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第67話『帰ろう』

第67話『帰ろう』


 雨上がりの空気は驚くほど澄んでいて、つい先ほどまであの眠り沼で死にかけていたことすら、どこか現実味を失わせるほどだった。

 厚く垂れ込めていた雲はすっかり姿を消し、鮮やかすぎる青空が広がっている。

 あれほど騒いでいた風も収まり、優しい日差しが湿った大地をゆっくりと温め始めていた。


 信吾はふと空を見上げ、さっきまで舞っていた巨大な影――ゴンちゃんの姿を思い返す。あの大きな翼、堂々とした鳴き声、そして降り注ぐような炎……。


信吾はぽつりと呟く。

「そういえばさ、ゴンちゃん……雷、克服したんだね」


 すると美沙も、あ、と声を漏らしながら信吾の方を見る。


「本当だ……。そういえば、そうだよね。あんなに雷苦手だったのに。一緒暮らしてた頃なんて雷の音がするだけで、信吾の背中に隠れて震えてたのに……」


 二人は思わず笑い、そしてすぐに切なさが込み上げてくる。

 いつの間にかいなくなってしまった家族。

 けれど、ずっと成長し続けて、今も変わらず彼らのことを見守ってくれた存在――。


 胸の奥がじんわりと熱くなる。

 美沙も、どこか懐かしさと寂しさの混ぜ合わさった表情で空を見つめていた。


---


 しかし、その静かな感傷をぶち壊すように、いさむんが両手を広げて割って入った。


「すみません。感傷に浸っているところ申し訳ないんですが……」

 眉間に皺を寄せながら言う。

「さっきから私の質問に、まだまっっったく答えてもらってませんからね! あの巨大生物が家族? 真竜? いったい何なんですか?」


 信吾は「あー……」と頭を掻きながら苦笑した。


「そっか。そうでしたね。でも、説明しようとすると時間がかかるので……戻ってから話しますよ」


 軽く笑って言う信吾に、いさむんは大きくため息をついた。


「……まあいいです。正直まだ全然理解できてませんけど、助かったのは事実なので……それについては感謝してます。でも、早くここを出ましょう。また、カッパ達がいつ戻ってくるか分からない。それに、さっきまでの雨で身体が冷え切っています。晴れてきているとはいえ、このまま長居するのは危険です」


 美沙が頷く。

「確かにそうですね。でも、ここから出る道……分かるんですか?」


「はい。雨で目印は全部流されましたが、視界がここまで良ければ問題ありません。位置関係は全部頭に入っています」

 いさむんが自信に満ちた顔で言う。


「よかった……。じゃあ、出ましょう」

 信吾が言い、三人は眠り沼の中心部から離れて歩き出した。


 足元には雨で湿った土がまだ柔らかく残り、小さな水溜まりが光を反射している。

 鳥の声すらなかったあの緊張感が嘘のように、遠くで小さな生き物の気配さえ感じられた。


---


 どれだけ歩いたか。やがて三人は、沼の出口へ通じる細い獣道に辿り着いた。

 そこは最初に訪れた時と同じ、しかしなぜかまったく違う場所のように映った。


「……やっと戻ってきましたね。いや〜ほんと、いろいろ疲れました」

 信吾が深く息を吐く。


「着いた……でも、無事に戻ってこられてよかった」

美沙もぐったりと肩を落とす。


 いさむんは軽く眼鏡を上げて言った。

「まずは車に戻りましょう。お二人とも家まで送りますよ。相当体力を持っていかれてますからね」


「ありがとうございます」

 美沙は微笑むと、ふっと表情を曇らせた。

「……でもなんだか、さびしいですね。カッパ達にも、もう“ここには来ない”って約束したし……もうカッピーにも会えないのかな」


 信吾は少しだけ間を置き、優しい笑みを浮かべた。

「ううん。そんなことはないと思うよ。カッパ達には誤解されちゃったけど……。でも、時間が経てばいつかまた会えるかもしれない。その時まで、待ってようよ」


 美沙の目が少し潤む。

「……うん。そうだね」


 いさむんも歩きながら言葉を添える。

「そうですよ。今回のことで多少なりとも我々が敵では無いと理解は得られたはずです。完全に誤解が解けたとは言いませんが……時間が経てば、関係は変わるものです」


 三人は獣道を抜けながら、それぞれの胸に残る余韻を抱え続けていた。


 信吾はふと、心の中で呟いた。

(……改めてだけど、カッピー。ありがとう。そして……さようなら。また会える日まで)

 その言葉は大きな声にはならず、ただ胸の奥にそっと沈んでいった。


---


 ――柔らかな陽光が三人を照らす。

 どこか遠く、風が木々を揺らす音がゆるやかに広がっていく。

 眠り沼での死闘と奇跡は、まるで夢のように静かに過ぎ去っていった。


 彼らは前を向き、歩き出す。

 すべてが終わり、そしてすべてが続いていく日常へと戻るために――。


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