ヒトオオカミ・6
想像していたよりも生春巻きは美味かった。
栄養価のバランスと再生産性から、宇宙では小麦以上に米がポピュラーな穀物となっている。そんな米を加工した米粉をから皮、ライスペーパーを作りそれで調理した食材を巻く。生春巻きはそういう単純な料理だ。
この店で出されているものは、皮を透けて中の具材が見えるほど薄皮。具材となっているのは多種多様な野菜、海老やスモークサーモン、チーズ等多岐に渡る。調理は軽め。野菜に関しては歯触りを重視したものが多く、色彩豊か。
それにタレをつけて食べる。タレは小皿に三種類。胡麻をベースとした、どろりと粘性の高いもの。唐辛子やレモン果汁による、スパイシーでさっぱりしたもの。具の多いラー油に近い、こってりとしたもの。この三種だ。
複数種の生春巻きとタレにより、口飽きがしない。米粉とライスで米が被っていても、食が進むというものだ。
――ライス、大盛りにしておいて良かった。
空になった椀を見て、ラティファはそう思う。汁物が無かったのは問題だったが、水でなんとでもなった。エーテルギア繰で消費されたカロリーと、摩耗した精神が癒されていく。
食事は重要だ。栄養補給以外の意味でも。人はパンのみにて生くるにあらず、主菜も副菜も汁物も必要なり。
周囲を見る。ラティファが入店したときに比べて、ぽつぽつとではあるが人は増えてきている。これから夕食時だ。
――余り居座っても、迷惑か。
伝票を持って、席を立った。
会計の前に立つ。「勘定をお願いする」
出てきたのは、ラティファの問いに答えた少年店員だった。「はい」
思わず、眉を寄せた。食事によってそれなりに回復したラティファと違い、店員の疲労は変わらぬまま。いや、やや酷くなっている。
――休憩も取っていないのなら当たり前だが。
伝票を出した。「なんと言うか、大丈夫なのか?」
店員は伝票を受け取る。「あの、何がですか?」
レジ上の機械に伝票の数字を打ち込んでいく。電脳アクセス用の端末があるところを見ると、支払いはオンラインで可能なようだ。半端なデジタル。アナクロさを感じさせる程度にアナログ。
「いや、妙に疲れているみたいだから……」
店員は笑う。萎れた花のように。
「えぇと、ちょっと最近忙しくて」
表示された金額は安価と言っていいものだった。仮に高価だったとしても、民間軍事会社のエーテルギアライダーであるラティファは危険手当も含めて結構な高給を取っているため問題はないが。
「この店は他に店員が居ないのか? そうも疲労するまで労働するとは、普通ではないと思うが」
困ったような店員。「いや、そういう訳じゃなくて、なんと言うか、今日は特別です。本来は休みだったんですが、ちょっと他のバイトの子が風邪ひいて出られなくなっちゃって。用事を済ませてから急いで来たもので」
なんとも杜撰な勤務体系。
――いや、民間軍事会社も似たようなものか?
今回の業務とて、何時終わるかも知れない。次の業務が何時有るかも分からない。勤務時間など、変則的などというレベルでは測れない。護衛や警備が主たる業務である以上、敵が攻めてきた時が勤務時間だ。給与額には大きな差が有ろうが。
同病相哀れむ。
「それは大変だな」
枯れ花の店員は気恥しそうに目を逸らして、また笑う。枯れてはいても自然な笑顔。接客用でこれほど自然に微笑めるなら大したものだと、ラティファは思う。
「いえいえ。この程度楽なものですよ、前はもっとキツイ所で仕事してましたから」
ラティファは掌を支払い用端末に置く。表示された分の金額が、メインバンクの当座預金口座から引き落とされる。現代において、当座預金口座は財布代わりに使用されることが多い。
今にも倒れそうな、健康状態を考えればむしろ倒れてしまうべきとも言える仕事より激務。この少年に一体どのような事情があるのだろう。
――私には想像もつかないことなのだろうか?
「……苦労しているのだな」
「仕方ないことだと思いますよ。誰だって、大変だし、必死です」
――私もそうか。
誰だって何かしら抱えているか。誰だって相応に大変だ。誰だって相応に必死だ。何のためにかは、きっと様々なのだろうが。
――私はなんのために――?
一瞬、楽しんでいるから、という答えが浮かんだ。それを即座に否定。
払込が終わる。思考を中断。ラティファは端末から手を話した。
「それもそうだな――では、ご馳走様」
「あ、待ってください」背を向けたところに声をかけられた。
「ん? まだ何か?」
支払いも終えて、後は出て行くだけのはずだが。なにかやり残しがあったか。自分が把握していなかった、この店独自のルールでも存在していたか。
「いや。その。えぇと……」
店員はラティファから目を逸らしたまま、言葉を選んでいる。その視線が泳ぐ。挙動不審。だが、今までで一番生気が感じられる。
首を捻る。「何が言いたい?」
店員は急に背筋を伸ばし、それでも目を逸らしたまま言う。「なんと言うか、その、名前でも教えていただきたいな、と」
奇妙な敬語と、歪曲な言い回し。真意が分からないが、名前だけなら教えても構わないだろう。
――しかし、そんなに勿体ぶるような事なのか?
ラティファは息を吐く。
「ラティファ。ラティファ・ユーテンシルという」
「ラティファさん……」
「折角だから、貴方の名前も聞いておこうか」
呆けていた店員が我に返る。「あ、はい。僕は李 鳳林と言います」
言葉遣いが段々と崩れてきているようだ。今顔を覗かせている方が本来の店員――李に近いのだろうとラティファは思う。
「それでは李さん。また会うことがあれば、よろしく」
「は、はい! こちらこそ!」
ありがとうございました。またのご来店を。
やけに熱のこもった言葉を不思議に感じながら、ラティファは店を出た。
「名前を聞いて、どうしたかったんだろう?」
また首を捻った。よく理由が分からない。分からないが、李 鳳林という名前の、枯れ花のような笑みの少年は覚えておこう。
何はともあれ美味かったし、満腹にもなった。
――時間が許せば、また行くとしよう。