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第5話『いさむんって呼んで!』

第5話『いさむんって呼んで!』


午後の光が差し込むリビング。

玄関のチャイムが鳴り、信吾が扉を開けると、笑顔を浮かべた中年の男性が立っていた。

丸眼鏡に少し伸び気味の髪、柔らかい雰囲気を漂わせながらも、どこか妙に人懐っこい。


「どうもどうも~。伊東 勇と申します。あ、でもね、“いさむん”って呼んでもらえると嬉しいんですよ」

そう言って、勝手に自己紹介を補足し、軽く肩をすくめて笑う。


信吾と美沙は思わず顔を見合わせた。

(……なんかこの人、癖ありそうだな)

信吾は心の中で小さくつぶやく。



---


「今日はわざわざ来て頂いて本当にありがとうございます」

信吾が礼を言うと、


「いやいや! 桜小路さんからご紹介いただいたときは本当に嬉しかったですよ。まさか実物のカッパを間近に見られるなんて、冥利に尽きます」

と、いさむんは身振りを交えて答えた。


「そうですか……それは何よりです」

信吾が少し戸惑いながら返す。


「いやぁ、こちらこそ感謝ですよ。だって本物のカッパなんて、ついに憧れの有名人に会えるみたいな感覚で昨日は眠れませんでした!」


「あぁ……それなら良かったです」

信吾は苦笑しながらも、熱意のこもった言葉に少しだけ安心した。


「じゃあ、早速ご案内します」

信吾が促すと、三人は浴室へ向かった。



---


浴室の水面でぷかぷか浮かぶカッピーを見て、いさむんの目が輝いた。

「おぉぉ……! 本当にカッパの子どもだぁ! いやぁ、生で見るのは初めてですよ!」

その興奮は隠しきれず、まるで子どもが宝物を見つけたかのようだ。


美沙が口を開く。

「伊東さん……いえ、“いさむんさん”って言ったほうがいいですか?」


「はい! ありがと~美沙さん! いさむんでいいですよ」


「なんだかあだ名みたいで、親しみやすいですね」

と美沙が軽く笑えば、


「そうそう! “堅苦しいのは似合わない”って、よく言われるんですよ~」

と、いさむんも笑う。



---


信吾は苦笑しつつ、話題を本題に切り替えた。

「それで、この子……カッピーのことなんですが。食べ物とか、ずっと水に入れておいたほうがいいんですか?」


いさむんは顎に手を当て、急に専門家みたいな顔に切り替わった。

「ええ、あくまでも私が今まで調べてきた限りなので絶対に正しいという訳ではありませんが……カッパは基本的に水辺を好みます。ただ、ずっと浸かっていなくても大丈夫。ただ乾燥は苦手なので、定期的に頭と体を水で潤してあげる必要があります。食事はね、小魚や川エビを好みます。でも人間と同じように野菜も食べるんです」


信吾が首をかしげる。

「じゃあ、キュウリじゃなくてもいいんですね?」


「もちろん。キュウリは好物として有名だけど、あれは一例にすぎませんよ」

と、いさむんは肩をすくめる。


美沙が目を輝かせた。

「じゃあ、ちゃんとご飯を考えてあげればいいんですね」


「そうそう。まだ小さいから、やわらかくしてあげるといいですよ」

と、いさむんは真剣に答えた。



---


そこで信吾はふと思いつき、周りを見回した。

「ところで……ずっと浴室で話してるのも何ですし、リビングに移動しますか?」


「あ、いやいや、私はここで大丈夫ですよ。水場にいるカッピーを眺めながら話すほうが落ち着くので」

いさむんは笑顔で断った。


「そ、そうですか……」

信吾は苦笑しつつ腰を落ち着けた。


少し間をおいて、信吾は気になっていた疑問を口にした。

「いさむんさん……カッパってこの辺りにいるんですか?」


「はい、いさむんでいいですよ」

と軽く返してから、いさむんは真面目な表情になる。


「昔からこの地域の川にはカッパが棲むという言い伝えは残っています。私の調べだと古文書や地元の記録にも、時折“不思議な水の怪”として描かれているんです。目撃情報もあったと聞きますし、さらに川辺の地層を調べると、明らかに人や動物の足跡ではない奇妙な痕跡も発見されています。だから、ただの作り話とは思えないんですよ。私もあの川には足を運んではいますが、実際に姿を見たのは今回が初めてです。……これは奇跡的に重なった縁だと考えています」



---


美沙が身を乗り出した。

「じゃあ、どうしてこの子は川辺にいたんですか?」


「おそらく……群れで冬眠していたところを、はぐれてしまったんでしょう。今年は十一月にもう雪が降りましたからね。本来ならまだ冬眠に向けて力を蓄えている中のはずが、大雪でそれが狂ってしまった。それで幼いカッピーだけが目を覚ましてしまったんだと思います。体力のない個体は、気温や雪に反応してうまく眠れなくなることがあるんです」


信吾は眉を寄せる。

「それなら、早く群れに戻してあげないと……」


しかし、いさむんは首を横に振った。

「いや、今は危険です。群れの場所は特定できませんし、幼いカッピーが再び冬眠できるかも分からない。それに、この状況下で悪意のある人に見つかれば良くない結末になる可能性もあります。今は無理に帰すよりも、ここで守ってあげるほうが確実です」



---


美沙が不安そうに尋ねる。

「そうですよね……ちょっとだけ不安になってきました。」


「会ったばかりですが、あなた達なら大丈夫ですよ。私も桜小路さんもサポートをしますので」

いさむんは柔らかく笑う。


「それに通常なら三月になれば群れが冬眠から目覚めます。その時期に合わせて返してあげるのが理想です。それまでの間は、お二人が家族のように育ててあげることですね」


カッピーはまるで話を理解したかのように、水面から小さな手を伸ばしてぱちゃぱちゃと遊ぶ。

信吾の膝に近づこうとして、バランスを崩して「ぽちゃん」と小さな水しぶきを上げた。


「ははっ、元気だな」

信吾がタオルで拭いてやると、カッピーは安心したように目を細め、くすぐるような声をあげた。

「クルゥ……」


美沙はその姿に目を細め、そっと撫でながら呟く。

「三月までか……それまでは私たちが家族みたいに見てあげようね」


「そうだな」

信吾も静かに頷いた。



---


「あくまでもこれも私の見解です。全てが正しいという訳ではありませんよ」

いさむんは一呼吸置いて、真剣に付け加えた。


「はい。それは分かっています。でも……何も分からないまま不安でいるより、こうして道筋を教えてもらえるだけで気持ちが楽になります」

信吾は素直にそう言った。


こうして信吾と美沙は、“いさむん”こと伊東 勇の助言を受け、カッピーを守る役目を背負うことになった。

寒い冬を越え、群れと再会できるその日まで――

小さな命との新しい時間が、信吾達の暮らしに静かに溶け込み始めていた。


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