ヒトオオカミ・15
ワイズマンは一旦ホテルに戻ると、軽くシャワーを浴びてから軽食を取った。メニューはサンドイッチにコーヒー。それを食べ終えると、濃紺のスーツに着替える。
次の目的地にはある程度の礼節が必要とされる。それをかなぐり捨てた行動も取るつもりではあるが、それはそれだ。
スーツに袖を通す。昨日着ていたものと違い、ピンストライプが入っていない。スーツは複数の柄を数着持ち込んでいる。着ているものが破れることも多い職業故、仕方のないことだ。
懐には拳銃を忍ばせた。銃器メーカー・シュタールアルム製の小型拳銃、シュタール・ゼクス。火薬の代わりにバッテリーとモーターを用いて、真空でも殺傷力のある弾丸を吐き出す代物だ。
銃器が完全登録制になった代わりに、銃器の持ち運びは旧世紀から比べて遥かに容易になった。登録済みの銃であれば、飛行機にも持ち込めるほどである。
銃器、こと拳銃の扱いは心得ている。今回の件で実際に使うことはないだろうが、お守り代わりとして持っていくとする。もっとも、銃器無しで人間を殺傷する程度、ワイズマンにとっては大した手間ではないが。
ホテルを出る。目的地はアドバンスド・テック社、島二号支局。先日のうちにアポイントメントは取ってある。
徒歩で行く。ホテルの外に広がる街並みは典型的な中華系コロニーのもの。
――まるで祭りのようだな。
彩度の高い色使い。教的な意味合いのモチーフ。昼夜溢れる人の波。それらが作り出すエネルギー。終わらない祭り。終わらないパレード。
行き交う人の波。人種年齢職業性別もバラバラなそれを見て、ワイズマンは思う。
或いは、人間のこれまでそのものか。
後の事を考えず、ただ愉快に進むパレード。遅れたものは顧みないパレード。宇宙まで続くパレード。
そうして前進してきたことを、否定する気はなかった。
――精々、乗り遅れないようにするだけさ。
前を向いた。目の前には高層ビルがあった。鏡のごとく光を反射する、直方体の塔。周囲に立つ木立が、人工的な風によって騒ぐ音を、ワイズマンは聞いた。
強化現実で確認するまでもない。
アドバンスド・テックの支局である。
島二号コロニーに建造された一般的な建築物で、最も高くまで伸びているのがここだ。
入口の自動ドアに手をかざす。アポイントメントを取った際に渡された認証データが認識され、ドアが開いた。セキュリティの関係で、この手の認証が必要なところは多い。通ってしまえば逆に自由は効く。銃を持ち込むことも容易い。
中に入ると同時に、強化現実上に進むべき順路が表示される。システム構築を図ったほうが、人を雇うよりも安くなる。
安定した社会では人間の価値は高くなる。当然のことだ。
ガラス張りで開放的なエントランスの先、エレベーターへと順路は繋がっていた。乗り込むと、自動でボタンが押されて行くべきフロアが強化現実上で表示された。三階。
エレベーターからは外を見下ろすことが出来た。地に立っていると擬似的な空の映像が作られているため分かりづらいが、高層まで登って行くとこの世界がチューブの内側に作られているのだということがよく分かる。地面が極端に湾曲しているのだ。
――陸に住んで長い人間は、地表に立っていても違和感があるらしいな。
地球にも宇宙にも行くワイズマンは、どちらもそういうものとして認識している。地平線が存在するのもしないのも。
エレベーターの扉が開き、道が示される。木目調でブラウンの扉と、白い壁が続く廊下を歩く。部屋ごとに部屋名を示すプレートがついていたりはしない。それらは全て強化現実上に表示され、必要なものにのみ姿を見せる。
順路は一つの部屋に続いていた。そこにのみプレートが表示されている。表示される名前は、第二応接室。
扉に手をかざす。「どうぞ」中から男性の声が聞こえて、扉が開いた。
扉の向こうに見えるのは、一つのデスクと一対のソファ。ソファの間にあるテーブル。外に面した壁面がガラス上になっており、光がよく入っている。光の透過率を調整することが出来るのだろう、とワイズマンは推測。
デスクから男が立ち上がった。金髪碧眼の白人。長身で、仕立てのいいスーツを来ている。歳は三十代の前半というところか。爽やかな笑顔が良く似合う、整った容姿。汚点のない人生を送ってきた男という印象。
――まぁ、腹の中までそうかは分からないがな。
そういう男ほど、色々と隠し持っていることが多い。
入室。「失礼します。ライブラ・セキュリティ・コントラクトのアーデルベルト・ワイズマンです」
「お話は聞いています。アドバンスド・テックのデイビッド・セーファーです。どうぞ、おかけになってください」
言って、セーファーは先にソファに腰掛けた。言動も紳士的。
ワイズマンがソファに腰掛けたのを見計らって、セーファーは声をかけてきた。
「それで、PMCの方が我社にどのような用でしょうか?」
「一応、我社ではPSCという名称を名乗らせてもらっています」
大した差ではない。警備会社であるという建前上、ミリタリーではなくセキュリティの方を取っているというだけの話だ。
「おっと、それは失礼しました」おどけるように言う。
――さて、どう切り込んだものか。
自分の知っていることを全部ぶちまけてやる――というのも悪くはない。恐らく何も得るものはないだろうが、アドバンスド・テックが関わっているのなら事態を動かさざるをえないだろう。それがこちらに刺客を送り込んでくる、というものだとしても。
だが。
――今はそこまでする状況じゃないな。
アドバンスド・テックがこの件において、どう関わっているのか。それを見極めるのが重要だ。
「御社では、星海工業と業務提携を行っていますね?」
「はい。星海工業さんは色んな所とOEM契約を結んでいるだけあって、技術蓄積が進んでいて、仕事が早く正確ですから」
――その早さがどんな環境で生み出されているか、この男は知らないのだろうな。
別にそれがおかしい訳ではない。知る必要のない情報、と言っていいだろう。だが、こんなことを考えてしまうのは、ついさっきその環境を見てきてしまったからだ。同じものを生み出すべく動いているにしては、こことあそこはあまりにも違いすぎた。太陽が生み出す光と影のように対照的。
「それでは、この近くに星海工業の封鎖プラントがあるのも知っていますか?」
「はい、一応は」
表情は変わらない。そこに僅かの違和を感じる。
――疑問を挟まないか。
星海工業の封鎖プラントが存在することは公開されている。知っていてもおかしくない。OEM契約という業務提携を結んでいる関係上、知っていて当然とも言える。
問題は、この質問に疑問を持つ様子が全くないことだ。何故そんな事を話題に出すのか、と思ってもおかしくはない。
――単にポーカーフェイスなのか……
この話題が出されるのを、想定していたか。
どちらとも断言することは出来ない。同じ方向性で斬り込んでみる。
「それでは、その星海工業の封鎖プラントが、ある攻撃を受けているということは?」
「近場で起こっていることですから、我社でも一応のことは調べています。なんでも、見たことのないエーテルギアが輸送船を襲っているらしいですね」
――ふぅん。
思わず口元が歪んだ。なるほど、なるほどね。
怪訝な顔をするセーファー。「どうかしましたか?」
「大したことじゃあ有りません。気にしないでください。私が此処に来たのは、その攻撃――ファントムに関することなのですよ」
「それはつまり、そのファントムの対処を依頼された、ということですか?」
「そういうことです」
「で、そのファントムと、我社に何の関係があるのでしょう? 私には皆目検討がつかないのですが……」
両手を上げて、首を捻る。オーバーアクションだが、それが似合っても居る。様になっていると言っても良い。
さて、そろそろ行ってみようか。
「端的に言いまして、御社、何か知っていませんかね? ファントムに関して」
「おや、何故そのようなことを?」
「それは当然、ファントムを作った何者かが御社ではないか? ということですよ」
笑うワイズマン。笑い返すセーファー。
「そんな事を聞いてどうするつもりですか?」
「ほう」
「ファントムを造ったのが我社だとしても、そうでなくても、答えは同じでしょう。我社には関係の無いことです」
――その通りだが――
本当に関係がなかったら、そんな答え方をするだろうか? 或いは、本当に何の関係もないが故の余裕か?
――気にするようなことではないか。
今となっては。
「そうですか。ではもう一つお聞きしたいことが」
「なんでしょう?」
セーファーの笑みは崩れない。
「星海工業の封鎖プラントについて。そこで造られているものについて。あそこでは御社の製品が組み立てられているのではないですか?」
「ほう、どのような根拠があって、そんな事を?」
セーファーの動きをトレースして、両手を上げる。ニヤリと笑った。
「そこはまぁ、企業秘密と言う奴です」
「なるほど」
一時の沈黙。即座の回答。
「お答えすることは出来ません、とでも言っておきましょうか」
カードを見せながら、相手のカードを探る感覚。双方のカードのうち、見せても構わないものはオープンになったというところか。
相手はそれなりにいいプレイヤーだ。一つのミスを除けば、こちらには見せ札を見せることしかしていない。だが、その一つが致命的だ。死に至る毒。
――ただし、こちらが読み違えをしていなければ、の話だが。
相手が開示して良いと思っている情報の範囲を読み間違えていたら。相手がしたミス。致命の毒のはずのそれが、ただの香辛料程度の効果しかなかったら。
――どうなのだ――?
それをセーファーの表情から読み取るのは困難だった。嫌な予感。決定的な読み違えをしている感覚。顔には出さないが。
とんとん、とセーファーが指でテーブルを叩いた。意識がそちらに向く。
「それでは、今度はこちらから聞いておきましょう」
意表を突かれた。
――ここで攻めることに何の意味がある?
攻める際は少なからず情報を漏らすことになる。ワイズマンとて、相手の情報を得ようとした際に多少の情報を漏らしている。そうして尚、引きずり出したい情報があるということだ。
「ええ、どうぞ。何かありますか?」
取り繕う。完全ではない。自分の甘さにワイズマンは心中で舌を打つ。
「我社が仮にそのファントムを造ったのだとしましょう。そしてそのファントムの裏についているとも。そうなると、一つ疑問点がある」
「疑問点?」
セーファーは鷹揚に頷く。「我社に、そんな事をする利点があるのか? ということです。Mrワイズマン、貴方の仮定通りに星海工業の封鎖プラントでは我社の製品が組み上げられていたとしましょう。だとしたら、それの妨害を我社が自ら行う理由はなんです? そんな無意味なことをする理由は」
セーファーは笑む。その笑みは今までとは異なったもの。
――見下している、か。
親愛を示すためではない。余裕と自らの位置を見せつけるための、魔王の笑み。こちらが上で、そちらが下。そういう笑み。
だが、それも受け入れなくてはならない。セーファーの方が上にいるのは事実だ。
――隠したいはずの情報を全部吐いてきた、か。
セーファーの言動は、半ば自らがファントムに関わっていると認めるようなものだ。そうでなくては、ここまでの情報を開示する意味が無い。つまり、ワイズマンは相手が隠しておきたい情報を読み違えていたことになる。
これにより、幾つかの疑問が浮かぶことになった。
向こうから提示された疑問。この行動により、アドバンスド・テック社はどのような利益を得るのか?
ここまで情報を開示することの意味は何か?
本当に隠したいのは何か?
――これを攻略するのは不可能だ。
蟲を使っても、間違いなくこの男の電脳にはICEが装備されている。攻略は不可能。砕氷は可能かもしれないが、今の時点では不可能であろうし、この後は間違いなく防護を固めてくる。
攻略不能。少なくとも、現時点では。ワイズマンはそう結論づける。
「幾つか推測が出来ないわけではないですが――現時点では、分かりませんね」
首を横に振る。やれやれ。対するセーファー、笑みが深くなる。
ワイズマンは溜息。「お手数をお掛けしました」
「いえいえ、大したことではありません」
「またお話を聞きにあがります。恐らくは明日」
「ええ、どうぞ」
ワイズマンがソファから立ち上がり、セーファーもまた、立ち上がる。
敗北だ。状況は確かに動いたが、完全に負けたと言っていいだろう。
――ただ、負けてやるのは癪だな。
立ち上がり、ドアに向けて数歩。ワイズマンは首だけでセーファーを見た。
無意味なことだが、それでも言う。
「ああ、そうだ、Mrセーファー」
「なんです?」
「ファントムの正体。あれがエーテルギアだって、なんで知ってたんです? そのことを知っているのは、我々ライブラ・セキュリティ・コントラクトの今回の作戦に関わった面子と、クライアントだけのはずなんですがね」
セーファーの笑みが刹那固まった。
「それではまた」




