この会話はスキップできません
中田一郎は、毎朝同じ時間に同じコンビニに入る。
自動ドアは正確な音を立て開き、店員がレジの中から声をかけてくる。
「いらっしゃいませ」
声の高さ、間、抑揚。
録音を再生したみたいだ、とよく思う。
棚からコーヒーを取り、サンドイッチを選ぶ。
選んだ、というより、手が伸びた。
レジに置く。
「いらっしゃいませ。
レジ袋はご入用でしょうか?」
「いえ、結構です。」
一拍。
中田は財布を開きながら、五百二十円を用意する。
「お会計、五百二十円になります」
いつもの金額だ。
まるで、決まった手順をなぞっているみたいな朝のなんでもない光景だ。
---
会社に着くと、すぐに声をかけられた。
「中田くん、ちょっといいか」
(来たな。この時間、この呼び方。この流れは——孫の話だ)
振り返る。
「はい、なんでしょうか」
「いやあ、昨日な、孫の運動会でさ」
(やっぱりな)
「もう、疲れちゃってさあ」
(予定通り)
中田は軽く頷く。
「それは大変でしたね。お疲れ様です」
「でもな、ああいうのも悪くないもんだな」
(ここからは自慢ルートだろうな)
(最適解は——承認+誘導)
「でも、お孫さんは喜んでいたんじゃないですか?」
一瞬の間。
(ここで声が上がる)
「そうなんだよ!」
(成功)
「やっぱりそう思う?」
(来た)
「じいじがこれだけ頑張ったんだから——」
「喜んでたよなぁ!」
(ほら、有頂天だ)
中田は静かに頷く。
「ええ、きっと喜ばれていたと思いますよ」
会話は、きれいに収束した。
中田は軽く息を吐く。
(これでいい)
深く関わる必要はない。
機嫌を損ねず、余計な波風も立てず、最短で終わらせる。
それが一番、効率がいい。
誰かの感情に踏み込むより、
適切な言葉を返して、適切な距離を保つ。
そのほうが、仕事は回る。
(結果的に、全体の効率も上がる)
自分なりの処世術だった。
デスクに戻る。
壁の時計が、規則正しく秒を刻んでいる。
カチ、カチ、と、一定の間隔で。
コーヒーの香りが、まだ残っていた。
朝に買ったものと、同じ匂い。
隣の席では、安田がカップを口に運んでいる。
淡い色。
(やっぱりアールグレイか)
毎日、同じ時間に、同じ飲み物。
他の連中も、似たようなものだ。
決まった時間に、決まった行動。
決まった会話。
(みんな、こうやって落ち着いてるんだろうな)
ルーティンは、無駄を減らす。
余計な判断を省く。
そうすれば、消耗もしない。
中田は資料を手に取り、ページをめくる。
---
休憩から席に戻る途中、同僚の佐藤に捕まる。
「中田!ちょっと聞いてくれよ!」
(声量大。これは愚痴ループしそうだな)
「よ!今日も元気か?」
「いや全然だよ!昨日さ、あの案件でさ——」
(導入長め。これは三手以上かかるな)
中田は軽く肩をすくめる。
「それは大変だったなぁ!ご苦労さん!」
(ここで“でもさ”が来る)
「でもさ、あいつマジでありえなくない?」
(予想通り。次は責任転嫁)
(最適解は全面肯定)
「お前は悪くないって!」
「だよな!?」
(声が一段上がる)
「なんかさ、俺ばっかり損してる気がしてさ!」
中田は少し笑う。
「気にすんな!ちゃんと見てるやつは見てるって」
(これで収束)
「……そうだよな。ありがとな」
(終了。三ターン)
(いつもの愚痴だな)
中田は席に戻りながら思う。
(吐き出さないと、溜まるタイプだもんな)
理解はできる。
解決は求めていない。
ただ、聞いてほしいだけだ。
(まあいいさ)
聞き役なら、いくらでも引き受ける。
そのほうが、全体は円滑に回る。
椅子に座り、資料に目を落とす。
ページをめくる。
(……ん?)
違和感。
(これ、昨日と同じじゃないか?)
レイアウトも、数値も、並びも。
見覚えがある。
中田は顔を上げ、隣に声をかける。
「悪い、今日の資料ってどれ?」
安田がこちらを見る。
一拍。
ほんのわずかな間。
まるで、想定外の入力を受け取ったような。
それから、ふっと笑う。
「手に持ってるじゃないですか。中田さんったら、おかしい」
軽い調子。
いつも通りの声音。
だが——
(今の間は、なんだ?)
中田は資料に視線を戻す。
紙の感触は、確かに“今日”のものだった。
(気のせいか)
そう結論づけるには、十分な理由がある。
だが、
ほんのわずかに、引っかかりが残った。
そのまま、ページをめくる。
---
定時もあとすぐというところで
別の上司に呼び止められる。
「中田くん」
(低い声。これは叱責)
振り返る。
「はい」
「この資料なんだが」
(導入短い。直球型)
(次は“ここが違う”の指摘)
「ここ、数字が違うよね」
(最適解は即時謝罪+原因認識)
「申し訳ありません。確認が不足しておりました」
中田は頭を下げる。
「以後、注意いたします」
「まあいいけどさ」
(ここで“次から気をつけて”)
(来る)
(3、2、1)
「……次から、ちゃんと気をつけて」
(0.5秒、遅れた)
ほんのわずか。
呼吸一つ分にも満たないズレ。
だが、
(今のは——)
中田は顔を上げる。
上司は何事もなかったかのように資料をめくっている。
(遅れた? いや——)
「失礼します」
そう言って場を離れても、思考はそこに残っていた。
(……ずれた)
ほんのわずか。
だが、確かに。
中田はその違和感を抱えたまま、会社を出る。
---
夜風はまだ冷たかった。
コートの襟を少しだけ立てる。
帰り道のスーパーで、出来合いの弁当と飲み物を手に取る。
選ぶ、というより、手が伸びた。
会計を済ませ、袋を受け取り、外に出る。
足は自然と家へ向かう。
急ぐ理由はない。
だが、歩く速度は一定だった。
(このくらいの時間に帰るのが、一番効率がいい)
そう考えながら、いつもの道を曲がる。
家の近くのコンビニの前を通りかかったときだった。
ドアが勢いよく開く。
人影が飛び出してくる。
ぶつかる。
肩が軽く当たる程度。
「——っ、ばかやろー!前見ろ、前!」
若い男だった。
顔は赤く、足取りも不安定だ。
すれ違いざま、ビールの匂いがした。
中田は一歩だけ足を止める。
(……)
振り返ることはしない。
(今の)
ほんの一瞬、思考が引っかかる。
(昨日も、同じことがあったような)
角度も、声も、言葉も。
(タイミングまで、同じだった気がする)
(……気のせいか)
疲れているのかもしれない。
そう結論づけて、歩き出す。
背後では、すでに足音は遠ざかっていた。
---
帰宅。
靴を脱ぎ、鞄を置き、手を洗う。
一連の動作に迷いはない。
テレビをつける。
音が流れ込んでくる。
弁当の蓋を開け、箸を割る。
画面には、漫才の舞台が映っていた。
どうやら、新ネタ限定で優勝を決める番組らしい。
(新ネタ、か)
二人組が軽快にやり取りを続ける。
会話のテンポは速い。
間も、的確だ。
(ここで——)
中田は箸を止める。
(ツッコミが来る)
ほんのわずかな間。
「どんな状況やねん!」
(……やっぱりな)
中田は再び箸を動かす。
(全部、新ネタのはずだよな)
画面の中のやり取りは、初見のはずだ。
だが、
(流れが読める)
いや、
(読めているのか?)
それとも——
考えかけて、やめる。
弁当を口に運ぶ。
味は、いつも通りだった。
テレビの音は続いている。
笑い声も、一定のリズムで重なる。
中田は最後まで見届けることなく、テレビを消した。
違和感は、消えないままだった。
---
ティロリロリローン。
目覚ましの音で、目が覚める。
同じ音。
同じ音量。
同じタイミング。
中田は体を起こす。
時計を見る前に、時刻が分かる。
(……時間だな)
布団を出る。
顔を洗い、身支度を整える。
外に出る。
空気の温度も、昨日とよく似ていた。
足は、迷わず同じ道を選ぶ。
コンビニの前で、ほんの一瞬だけ足が止まる。
理由は分からない。
だが、すぐに動き出す。
自動ドアが開く。
正確な音。
「いらっしゃいませ」
——昨日と同じ声だった。
足を止めようと思ったが、中田の歩みは止まらない。
棚からコーヒーを取り、サンドイッチに手が伸びた。
レジに置く。
「いらっしゃいませ。
レジ袋はご入用でしょうか?」
「いえ、結構です。」
一拍。
中田は財布を開きながら、五百二十円を用意する。
「お会計、五百二十円になります」
いつもの金額だ。
そう、いつものーー。
---
会社に着くやいなや、期末の全体会議が例年通り淡々と進んでいた。
売上報告、各部署の振り返り、来期の方針。
中田はそれを、必要な情報だけ拾いながら聞いている。
(あと三項目で終わるな)
拍手。
一区切りついたところで、司会が一歩前に出る。
「それでは最後に、今期の表彰に移ります」
(表彰)
興味はなかった。
自分には関係のない話だと思っている。
「まずは——優秀応対者賞です」
ざわつきと、控えめな期待。
中田は視線を落としたまま、続きを待つ。
(応対、か)
一瞬だけ、頭の中にいくつかの会話が浮かぶ。
すぐに消える。
「発表します」
一拍。
(ここで名前が呼ばれる)
誰かの名前が。
「中田一郎さん」
思考が、止まる。
顔を上げる。
周囲の人間が、同時にこちらを見ていた。
タイミングが揃いすぎている。
まるで、合図でもあったみたいに。
(……なんだ)
誰かが、通路側へ一歩下がる。
それに合わせて、隣の人間も動く。
左右に分かれる人の列。
道ができる。
その光景を見た瞬間、言葉が浮かぶ。
(——モーゼの海)
理由は分からない。
ただ、この状況を最も正確に表す比喩だと思った。
(最短ルート)
その思考が、すぐに上書きする。
(壇上まで、一直線)
拍手が始まる。
一定の間隔で、同じ強さで。
音が、揃っている。
(これは——)
中田は立ち上がる。
足が動く。
歩幅も、速度も、迷いがない。
(この動きは、知っている)
一歩、また一歩。
視線は、前に集まっている。
逃げ場はない。
いや、
(最初から、なかったのか)
壇上の手前で、わずかに足が止まる。
止めたつもりはなかった。
(……今のは)
考えようとする。
その瞬間。
「中田一郎さん」
司会の声が、重なる。
「どうぞ、こちらへ」
(——進め)
中田は顔を上げる。
(これは、正解か?)
問いは、最後まで形にならなかった。
口が、先に動く。
「ありがとうございます」
言った覚えはなかった。
拍手が、わずかに強くなる。
同じリズムのまま。
中田は、壇上へ足を踏み出す。
用意された位置に立つ。
司会が、手元の紙に目を落とす。
「それでは、表彰状を読み上げます」
一拍。
「表彰状。中田一郎様」
会場が静まる。
「貴殿は、日々の業務において——」
(定型文だな)
「常に適切な応対を行い、円滑なコミュニケーションを維持し——」
(想定内)
「その結果として、極めて安定した成果を継続的に——」
(評価項目の羅列)
「すべての会話を適切に処理し——」
(……?)
ほんのわずかに、思考が引っかかる。
「この会話はスキップできません」
賞状を読み上げる声とは別に、
その一文だけが頭の中でなぞられた。
中田は瞬きをする。
(今のは——)
「以上の功績により、ここに表彰いたします」
拍手が戻る。
さっきと同じリズムで。
差し出された盾を受け取る。
重さは、ちょうどいい。
「おめでとうございます」
(ここで、“ありがとうございます”)
「ありがとうございます」
拍手。
一定の間隔。
同じ強さ。
同じ音。
中田は顔を上げる。
並んだ人間の視線が、こちらを見ている。
一人残らず。
その表情は、
どれも、よく似ていた。
(——再現性がある)
ふと、そんな言葉が浮かぶ。
理由は分からない。
ただ、
それが最も適切な表現のように思えた。
拍手は、まだ続いている。
ここまでをセーブしますか?
▶はい
いいえ
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
コンティニューしますか?




