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ヒトオオカミ・21

 テーブルで向かい合う、ラティファと李。ラティファからみて右手には、簡単なベルトコンベアにも似た装置が、手を伸ばせば届く場所にある。その上を流れているのは種類分けされた小皿。乗っているのは一口大の白米に魚の切り身を握ったもの――寿司である。

 李がラティファを誘ったのは、回転寿司店であった。

 店内はそれなりに広く、寿司が流れるレーンが円ではなく細い直線となって三本存在している。それらの片側は厨房に入っている。上から見ればEの字に似た図を作っているだろう。席はレーンの両脇に設けられており、入口から一番近い一つのレーンがカウンター、それ以外の二つがテーブル席となっていた。

「もしかして、魚肉も駄目でしたか?」

 他の客の話し声による喧騒の中、李は問う。二人が座ったのは、入口から最も離れたレーンだ。

 ラティファは首を横に振る。「いや、魚は大丈夫なんだ」

 それを聞いて、李は胸をなで下ろす。

「良かった。一応、駄目でも食べられるものが流れてくるからって、ここを選んだんですけど、それでも殆どのものが食べられないんじゃ流石にどうかと思いますしね」

 平原飯店でもラティファは思ったが、気のつく少年なのだ。

 流れてきた皿を取る。乗っているのは白身魚だ。

 コロニーにおける魚肉は、基本的に海洋プラントから採れる養殖ものだ。軌道エレベーターにより地上との行き来が楽になり、時間とコストが押さえられるようになったとはいえ、生物を持って来て採算が合うほどではない。

 寿司を手で掴み、小皿の醤油に付けて口に運ぶ。肉が食べられないということもあって、魚を食べる経験は多い。

 白身魚の爽やかな甘みが口に広がるが、飲み込む頃には焼けそうなアガリで流してしまう。次の寿司種に影響させないためだ。

「君に聞きたい事が有るんだ」

「えっと、なんでしょう?」

 両手を奇妙にそわそわと動かして、李は返答する。妙に落ち着いていないようだ。寿司も取っていないようだし。

「何と言うか、そんな大げさなことじゃないから、寿司を食べながらでも答えてくれるといいんだが」

「あ……はい」

 言われるまで、自分が何も食べていなかった事に気付いていなかったかのように、背を一度震わせた。レーンを見ることもなく、李は寿司を取る。取ったのはカッパ巻きだった。

 ――狙って取ったのか?

 軽い疑念。振り払って、問う。

「君は、弱者を踏みつぶすことについて、どう思う?」

「えっ」

 問われた意味が分からない、と李は目を丸くした。

「人間、生きていく上で、誰かを踏みつぶしている――のだと思う。例えば――」

 ラティファは、流れてきた寿司の皿を取る。乗っているのは赤身魚、マグロ。

「このマグロは当然のことながら、プラントで養殖されたものということになる。それがここまでやって来るには、多くの労働者の手が入っているわけだ」

「それが、弱者を踏みつぶすということになると?」

「そうだ」

 醤油をつけて、マグロを食べた。山葵が妙に多い。舌が痺れる。

「そうでしょうか?」

 李も同様に、カッパ巻きを口に運んだ。続ける。

「そういう契約のもとでお互い働いているわけですし、一方的に弱者とは言えないのではないでしょうか?」

「なるほど、確かにそうだ。そうだが、その契約内容が平等ではなかったら? 賃金が極端に低かったら? 労働時間が法に触れるほどだったら? 労働環境がどうしようもなく劣悪だったら? どうなる」

「うーん……」

 唸りながらも、李はレーンから寿司を取った。

「そうなると、確かに弱者、と呼べるのかもしれませんね」

「そしてその事を、認識しながら無視している。君が、そういう契約だから仕方ないと言ったように……」

 言葉が溢れる。諭すのではなく、問う言葉として。

「弱者の犠牲の果てに、今がある。そうであることを、仕方ないと思うか? 自らが弱者を踏みにじる立場にいることに優越を感じるか? それとも、そんなことはどうでもいいか?」

「そうですね……」

 李は少し俯いて考えこむ。出来れば、新しい答えが欲しい。ラティファはそう思う。自分やワイズマンのような人間とは違う答えが。

 李が口を開く。

「そんな余裕が無い、というのが本当のところですね」

「どういう事だ?」

「自分達が、いつそちら側に行くか分かりませんから。明日の我が身を見て楽しんだり、心を痛めたりする余裕は無いんですよ」

 李は笑った。自嘲を含んだ、淡い笑い。見ているものが不安に駆られるような。

 ――なるほど。

「こんなことで悩むのは、持てる者の余裕だと、そう思うか?」

 民間軍事会社の業務は、失敗が弱者となることに繋がっていない。失敗が繋がっている先は地獄。弱者より先に死者になる。だから、弱者になるという発想は出てこないのかもしれない。

 それは持てる者の余裕とは異なっているのかもしれないが。ある種の強者のみが持ちうるものだろう。

「そう言うわけでもないですけどね。僕の答えだって、見方によっては必死だから仕方ないと言って目を逸らしているだけなのかもしれませんし」

 ただ、と李は言葉を繋ぐ。

「弱者がいつまでも弱者だとは限らない――ということもあるのじゃあないでしょうか」

「と言うと?」

 アガリを口に運ぶ李。「強者、と言っていいほど強いのか分かりませんが、とりあえず強者が弱者に落ちないように必死なのと同じくらい、弱者の方も底から這い上がろうと必死だということです」

 なるほど、それはそうかもしれない。強いものは弱いものを、弱いものは強いものと、自分よりさらに弱いものを。

 ――きりがない。

 まるで地獄のようだ。

「本当に嫌になるな」

 溜息を吐いた。どうあがいても、行き止まりにしか辿り着かないような気がしてきた。

「仕方ないですよ、そうして生きていくしか無いんですから。それでも正解があるというのなら――」

 李は天井を見た。そこに何かがあるとでも言いたいかのように。

 視線を正面に戻す。「自分で選んだ方法に、誠実であること、じゃあないでしょうか」

「誠実……」

「目を逸らすのも、楽しむのも、気にしないのも全て正解ではない。でもどれかを選ばなくてはいけないのだったら――選んだ道に、誠実でなくては。そうでなくては――」

 そう言う李の視線は、もう前――ラティファの方を見ていなかった。口調も静かで、言葉を自らのうちに刻み込むかのようなものになっている。

「李君?」

「え、ああ、いや、すみません。しかし、こんなことを考えてるなんて、ラティファさんは一体どういう方なんですか?」

 その問いに、どう答えるべきかラティファは悩む。いつも悩む。自分が何者かという問いかけ。その答えを、自らもまた知らない。

「分からない」

「えっ?」

「何と言うか、私も知らないのだ。自分のことを。三年分くらいしか」

 李の目と口が輪を作る。「それってつまり……」

「俗に言う記憶喪失……なのだろうな。義父に拾われて、一年ほどは普通に暮らしていたのだが、義父が死んでな」

 義父のことを思い出す。人の良い、男だった。自分に名前をつけてくれたのも義父だ。何処にも行き場がなく、途方に暮れていた自分を引き取ってくれた。うちに花が咲いたと言って、喜んでくれた。

 一年しか共に生活できなかったことは、ラティファにとって残念なことだった。

「そうなの、ですか……」

「義父の仕事の都合で、ちょっとしたことに適性があることが分かっていてな。正直なところ、他に何も無いから、義父の仕事のコネクションで今の仕事に就いた」

 義父は三条重工の人間であった。戯れにラティファのエーテル適性を測ったところ、非常に高い数値が出た。過去に学業をやっていたわけでもないラティファとしては、生きていくためにその能力と、義父の伝手を使った。

 ラティファには、他に何もなかった。

「仕事……と言うことは、働いてるんですか? 僕よりも下に見えますけど」

 年齢的に当然であるが、ラティファは学生に間違われることが多い。宇宙進出以後労働可能年齢の引き下げなどが行われたとはいえ、少女と言える年齢から仕事を、それも民間軍事会社のエーテルギアライダーをしていることは想像し難いのであろう。

「そうだ。此処に来たのも、仕事の関係でだしな――そう言う李君は?」

「しがない労働者ですよ。平原飯店以外にもう一箇所でも働いてまして、まぁそっちが本業ですかね」

「それは大変だな……」

 用事とは掛け持ちの仕事のことだったのか。そんな事をしていれば、それは確かに疲労もするだろう。

「大変ですけど。思うに、それが僕の誠実であること、のような気がするんです。ラティファさんに話した今になって思うと」

 照れ臭そうに笑う李が、ラティファには眩しく見えた。きっと、自分には出来ていない何かが出来ているからだろう。

 ――私にも、見つかるだろうか。そう言う何かが。

「凄いな、君は」

「いや、そんな事はないですよ」

 その後も色んな話をして、結構な数の寿司を平らげた。皿が塔のように高くなった頃、二人は会計を頼む。

「会計の方、どういたしますか?」

 問うた、女性の店員に対して、ラティファが答える。「あ、私が払う」

「え、あの悪いですよ……」

 弱々しく言う李に向かって、ラティファは快活に笑った。そういった所を気にしてくるのが、微笑ましい。

「いや、気にすることはない。私が世話になったのだから、これぐらいはさせて欲しい」

「でも、こういう時は……」

 申し訳なさそうにする李の前で、手をひらひらと振った。李には世話になった。こんな所でまで余計な気苦労をさせるのは本意ではない。

「私も職に就いていると言ったが、実は私の職業は民間軍事会社のエーテルギアライダーなのだ。危険手当やら何やらも含めて、大分金は入る。気にしないで欲しい」

 それを聞いた瞬間、李の顔色が変わった。赤味が差していたものから、青く。信号機のように瞬間的に。

「……どうした?」

 問われて、弱々しい笑みを見せた。「ええ、ちょっと驚いたものですから。エーテルギアライダー、ですか」

「ああ、珍しいか? 矢張り」

「ええ、そう……ですね」

 ラティファが支払いを終えた後、外に出ても李の顔色は青ざめたままだった。疲労で倒れそうだった時とは別種であるが、身体の状態が不安になる。

「本当に大丈夫か?」

 問うラティファに、李が答える。「すみません、本当に体調を崩したのかもしれません。今日のところはもう帰ります……」

「仕事が大変なのは分かるが、無理はしないでくれよ」

「ええ。ラティファさんも。危ない仕事みたいですから」

「ああ、十分に気をつけるさ。また、会えればいいな」

 そう言うラティファに、李は複雑な表情を返した。くしゃくしゃに丸めた紙を無理矢理引き伸ばしたような、泣きたいのに無理矢理笑っているような。奇妙な表情。

「ええ、また」

 蚊の鳴くような声だった。

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