ヒトオオカミ・1
黒い川の中を泳ぐ、巨大な棺。
星海工業封鎖プラントへ向かう輸送船を外から見た人間は、そう描写するであろう。後部プラズマ・ロケットから、どろりと揺らめく光を吹き、粒子状に砕けたそれを置き去りにしつつ、それは宇宙空間を駆けている。
輸送船の前方には大小様々な岩の塊――小惑星帯がある。ネジ一本程度のスペースデブリならともかく、この相対速度でぶつかれば輸送船など一溜まりもないほどの質量を、小さい岩塊ですら持っている。薄皮一枚捲れば、そこには杜撰に隠していた地獄がお目見えする。宇宙空間という虚空は、人間が住むには余りにも過酷すぎる場所だ。
だが、地球だけでは人類を支えきれないのもまた事実。開拓地にして廃棄場所。二重の意味で、夢の島。現代の人類にとって、宇宙はそういうところだ。
「さて、そろそろか……」
輸送船の中で、少女が呟いた。
少女の年齢は十代の半ば。肉体は全体的にやや細めであるが、均整の取れた体つきをしている。目付きはやや釣り上がっているが、整った容姿と言ってもいいだろう。
だが、眼に宿る光は年相応の少女のものとは言えないものだ。異様にぎらついている。釣り上がった形と重なって、獣の印象を人に与える。そうした視点で見れば、しなやかな肢体もすばしこい肉食獣のそれだ。
少女が座っているのは全天周型のコクピットだ。中空にシートが浮くように存在しており、肘掛の先にドーム状のデバイスが付いている。デバイスに触れることで脳内のマイクロマシンが作り出した電脳系とマシーンのメインシステムが直結する。
少女は端末を現在のところ使用していない。操船は完全なオートパイロットだ。周囲には機体のカメラ映像から送られてきた複数のデータを元にした映像が、三六〇度全面に表示されている。
身に纏っているのは白いノーマルスーツ。現在もっとも普及している船外活動にも対応したタイプで、フリーサイズのものだ。着る前は衣服というよりも着ぐるみに近いものだが、ワンボタンで身体に密着する。頭にはヘルメットを被っている。
少女はコクピットのシートに座り、両の腕を組んでいる。視線を向けているのは前方。そろそろ、一応の目的地である星海工業封鎖プラントが見えてくるはずだ。
――もっとも、本来の目的ではないが。
左右に僅かに視線をやる。無数の光点。流れる小隕石。距離感が狂って遠くにあるのか小さいのかが分からない建造物。全てが闇の海に存在している。
外から見れば、自分の動かしているこれもそんなものの一つに見えるのだろう。ちっぽけな、取るに足らないもの。
だが少女は生きている。様々なものを食い潰しながら。
再び視線を前方に戻す。それを見た。
――居た。
陽炎のように空間の一部が揺らいでいる。陽炎なぞ本来起こるはずがない。宇宙空間には何も無いのだから。
その何も無い空間を切り開くかのように、鋭いものが突き出してきた。真紅の、枯れ枝が幾つも組み合わさって出来たような何か。それは五本の鉤爪が備わった機械仕掛けの腕だった。攻撃的、破壊的なイメージを少女は受けた。
それを認識して尚、輸送船は動きを止めなかった。
「来たか、ファントム!」
少女の口の端が釣り上がり、歯が覗く。さながら、鮫か獅子のような様だ。隠しきれ無い獰猛さと、歓喜が滲む。
同時に両手をシートのデバイスに置く。少女の電脳が機体と接続され、見えている景色に対して、脳内で強化現実による補足が入る。距離/大きさ/質量――感覚が狂う宇宙空間では必要な情報だ。
機械仕掛けの腕は他の部分も視認が出来るようになっていた。細く、長い異形の両腕。それと同じデザインの両脚。背面からも、サブアームと思われる同様の腕が二本。球形で六つの光源を持つ頭。
強化現実によれば二〇メートル強の大きさになるそれは、歪ではあるが紛れもなく人型をした機械――エーテルギアだった。
そのエーテルギアに関する情報は、強化現実による補足がない。情報に該当する機体無し。完全なるアンノウンだ。だが、そんなことに怖気づく少女ではなかった。
当然だ。
「さぁ――狩りの時間だ」
獲物を恐れる狼が何処に居る?
少女は唇を軽く舐めて湿らせる。同時に電脳を通して機体に指令を与えた。機体が大きく軋み、それに応える。
機体は=輸送船ではない。
輸送船の外装=機体の偽装の固定は簡易なものであった。それが、内側から剥がされる。外装は四方八方にはじけ飛び、慣性のまま流れる。幾つかは周囲の小惑星に衝突し、互いを砕け散らせた。
内部から出てきたのは、黒銀色の人型の機械だ。
全身に付けられた切羽のようなスタビライザー。鋭角的な四肢。両脚部側面ハードポイントに備え付けられた散弾砲と機関砲。右腕には尖った板状の、剣とも盾ともサーフボードとも取れるデバイスを携えている。大きく張り出した両肩の後部には、大型のプラズマ・ロケットスラスター。鋭角的な、狗の頭にも似た胴体部。その上の頭部には真紅に光る双眼。
そして左肩には、右に金貨、左に剣を乗せた状態で吊り合っている天秤のエンブレムが輝いている。
輸送船の中から出てきた人型機械も、エーテルギアだ。
三条重工製イヌガミ・フレームのカスタムメイド機。
民間軍事会社ライブラ・セキュリティ・コントラクトに所属する少女、ラティファ・ユーテンシルの乗機。
パーソナルネーム・ウェアウルフ。
高速にして強力なる、破壊を振りまく機械仕掛けの人狼。
外装を完全に脱ぎ捨てたウェアウルフは、プラズマの光の粒子を背面に撒き散らしながら加速する。
敵のエーテルギア――ファントムとの相対距離を、小刻みな機動で詰める。その動きは、プラズマ・ロケットによるものだけではない。慣性や噴出する光の向きを無視した、機体を別の位置に無理やり流したかのような動き。機体に搭載されたシステムである、アライメントチューナーによる機動だ。
アライメントチューナーは、空間の状態あるいは属性であるエーテルに干渉する。エーテルは大別して静と動があり、通常の状態ではどちらでもない。熱量と似たように、静には絶対静止という限界があるが、動には限界が無いとされている。
機体周辺のエーテルを静にすれば、相手の質量攻撃を受け止めることもできる。動にすれば推進力にすることも可能であるし、攻撃に使うことも可能だ。
アライメントチューナーを装備した機体は、機体内のアライメントチューナーで生み出したエーテルを、外部の様々な面に取り付けられたエグゾースタから噴出することで、周囲に影響を及ぼしている。 もっとも、アライメントチューナーを装備した機体であれば必ずエーテル干渉が起こせるというわけではない。その効力の大きさは先天性の電脳との相性によって大きく左右される。アライメントチューナーを扱う適性を、エーテル適性と言う。エーテルギアを自在に扱えるほどのエーテル適性は、稀有と言える。
エーテル適性はエーテルギアライダーにとっては重要な素質ではあるが、それが全てではない。エーテル干渉と、エーテルギアを動かすのは別の技能が必要とされるからである。エーテルギアと電脳を直結しての機体繰は、宇宙用人型重機の操作と同じく、現実に身体を動かすことに非常に近い感覚となる。運動神経や、格闘や運動に関する技術と経験が重要視される。
ウェアウルフは右腕の装備をファントムに向かって突き出す。
それはアライメントチューナーを内蔵した複合兵装である。エーテル干渉による刃を作り出し、エーテル干渉で加速した砲弾を撃ち出し、追加のスラスターとしても機能する。名を、人喰と言う。
「まず一発」
ラティファの電脳とウェアウルフのFCSが連動し、ファントムを捉える。
人喰が中央から二つに展開し、内部から砲塔が露出。エーテルによって加速した砲弾を発射した。
砲弾は高速で宙空を駆け、ファントムの寸前に到達する。しかし、それはファントムを食い破ることはなかった。砲弾が止まったのだ。
その一瞬をラティファは見た。本来アライメントチューナーによるエーテル干渉を見ることは出来ない。しかしエーテル干渉が起こっている様を強化現実(AR)で擬似的に見ることが出来る。強化現実がラティファに見せたのは半透明の壁が砲弾を堰き止め、その衝撃が空間を震わす様だ。それなりのエーテル適性がある人間がファントムに乗っているのは間違いない。
砲弾が止まったのは一瞬。ファントムは射線から外れる。砲弾は勢いを取り戻し、宇宙空間を再度直進した。同時にファントムは異形の腕の内一本を飛ばしてきた。飛ばしたというのは正確ではない。ラティファの視覚は、飛んだ腕と付け根の間に細い糸――ワイヤーか何かを認識している。恐らくこれで射出した腕をクレーンのように巻き取って回収するのだろう。
ち、とラティファは舌を打つ。
イヌガミ・フレームは高機動戦闘を重要視した機体だ。周囲のエーテルを自らがコントロールして、ベクトルと動的状態を操って、圧倒的な運動性を得ることに特化している。その代わりに、静的状態を展開してファントムのように攻撃を弾くことには全く向いていない。こと機体前面において、その傾向は大きい。
当たれば十分なダメージを受けるだろう一撃であるが、ウェアウルフは僅かな動きで回避する。照準が甘い。機体性能面での相性は悪いようだが、戦闘技術においてはこちらが上のようだ、と敵機の本体に巻き取られる異形の腕を見ながら、ラティファは理解した。
ならば――
「私とウェアウルフなら、問題はない」
人喰による牽制の射撃を行いながら、ウェアウルフはファントムに近接を狙い、ファントムは牽制として腕を飛ばしながら距離を取ろうとする。典型的なドッグファイトの形だ。いや、実際にはそうとは言えないかもしれない。そこかしこにある岩塊を足場とし、それを蹴り飛ばして、ウェアウルフはエーテルと合わせた自在な三次元機動を見せる。
これは狩りだ。自在に宇宙を跳ね回る狼の狩りなのだ。
細かく進行方向を切り返し、牽制を多く入れて逃げようとするファントムだがウェアウルフは徐々にその距離を詰めていた。最高速度/加速性能/旋回性能の全てにおいてウェアウルフが優っている上に牽制射撃の技術に大きな差がある。ファントムの牽制は――
――あまりに単調だ。
ラティファは思う。
偏差射撃という技術がある。動きまわる相手を射撃する場合において、着弾の瞬間に相手が居るであろう未来位置を予測して、そこに射撃することによって命中率を上げるという、ある種基本的な技術だ。ファントムはそれを行っていない。ただ、腕を発射する瞬間にウェアウルフが居た位置を狙ってくる。射撃自体の照準精度も低い。
機動も今ひとつだ。ウェアウルフの牽制射撃による妨害があるとは言え時折岩塊に衝突して体制を崩す上に、エーテル制御の無駄も多い。
――素人が乗っているのか……?
これまではそれで十分だったのだろう。ファントムの姿が目撃されたのは、この戦闘が初めてだ。姿を見せずに被害だけを与える幽霊機。それも姿を見せるまでの話だ。今となっては枯れ尾花に過ぎない。
「見つかったのが私とは、運がなかったな!」
ファントムに肉薄しながら、ラティファが吠える。
人喰のアライメントチューナーが駆動し、エーテル・ブレードを発生させる。不可視ではあるが、強化現実によってエーテル干渉を認識しているものには、紅い光の噴出による刃が見えるだろう。
それは牙だ。血に塗れた、狼の牙だ。
――すれ違いざまに斬り飛ばす。
敵機を捕捉。
アライメントチューナーが爆発的に駆動し、機体のエグゾースタからエーテルを吐く。ウェアウルフは瞬間的に加速。同時にブレードを振るった。
踏み込みからの抜刀にも、草食動物の喉笛を噛みちぎろうとする狼にも似た、高速移動しながらの横一閃。
幽霊に人狼が飛びかかる。
はじけ飛ぶ装甲の欠片、電縮性の流体金属、そして内容物である機械。斬り裂かれた人体の、メカニカルでグロテスクなパロディ。
ダメージを与えた。しかし――
「浅いか!」
喉笛を食いちぎるには至らない。
瞬間的にウェアウルフから見て左方に大きく仰け反ったのか、ファントムは腕の一本と胴体の一部を犠牲にして致命傷を避けていた。
方向を転換して追撃しようにも、急加速した際の慣性がついている。即座にエーテルで挙動制御。慣性を殺しながらターンしたときには、ファントムは姿を消していた。幽霊のように。
残ったのは、人喰で斬り落とした、腕の残骸だけだ。
ウェアウルフは残骸に近づくとそれを拾い上げるように回収する。切り口に当たる部分からは、エーテルギアの人工筋肉を構成する、どろりとした電縮性流体金属が見えている。
ラティファは無言で、ヘルメットの中の唇を噛んだ。
戦いの熱に煽られていた身体が、冷えていく。冷めた身体と覚めた頭は、自己否定をもたらす。
轟――
ラティファに同調するように、戦闘を終えたウェアウルフが、機体内に残る不要エーテルを全身から吐き出し、空間を震わせた。まるで、狼の遠吠えのように。
その咆哮は宇宙に拡散し、飲み込まれた。
行き場のないものを虚空に投げ捨てるかのように。