第60話 『正直、心が揺れてます。』
第60話 『正直、心が揺れてます。』
眠り沼へ向かう車内には、どこか重苦しい空気が漂っていた。
道路を滑る車の音だけが、静かに耳に入ってくる。
信吾も美沙も、そして運転席のいさむんも、言葉少なに窓の外を見つめている。
ただ一人、カッピーだけは違った。
カートから顔を出して、外の景色を楽しむように揺れたり、その姿は無邪気そのものだった。
「カッピー、楽しそうですね」
美沙がふっと笑いながら言う。
「そうですね」
いさむんも、わずかに口元を緩めて返す。
「何か呑気だなぁ。こっちは必死に悩んだのに」
信吾は少し呆れつつ、しかしどこか救われるような表情で言った。
「お二人は、気持ちの整理つきました?」
いさむんの問いかけに、信吾と美沙は視線を落とした。
その表情には迷いがにじんでいる。
「正直、まだ気持ちの整理はついてません。昨日の今日ですしね」
信吾が苦笑しながら言う。
その横で美沙が静かに頷いた。
「まぁ、そうですよね。整理がつく方がおかしいですよね」
いさむんは優しく言葉を添えた。
「そうですね。ぼくの中では……眠り沼に行ったけど、結局何の成果も無くて、カッピーともう一度ぼくの部屋に帰って来れたらないいなって思うところもあります。
まぁ、それが良くないってことは分かってるんですけどね」
信吾はそれを口にして、苦く笑う。
「そんなことはありませんよ。お二人のカッピーへの気持ちを考えれば、無理は無いです」
いさむんが真っ直ぐな声で言った。
「ありがとうございます……でも……正直、心が揺れてます」
信吾が絞り出すように言ったその瞬間、
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――車内のラジオから地元ニュースが流れ始めた。
『――先程、高城議員が議員辞職を発表しました。自身の体調不良が続き、議員としての活動が続けられない為とのことです。高城議員は先月、自身の後援会の際に不適切な発言などの映像が会場内に映し出され、党を離党していました』
「もうこれ以上、逃げ切れないと思ったのかもしれないですね。でも、やっと終わったということですかね。
まぁ高城自身が何一つ説明責任を果たしていないので、果たしてこれで終わったと言えるかは分からないですけど」
いさむんがラジオの声に目を細めて言った。
「そうですよね。でも、これで森田さんもようやく報われるかもしれないですね」
信吾が静かに言った。
――しかし、この時の信吾たちは知るよしもなかった。
高城進という男の真の恐ろしさを。
高城はその後、政治資金規正法・公職選挙法違反などで刑事告訴され、逮捕に至る。
裁判では実刑が言い渡され、高城の人生は完全に終わったかに見えた。
だが、出所後――
彼は持ち前のトーク力と不祥事で得た皮肉な知名度を武器に、通販業界の世界へ足を踏み入れることになる。
そして、数年後には「通販王・高城」と呼ばれ業界を席巻するなど、この時は誰も予想できなかった。
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場面は車内に戻る。
カッピーは相変わらず楽しげに、座席にちょこんと座っていた。
そして美沙の方に小さな霧吹きを差し出す。
「あっ、ごめんね。お皿乾いちゃうよね」
美沙が霧吹きを受け取り、微笑む。
「カッピー、相変わらず無邪気ですね」
いさむんが少し楽しそうに言う。
「そうですね。でも、カッピー自身もちゃんと成長してるのかもしれないですね」
信吾がゆっくりとつぶやいた。
「そうだね。何か成長してないのは……私達の方なのかもしれないね」
美沙がしみじみと言う。
「うん。ぼく達も成長しよう。カッピーの為に。お別れしたって家族なんだから」
信吾の言葉は、決意と少しの寂しさを帯びていた。
「うん。そうだね」
美沙は静かに微笑み、頷いた。
「信吾さん、美沙さん……」
いさむんが感心したように二人を見つめ、言った。
「もうそろそろ着きますよ」
いさむんの言葉と共に車はそのまま、眠り沼へ続く細い道へと入っていく。
――こうして、揺れる心のまま、四人は眠り沼へと近づいていく。
それぞれの想いが、次の瞬間どんな形に変わるのか。
それは、まだ誰にも分からなかった。




