである。
「はい。留守番していれば良いのです?」
「多分死ぬほどこき使われると思うけど」
働かざる者食うべからずという掟をベロニカにも適用していいと、マヤに対して暗に示す。クリスばかりが動き回っていることに対する少しの嫌味も込めての発言だったが、ベロニカはぽんと両手を合わせて表情を変えた。いつものにこにことしたものから、ぱあっと輝くようなものに。
「まあ。私、一度倒れるほど働いてみたかったのです!」
「……そりゃ、丁度よかったね?」
「はい!」
曖昧な言葉にも元気よく返事したベロニカに、少々複雑な思いを抱きながらもクリスは腰を上げた。荷物を持ってカウンターをぐるりと回り、その中へ入ってから肩越しに振り返る。手荷物を持ったベロニカが後ろについてきていることは音からして判っていたので、意思疎通具合にこれまた苦笑した。
「じゃあマヤさん、上借りるよ」
「空いてる部屋なら好きに使いな」
こちらを見ずにひらひらと手を振るマヤにも苦笑して、クリスは遠慮なくカウンターの奥にある扉を開けた。調理場に隠れて見えない位置にある扉を開けると、すぐに見えるのは転々と散らばる物に埋もれた階段である。風通しの問題で涼しい上、店にいても取り出しやすいので物置代わりに使っているのだ。とんとんと軽く跳ねながら階段を上がるクリスに続いて、ベロニカも器用に物を避けつつ二階へ続く。
居住スペースである二階に部屋は五つ。その内一番狭い部屋は倉庫として使われており、一番広い部屋は諸事情で空いていない。となると残りの三つを使えるのだが、一つはマヤの私室であるため、必然的に二択になる。道らしい道のないこの町で唯一の通りと言っていい道に面した部屋か、大部屋の隣の部屋か。どちらにしたってうるさいのは確実なのだが、わざわざ警告するまでもないだろう。この三ヶ月で判ったことだが、ベロニカは寝付きも寝起きも非常に良い。どこへ行ったって生きていけそうな雰囲気さえするのは、クリスの勝手な思い込みだろうか。
「うわ、っと」
いつものように呼びかけようとした声を、寸前で飲み込んだ。どん、という、重くはないが決して軽くもない衝撃。
「……危ないなぁまったく」
衝撃の正体は、一つの塊だった。二階に上がった直後、大部屋から突進してきたのである。慣れた様子で塊を受け止めたクリスを見て、ベロニカはぱちりと一つ瞬きながらあらまあと呟いた。クリスの腰に抱きついているのは小さな子どもだったのである。一人来ればもう一人、また一人と大部屋から次々に姿を現した子どもは計六名。その内一番背の高い少年が、クリスを呼んだ。にいちゃん、おかえり、おみやげは? 続けられた言葉は現金なもので、躾の具合が目に見えるようだ。
「強いて言うなら、彼女かな」
土産は、との問い掛けに対してそう答えておく。きょとりと揃って丸くした目が、六人六色といったようにがらりと変わったのは直後のことだ。どれもこれも真っ直ぐな好奇心が含まれていたことには何も言うまい。子どものすることである、大した意味はないのだ。……と、思いたい。
「これ、マヤさんの子どもね。私の弟妹でもあるけど」
彼らもクリスと同じく、マヤが拾ってきて育てている子どもたちなのだというのは伝わったらしい。ベロニカは彼女の荷物をそっと足元に下ろして、深々と頭を下げる。子どもに対するにはいささか大仰過ぎるようなその動作に、子どもたちは動きを止めた。
「ベロニカと言います。しばらく御厄介になりますが、どうぞよろしくお願いします」
ゆっくりとベロニカが顔を上げて、一番最初に目に入ったのはクリスの間抜け面だった。目と口を開いてぽかんとしている。クリス? という呼びかけ一つですぐに正気は取り戻したようだったが、それでも衝撃は大きかったのかまだ呆然としていた。ベロニカにこれほど丁寧な挨拶が出来るとは、思いもしなかったためである。
にいちゃん、と袖を引かれてようやく正常に動き出したらしい頭を回転させる。とりあえず、荷物だ。部屋に案内を。そこまで弾きだしたクリスの脳味噌は、袖を引いた少女に向かって問いかけていた。
「大兄ちゃんは買い出しかな、出稼ぎかな。……ああ、出稼ぎか。占いの方だね?」
柔らかい笑みと言葉で会話するクリスを、ベロニカが妙に嬉しそうな目で見ていた。気付いてはいたがわざわざ指摘するのもどうかと思い、クリスは少々居心地の悪い思いをしながら子どもたちとの会話を済ませる。空いている部屋へベロニカを誘導する頃には、自然といつもの苦笑が浮かんでいた。