ヒトオオカミ・16
都市に作られたエアポケットのような場所だった。簡単な木立。敷かれた土。樹の下、背もたれのあるベンチ。市街の良心。或いは、わざとらしい偽善。
ワイズマンはベンチに大きく背と両腕を預ける。葉の間から漏れる光が眩しかった。久しぶりに煙草が欲しくなるが、懐に入っているのは拳銃だけだ。空気が財産であるコロニーでは、煙草は極端に嫌われる。真っ当に手に入れるのは骨であるし、条例で喫煙を禁じているコロニーも多い。島二号コロニーも、特定の場所以外での喫煙は条例によって禁じられている。
――ただでさえ窮屈なコロニー暮らしを、余計に絞めつけても仕方あるまいに。
誰に向かってか分からない愚痴。苦笑。
思考する。投げられた課題について。同時に脳裏に浮かぶ、デイビッド・セーファーの笑み。気に食わない。
――挽回してやるさ。
反撃しなくてはならない。そのための思考。
まず重要なのは、ファントムの行動がアドバンスド・テックにとってどんな利があるのか、ということだろう。この思考の前提として、ファントムの行動にはアドバンスド・テックが付いていることになる。
――実際に行動したのは、封鎖プラントの工員だろうがな。
封鎖プラントの工員を誑かし、事故を起こさせた。そして機密を知る人間にはICEを装備させる。現場は危うい状況だったのだろう。そしてあの男、趙 山哲はその状況が許せなかった。その結果こんな危険な手段に頼ることになった。
はっきり言って、強引な手段だ。ここまでして、ことを起こさせた理由。そして、それによって得るものが損失に釣り合うかどうか。
もっとも――
――損失は大したことがないんだろうがな。
ファントムが襲うのは、封鎖プラント行きの輸送船。それらの船籍は封鎖プラントである関係上、全て星海工業のものとなっている。積荷に関する損害を被るのも、恐らくは星海工業が主。
アドバンスド・テックにとっての本質的な損失は、エーテルギア――ファントムが組み上がらない、ということになるだろう。
――いや、組みあがっては居るか。
一機だけではあるが、ファントムは組みあがって稼働している。そしてそれが輸送船を襲っている。
頭をくしゃくしゃにした。脳内に出来上がった絡まった紐のイメージ。イラつき。それらが解けるように。
――前提を変えるか。
アドバンスド・テックにとって損失だと自分が認識しているものが、損失ではないとしたら――?
むしろ、機体が組み上がらないことが、アドバンスド・テックの利に繋がっている。そんなことが、ありえるだろうか。組み上げを依頼したのは、アドバンスド・テックだと言うのに。
ワイズマンは思考する。
――思いつくのは、アドバンスド・テックとしてはファントムを何機も組み上げる必要がない。組み上がらないことによって、星海工業へ突き上げが出来る――ぐらいか。
突き上げのほうは実際に行われている。それの所為で、星海工業はライブラへの依頼が必要になったわけだ。
――ライブラの介入は、アドバンスド・テックにとってどうなのだろうな。
一般的に考えて、民間軍事会社の介入が好ましい訳がない。だが、今はアドバンスド・テックの描いた図の上でゲームが行われている。そう考えてみると、突き上げによって民間軍事会社の介入を招いているのは――
――むしろこの状況を狙ったのではないか?
ライブラ――民間軍事会社の介入が目的だった。そう仮定する。ならば、何のために介入させたのか?
民間軍事会社が介入することで起きる事が目的のはずだ。
――それはつまり。
ワイズマンは顎に手をやった。
エーテルギアとファントムの交戦。そういうことになる。交戦の結果得られるものは何か。明確なのは――ファントムの稼働データ。それも、一線級のエーテルギアライダーが繰るエーテルギアとの交戦データ。貴重だ。
――少なくともアドバンスド・テックが単体で得ることは不可能なデータだな。
アドバンスド・テックは市場原理主義者だ。ライブラが三条重工と組んでいるように、直接的に組んでいる民間軍事会社は存在しない。仮に交戦データを手に入れようとするなら、民間軍事会社を雇う必要がある。
それをしなかった理由は何か。
情報を外に出したくなかった。それが最もあり得る理由だろう。脳内で繋がっていく線。では、資材の輸送を妨害する理由は――
――機体自体が必要ではない、ということか。
アドバンスド・テックが必要としているのは、ファントムの稼働データ。そしてエーテルギアとの交戦データ。それ以上に関しては、不要。むしろ処分したがっている。なるほど、納得が行く。
納得が行くことがもう一つ出来た。ファントムのエーテルギアライダーに関して。ラティファが得た感覚や、交戦データから分かる、ファントムのエーテルギアライダーの技量。ラティファとは比べるべくもない。稚拙と言っていい。貴重な機体に何故そんなレベルのエーテルギアライダーを乗せるのか。
――始末するためだ。
否。始末させるためだ。誰に? 決まっている我々に、だ。
ファントムのステルス機構は完璧に近い。はっきり言って、ラティファでも倒すのは難しい。仮に熟練の強者が乗っていたら、撃墜は不可能だったかもしれない。
――クソったれめ。
歯噛み。
全てがアドバンスド・テックの掌の上で回されている。星海工業。封鎖プラントの工員。そして、自分達ライブラ。全員がアドバンスド・テックの為に動いていた。
機体の組み立てに関するOEM契約だったはずが、全ての損害を被せられることになった星海工業。
過酷な労働環境の改善を目の前にぶら下げられ、犯罪に手を染めることになった封鎖プラントの工員。
そして全てを片付けるために呼ばれた民間軍事会社、ライブラ・セキュリティ・コントラクト。
これが、アドバンスド・テックの描いた構図。浮かぶのは、デイビッド・セーファーの笑み。貴様が、この図を描いたのか――?
これが理解できたときに、他の疑問も氷解した。
ここまで情報を開示することの意味=この構図を、ライブラに理解させる。ライブラは、アドバンスド・テックから直接的な害を被っていない。無理にアドバンスド・テックに探りを入れる必要はないのだ。封鎖プラントの工員というちょうどいいスケープゴートも存在する。ファントムを撃墜し、封鎖プラントの工員を星海工業に突き出す。それでライブラの依頼は完遂される。
本当に隠したい情報=アドバンスド・テックがこの事件に明確に関与しているという証拠。ファントムの性能。
つまり、こういうことだ。自分達を見逃せ。そうすれば丸く収まる。アドバンスド・テックは――デイビッド・セーファーはそう言っている。
――その通りだ。
その通りにやれば、面倒は少なくて済む。ファントムを撃墜すれば、後は苦労することもないだろう。依頼は完遂。
――だが、気に食わない。
全てを隠れ蓑にして逃げようとしている、アドバンスド・テック。そのやり方も、自分達を利用しようとしたことも。
そして――何よりもあの男が。
――全部、上を行ってやるか。
ワイズマンは笑う。上を向いたまま。天に唾吐く者の、不敵な形相で。




