表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

71/74

第70話『あれから二ヶ月後 後編』

第70話『あれから二ヶ月後 後編』


「では、先に失礼します。……しっかり伝えて下さいね。」


 いさむんはそう言うと、意味深な視線を小林へ、そしてなぜか美沙へと向けた。

 一瞬だけ、二人の視線が交わる。そこに言葉は無かったが、何かを確かめ合うような空気が流れた。


 信吾はその様子に首を傾げたが、深くは聞かなかった。

 玄関のドアが閉まる音がして、部屋には信吾、美沙、小林の三人だけが残される。


 急に、静かになった。

 エアコンの微かな作動音と、カーテン越しに僅かに聞こえる外の車の走行音だけが、部屋の中に淡く響いている。


 少しの沈黙。

 それは気まずさというより、誰かが言葉を選んでいる時間のようだった。


「……信吾さん。」

 先に口を開いたのは、小林だった。

 いつもより少し緊張した表情で、背筋を伸ばしている。

「僕からも、報告があるんです。」


「はい。何ですか?」

 信吾は不思議そうに首を傾けながら、正面に座る小林を見つめた。


「実は……東京に行こうと思うんです。」

 信吾はその小林の発言に一瞬、言葉の意味が頭に入ってこなかった。


「えっ……東京?」

 思わず聞き返す信吾に、小林は静かに頷いた。


「はい。実は今回の森田さんの件で、業界の方から注目して頂けまして……大手の新聞社からお声がかかったんです。」


 一拍置いて、その言葉の重みが信吾の胸に落ちてくる。

「えっ、そうなんですね……凄いじゃないですか?

 それってヘッドハンティングってやつですね。」

 信吾は次第に表情を明るくしながら続けた。

「だって今回の件は、小林さんがいなかったら成し遂げられなかったし。ぼく、小林さんの記事好きですよ。

 何だ、それだったらもっと早く言ってくれれば良かったのに。」

 それは心からの笑顔だった。


「良かった……。」

 小林はほっとしたように息を吐く。

「でも、僕は今回の件で、何かしたなんてことは無いですよ。

 ただ、信吾さん達のお手伝いをさせて頂いただけで……。」


「全然、気にしないでくださいよ。」

 信吾は即座に首を振った。

「小林さんなら、東京に行ったって絶対いい記者さんになれますよ。

 それで、いつから行く予定なんですか?」


「ありがとうございます。来月からの予定です。」

 小林がやさしい口調で言った。


「来月……。」

 信吾は少し目を丸くしたが、すぐに笑った。

「いや〜、びっくりしたなぁ。でも、喜ばしいことですよ。」

 ふと、美沙の方を見る。

「美沙さんは……知ってたの?」


「うん。」

 美沙は小さく頷いたあと、少しだけ間を置いた。

「ねぇ、信吾。それでね……私からも、報告があるの。」


---


「うん?報告?このタイミングで?」

 信吾は嫌な予感というほどではないが、胸の奥がざわついた。


「私も……一緒に東京に行こうと思ってるの。」

 美沙が何か心苦しそうに言った。


 一瞬、部屋の空気が止まった。

「……ふーん。」

 無意識にそう返してから、信吾は目を見開いた。

「えっ?……美沙さんも?」


 美沙と小林が、思わず目を合わせる。

 その表情は、少し気まずそうで、少し覚悟を決めたようでもあった。


 信吾はその様子を見て、ゆっくりと何かを察した。

「……えー!

いつから?全然、気づかなかった。」


「まぁね……。」

 美沙は少し照れたように視線を落とす。

「うーん、カッピーと別れてから、かな。」


「……そうなの?」

 信吾の声は、思ったよりも静かだった。


「まぁ、私の仕事って、パソコンがあればどこでも出来るでしょ。」

 美沙は言葉を選ぶように続ける。

「それに……今回の件は、私も一緒にサポートしたいと思ったの。

 この人、一人で行かせると、性格的にちょっと不安でしょ?」


「いや〜……。信用されてませんね。」

 小林が照れくさそうに頭を掻いた。


「……そうなのか。」

 信吾は、少しだけ視線を落とした。

 胸の奥に、ほんの小さな寂しさが芽生えるのを自覚する。


 その様子を見て、美沙は一歩踏み込むように言った。

「でもね。」

 真っ直ぐ、信吾を見る。

「彼はやさしい性格だけど、強い気持ちを持っている人だと思ってる。

 だから、ヘッドハンティングの話が出た時に、真っ先に“行くべきだ”って言ったの。」

 少しだけ、美沙の声が揺れた。

「信吾には……さびしい想いをさせるけど。それでも、応援してくれる?」


 信吾はしばらく黙ったまま、二人を見ていた。

 そして、ゆっくりと笑った。

「いやいや……もう、ぼくだって十分大人だから。」

 肩をすくめるように言う。

「心配しないでよ。

 小林さんは素敵な人だよ。それは、ぼくだって分かってるつもりだよ。」

 信吾が笑顔で言った。


「信吾さん……。そう言われると照れますね。

 でも、東京で……人の為になる記事を書けるように、頑張ります。」

小林は深く頭を下げた。

 そして、はっきりと続けた。

「それに、美沙さんも幸せにします!

 だから……見守って下さい。」


「大丈夫。幸せにしてもらわなくても、私は、勝手に幸せになるから。」

美沙は即答した。

 その言葉に、三人の間に静かな笑いが生まれた。


---


 カッピーとの別れをきっかけに始まったそれぞれの旅は、いつの間にか、次の旅立ちへと繋がっていた。

 誰かと離れることは、終わりではない。

 それぞれが、自分の場所へ進むための通過点なのかもしれない。


 信吾は、二人の背中を思い浮かべながら、胸の奥に残る感情を噛みしめていた。

 嬉しさと、ほんの少しの寂しさ。


 それでも――

 また、日常は続いていく。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ