最終話『それぞれの未来に向けて 前編』
最終話『それぞれの未来に向けて 前編』
あれから、三年が経った。
今年も四月だというのに、こうも暑いと、何もかもが嫌になりそうだ。
春らしい穏やかさよりも、ひと足早く夏が顔を出したみたいな日差しが、じりじりと肌を焼く。
それでも、季節は確かに巡っている。
日々の移り変わりは、春夏秋冬という決まった流れの中で、同じ景色を少しずつ違う色に染めていく。
川辺に揺れる草の緑も、空の青さも、三年前とまったく同じではないはずなのに、どこか懐かしくてやさしい。
三年という年月は、人の生活を大きく変えてしまうのかもしれない。
あの開発計画が白紙になってから、この川辺は、まるで誰かに忘れ去られたみたいに、今までの姿を保ったままだ。
整備されることも、壊されることもなく、ただ時間だけが静かに流れている。
――眠り沼には、あれから一度も行っていない。
もちろん、カッピーが今どうしているのかも、分からないままだ。
カッピーは、ちゃんと成長しているのかな。
ふと、そんな疑問が頭をよぎるんだよね。
猫の一年は、最初の一年で人間の十五〜十八歳くらいに相当して、その後は一年で約四歳ずつ年を取る、なんて話を聞いたことがある。
じゃあ、カッパの一年って、人間でいうと何歳分なんだろう。
どれくらい成長しているのか、もう大人なのかなぁ。それとも、まだ、あの時みたいに幼いのかな。
考えても答えは出ないのに、時々、無性に気になる。
――いさむんは、相変わらず忙しそうだ。
生物学者と大学教授を兼任しながら、最近は「幻獣」をテーマにした研究を発表して、ちょっとした話題になっているらしい。
本人は「学会が勝手に騒いでるだけだよ」なんて言っていたけど、ニュース記事で名前を見かけた時は、素直にすごいと思った。
そういえば、最近は眼鏡をやめて、コンタクトレンズに変えたらしい。
理由は単純で、「教授って眼鏡率高すぎるから」だそうだ。
相変わらず、どこかズレている。
――美沙さんは、新聞記者の小林さんと一緒に東京で暮らしている。
東京の雰囲気には、三日で慣れたらしい。
美沙さんの友達、通称“美沙トモ”は、今も増え続けているみたいだ。
SNSに載る写真を見るたびに、その交友関係の広さには驚かされる。
東京の生活が楽しすぎて、全然帰ってこないのは、正直ちょっと寂しい。
でも、小林さんとは今年の夏に婚約するらしいから、それなら仕方ないかな、なんて思っている。
――その小林さんは、今も東京で政治記事を追いかける毎日だ。
最初は、理想と現実のギャップに戸惑っていたみたいだけど、今では“エース記者”として不正の現場に小林ありと言われるくらい活躍しているらしい。
弟になる人間としては、鼻が高い。
――森田さんは、三年前にインドネシアへ行ったきり、ほとんど帰ってきていない。
熱帯雨林と野生動物の保護活動で毎日忙しいみたい。
手続きの関係で何度か帰国したことはあるけれど、滞在は短くて、すぐにまたインドネシアへ戻ってしまうみたい。
いさむん曰く、もう見た目も言葉の発音も、現地の人みたいになっているらしい。
確かに、この前久しぶりにビデオ通話をした時、画面の向こうの森田さんは、以前よりずっとたくましく見えた。
――赤荻さんはというと、大きくなった陸ガメの“カッメー”を、今も相変わらず溺愛している。
最近では、「陸ガメと毎日散歩するおじいさん」として、地元のテレビにも出演したらしい。
ほのぼのした特集だったみたいだけど、今の時代、何でも調べる人はいる。
赤荻さんの正体が“守護者”だってバレないか、正直ちょっと心配だ。
もしそんなことになったら、翡翠さんが怒るだけじゃ済まないだろうなぁ……と、余計な想像までしてしまう。
――桜小路さんはというと、相変わらず動物に対して熱い人だ。
ただ、年齢のこともあって、最近は足が思うように動かなくなってきたみたいだ。
杖を使えば歩けるけど、そんなに遠くまでは行けないらしい。
それでも桜小路さんは、あまり弱音を吐かない。
むしろ、少し照れたように、こんなことを話してくれた。
娘さん夫婦とお孫さん達が、心配して東京から定期的に遊びに来てくれるようになったんだって。
「まさにケガの功名ね」なんて、冗談っぽく言ってたけど……
本当は、すごく嬉しかったんだと思う。
表情を見れば、それはすぐに分かった。
――ルネは、今までと変わらず、ずっと元気だ。
でも、桜小路さんの足の具合が悪いのを分かっているのか、
散歩の時は、必ず桜小路さんのそばを離れない。
一歩一歩を気にするように、寄り添うその姿を見ていると、
桜小路さんとルネは、本当に一心同体なんだなぁって思う。
最近は、お孫さん達が遊びに来ることが増えたから、
ルネはすっかり子守役だ。
庭を走り回る子ども達の後を追いかけたり、
転びそうになると、さりげなく体を寄せたり。
ルネはきっと、お孫さん達にとっての“第二のお母さん”なんだろうな。
――熱男は、今も配信者を続けている。
ただし最近は、“世界BBQマスター”を目指して、世界各地を飛び回っているらしい。
そもそも“世界BBQマスター”って何なんだろう、とは思う。
でも、どの国でもすぐに人と打ち解けて、仲良くなれるあの能力は、本当にすごい。
熱男には、国境とか言葉の壁なんて存在しないんだろうな。
そういう意味では、確かにBBQマスターなのかもしれない。
――久方さんは、アニマルセラピーの勉強のためにカナダへ留学していた。
帰国して休学してた大学を卒業した後、そのままカナダで就職。
「日本で働くより、厳しい環境にいた方がいいから」なんて、さらっと言っていたけど、本当に頭が下がる。
ただ、美沙さんの話では、現地で恋人ができたらしい。
本人は「関係ない」って言ってるみたいだけど……本当かな。
――それで、ぼくはというと。
今、ぼくは、美沙さんがカッピーと初めて出会った、この川辺にいる。
変わらない景色の中で、変わってしまったものと、変わらなかったものを、静かに噛みしめていた。
「正人! そっちは危ないから行っちゃダメよ!」
雅の声が、川辺に響く。
正人はというと、そんな言葉はどこ吹く風で、小石を蹴りながら川の縁へと近づいていく。
振り返りもしない。
「ちょっと、正人!」
雅は半分呆れるように言った。
「もう! 最近、正人が全然言うこと聞かないんだから!」
腰に手を当て、困ったように眉を寄せる。
ぼくは、その様子を見ながら、小さく笑った。
「まぁ、そういう年齢になってきたってことじゃない?」
出来るだけ、軽い調子でそう言う。
雅は一瞬、むっとした顔をしてから、ため息をついた。
川のせせらぎが、変わらず耳に届く。
時間は流れて、みんなそれぞれの未来へ進んでいく。
後編続く。




