第46話 『どしゃ降りの日に』
第46話 『どしゃ降りの日に』
その日は朝から空が重たかった。灰色の雲が空を覆い、窓を打つ雨粒の音が絶え間なく響いている。
水滴がガラスを伝って流れ落ち、外の景色は滲んで見えた。道路では水たまりに車のタイヤが通るたび、鈍い音を立てて水が跳ねる。
信吾のマンションのベランダにも、もう数センチは積もりそうなほどの雨水が溜まっていた。
雨は強弱を繰り返しながら降り続き、時折、遠くで雷鳴が低く唸っていた。
そんな悪天候の中でも、リビングは穏やかだった。
正人が遊びに来ていたからだ。正人はいつものように、学校の話をカッピーにしている。
「それでさ、今日の体育、体育館でサッカーだったんだ。僕、キーパーやったんだけど、最後のシュート止められなくてさー」
正人は両手を広げて、ゴールを守る真似をした。声にはどこか誇らしさが混じっている。
カッピーは、そんな正人の目の前でリラックスした姿勢でちょこんと座り、じっと正人を見上げている。
表情は読めないが、ときどき「クゥ」と小さく鳴いて、まるで相づちを打つように反応していた。
「カッピーもサッカーできたらいいのになぁ」
正人は笑いながら、カッピーの顔をのぞきこんだ。
その声に合わせて、カッピーの頭の皿がわずかに光を受けて揺れた。目を細め、「クゥ」と短く鳴く。
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リビングの椅子に座っていた信吾は、その様子を見て思わず笑みをこぼす。
「本当に正人くんには感謝だよな。いつも遊び相手になってくれるし」
「そうだね」
キッチンで湯気の立つカップを手にしていた美沙も、ほっとした声で答えた。
「雰囲気は完全に“お兄ちゃんが遊んであげてる”って感じだよね。なんかカッピーも慕ってる感じだよね」
外はどしゃ降り。けれど、部屋の中はまるで晴れた午後のように明るかった。
窓の外では雨が世界を覆っているのに、この小さなリビングの空気だけは穏やかで温かい。
雨音が、まるでBGMのように四人の時間を包みこんでいた。
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やがて、天井を震わすような雷鳴が鳴り響いた。
正人は思わず肩をすくめ、少しだけ驚いた顔をする。
だが、次の瞬間、意外な反応を見せたのはカッピーだった。
――「クゥッ!」
まるで嬉しそうに跳ねるように、カッピーが鳴いた。
ウキウキしながら両足をぱたぱたと動かし、目を丸くして天井を見上げている。
雷鳴がまた一度鳴ると、今度は小さく拍手のように手を叩いた。
「……へぇ〜、カッピーって雷平気なんだ。なんか意外」
美沙が驚いたように言った。
「そうだよね。あの感じだとむしろ好きだよね」
信吾は椅子の背にもたれ、湯気の消えかけたマグカップを軽く揺らした。
「ゴンちゃんは雷ダメだったからさ。生き物ってそれぞれ個性があるよなぁ」
カッピーは嬉しそうにベランダの方へ向かって歩く。
ガラス越しに外の稲光を見て、「クゥッ」と目を細めた。
光るたび、ほんの一瞬だけ部屋が白く照らされる。その度にカッピーは少しだけ身を乗り出して、雷の音に耳を澄ます。
正人はそんなカッピーの姿をじっと見ていた。
「カッピー、雷が好きなの?」
そう言って窓際に寄ると、カッピーは小さく振り向いて「クゥ」と反応する。
二人のあいだにあるのは厚いガラス。けれど、正人がそっと手を伸ばしてそのガラスに触れると、カッピーも同じように手を重ねた。
ガラス越しに伝わる温もりはわずかだったが、雷光がその瞬間を包み、二人の輪郭を柔らかく浮かび上がらせた。
外は嵐でも、その光の中だけは静けさがあった。
美沙が、ほっとした声で呟く。
「……いいね。どしゃ降りの日って、なんか特別な日みたい」
信吾は頷いた。
雨音を聞きながら、静かに言葉を落とす。
「そうだな。外はこんなに荒れてるのに、なんでだろうな。部屋の中は……やけに穏やかだよね」
正人が笑った。
「きっとカッピーがいるからだよ」
その言葉に、信吾と美沙は思わず目を合わせて笑う。
カッピーはその笑い声を聞きながら、ゆっくりと瞬きをした。
まるでその穏やかな空気を、心の奥に閉じ込めるように。
――外の世界がどんなに騒がしくても、この小さな部屋の中だけは、平和であってほしい。
そんな祈りにも似た静けさが、雨音の中に溶けていった。
外では、雨脚がいっそう強くなった。
雷鳴が重なり合い、空が光で脈打つ。
けれどリビングの中には、笑い声と、カッピーの小さな「クゥ」という音が、静かに響いていた。
――どしゃ降りの日に、ひとつの小さな“心の音”が生まれた。




