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ヒトオオカミ・10

 軽くシャワーを浴びてから、ラティファはワイズマンの部屋に行った。ロック解除用の暗号鍵は、ワイズマンから渡されている。

 鍵を解除。ドアを開ける。

「よう、お帰り」

 部屋に入るより先に、ワイズマンに声をかけられた。

 ラティファは部屋の中に入る。「てっきり眠っているのかと思ったが」

「うとうとしてたが、鍵が開いたんで起きた」

 テーブルに着く。「流石、と言っていいのかな」

 ワイズマンもベッドからテーブルへ。「好きに褒めるがいいさ」

「褒めなきゃいけないんだな」

「そりゃそうだ。で、何食ってきたんだ?」

「ラーメン屋に行って、生春巻きをな。大層美味かったぞ」

「折角中華系コロニーに来たんだから、中華料理でも食えばいいものを。しかも、なんでラーメン屋で生春巻きなんだ? ラーメンは中国から日本に伝わってアレンジされた変則和食で、生春巻きはベトナム料理だろう」

「ラーメン屋というのは私がそう思っただけで、観光用ARソフトには多国籍料理店扱いで登録されていたんだ」

 ワイズマンは首を捻る。「ほう。それじゃあお前はなんでラーメン屋だと思ったんだ?」

「メニューの一番上がラーメンだった」

 苦笑。「それはラーメン屋だ」

「だろう?」

「全く。話を聞いてたら、腹が減ってきた。私も何か食うとしよう」

 ワイズマンはホテルのサービスシステムにアクセス。強化現実(AR)上のルームサービスメニューを呼び出した。

「あー、私も何か頼んで構わないか」

 ワイズマンが動きを止めた。「おいおい、食べてきたんだろう? 生春巻き」

「まぁ、食べてきたことは食べてきたんだが……その後で時間があったから、ついついウェアウルフのところに行って、テストを……」

 斜め上を見て、頬を掻くラティファ。

「で、腹が減ったってか? 不規則な食生活も良いところだな……太るぞ? いくら肉を食べないからって」

「軽いものにするさ……」

「どうだかな」

 ラティファもワイズマンに倣い、ルームサービスのメニューを出した。平原飯店以上に多国籍な品揃え。有名所は概ね揃っている。

「お前の話を聞いてたら、ラーメンが食いたくなってきたな」

「なら私は水餃子……」

「肉入ってるぞ」

「む、それもそうか」

 自分が食べられるものが少ないことを再認識する。ならば何を食べようか……

 メニューの一点が光る。野菜スティックだ。

「これなんかどうだ?」どうやらワイズマンからのリコメンドのようだ。

「うむ、悪くないな」

「そうか。野菜スティックだな」

 ワイズマンはラーメンと野菜スティックを注文した。メニューを閉じる。

「私は自分の分ぐらいは払えるぞ」

 ワイズマンは笑う。「大した額じゃないし、気にするな。少しぐらいおじさんに良いところみせさせろい」

「それならお言葉に甘えさせてもらおう」

「うむ、素直でよろしい」

 程なくしてルームサービスがやってきた。注文が強化現実(AR)上で行われても、それを運んでくるのは人間である。

 ワイズマンは部屋の外で注文を受け取ると、戻ってきてそれをテーブルの上に置いた。ラーメンが湯気をあげ、野菜スティックの金属製の器を曇らせる。

 ラーメンは一般的な醤油ラーメン。技工を凝らした風ではない。どこにでもある、業務用の風情すら漂う風。

 ワイズマンが顔を歪める。ラティファにはそれが少し楽しそうに見えた。

「これは失敗だったか」割り箸を割る。

 野菜スティック。人参やキュウリなどの歯触りがよい野菜をスティック状にカットしてある。数は多くないが、不平を言うほどでもない。

 問題は、先に食べた生春巻きと被っていることだ。

「私の方も生春巻きと被っているな」

「まぁそういうこともある」

 ワイズマンが麺を啜ろうとした。ラティファは通信の要請を受ける。名義はカトレア・カトレット。

 野菜スティックを口に運ぶラティファ。「む、カトレアか」

 麺を器に戻すワイズマン。「仕事が早いな」

 通信を受けた。ラーメンの器と野菜スティックの器の間に現れる、カトレアのアバター。

「あ、すみません、お食事中でした?」

 ワイズマン、ラーメンに目をやる。視線をカトレアに戻す。「いや、気にすることはない。報告が優先だ」

 そんなワイズマンを見ながら、ラティファは野菜スティックをかじった。折れるような食感が心地良い。

「別に食べながらでも結構なのですが」

「いや、ラーメンを食べながらは流石になぁ」

 そうですか、と言いながらカトレアはウィンドウを出す。そこに表示されているのは、ニュース記事だ。アドバンスド・テックと星海工業の業務提供に関する記事。

「アドバンスド・テックと星海工業がOEM契約を結んでいるのは間違いありません。当然、それが封鎖プラントと関わっているものかは分かりませんが」

 ウィンドウの表示が移り変わる。表示されたのはまたもニュースだが、先とは毛色が違うものだ。

 ラティファはその記事を見た。「これは……事故か?」

 カトレアは頷く。「そう。それも、件の封鎖プラントで起こった、ね」

 ワイズマンは顎に手をやり、笑む。「興味があるな。詳しい説明を頼む」

 ニュース記事が拡大された。

「この事故が起こったのは、ゴーストが現れる半年前のことです。作業――エーテルギアの組み上げか部品製造かは分かりませんが――の最中に、プラント内で用いられる作業用重機が事故を起こして、随分な被害が出た模様です。その割に人的被害は少なく、死者一名、怪我人も数名。プラントの一部は続いて起こった火災で使用不能」

 表示される写真。破壊されたプラントを、外から撮ったものだ。横に並べて、事故前のプラントの写真が載っている。確かに、大事故のようだとラティファは思う。事故前と事故後での変化は瑣末なものであるが、巨大な構造物の外部から見て内部の破壊が想像出来る時点で、大被害だ。

 写真上での際は、ドーナツの一部分が黒く変色しているという程度のものだ。スケールの問題で、そうは見えないだけで、実際は広大に広がる変色。そして外部から見えるだけでこの量。中はどうなったのか想像したくなくなった。

 火に煽られ、逃げ惑う人々。燻され、追い立てられ――

「……事故の原因は何だ? 人か? 機械か?」

 ワイズマンの問いに、カトレアは苦々しく答えた。

「人……恐らくは、労働者の過労が原因と見られています」

 カトレアは記事を切り替える。追跡調査と思われるものだ。

「場所が封鎖プラントなだけに、情報を得るのは難しかったようですが、運びだされた怪我人からの話などからは幾つかの事実が浮かんできました」

 端の方に載っていたグラフが大きく表示される。どうやら労働時間や日数に関するもののようだ。

「この封鎖プラントでの労働環境は劣悪そのものです。一日の労働時間は十五時間を超え、休日は無きに等しい状態。賃金は年俸制を取られており、労働時間に対しての賃金は最低水準を大きく下回っています」

 ラティファは問う。「年俸製だと最低賃金を下回るというのはどういう事だ?」

 答えたのはワイズマン。「年俸制っていうのは給与体系を時間単位じゃなく、年単位で換算することになるわけだが、超過労働分を予め含めて査定しておくということも出来る。それを使って、超過労働分を払ったことにして、払った分以上の超過労働をさせたらどうなる? 例えば、毎日一時間残業するとして査定された年俸で、毎日五時間残業させたら?」

「なるほど。時間あたりの賃金は低くなるな」

 カトレアが続ける。「ええ。一応そんな状態なら訴訟を起こすことも出来るんですが、そのことを労働している人間が知らなければ、無意味です。星海工業に対する、労働時間での訴訟は起きていません」

「嫌な話だ」

 ラティファは呟く。

 労働者の無知を利用しているということか。知らない方が悪いと言えるのかもしれないが、納得はしづらい。知は力という前提の弱肉強食。

「よくある話といえばそれまでだがな」

 ワイズマンの言葉にカトレアが続ける。

「こう言った話は少ないわけではないようです。他にも幾つか似た事例が見つかりました。星海工業の系列である星海精密工業では、抗議行動としての自殺まで起こっています」

「自殺!?」

「時間含む労働条件の緩和と、賃金の是正を求めるものね。それでも尚訴訟等には至っていないけど。星海精密工業のほうでは賃金を上げることで、対応したということにしたみたい」

 賃金を上げた。それだけなら、労働時間のほうは何も変わらなかったということだ。

「随分と酷いところだな……」

 ラティファに向かってワイズマンは言う。

「労働環境に関しては私達も大差ないんだがな。とりあえず、星海工業も後暗いところがあるのは分かったさ」

 カトレアは頭を下げる。「具体的に本件と関係がある情報かは怪しいものですみません」

「いや、封鎖プラントに関する情報があっただけでも僥倖だ。こちらからまた何か頼むかも知れないが、後は動いてもらう必要はないだろう。ご苦労さん、カトレア」

「有難うございます。ラティ、ワイズマンさん、任務の成功を祈っています。私達の力が必要になったら、いつでも頼ってくださいね」

 ラティファは頷く。「ああ、やってみせるさ」

 ワイズマンは笑う。「何とかするさ。なんとかな」

「それでは」

 手を振りながら、カトレアのアバターが消失。ウィンドウも同時に消える。通信終了。

 ラティファは野菜スティックの最後の一本を齧る。劣悪な労働環境。命の取り合いでこそ無いものの、存在する獣の論理。

 ――或いは、人間というのは全て獣の論理の上に生きているのだろうか。

 弱者の屍の上に強者が立つ。それはありとあらゆるところで行われていることであって、そうありたくないと思うのは、結局のところ現実が見えていないだけなのではないだろうか。ただの、子供の思い。

「なぁ……」

「なんだ」

 ワイズマンは渋い顔をしてラーメンを啜っていた。通信の間にラーメンがふやけてしまったのだろう。麺がいやに膨らんでいるのがラティファからでも分かる。

「誰かを踏みつけなければ、人間は生きていけないのか?」

「当たり前だろう。自覚のある無しに関わらず、社会に生きている以上、誰かを踏みつけにしているし、時として誰かに踏みつけにされている」

 何を言っているのかと言わんばかりの表情。麺を口に運びながら、ワイズマンは続ける。

「さっきの星海工業の件。いや、星海精密工業の件の方が分かりやすいか。星海精密工業で製造された部品は、結構な電子機器に使われている。それこそ――」

 人差し指で頭を叩く。

「頭の中に入ってるマイクロマシンとかな。そしてそれを作る労働環境が、自殺者を生み出すほどのものである以上、私達は無自覚な搾取者という訳だ。いや、無自覚というわけじゃないのかも知れないがな」

「どういう事だ」

「心のどこかで分かってはいるのさ。自分が何かをするごとに、何かを犠牲にしているっていうことが。だってそうだろう? さっきの件は報道されているようなレベルのことだし、昨今の製造情報の管理を見れば、そこら辺は調べようと思えば調べられる。だが、そんなことはしない。何故なら、そんなものを見たくはないからだ」

 ワイズマンは一旦言葉を切る。どうやら麺を食べ終えたらしい。

「なにせ、嫌だからな。今のお前と同じように、そんなことについて考えを巡らすのは。気分が悪くなるだけだ。何も生み出せはしない。糞をひり出しておいて、その糞の処理はしたくない。醜いがそれは自然な感覚だ」

 ワイズマンは淡々と言う。まるで極々簡単な数式を説明しているかのようだ。

 何も言えない。

 反論したい気はある。反論する材料がない。反射的にそうではないと言いたいだけで、論理的にはそうであると認めている。

 そして、もう一つの思いがある。

 ――それを心のどこかで楽しんでいる自分は何だ?

 好きでやっているわけではないと言った。自分でもそうだと思っている。それでも尚、消せない高揚感がある。

 獲物を追い立てるのは、気が踊る。

 おのれが殺戮機械の一部として機能することに、充足感を得る。

 ワイズマンは言う。

「踏みつけるのが嫌なら、踏みつけられる側になるか? それも嫌なら、社会から完全に外れるしか無い。だが、それはもうヒトであっても人間じゃあ無いな」

「嫌なものだな」

「何がだ?」

「人間が……」

 他になんとも言いようがなかった。誰かを踏みつけたくなど無かった。ましてや、誰かを踏みつけることを喜びたくなどはなかった。

 ラティファは続ける。

「そうしてしか生きられないなら、嫌な生き物としか言いようがないだろう。だが、まだそれから目を逸らそうとするだけ、良いさ」

 自覚的だろうと無自覚だろうと、同族を踏みつけにする生き物。

 そして――

「私は、なんだ」

 言葉を絞り出す。喉の奥から。

 ワイズマンに言っているのか、それともただ吐き出しているだけなのか分からなかった。現に、視線はワイズマンを捉えていない。

「好きでやってるわけじゃない。でも、楽しいんだ。敵を倒すのが。追い回して、武器を突き立てるのが。このまま続けていけば、きっと私は誰かを踏みつけることを望むようになる気がするんだ。それではまるで、化物じゃあないか」

 それが。それこそが。

「それが――何よりも、嫌だ」

 最後まで聞いて、ワイズマンは口を開いた。

「別にいいじゃないか、化物で」

 思わず、ワイズマンを見た。柔和な微笑を浮かべているように見えた。その表情が、今まで見たワイズマンの表情の中で最も恐ろしいような気がした。

「何を……」

「結局のところ、他人が何を考えて行動してるのかなんて分かりはしないんだ。動機なんて、どうでもいい。自分の行動が何をもたらすか、それに自覚的であり、社会的に相応な行為をしているか。大事なのはそっちの方だ」

 ――楽しめばいいというのか?

 戦うこと。奪うこと。それら全てを。

「ワイズマン、お前は――」

 それから先は言えなかった。

 ――お前は化物なのか?

 微笑んだままのワイズマン。「言っただろう。多かれ少なかれ、こんなことをしている人間は楽しんでいるものだ、と」

「それでも私は……」

 怪物になんてなりたくない。

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