ヒトオオカミ・13
封鎖プラント居住区画は、島二号コロニーとは大きく異なった外観をしていた。
小規模。装飾性と色彩を削いだ風景。全体的に灰。多く見られる薄汚れ。恐らくは星海工業が作った思しき、飾り気の無いアパートメントが多く見られる。二四時間営業の外食チェーンの明かりが、やけに眩しかった。
星海工業は中国資本の企業である。島二号コロニーと同じ中華系なのにここまで差が出るのは、単純に国営と民営の違いである。国営である島二号コロニーと違って、封鎖プラントは住民に人工的なナショナリズムを求める必要はない。また、観光客を意識する必要もない。
居住区画に、ワイズマンは蟲を走らせる。探すのは工員寮。恐らく、工場に近い位置にあるはずだ。
区画を走らせるだけで、時折蟲のカメラが汚れる。洗浄機構があるので問題はないが、蟲の稼働時間が短くなる。極端に大気が汚いようだ。路面も粉を吹いているようである。
――空気洗浄用に雨を降らせたりはしないのか。
想像以上の安い作り。工員の健康状態にも問題が出ている可能性がある。
歩道を走っていた蟲の一つが、アパートメントに掲げられた表札を見る。ワイズマンもそこに意識を割く。強化現実上でもない、ただの表札。もしかしたら、ここの工員の中には電脳化を行っていない人間も居るのかも知れない。
表札に掲げられた名。第三工員寮。
ここで間違いないらしい。複数の蟲を潜り込ませる。
三階建て。建築されてから然程年数が経っているわけでもないのに、軋みすら聞こえてきそうなほど、妙に老朽化している。階段を登らせて、複数の部屋に蟲を入れた。その蟲の映像を重点的に見る。
部屋の中も狭かった。実質ワンルームで、キッチンとトイレは付いているが、風呂はない。散らかった部屋。脱いだままの服。雑誌。
端に敷いてある薄くなった布団に、男が眠っていた。シャツにパンツ一枚。掛け布団は大きく乱れている。無精髭が目立つ。年齢は、概算で二〇代後半。やや痩せ型。
「さて、まずはこの男からだ」
呟くと、ワイズマンはヨダレを垂らして眠る男の頭に、蟲を走らせた。フケまみれの頭髪の中に分け入る。送られてくる映像は、まるで未開の地。そこで蟲は、軽く男の頭に針を刺した。痛みを感じることもないだろう。
これにより、男の脳内を軽くハッキング出来るようになった。本格的な情報を得るには、きっちり繋がったネットワーク環境と、ハッカーとしての腕が必要になるが、表層的に浮かび上がってくる情報を得るにはこの程度で十分だ。
ワイズマンのハッキング技量は、カトレアに比べれば大したものではない。それでも、十分な情報が得られる。蟲から送られてくる情報を、男の脳内のものに限定。男に潜り込んでいる蟲以外の動作を完全に停止。男の中を見ることに集中する。
「さて」
この男はどんな情報をくれるだろうか。
最初に送られてきたのは、意図不明の映像。フラッシュバックする、男の過去と思しきもの。音楽。次々に切り替わる風景。男。女。老人。若者。彼等が放つ、理解不能の言語。光。闇。
どうやら、彼が見ている夢のようだ。こんなものに用はないので、さらに深く潜る。電脳化されていないとこれだけでも苦労するのだが、この男はきっちりと脳内にマイクロマシンを住まわせている。
蟲が潜れる限界の深さ。そこまで行ってやっと断片的な情報が浮かび上がってくる。もっとも、大半が不要なデータ。男の生活に纏わるもの。それらは独立しているわけではなく、絡み合って存在している。要素ごと、キーワードごとに繋がっており、連想ゲームのような構造が出来上がっているのだ。
昨日の食事。今日の予定。次のゴミの日。次の勤務の時間。日常という名の情報の洪水。それに付随する感情――感情に付随する出来事――出来事に関係した人物――その人物に関連する記憶――
キリがない。断片的であり連続してもいる。
その中から、一つの情報に目をつける。それは、最近仕事が楽になったというものだ。そしてそれは、趙 山哲という男のおかげだと。
仕事が楽になった、というのは資材が届かないことから来るものだろう。資材がなくては動きようもない。
それを良いことだ、とこの男は感じている。確かに、カトレアからの情報のような激務に比べれば遥かにマシだろう。だが、労働が極端に少なくなれば、賃金も少なくなるのではないか――?
「いや違うな」
その考えを自分で否定。労働時間は賃金と関係ないのだ。カトレアが言っていたではないか。ここでは年俸制を取っていると。長時間労働が高賃金に直結しない一方で、短時間労働も低賃金に繋がらない。
――なるほどな。
ここに来て現れたわけだ。今の状況で明確に利益があるものが。そしてその状況を作ったと思しき男の名前も浮かんできた。
趙 山哲。
その名前に付随する情報を引き上げる。
名前:趙 山哲。性別:男。年齢:この男は正確な年齢を把握していない。三十代前半と見ているようだ。国籍:推定中国。職業:この男と同じ=星海工業封鎖プラントの工員。付随するイメージ。厳格、強い意志=頑固、リーダーシップ、反骨的。
男がバラバラにしたイメージから、ワイズマンは趙を組み立てる。勝手に動いて、それに人が付いてくるタイプの男。上からは、ある程度までは重宝するが、最終的には面倒になるタイプ。
「次に探すのはこの男だな」
男のイメージから、趙の顔と、現在いるであろう場所を探りだす。現在居るであろう場所=趙の住所だ。
顔。必然的にこの男の主観が交じるが、精悍なものが出来上がる。所々に古い傷が残っている。鋭い目。いや、鋭すぎる目。苛立の交じる表情。
――不良少年がそのまま大人になった感じだな。
この男から得られる情報はこんな所だろう。
趙の探索に移るとしよう。別の蟲に意識を移す。この男に使った蟲はもう使わない。頭皮の上に残しておく。本人も気づかぬ間に、体表の汚れと一緒に洗い流されることだろう。
趙の住所もこことは別の場所であるが工員寮だ。場所も分かっている。近くに行っていた蟲に意識を割く。
趙の部屋は三階だったため、移動に多少手間取ったものの侵入に成功する。
部屋の構造自体は先の男の部屋と同じであるが、先の男の部屋に比べると大分整った印象のある部屋だった。少なくとも着替えは畳まれている。
顔の作りは男のイメージと大差はない。顔の表面を蟲で登り、頭皮に張り付く。
「さて、見せてもらおうか」
先の男から得た情報から考えて、この男が事件の真相近くに居るのは間違いない。これで恐らく全てが分かる。
蟲が針を刺す。男の中にワイズマンが潜り込む――
「が――!?」
弾かれた。同時に、痛み。偏頭痛などというものではない、頭に杭を撃ち込まれたかのような、自分の頭が真っ二つになっていないことが不思議な激痛。
水の中に飛び込もうとしたら、水面が氷だったような感覚。そしてその氷が氷柱となって襲いかかってきた。この氷は、このまま溶けて身体の中に染み入ってくるのだという理解があった。そしてそれが吸収されたら、ワイズマンは死ぬ。毒の氷。
即座にワイズマンは蟲を自己崩壊させた。細微な機械構造の塊が解けて、金属片へと変質する。激痛が無かったかのように、余韻も残さず消える。背を冷たいものが伝った。
「氷を張っている――のか」
氷――ICEの通称である。ICEとは侵入対抗電子機器の頭文字を取った略称であり、電脳に対するハッキングに対向するシステムのことである。一秒間に数万回構造が変化する妨害情報壁を張り巡らすことにより、侵入者を拒む。何の対策もしていなければ、先のワイズマンのごとく弾かれる。
それだけではない。タイプによっては、カウンターハッキング/クラッキングを仕掛けられて、ハッキングを行ったものが正体を特定されるものもある。最悪の場合カウンタークラッキングの結果、電脳を破壊されて脳死に至る。ワイズマンが受けた激痛は、カウンタークラッキングによるものだ。
これを迂回してハッキングを行うには、相応の技術と機材が必要だ。妨害情報壁の暗号を計算で解き、氷を溶かす、砕く。この技術を持つものは砕氷師と呼ばれ、民間軍事会社や産業スパイなどで重宝される。ライブラにも数人の砕氷師が所属しており、その中の一人がカトレア・カトレットだ。
そのカトレアにしても、氷砕きが可能なのは準備があってのことだ。こんな蟲と糸が繋がっているだけの貧弱な回線状況と、不意打ちのようなICEには対応できない。
不意打ち。そうこれは不意打ちとしか言いようがない。
ICEはそれなりに一般化している技術である。しかし、それは重要な機密を抱えている人間に限った話である。企業の管理職、公的機関の職員、ワイズマンなどの民間軍事会社の社員等々。一介の工員には不要の代物なのだ。
もう一つ謎がある。入手経路だ。趣味でハッキングする人間に解析されてもたまらないということで、一般的には流通していない。つまり、この男にはある程度のバックがあるということだ。
ふぅ、とワイズマンは息を吐いた。
分かったこともある、分からなかったこともある。まだ情報が残っているという実感もある。だが。
「……潮時だな」
全ての蟲を自己崩壊させた。
最初の男クラスの情報を集めることは容易いだろう。だが、それ以上の情報を得ようとすれば、ICEを砕く必要がある。それは不可能だ。
小型艇を、封鎖プラントから離れさせた。まだ調べるべき場所は他にもある。行く先は島二号コロニー。




