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ベロニカ!  作者: 栄 萩乃
逃亡開始
1/16

01.「馬鹿正直め」

「見世物ではないのですか。残念です」

 右腕に抱えた紙袋の中身ががさりと大きな音を立てたが、そんなことを気にする余裕はなかった。心底がっかりした仕草で肩を落とす彼女の腕を左手で引っ掴んで急いでその場を後にした。正確には、後にしようとした。結局すぐに呼びとめられてしまって、仕方なしに今度はこちらが肩を落とす。はーあ、とついた盛大な溜め息は、はたして綺麗に霧散してくれたのだろうか。

「……君の所為だぞ、ベロニカ」

「あら。そうなのです?」

 そうに決まってるだろう、と答えながら彼女を背後に庇い、じりじりと後退。古く荒い石畳の上の砂利をずりずりと引きずった所為で、薄い靴の底面がじりじりと音を立てている。頭に被ったヴェールの上から射す熱い太陽も、市場の野次馬様方の熱い視線も、きっと同じような音を立てていることだろう。

「いくら心で思ってても、心に秘めなきゃいけないことだって沢山ある」

「正直の頭に神宿るとも言いますもの」

「馬鹿正直め」

「馬鹿は余計です」

 ぷんぷん、と音を立ててそうな様子で頬を膨らませる彼女を判った判ったと適当にいさめて、更に後ろへ下がる。あの、と後ろから聞こえた声が、壁にぶつかってしまったと小さく告げた。けれども振り返らず、判っているとやはり適当に答えておく。

 目の前を塞ぐのは三人の男たち。今の今まで平和な市場の真ん中で、人目を集めていた彼らは見ればすぐ判るほどに怒っていた。一人なんぞは怒り心頭という文字通り、つるつるの頭皮を真っ赤にしてこちらに詰め寄ってくる。

 調子に乗るなよこのクソアマ、とかけられた罵声に対して彼女が反論しようとしたのは全力で阻止した。これ以上場を荒らしてどうする、と強く念じながら後ろを睨めば、再び頬を膨らまされたが声は上がらなかった。偉い、学習している。そうほっと息をつけば、彼女は嬉しそうに笑う。褒められることは好きらしい。まったく、子どもではないのだから。

 顔の向きを戻して、近付いてきていた男たちに向き直る。彼我の距離は残り約二歩半というところ。これ以上近付かれるとまずいな、と考えつつも背後を気にする理由は彼女が心配だからということではない。いいや、間違ってはいないのだが正確に言うのであれば、彼女が何かを言い出さないか心配だから、といったところだろうか。

「まあ。失礼です」

「……ちょっと黙っててくれないか」

「クリスも皆さんと同じことを言うのですね。余計な口を挟むなと。私はただこの方々が日中にもかかわらず酒気を撒き散らして平和な市場で争いごとをしてたものですから、何かの催し物かと思って口にしただけ、」

「だから黙っててくれないかなぁ! どうして君はいつもいつも……」

 勢いのままに再度振り返ろうとした耳に怒声が響く。聞いてんのかコラァ、と言われても聞こえていますよ聞きたくもないけれど、としか答えられない。決して口には出さないが。

 まずい、非常にまずい。大体考えてもみてほしい。常日頃から男だか女だか判らないと称されるこの身、この顔で、あんな屈強な男三人に太刀打ちできるはずもないだろう。

 顔は関係ないかとは思ったが、一般市民が対戦するにあたってスキンヘッドというのは一種の装備だ。ある意味何も装備していない状態だとは言えるのだけれども。

「……仕方ない」

 ぽつり。呟いた言葉が聞こえたのか、男たちがにたりと笑って動きを止めた。野次馬が集まりに集まった市場の中で、無様に泣いて許しを請えば許してやろうといった算段なのだろう。彼女が心から謝らないとこの状況に決着はつかないとは思うのだが、深く考えてはいけない。彼女がそんなことをするはずはないし、酔っ払いの思考はどんな妄想家であっても及びつかないところにあるのだから。

 今までこちらからは離すばかりだった距離を、少しだけ詰める。半歩分右足を前に出し、掴んだままだった細い腕を離す。自由になった彼女の手がするりと伸びて、ぎゅっと空いた左手を握られる。その感覚に苦笑を浮かべそうになりながら、無意識の内に噛みしめていた唇を開いて大声で告げた。

「どうも、大変、申し訳ありませんでした! ……ベロニカ!」

 一瞬だけしっかり九十度のお辞儀をしてから足に力を込める。ぐぐっ、と踏み込んで彼女をちらりと横目で見れば、繋いだ手を嬉しそうに少し持ち上げながらにこにこと満面の笑みを浮かべているではないか。状況が判っているのかどうか。判っていないに違いない。出そうになった溜め息は決死の思いで飲み込んでおいた。

「逃げるのです? 逃げるのですねっ」

 ああそうだよ、三十六計逃げるにしかずだ。心の中で答えながら地を蹴った。

 唖然と口を開いた男たちと野次馬集団。今だったら、ぽっかり開いた口の中に飴玉を放り入れることだって簡単だろう。今度こそ堪えることなく苦笑して、少々汚れた壁の側面を蹴る。市場に面しているから汚れているのは仕方ないので、別にケチをつけようとかそんなことを考えているわけではない。

「クリス、クリス!」

 きゃっきゃと嬉しそうな声を上げて繋いだ手を握り締め、同じように壁を蹴って屋根へと跳び上がった彼女の笑みがひどく眩しい。屋根の上という遮るものがない場所の所為で直接浴びることになった日光に、ほんの少しだけ目を細める。

「次はどこに逃げるのです?」

 嬉しそうに笑う彼女に対して、盛大な溜め息をついてしまったのは仕方ないだろう。とりあえず、東かな。答えながら、太陽が少しだけ斜めに傾いている方向を指す。

 東には何があるのでしょうね、楽しみです、と笑う彼女を急かして屋根の上を飛び跳ねる。東に向かう前に十分な買い出しを済ませてしまいたかったのだが、これはこの際仕方ない。予測は出来たことである。物がそこまで不足しているわけではないのだ。水だけは例外だが、少々値は張るものの途中でキャラバンにでも寄ればいいだけの話だ。無問題だ。そう言い聞かせておかなければ、やってられない。

「あ、あいつら! 第六種だ!!」

「だだだ誰か教会に! 連絡!!」

 ぴょんぴょんぴょん、と三戸ほどの屋根を通過した頃になってようやく市場から聞こえた声。彼女にも十分すぎるほどに聞こえたらしい。彼女はくふんと、得意げな笑みを浮かべて見上げてくる。

「ジョニーさん、来るのでしょうか」

 続けられた笑い混じりの声に、当然ながら罪悪感などといった小綺麗なものは、一切含まれていなかった。

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