017 春宮椿の相談(2)
あれから本気で泣き始めた椿ちゃんをなだめるために、私は昼食用に用意していた鮭おにぎりを二つ生贄に捧げた。
私がそれを「どうぞ」と差し出した瞬間更に号泣していたが、食べ終わると落ち着くことができたらしく、現在は何事もなかったかのような澄ました表情で私の前に座っている。
しかし恩義を感じていなかったわけではないらしい。
椿ちゃんは居住まいを正すと、私の目をしっかりと見据えて深々と頭を下げた。
「ありがとう。おかげで久々にお米の食感を味わうことができましたわ」
なんだか昼食を犠牲にした甲斐がある感謝のされ方だった。
生活が大変だとは書いてあったけれど、まさかここまで飢えていただなんて……。元とはいえ、社長令嬢が給食目当てで登校してくるだなんて滅多にありえるシチュエーションではない。
いったいどんな食生活を送っていたのだろう。
……ふむ。
まだ登校日を迎えていないとはいえ、椿ちゃんだってこの学校の生徒になるのだ。
となれば生徒の体調管理は私の仕事。せっかくの機会だし、書類だけじゃわからないことも多かったから、少しお話させてもらおうかな。
「ねえ椿ちゃん」
「黙りなさい」
会話は二秒で終了させられた。
「ふん。見たところあなたはこの学校の養護教諭のようだけれど、よくもまあ春宮家の子女であるこの私に対して『椿ちゃん』などと言えたものですわね。私を呼ぶときは『椿様』、『春宮様』、もしくは『女王様』のどれかに決まっているでしょう?」
「最後のは違うんじゃ……?」
「黙りなさい、この豚! 雌豚! 資本主義の豚!」
違くなかった。
むしろ一番しっくりくる呼称だった。
「あなたのような月並み以下の庶民と交わす言葉などありませんわ。何故なら、あなたは豚。豚相手に人間の言葉を話したところで、理解できないのだから虚しいだけでしょう? そんな無駄な行為をしている程私は暇ではありませんの」
「……給食食べたくて学校に来る暇はあるのに?」
「そっ、それとこれとは話が別ですわ! そもそも私は暇があったから学校に来たわけではなく、生きるために必要な栄養素を摂取したいという欲求に耐え切れず登校してきたのですから!」
「せ、生命の危機レベルで飢えてたんだね……。あ、ていうかおにぎり二つだけで足りた?」
「足りないと言えば他にも何かいただけるんですの!?」
そう言う椿ちゃんの目は期待という色でキラキラとした輝きに満ちていた。というか、口の端からヨダレまで垂れてしまっていて非常に残念な美少女という感じになってしまっているのだけれど、大丈夫なのだろうか……。
そんな哀れみの目で見てしまっていたからか、椿ちゃんはすぐにハッと我に返り慌ててそっぽを向いてしまう。
「……こ、この卑怯者! 私のことを食べ物で釣ろうという魂胆ですのね!? 何て恐ろしい豚ですの!?」
「い、いやそんなつもりで訊いたわけじゃなかったんだけど……まだお腹空いてるならコレあげようかなあって。カ○リーメイトのココア味」
「あなたを今日から神とお呼びしましょう!」
安い子だなあ元お嬢様!
目尻に涙を浮かべて喜んじゃってるよ!
それにしても……私から受け取ったカロ○ーメイトを夢中になって食べている椿ちゃんを見ているといくつか疑問が浮かんでくる。
書類の情報によれば、椿ちゃんはこの島にいる親戚の家で暮らしているはず。だというのに、こんな固形食糧一つで歓喜する程の飢え様はおかしくないだろうか。
会社が倒産して生活が苦しくなったというのは、あくまでも椿ちゃんの家の話。親戚の家にまでその影響は及んでいないはずだ。ということは、もしかして椿ちゃんは親戚の家で虐待にあっているのではないか……?
そんな疑問が浮かんでしまった以上、私は確かめずにはいられなかった。
「ねえ椿ちゃん、私ある程度はあなたのお家の事情聞いてるんだけど……確か今は親戚の家で暮らしてるんだよね? その親戚の家ではご飯出してもらえないのかな?」
「はい? 確かに私はあなたの言うとおり親戚の方の家で暮らしてはいますけれど、その家の方々は私がこの島に来る前に本土へと引っ越したので一人暮らしですわ。ですから食事の準備も自分でしています」
「え……そうだったの? あれれ、私はてっきり親戚と暮らすためにこの島に来たんだと思ってたんだけど」
「父の考えでこうなったのですから、私だって詳しい理由はわかりませんわ。とりあえずこの本があれば大丈夫だからとは言われたのですけれど――」
そう言いながら椿ちゃんが鞄から取り出したのは、「食べられる野草」「食用海洋生物図鑑」の二冊だった。
……確かに自然溢れる島ですけど、全然大丈夫じゃないですよお父さん。