05.「善人じゃないけどね」
関所の街グレアを飛び出し、早三日。その間にちらほらと見えた小さなキャラバンには、クリス一人で寄って水だけを補給した。市場で騒ぎを起こしたときには既に食料等の買い出しは済んでいたから助かった。そうでなければ荷物持ちとしてベロニカも連れてこなくてはいけなかったから。
不特定多数との接触があるから事件を引き起こすのだとやっと気付いたクリスに対して、気付くのが遅いだろうと突っ込む声は勿論ない。
「木が減りました」
「この辺はまだ序の口だよ。ここから東に行けば行くほど、砂が増えて緑が減る」
「まあ。詳しいのです?」
「まあ、地元だしね……」
トーンの違う同じ単語を頭に置いて会話しながら、二人で東へと進んでいく。足取りは重いわけではないが、軽いはずもない……というのはクリスだけで、ベロニカの歩調はあくまでもマイペースなものだった。重さで言えば、羽のように軽いとだけ言えばいいだろうか。相対的にクリスの動きが重苦しいものに見えてしまうほどに。
クリスが向かっているのは、大陸の東に広がる広大な砂漠を一日ほどかけて歩いた先にある街だ。他に転々と存在する砂漠の中の集落が村と言うべき大きさなのに対して、この街は一段と規模が大きい。それは、その街に住む人間の種別に一因している。
それについて事前に話しておくために、クリスは一度立ち止まった。斜め後ろについてきていたベロニカも、それに倣って足を止める。砂漠越え用にグレアで買っておいたバンダナをしっかりと巻きつけてやりながら、クリスはおもむろに口を開いた。
「ベロニカ、聞いてくれ」
「はい。何です?」
「これから向かうのはフェラル。別名は、第五種の街だ」
さて、どう出るか。クリスは生唾を飲んでじっと見守ったが、当のベロニカはゆっくりこてんと首を傾げるだけだった。それの何が問題なのです? と今にも問いかけてきそうな仕草である。
予想は出来ていたことであったが、クリスは少し大げさに肩を竦めて溜め息をついた。
「君、第五種は犯罪者だってことは?」
「勿論、知ってます。第一種が教会の偉そうな方々、第二種がそのお付き、第三種がお金持ちで、第四種が街の人です」
「うん、大体そう。……で、第五種は犯罪で教会に捕まった者たちを指す。私が目指してるのはそいつらの街だから、丸っきりの無法地帯ってことだよ」
知識として知ってはいても、理解はしていないのではないだろうか。そんな懸念を抱きながら、クリスは子どもに言い聞かせるようにベロニカに告げる。
子ども。そう、子どもなのだ。ベロニカは純真な子どもに非常に似ている。見た目は大人、頭脳は子ども、だなんて、目の前に現れて見れば笑い事ではない。
しかも彼女は第六種なのだ。子どもに全自動の最新兵器を与えているようなものである。ぞくりと背筋に嫌な汗が伝ったのを誤魔化すようにクリスがぐっと拳を握り締めるのと、ベロニカが声を出したのはほぼ同時だった。
「でも、皆さんクリスのお知り合いなのでしょう? でしたら大丈夫です」
嫌な汗が一瞬で霧散する感覚と、知らず知らずの内に入っていた力が全て抜けていく感覚。得体の知れぬ安堵感を抱かされて、クリスは困ったように苦笑する。参った、という独り言は心の中でのみ呟かれた。
「……じゃあ一つだけ。無駄に喧嘩売らないこと。これだけ守ってくれればいい人のとこに行くから」
「いい人なのです?」
「善人じゃないけどね」
間髪入れずに返したクリスは、楽しみですと言いたげににこにこと笑うベロニカの笑みにまた苦笑した。それでも何も言わなかった。口を開けば冷たい砂が入ってきそうだったから、というのもあるが。
砂漠の夜は寒い。日中と比べれば言わずもがなだ。似たような地域から考えても乾燥しているのといないのではわけが違う。ただ時期が良かったため、上に二枚ほど着込めば涼しい程度の状態にはなっていた。
「……でもまあ、いきなり来たら逃げられないよな……」
誰が来るって、例の生真面目な騎士殿が。名前を出すとひょっこり現れそうなので声には出さないが。珍しくクリスの心中を察したベロニカはにこにこ笑いながら、ととんっと砂地を蹴ってふわりと浮かんだ。そのまま音もなく数歩先へと着地し、振り向いてクリスを手招きする。
見つかっても跳んで逃げれば良いではないかという主張には気付かなかったふりをして、クリスはさくさくと砂を踏みしめた。
*
朝日が昇る間際。白み始めた空に照らされる建物の影を見て、ベロニカはぴょいんと跳び上がった。こらこらと言いながら手を引き押し留め地に足をつけさせてから、クリスは小さく息をつく。
視界に入っているのは、この三ヶ月帰ることを夢見たフェラルの街だ。あの街には朝も夜もないようなものだから、きっと今頃目敏い見張りがこちらを見つけているに違いない。怪しまれないようにフードを外して、今までと同じ速度で歩いていく。
見張りが顔見知りであれば良い。更に言えば、ベロニカが大人しく黙っていてくれればもっと良い。祈るような心地で踏みしめた砂は、先ほどより比較的軽かった。
「やあ」
声が届く近さになって、ベロニカの手を握りながら空いた片手を挙げた。ひらりと振って利き手に何も持っていないことを確認させ、相手の反応を待つ。物陰で深くフードを被っていた見張りは幸い顔見知りだったため、すぐにクリスだと判ってくれた。挨拶の際にも抜けない緊張感はまあ良いとして、値踏みするようにベロニカを見るのはどうかと思ったが。
一言二言会話を重ね、クリスはベロニカの手を引きながら歩いていく。フェラルには他の街にあるような塀が存在しない。隣同士の建物の幅も広いため、ちょっとしたキャラバンが点々と近くに集まっているようにも見える。
地図があっても迷子になりそうな砂の中、クリスは真っ直ぐに一つの建物を目指した。テントも多いが、普通に建てられた家も多い。普通砂漠は移動するものとされている中では珍しいのだが、フェラルの住民には当たり前のことなのである。
「クリス」
ベロニカが声をかけたのは、クリスがぴたりと足を止めたからだった。目の前にあるのは二階建ての建物。入口は赤茶けたドアで、その傍らには看板が立てかけられている。中から漏れ聞こえる声々を聞けば、ここが酒場であることは確実だ。
振り向かないまま、クリスは一度肩を落としつつ溜め息をつく。深呼吸のようにも見えたが、その重苦しさから溜め息で相違ないだろう。
着いたのです? と言いたげな雰囲気を背中にひしひしと感じながら、クリスは口を閉じてごくりと唾を飲み込む。乾いた砂漠の空気に混じって、ざらりと舌の上を砂の粒が転がっているような感覚。嫌だなぁ、という態度を隠そうともせずにドアに手を伸ばした。ギィ、とドアが鳴らした音は、先ほどの溜め息と同じくらい重苦しく聞こえた。