モーニングコーリング。
朝礼はまず校長の挨拶から始まる。
内容は毎度違えど、言いたいことは自分がいかにアカデミックで感受性豊かな人間であるかというポイントは常に外さない。
前に一度、校長が休日に美術館に行ったという話題から、
「ミレーの落ち葉拾いの絵が素晴らしかった」と言ったもんだから、
あとで『落ち葉』じゃなく『落ち穂』ですよってこっそり教えてあげたら、
倍近い歳の大人に本気でキレられるという経験をした。
あれは『落ち穂を拾う』ということの意味にミレーが感銘を受けて描いた絵であり、
「落ち葉拾って焼き芋しようぜ」というのとはわけが違う。
そんな人間味溢れる校長の終わりそうで終わらないターミネートなスピーチが二十分ほど続き、
予定より時間を押した分、次に話をするはずだった教頭は笑顔で一年生の学年主任にマイクを譲る。
早く教頭が校長になればいいのにと、生徒も教師も皆が思っている。
学年主任からは各学年の具体的な注意事項を二~三するだけなので、
どんなに長くても一人五分で終わるし、
なにより、空気の読める能力者なら目の前の生徒と他の教師から滲み出るオーラが見えているはずなので、手短にまとめてくれる。
いよいよ最後、三年生の学年主任である宙中先生こと通称チューチューへと順番が回る。
ポチといい、チューチューといい、女子高生のセンスというのは容赦がない。
ただ、宙中先生の場合は口元がいかにもネズミのそれっぽくて、
ものすごくしっくりくるものだから生徒以外にも陰でそう呼んでいる教師は多い。
そのチューチューのあとに生徒会からの挨拶があって今朝の朝礼は終わる。
はずだった。
チューチューが、おはようございますと朝の挨拶を述べると、
「えー。皆さんも知っているでしょうが、いじめが原因で起こる悲しいニュースがテレビや新聞なんかで連日取りざたされています」
あまりにもタイムリーな話題に、漏れかけたあくびが引っ込んだ。
朝礼台の後ろで順番を待つ七瀬の方に視線を向けると、
いつも通りな様子に見えた先ほどとは打って変わって、話が始まった途端その表情が固まった。
「力が強い者、数が多い者が弱い者を叩く。いわゆるこれがいじめですが、時に自分より優秀な者に対する僻みから、陰湿な行為をもってその足を引っ張ろうという、実に稚拙な行動に出る者もいるようで、これは実に恥ずべきことです。幸い我が校にはそのようなモラルの低い生徒はいない。……と信じてはおりますが、もし万が一そのような行為を目にするようなことがあれば、担任の先生でも学年主任の先生でも誰でも構いませんので報告してください。私からは以上です。えー、それでは続きまして生徒会からの定時報告です」
朝礼台を降りたチューチューは、下で待つ七瀬にマイクを渡しながらポンと肩を叩く。
「頑張りなさい」
言った本人は小声のつもりだったのだろうが、マイクはその無神経な言葉を正確に拾った。
関わりのない人間からしたら何も引っかからないやりとりは、
『関わりのある人間』には七瀬が教師を味方に付けたと映ったに違いない。
そんな最悪のお膳立てで挨拶が回ってきた七瀬を横から見ると、
朝礼台の階段にかけるその足が震えているのがわかる。
それでも七瀬は目一杯の笑顔を繕う。
「皆さんおはようございます。生徒会長の七瀬です。文化祭も無事終わり、次は秋のもうひとつの祭典、体育祭が……体育祭が催されます。生徒会と致しましてもっ――」
そこまで喋った七瀬は腹を押さえて、そのまま身体をくの字に体を折り曲げる。
なにが起こったのかわからない、しんとした空気が校庭に流れたのも一瞬で、
次に七瀬が朝礼台の上で完全に倒れたことですぐに騒然となる。
七瀬が蹲ったと同時にスタートを切っていた俺は朝礼台に飛び乗り、
スカートの中が見えないように脱いだ白衣で七瀬を包み抱きかかえる。
「先生!」
声のする方に振り向くと菊池と長谷川の姿が目の前にあった。
これは他の教師の反応が遅いのではなく、
七瀬の事情を知っているがゆえに次の「もしも」が予測できた人間の反応だ。
朝礼台からの距離を考えると俺より早いタイミング、
おそらく七瀬の挨拶が最初に詰まったで時点で駆けだしていたのだろう。
「とりあえず救急車!」
「もう呼んでます! 十分後に裏門です! 門開けておいてください!」
俺の指示に十の返事で応えたのが菊池であることに驚いた。
普段からすぐパニックになると七瀬からも言われていて、
こういう時に一番取り乱すであろう菊池が誰よりも俊敏な判断を下していたのだ。
とりあえず裏門へと急ぐべく七瀬を抱えて歩きだす。
さすがにこのタイミングになると他の教師も回りに集まり、
大丈夫かなど声がかかるが、口を真一文字にして歪んだ表情を見ればそれらに答える余裕すらないのがわかるもんだろうに。
んっ、と七瀬が小さく呻いたかと思ったら少し吐いた。
「うわっ!」と、どこかのバカ教師が無神経な声をあげる。
どこのどいつだという怒りもあるが今はそんなことより――。
そのとき、腕の中の七瀬に学校指定のカーディガンがかけられ、その顔が隠れた。
「止まってください。少し拭きます」
そう言って長谷川がミニタオルで七瀬の吐き出したものを拭き取ると、
躊躇なく自分のスカートのポケットにそれを押し込む。
「もう少しゆっくり歩いてください」
長谷川は俺にそう指示を出すと、
カーディガンをカーテン代わりに持ち上げて回りからの視線を遮った。
七瀬をこうやって抱えるのは二度目だが、今の七瀬にはあのときのような余裕はなく、
苦しむ姿は見ていて痛々しい。
告知していた時間よりも早く到着した救急車には七瀬の担任が同乗していった。
長谷川も菊池も一緒に乗り込まんばかりの勢いだったが、
さすがに授業を休ませるわけにもいかず、思い留まらせた。
それは俺も同じことで、朝一の授業をこなしてからでなければ動くに動けない。
あとからわかったことだが、俺の下駄箱に入っていた白い封筒は、
三年の担任と授業を担当している教師全員の下駄箱に入っていたらしい。




