第52話 『久方さんの告白とカッピーの笑顔 前編』
第52話 『久方さんの告白とカッピーの笑顔 前編』
──その日は、まるで誰かの背中を押すために陽ざしが差しているような、晴れやかな日だった。
今日の信吾は、誰が見ても分かるほど機嫌が良かった。
鼻歌を歌いながら、いつもより念入りに部屋を掃除している。
クッションを整え、棚の上を拭き、玄関の靴の位置ですら微調整している。
「信吾、今日なんか機嫌良くない? まぁ無理もないか。久しぶりに久方さんに会えるからね」
美沙が腕を組みながら、わざとらしく言った。
「いやいや、別にそんなことないよ。ぼくはキレイ好きだからね」
信吾はせわしなくテーブルを拭きながら答える。
「ふーん。別に良いんだけどさ、急に掃除したって、久方さんの評価が上がるわけじゃないからね?」
美沙はテーブルを拭く信吾の横顔をじっと見つめ、少し意地悪く口元をゆがめながら言った。
「だから、久方さんのためじゃないって……!
ぼくはただ、“世界の均衡を整えてるだけ”なんだよ」
信吾は手を止め、胸を張って妙に真剣な顔つきになった。
「何それ。その中学生みたいな言い方」
美沙は呆れ顔で言った。
カッピーは、そんな二人を見ながら「久方さんって誰?」と言いたげに首を傾げる。
「あっ、久方さんはね、信吾が勝手に気になってる人で――」
「ちょっと! カッピーに余計なこと言わないでよ!」
信吾があわてて割って入る。
「はいはい」
美沙は笑いながら肩をすくめた。
信吾が落ち着かない様子で掃除したり、無駄に同じ場所を磨き直したりしているうちに、部屋にはいつの間にか午後の光が差し込むようになっていた。
時計を見ると、約束の時間まであと少し。緊張と期待が入り混じった空気だけが、部屋の中でじわじわと膨らんでいった。
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インターフォンが鳴った。
「来たっ……!」
信吾の背筋が伸びきる。
玄関を開けると、少し明るく染められた髪を軽く揺らしながら、久方かなえが立っていた。
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久方かなえ
ゴンちゃん(ドラゴン)がいた時に隣に住んでいた女子大生。
赤荻さん夫婦の孫であり、ドラゴンを見守る守護者でもある。
一時的には信吾達を監視するような行動もあったが、ゴンちゃんと自分自身の正体を明かしたことで信吾達と深く関わるようになった。
その後、信吾とは恋仲になるかとも思われたが、結局進展はせず、現在はマンションを出て大学の寮で生活している。そして、日々、アニマルセラピーの勉強、研究に励んでいる。
第27話では元々信吾達に会いに来る予定だったが、研究の為に欠席し、おばあちゃんの翡翠がやってきた。
(※詳しくは『ドラゴンの飼い方教えます』第3・9・21・26・30〜40・42・43・48・最終話参照)
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久方さんはほんの少し姿勢を正し、玄関先で柔らかく微笑んだ。
「お邪魔します。本当にお久しぶりです。お二人とも全然変わってなくて……なんだかほっとしました」
「久しぶり。……なんか雰囲気変わったんじゃない? 髪も少し明るくなった気がするし」
美沙が笑顔で言う。
「そうですか? 前より人と会うことが増えたからかもしれないですね」
久方さんは柔らかな笑みを見せた。
信吾は、二人の会話を横で聞きながら、ぎこちない笑顔を浮かべる。
久方さんは小さな紙袋を両手で差し出しながら、少し照れたように笑った。
「これ、良かったら受け取ってください。大したものじゃないんですけど……お土産です」
「そんな、いいのに~」
美沙が受け取る。
久方さんは苦笑いしながら肩をすくめた。
「それでですね……今日はお二人に会うのもなんですけど、カッピーに会いたくて来たんです。おばあちゃんから聞きましたよ。おじいちゃん、カッピー可愛さにまた仕事サボってるみたいで……次会ったら叱ってほしいって頼まれちゃいました」
(赤荻さん……全然変わってないなぁ……)
信吾と美沙は心の中でそろってため息をつく。
美沙は玄関の方へ手を広げ、明るい声で言った。
「立ち話もアレだし、リビングどうぞ。引っ越してちょっと広くなったから、部屋の中も見て行ってよ。カッピーも中にいるしね」
久方さんは軽く会釈しながら部屋へ足を踏み入れた。
「はい、お邪魔します。わぁ……前よりずっと広いですね」
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部屋に入ってきた久方さんに気づいて、カッピーが桶の中からひょこっと顔を出した。
「カッピー、初めまして。久方かなえです」
そう言ってそっと撫でる指先は、ゴンちゃんを扱っていた時と同じ優しさだった。
カッピーは照れたのか「クゥ……」と鳴いて、頭をすり寄せる。
「カッピーとは後でいっぱい遊んでもらうとして……まずは久方さんの近況報告が聞きたいな」
美沙が言う。
「そうだね、いろいろ聞きたいし」
信吾も続いた。
三人はテーブルに座り、他愛もない大学生活の話やゼミの愚痴で盛り上がる。
カッピーは桶の中でのんびりと身体を揺らしていた。
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しばらく笑い声が続いていたリビングに、ふと静けさが落ちた。
話題が一段落し、カッピーが桶の中で水面を揺らす小さな音だけが部屋を満たす。
その静寂の中で、美沙のスマホが軽く震えた。画面を一瞥した美沙の表情が、少しだけ仕事モードに戻る。
空気がゆるやかに切り替わったのを、信吾も久方さんも感じ取った。
「あっ、ごめん。私ちょっと仕事の連絡しないといけないだった。すぐ戻るから気にしないで」
美沙はそう言ってそそくさと玄関を出ていく。
後編に続く




