ヒトオオカミ・9
カトレアは海を見たことがない。
それは別に珍しいことではない。宇宙で生まれて地上に降りず死ぬ、俗に言う陸知らずの数は増えている。
そんなカトレアにとって海と言えばネットワーク――情報の海のことだ。様々な情報が雑多に敷き詰められた電脳空間は、様々な元素が解けた水たまりである海に近しい。
そこに潜り、必要なものを持ってくる。カトレアはダイバーなのだ。
カトレア自身の肉体は、エーテルギアのコクピットシートにも似た、フルダイブ支援装置に横たわって眠ったように眼を閉じているはずだ。両手には端末を握って。電脳を支援システムとリンクさせている。
カトレアの精神は、情報の海の只中にあった。周囲を流れるのは、無数の情報。言語であり映像であり音声である。それらが等質なものとして身の回りを流れている。どんな情報だろうと、ここでは〇と一の集合体であるからだ。
「えぇと、星海工業の基本情報……なんかはいいか。まずはニュースから当たってみようか」
公的に流された情報だろうと、人が知らないことは多い。
メディア・リテラシー、情報の選別。そういったものの結果、人は見たいものだけを見るようになった。興味のない情報をわざわざ見ようというものは居なくなった。故にそれらの情報でも手に入れ、纏めるためにはマンパワーが必要になる。
周囲を流れる情報の数が減る。また、流速も遅くなった。
流れてくる情報を流し見て、不要と思われる情報はそのまま流す。詳細が必要な情報は、捕まえて内容を見る。
株価や経済に関する情報は基本的に流す。業務提携に関する情報などは一応見てみるが、大抵は不要だ。OEM契約からの製造をメインとする企業である関係上、業務提携に関する情報は極端に多い。
その中に、アドバンスド・テックとの業務提携に関するニュースを発見。エーテルギアの組み上げに関してのOEM契約のようだ。これでOEM契約を結んでいるという確証はとれた。無論、それが件の封鎖プラントで組み上げられているものとは限らない。他にも色々とやっているはずだ。
ふと流れてきた全く別種の情報を発見する。今までとは毛色の異なる情報。経済ではなく社会分野。表題に、封鎖プラントの文字。
捕まえて中を開く。
「ほうほう、なるほどね……」
これが重要な情報かは分からない。しかし、封鎖プラントに絡む情報自体が少ない以上、纏めておく必要がある。
この情報について、複数のソースを求める。また、同一ソースの時間経過後の報道に関しても情報を集めた。
「うん、おしまいっと」
次いで類似の情報を求める。
その数、複数。正確には、無数、多数。無理やり物を押し込めた扉を開いたかのように、押しつぶされそうな情報量。
それを手早く確認し、情報を噛み砕いて再構成していく。
ある程度事の概要が理解できたとき、カトレアはうわぁ、と距離の開いた、ぼんやりとした悲鳴をあげた。他人事。起こってしまった悲劇に対する反応。
「これ社会問題とかにならなかったの? なんで?」
理由は分かっている。今の自分と同じだ。
興味がない情報には目も向けない。起こってしまった悲劇も、他人事。自分たちと関係ないところで起こっている、可哀想な人達の出来事。
「自分もその一人だってのは分かってるケドさ……」
社会で生きている以上、無関係などということはあり得ない。現にこうして、ネットワーク上で簡単に封鎖プラントに関する情報を拾え、そこで完成した製品と関わりを持って生きている。
それでも関係ないと思ってしまう。結局人間は、自分の肉眼で見える範囲で起こったことしか自分のこととして認識できないのかもしれない。例え常時ネットワークとの接続が確立されて、意識が拡張されようとも。
「……そんなこと、考えても仕方ないか」
情報の海を、カトレアはまた泳ぎ始めた。