ヒトオオカミ・25
頭部、欠損。
右腕部、肩から先が全損。
武装、人喰以外喪失。
ウェアウルフは戦える状態ではない。エグゾースタが少なくなっているのは、ラティファのエーテル適性で補える。が、火器の不備による柔軟性の喪失や、メインカメラの喪失による視界不良はどうしようもない。胴体部のサブカメラが生きていたのは幸いだ。
こんな状況でも、ラティファは出撃せざるを得なかった。この機を逃したら、恐らくファントムを倒すことは出来ない。
――倒す……
倒さなくてはならない。ファントムを。李を。
彼の言う、必死に生きること。それに誠実であること。その答えがファントムを駆っての海賊行為であり、コロニーへの攻撃だというのなら。
ドッグを出て、高速で移動する。ファントムを確認。先まで、防衛に出てきた別の民間軍事会社のエーテルギアと交戦状態にあったようだ。損傷は軽微。
向こうもこちらを認識したようだ。機体を体ごとこちらに向けてくる。オープンチャンネルで、通信を送った。向こうが聞くか、聞かないか。それはどうでもいい。ただ、決意表明として言っておかなくてはならないことがあった。
ファントムは――李は回線を開いたようだ。
「聞いているか、李君」
返答はない。別に求めていない。
「これが君の言う、誠実であることなのか」
エーテルギアによる攻撃を行い、民間軍事会社が介入するような大事。唆されたとはいえ、それに協力し、実行することが。
誠実であるのだろう。そこから抜け出るために必死であることに。アドバンスド・テックはどれほどの財を約束したのか。そして、これによって彼と同じ境遇の仲間がどれだけ救われたのか。
だが、気に食わない。
「ならば私も、誠実であろうと思う。何か一つ芯の通ったものではない。そんな答えはまだ出せそうにない。だから――せめて私は、自分の迷いと、思いに誠実であろう」
どうしようもないほど、エゴイスティックだ。それでも、生き方を決められないなら、そうするしかない。
――そうして続けていくことが、生き方になるのか。
ならば、これがその第一歩だ。
どんな人間として生きるか、動きながら決めていこう。
ウェアウルフは左腕に持った人喰を、ファントムに向けた。決闘を申し込む騎士のように。
「私はこう思っている。君のやり方は間違っていると。だからその思いに誠実に――君を倒す」
その一言が戦闘の合図だった。通信が切られる。
エーテル推進とプラズマ・ロケットを連鎖起動。すぐ後ろで爆発が起こったかかのような勢いでウェアウルフが吹き飛んでいく。突撃。ウェアウルフやエーテル推進の余波にぶつかったオートマトンや宇宙塵が周囲に吹き飛んでいく。
可能な限り距離を詰める。ファントムがARステルスを使用する前に。それこそが、ARステルス攻略への第一歩だ。
飛来物。二本の、異形の腕。突撃しながらではブレードの展開が間に合わない、そのまま人喰で打ち払う。左腕部から振動が伝わる。別々の方向へ飛んでいく、ファントムの腕。一時的に速度が落ちた。
再加速をかけようとした時にはファントムの本体が消えていた。
「む……」
最初から、ARステルス起動の時間稼ぎが目的だったか。だが、そうだとしても甘い。右と左に大きく弾き飛ばした腕が、一箇所に戻っていこうとしている。腕が巻き取られるよりも、ウェアウルフが飛ぶ方が早い。
具体的な位置が分からない為、ひたすら突っ込む。
突然、ビルが突っ込んで来たかのような衝撃。何もないように見えるところに、ウェアウルフの胴体部先端が衝突し、一部破損した。犬の頭から噛み付きにいった形。
「行くぞ」
ラティファは、自らの頬が引攣れたように釣り上がるのを認識した。捕食者の暗い愉悦。嗜虐と殺戮に乱れる精神。今すぐお前を磨り潰してやる。
今は――それでいい。
何を思いながら事を成すかではない。何のために事を成すか、そちらに誠実であれば、間違えることはないはずだから。
――私は、殺戮を楽しむために、ここにいるのではない。
人喰のエーテルブレードを起動する。ウェアウルフが周囲のエーテルを書き換えていく。そして当然、それは起こった。
ウェアウルフが噛み付いたポイントを中心として、不可視であったはずのものが見えてくる。まるで、蜜柑の汁で描かれた絵が炙り出されるように。
ARステルスの理論を聞いた時から、これで破れるとラティファは確信していた。カトレアが説明した通り、ARステルスはエーテルによる防御と同じように動いている。防壁が偽装用になったというだけの事だ。ならば、同じ方法で破ることが出来る。
エーテルブレード展開のために、多くのエーテルを吐き出した。今回は、特に過剰に。当然、ファントムが偽装用に使ったエーテルもその影響を受ける。
慌てて距離を取ろうとするファントム。だが、距離を取ろうとすること自体が間違いだ。密着状態では人喰を振り回せないが、僅かに離れてしまえば――
真紅の閃光が縦一直線に走る。斬り下ろしの一撃。
閃光の右と左とで物質は完全に分断された。左にあったのは、ファントムの右腕と残ったサブアーム。右にあったのはそれ以外。
即座に切り上げの一撃を狙うが、それよりもファントムの蹴りが早い。胴体への蹴り。爪を立てたものではない。平で押す動き。ウェアウルフの体勢が乱れ、ファントムは反作用で後方に飛んだ。
「何――!」
遅れて、人喰による切り上げ。
ファントムの右足一部を削りとっただけで終わる。その間にファントムはARステルスを再展開。不可視の領域へ。
――このままでは……!
肝が冷える。このまま逃げることも、背後から一撃することもファントムからすれば容易い。撃墜されなくとも、左腕を落とされればこちらは積む。攻撃手段が残っていない。
回避する方法は、ひたすら動きまわることだけだ。
ランダムに跳ね回る。連続しての三次元機動。狩りのための動きから、逃げまわる動きに。捕食者から一転して獲物へ。
時折、短い距離だけファントムの腕が撃ち出される。あまりに射出距離が短く、殆ど当たりはしない。しかし、それを追って攻撃することも不可能。
徐々に削られていく。薄皮が剥がれていくように。ウェアウルフは物理的に。ラティファは精神的に。
息が犬のように荒くなっているのを感じる。身体は気化熱で冷たくなっていくのを無理矢理スーツで保たせていた。視界が時折霞掛かる。
――どうする……
思考しながらも、機体は動かし続ける。それがまた精神を削っていく。
逃げることは出来ない。この機を逃したら、ファントムを倒すこともアドバンスド・テックを押さえることも出来なくなってしまう。そして何より、戦う前に言ったことが全て嘘になってしまう。
上に飛ぶ。爪が掠る。脚部表面装甲が剥がれ、中の機械類を剥き出しにする。その一瞬。見えた。
エーテル推進のために噴射した動状態のエーテル。それに煽られて、ファントムの姿をレーダー上で捉えたのだ。
――エーテルで偽装を押しのけたのか……?
気付く。ファントムを攻略できる。
それには全ての力を振り絞る必要がある。ラティファも、ウェアウルフも。他に方法はない。ならば、迷う必要もない。
「頼むぞ、ウェアウルフ。私に――着いて来てくれ」
祈りのように。
そしてラティファはウェアウルフに全力でエーテルを吸い込ませた。ラティファのエーテル適性の限界まで。一瞬で幾つかの計器がシステムの限界を示す。機体がキリキリと悲鳴をあげる。限界を超えて風船に水を入れようとしているが如く。
ラティファもまた耐えていた。頭蓋に釘を打ち込んでいるかのような頭痛。システムと己の限界を越えたものを扱い、身体が悲鳴を上げていた。
「この……程度……」
そうだ、これはまだ始まりなのだ。ぎりぎりと体中が内側から悲鳴をあげる。毛細血管が破裂しているところも有るかもしれない。だが、行く。
飛んだ。自らを弾き飛ばすには過剰な力。全てが吹き飛ぶ。自我すらも後方に置いていきそうな速度。飛んでいる最中に、無理矢理別方向へ再噴射。急に軌道を変更。そちらに全身の血が寄るような感覚。レッドアウトしても可笑しくないレベル。内臓がおかしくなりそうだ。
超高速の三次元不規則機動。外から見れば、馬鹿げたものが見えるに違いない。まるで子供が画用紙にクレヨンでぐちゃぐちゃの絵を描いたかのような、ウェアウルフの軌跡が。ファントムの攻撃など当たるはずもない。
――これでいい。
そうやって広範囲に、エーテルを押し付けた。画用紙にはクレヨンで塗りつぶされてしまう。そして浮き彫りになるのは、画用紙の下に何が置いてあったのか。これだけぐちゃぐちゃになったエーテルの中、ファントムは当然の如く偽装を剥がされていた。
ウェアウルフのセンサーは捉えている。自らの下後方にファントムが居ると。方向を急転換。スーツの保護の上からでも眼球が飛び出そうになる。
ファントムはこちらを捉えきれないで居た。いくらこんな方法で偽装を剥がしたところで、もう一度展開されれば今度こそ完全に見失う。もう一度この方法を取るには、自分もウェアウルフも壊れすぎている。
システムの悲鳴は鳴り止まない。何時何処が壊れるともしれない。一撃で勝負を決めるしかない。
エーテルブレードを展開しながら、高速でファントムに接近。ファントムはこちらに反応できないでいた。
人喰の後部エグゾースタからもエーテルを吐き、速度を更に追加。
突き入れる。
「がぁ!」
口から漏れたのはなんだろうか。叫び。悲鳴。咆哮。嬌声。ただの息。
ラティファにはどれとも分からなかった。
ファントムの左肩に人喰の突きが入った。通りすがる刹那の間に
――エーテル推進を逆方向に行い急減速し/ブレードを消してアライメントチューナーに余裕を持たせ/人喰を下げて狙いを下半身に/人喰からエーテルで砲弾を発射――
した。
血を吐くように人喰から余剰エーテルが赤く吐き出され、砲弾は爆裂と見間違う力でファントムの下半身を破壊。
片足を基点に、ウェアウルフはターンしつつ静止。正面からファントムを捉える。四肢、及び武装も推進力も完全に喪失。残っているのは胴体部と頭部だけだ。戦闘力は完全に奪った。
息は荒い。ただ、そこにあるだけで辛い。勝利の味など無い。だが、これだけは言わなくてはならない。自分が誠実であった証として。李への礼として。
通信を開き、言った。
「私の――勝ちだ」
途端に、自分の心が意識の手綱を緩めるのを認識した。
薄れていく光景。泥に包まれるような感覚。安らかですらあった。何時か、自分が死ぬときもこのようであればいい。




