絶世の美女ですが、婚約者がブス専だったので先に婚約破棄しました
「その顔を見ると虫唾が走る。こっちを見るな」
(——あぁ、また始まったわ)
こめかみがズキズキと痛くなってきた。
エレノア・ヴァルディエール伯爵令嬢の私は、口癖のようになりつつあるこの罵倒にうんざりとしていた。 婚約者のルーカス・ド・レインフォード子爵令息と顔を合わせる度、彼はウジ虫を見るかのように顔を歪めて私を罵倒するのだ。
八歳の時に婚約を結んだときは、ぱっちりした目をした天使のように愛らしい顔で私を見つめてくれたのに。いつの間にか、こんな歪な関係になってしまった。
彼以外から罵倒された経験は全くない。 それは、母譲りの輝かんばかりの豊かな金髪が背中を波打ち、ふさふさのまつ毛に彩られた紫の瞳、スッキリとした鼻梁に、つやつやとした柔らかな唇。そして、上気したような頬。
スラっとしたスタイルもあって、国内外からは「ヴァルディエールの宝石」という、少々恥ずかしい名前で呼ばれている。
父上からは「見た目だけではダメだ」と言われていたため、学園に在籍中は主席の座を卒業するまで守り通した。
ルーカスだって、決して私に劣るわけではない。 ブルーの柔らかそうな髪に、金の瞳。酷薄さを感じるシャープな顔だちをしていた。上背もあり、周りからはお似合いの二人だと褒めそやされている。
なのに。
「僕が婚約してやらなかったら、お前のような不細工、誰も迎えようなんて思わないだろう。感謝しろ、エレノア。お前のその肌、なめらかすぎて鳥肌が立ちそうだ」
プイと横を向き、それ以上会話をするつもりのなさそうな婚約者の姿に、内心ため息をついた。
(——せっかく人気のカフェに予約できたからと思って誘ったけれど、こんな事を言われたら、せっかくのお茶もケーキも台無しになるわ)
「そうですのね。では私とお話になりたくないようですので、わたくしはこの辺りで失礼させていただきますわ。明日の夜会だけはお忘れなきよう、お願いいたします」
略式の礼をして、席を辞した。 引き留められるようなことはない。
明日は、王宮主催の大夜会が開催される。 すべての貴族が招かれており、社交界シーズンの幕を開ける特別な一夜だ。国外からも特別な賓客を招いていると聞いた。
(——いつも衣装だけは合わせるようにお願いしているけれど、今回はそれすら聞いてもらえなかったわ。嫌な予感)
カフェから馬車に乗り込む時に、ふとルーカスを見ると、彼もカフェから出てフラワーショップへ歩いていくのが見えた。
「フラワーショップに行くなんて、どういう風の吹き回しなの」
さっと馬車の陰に隠れてしまった手前、今更出てくるわけにもいかなくて、そのまま行方を見守ることにした。
二十分ほど経ったころ、彼が真っピンクの花束を抱えて、ご機嫌で出てくるのが見えた。
(——あんな彼は久しぶりに見るわ)
義務で送られてくる夜会のドレス以外、何もと言っていいくらいプレゼントをもらったことがなかった。
(——あんなに浮かれて。誰に送る花束なのかしら)
気になってしまった私は、彼のあとをつけることにした。
その後、雑貨店や宝石店に寄り道しながら、彼が向かったのは、レインフォード子爵家の別宅だった。
ルーカスが馬車から降りた途端——。
「ルー! ルー! 待ってたわ」
けたたましい声をあげながら、別邸からピンクの髪の女がまろび出てきた。
(——あの女は一体誰なの。それになんて……)
「不細工」
ぽつりと呟いた言葉が、妙に耳に大きく響いた。
ピンクの艶のないただ長い髪。吹き出物の多い肌。目はペンで点を書いたかのように小さく、鼻は魔女のように下品に曲がり垂れさがり、カエルのような大きな口。
そんな女が、ルーカスに抱きついていた。
「リット、ただいま。待たせてごめんね。会いたかったよ」
私には見せないとろけるような微笑みを、リットと呼ばれた女に向けている。
(——どうしてそんな女なんかに笑いかけるの、ルーカス)
心に痛みを伴う亀裂が入って行くのがわかる。
「もう、ルーったら。私も会いたかったわ。でも、こんなに早く帰ってきて……今日はあの宝石ちゃんとデートだったんじゃないの?」
ドクンと心臓が音を立てた。
「あの不細工女か。向こうから先に帰るって言い出したから好都合だったよ。世間体のためにしょうがなく婚約してるだけのブス。どうでもいいよ。僕が愛してるのはリットだけなんだ。早く会いたくて会いたくて。ブスに会ってる間も気が気じゃなかったよ」
ルーカスは陶酔したように続ける。
「ほら、君に似合うと思って、プレゼントを買ってきたんだ。このつぶらな瞳によく似合うよ。このネックレスも、君の肌に星のような跡があるのを思い出して、月のモチーフを選んだんだ。あの成金のような金髪、反吐が出そうだ。君は桃色で愛らしい」
ルーカスは先ほどの花束や、髪飾り、ネックレスを渡し、彼女を抱き寄せた。
「キャー!」と品のない声が聞こえたけれど、私はそれどころではなかった。体に雷が走ったかのような衝撃で、まともに立っていられなかった。
(——世間体のため。そう、ルーカスはあの女みたいなのが好きなのね。子爵様はご存じなのかしら。いえ、それよりも……私はただ都合よく利用されていただけなのね。愛なんてなかった。ううん、情さえもないのかもしれないわ。私、あんなに罵倒されたのに、ルーカスの事が好きだったのね)
気づかないうちに、涙がつーっと頬を伝って流れていった。
見なかったことにしたいと一瞬思ったけれど、でも。
(——この婚約は家の意向あってこそ結ばれたものだもの。伯爵家に生まれた以上、このままにするわけにはいかないわ。伯爵家を馬鹿にするような暴挙、絶対に許さない)
ぐっと唇を嚙み締め、涙をそっと拭うと、邸宅へと馬車を回すよう御者に申し付けた。
◇
翌日、何も知らない様子のルーカスが、ぬけぬけと私を迎えにやってきた。
「エレノア、今日も美しいね。君の前ではどんな女神でも跪いてしまうよ。流石、ヴァルディエールの宝石だね」
私と二人の時には絶対に言わない、歯が浮くようなセリフをペラペラと話すルーカスに、内心で鳥肌が立ちそうだった。
(——この腕で、あの女を抱きしめていたのよ。この顔があの女に微笑みかけていた)
ほの暗く燃える復讐心が態度に出てしまいそうになるのを、抑えるのに必死だった。
「ええ、ありがとう。ルーカス、貴方も素敵ね」
今日の私は、ルーカスの色はまとっていない。 私は自分の瞳の色である、アメジストパープルのマーメイドドレスを選んだ。
オフショルダーで大胆に背中が開き、金糸で繊細な刺繍が施され、ふんだんにダイヤモンドがあしらわれている。特殊なカットのダイヤモンドは光が当たると繊細に輝き、華やかさが増すようになっていた。
パリュールは、パープルサファイアのお気に入りのものを選んだ。 夕闇の女王のような、私自身の魅力を最大限に引き出すための、私だけのドレス。
(——きっと私に勇気をくれるわ)
対するルーカスは、ピンクのブロケードでできたウエストコートにシャツ、クラバットをしている。誰を意識しているかなんて、見ただけで明らかだった。
「ルーカス、夜会に遅れてしまうわ。早く出ましょう。お父様とお母様は遅れるそうだから」
気持ちを抑えてルーカスの手を取ると、馬車へと乗り込み、夜会へと出発した。
二人だけの馬車の中では、思った通り。 「醜い」「気持ち悪い」「ゴミ以下だ」「吐き気がする」などと散々に言われたけれど、拳を握りしめ、ぐっとこらえた。
王宮に着くと、ルーカスがエスコートしてくれたが、もはや鳥肌が収まらないほどに嫌悪感が募っていた。
「エレノア様、ご無沙汰しております」
学園時代に一度だけ言葉を交わしたことがある、アシュレイ・グレンハルト辺境伯令息と目が合い、静かに一礼した。それをきっかけにして、ようやくルーカスと離れることができた。
(——助かったわ)
アシュレイ様は、しきりに腕をさすっている私を不審そうに見ていたけれど、また別の友人に呼ばれて立ち去って行った。 私のやろうとしていることを知ったら止めるかもしれないから、今だけは離れてくれてよかったわ。
(——もう少ししたら、両陛下と皇太子殿下夫妻がお見えになるわ。そうしたらいよいよ決行よ)
オーケストラが音楽を奏で始めた。 いよいよ、お出ましになられる。
「ルーカス、ルーカス・ド・レインフォード子爵令息。お話がありますの。こちらへおいで下さい」
両陛下に目配せすると、小さく頷かれた。 いよいよだわ。
「エレノア? どうしたんだい、改まって」
異様な雰囲気を感じ取った周囲の貴族たちは、私たちを遠巻きにし、ひそひそと話をしながら興味津々のようだ。会場のざわめきが静まり返るのを待って、私は深く息を吸った。
「本日、この大夜会の場をお借りし、わたくし、エレノア・ヴァルディエールは、ルーカス・ド・レインフォード子爵令息に婚約破棄を申し入れます」
「なっ! エレノア! これはどういう事だ!」
声にならない悲鳴のようなざわめきが、会場を駆け抜けていった。
「レインフォード令息、貴方は別邸にマルグリット・ブランシュフォール男爵令嬢を住まわせておりますね。また、本来は私に使うべき交際費を利用し、彼女に対し数々の贈り物をしていることもわかっております」
「なっ、なんの証拠があってそのような事を! エレノア! 間違いでは済まないんだぞ」
「証拠でしたら、こちらにございますわ」
スッと後ろから進み出てきた使用人のシルバートレーの上から、宝石店の領収書の控えと、花束を包んでいたリボン。そして、ルーカスがあの女にしたためたであろう手紙を突きつけた。
「どうしてこのようなものがここにあるんだ!」
周囲のざわめきが一段大きくなった。
「一部、代読いたしますわね。——『愛しのリットへ。今日も君の瞳は輝いているだろうか。また夜に会いに行くから待っていておくれ。私は今日もまたあの不細工女の相手をしに出かけなければならない。あの女の機嫌取りなぞしたくもないが、それも結婚するまでだ。少し不自由な生活をさせるけれど、我慢してほしい。愛をこめて。ルーカス』——。この『不細工女』とは、どなたのことを言っていますの?」
私の口から「不細工」という言葉が出た瞬間、会場が凍りついたように静かになった。
まだ冬になってもいないのに、急に室温が下がったように感じた。ルーカスへ軽蔑と嘲笑が入り混じった視線が飛び交い、彼の周囲にいた貴族たちは、一歩後ろへ下がった。
「え、いや、それはその。あの。それは……」
(——それは言えないわよね。正直に言ったらどうなるか、なんて、馬鹿でもわかることよ。でも逃がさないわ)
「貴方は人前では、女神や宝石に例えて褒めたたえてくださいました。でも、私と二人の時には、醜い、その顔を見ると虫唾が走る、ゴミと過ごすほうがマシなどと、私を罵倒してきましたわよね。それも、一度ならず、何度も何度も。これほどまでに美意識が異なる方と、生涯を共にするのは不可能です。貴方の仰る通り、私は貴方にとって『耐え難い不細工』なのでしょうから」
こんな美女に不細工だなんて、と失笑されているのが分かったのか、ルーカスの頬がサッと赤くなった。握った拳がぶるぶると震えている。
「黙れ黙れ! リットこそが至高なんだ! お前のような顔は反吐が出る! 黙って僕に従っていればいいものを生意気なっ!」
カッとした様子のルーカスが、私に掴みかかってきた。
「キャー!」と悲鳴が響く中、殴られるとぎゅっと目を閉じた。 けれど、いつまで経っても拳が振り下ろされることはなかった。
恐る恐る目を開けると、ルーカスと私の間に銀髪の貴公子が割って入り、私を庇ってくれていた。
「貴殿は少し落ち着かれたほうがよさそうだ」
振り上げた拳をグッと押し戻し、彼を私から引きはがしてくれた。騒然とする会場の中、王宮の警備隊が駆けつけ、ルーカスを床に抑え込んだ。
アシュレイ・グレンハルト辺境伯令息。 銀髪銀目の涼やかな風貌をもち、人柄もよいと評判の高い人物だ。
「貴女も少し落ち着かれたほうがよい。さ、手を開いて。うん、傷にはなっていないようだな」
殴られると思った瞬間、私も拳を握りしめ、爪が掌に深く刺さっていたことに気づいていなかった。
「……っ」
緊張と興奮で高まっていた動悸が少しだけ落ち着いた。 最後にこれだけを伝えなければ。王宮の灯りが、やけに眩しく感じられた。
「暴力もふるわれ、価値観があまりに乖離している以上、この婚約は維持できません。今この場をもって婚約を破棄させていただきます。その後のことは、また後日両家でお話しましょう」
「僕が君を捨てるはずだった! くそ、エレノア! 覚えておけ! このままでは済まさんぞ!!」
警備隊に連行されながら、口から泡を飛ばし叫び続ける彼は、もはや私の知らない人のようだった。
ここまですんなりと婚約破棄できたのは、昨日のうちに両親に相談し、証拠集めに奔走したからだ。王家にも事前に了承を得ていた。
急に張りつめていた緊張がふっと抜け、ドッと疲れがでた。
「グレンハルト令息、ありがとうございました」
震える声でお礼を言う私に、彼は優しく包み込むような眼差しを向けた。
「礼には及びません。ヴァルディエール伯爵令嬢。貴女は、誰の隣に立っても恥じない、凛として美しい人だ」
それは、単に私の造形を褒める言葉ではなかった。 自身の名誉のために戦い、拳を握りしめて耐え抜いた私の中身を、肯定してくれた人の言葉だった。
「……っ、ありがとうございます」
私の頬を伝ったのは悲しみの涙ではなかった。 醜かったのは私の顔ではなかったと、ようやく自分を許せた気がした。
◇
王宮夜会での騒動は、翌朝には「ヴァルディエールの宝石」の婚約破棄事件として、国中の社交界に知れ渡ることとなった。
ルーカス・ド・レインフォードは、公衆の面前で不貞を認め、貴族としての品位を著しく欠く言動を繰り返したとして、厳重な処罰が下された。
「嘘だ……こんなはずはない! 僕は、僕はただ自分の趣味に正直だっただけだ!」
レインフォード子爵家の屋敷で、ルーカスは絶叫した。 しかし、彼を待っていたのは冷酷な現実だった。
美しいものを尊ぶこの国の社交界において、絶世の美女を不細工と罵り、独善的な美意識を押し付けた彼の振る舞いは「正気ではない」と見なされた。 家名の存続を危ぶんだ父親によって、ルーカスは即座に廃嫡が決定し、辺境の領地へと追放されることになった。
追放先でもまだ「リット……君だけを愛している」などと一日中呟き、不気味さが増しているという。
一方、彼が理想と崇めたマルグリット・ブランシュフォールもまた、無傷ではいられなかった。 ルーカスからの贈り物が、私に使われるべき交際費から捻出されていたことが判明し、伯爵家から多額の賠償請求が行われたのだ。
後ろ盾を失った彼女がルーカスの追放先へ付いていくことはなかった。彼女にとってルーカスは、自分を選んでくれる都合のいい金づるでしかなかったからだ。
醜かったのは、彼らの方だった。
◇
数週間後。私はようやく心の平穏を取り戻していた。 婚約が解消され、自分を否定し続ける存在がいなくなった世界は、驚くほど明るかった。
ある晴れた午後、私はあの日助けてくれたアシュレイ・グレンハルト辺境伯令息から招待を受け、王宮の庭園を訪れていた。
「……エレノア嬢。先日は、その、十分な言葉をかけられず失礼した」
銀髪を風に揺らし、グレンハルト様が少し照れくさそうに微笑む。その瞳には、かつてルーカスが向けてきた嫌な視線は微塵もなかった。
「いいえ、グレンハルト様。あの日、貴方が私の手を取ってくださったおかげで、私は自分を取り戻せましたわ」
心からの感謝を伝えると、アシュレイ様は真剣な表情で私を見つめた。
「学園時代に君とは主席の座を競っていたが、そのころから好ましく思っていた。あの日、貴女に誰の隣に立っても恥じない人だと言ったが、あれは本心だ。だが、一つだけ訂正させてほしい」
彼は私の前に立つと、優しくその手を取った。 あの日、恐怖で震え、拳を握りしめていた私の手を。
「君が美しいのは、その容姿のためではない。あの日、あのような逆境の中でも、気高く、自分の足で立とうとした君の心が何より美しいと思った」
彼は真っ直ぐに私を見つめる。
「……もし許されるなら、今度は義務でも体裁でもなく、一人の男として、君をもっと知りたい」
それは、私が人生で初めて、顔という造形ではなく、「エレノア」という個人に向けられた誠実な言葉だった。
私の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちる。 しかしそれは、あの日流した絶望の涙ではなく、凍てついた心が溶け出すような温かな涙だった。
「……はい。喜んで、グレンハルト様」
「ヴァルディエールの宝石」と呼ばれた美女は、もういない。 これからは磨かれるのを待つ宝石ではなく、自ら光を放つ一人の女性として。
私は、最高に輝かしい笑顔を浮かべたのである。
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