第45話 『また、これから』
第45話 『また、これから』
いわゆる森田劇場から一週間が経った。
まだ、二月の頭だというのに、街路には春の兆しが混じり、雪はすっかり消えていた。
テレビからは、気象予報士の明るい声が流れてくる。
「今年は例年よりも早く春の訪れとなりそうです。来週には関東でも梅の開花が見られるかもしれません。」
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リビングのテーブルでは、信吾、美沙、小林、いさむんが腰を落ち着け、静かに話をしていた。
ワイドショーでは依然として、高城議員と川辺地区の開発計画の話題が流れている。
画面には「政権内で波紋広がる」「開発計画中止の見通し」などのテロップ。
テレビでは関係者の証言が映し出され、コメンテーターが鋭い口調で語っていた。
「結局、裏で何があったのかはまだ分かりませんが、高城議員が説明責任を果たさないまま離党したのは事実です。」
「この件で党の支持率は大幅に下がりました。今後の影響は避けられません。」
テレビの音が小さくリビングに響く中、いさむんが腕を組んで言った。
「まぁ、そうでしょうね。高城議員は父親が大臣経験者ですし、党の未来のホープでしたからね。その高城議員が結局何の説明も無く、雲隠れしてますし……。まぁ、表の理由は“体調不良で入院中”らしいですけど。」
信吾は画面を見つめながら、静かに言葉を続けた。
「森田さんが動いてくれたおかげで、多くの人が真実を知った。ここまでやるとは思わなかったけど……。」
美沙は、少し伏し目がちに心配そうに言った。
「でも……あんな風に自分の過去まで晒して……森田さん、本当に無事でいてくれるのかな。あれじゃ、体力的にも精神的にも持つか心配。」
小林は両手を組みながら、苦い顔をした。
「そうですね。正直、協力した僕が言うのもなんですが……森田さんにも守るべき人はたくさんいる。その人たちのことを思うと、本当にあの方法が正しかったのかは、まだ分かりません。」
信吾はテーブルに肘に手をつき、眉をひそめた。
「ぼくもずっと考えてた。森田さんは、計画を止めるために、自分の全てを賭けたんだ。でも……ぼくはまだ納得できない。だって、ぼくたちは嘆願書を集めて、計画を止めるために一生懸命やってきた。でも、あの方法でしか防げなかったなら、ぼくたちがしてきたことは何だったんだろうって。」
いさむんが首を横に振り、穏やかに言った。
「そんなことは無いですよ、信吾さん。無駄なんてこと、一つも無い。森田さんだって、みんなの動きを見てたと思いますよ。だからこそ最後の一押しをしたんです。あの人は、自分のやり方で皆の想いを背負ったんです。」
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テレビでは、高城の過去の映像や、混乱する会場の映像が流れていた。
森田の行動によって、計画が完全に暗礁に乗り上げたことは、誰の目にも明らかだった。
美沙はそっと信吾を見て、声を潜めた。
「……信吾、私たち、森田さんを守れるかな。これからも。」
信吾は少し間を置き、深く息を吐いた。
「……うん。ぼくたちにできることは全部やる。森田さんを、一人にはしない。」
その瞬間、隣の扉の向こうから、ちょこんちょこんと小さな足音が近づいてきた。
扉がわずかに開き、カッピーが顔を覗かせる。
両手には小さなボールを抱え、つぶらな瞳で皆を見上げている。
「カッピー、遊んで欲しいの?」
美沙が微笑むと、カッピーは小さく頷くように「クゥ」と鳴いた。
信吾は立ち上がってボールを受け取り、優しく言った。
「カッピー……皆の頑張りで、君の住処も、仲間も守られたんだよ。」
カッピーは内容を理解できないのか、首をかしげながらもう一度「クゥ」と鳴いた。
その音に、リビングの空気が少しだけ柔らかくなり、緊張の糸がふっとほどけていく。
信吾はふと視線を落とし、小さくつぶやいた。
「……でも、今思えばさ。あの時カッピーに出会ってなかったら、今回の計画だって気にしなかったと思うし……。いさむんとも、小林さんと一緒に行動することもなかったと思う。」
美沙は驚いたように目を瞬き、ゆっくりと頷いた。
「そうだよね……。もしかして……カッピーが私に伝えてくれたのかな? “自分たちの住処が危ないよ”って。」
いさむんが苦笑しながらも、どこか温かい声で言った。
「もしそうだったら……カッピーは今回の出来事の、隠れたヒーローなのかもしれないですね。」
その言葉に、小林も思わず吹き出し、全員が笑った。
笑い声の中心で、カッピーはただ首をかしげ、
“なんで笑ってるの?”とでも言いたげに不思議そうに皆を見回す。
「あっ、ごめんごめん。ボールが欲しいんだよね」
信吾はボールを軽く転がした。
カッピーは嬉しそうに飛びつき、楽しそうに廊下の方へ転がっていった。
それを見て、また全員が笑う。
その笑いには、戦い抜いた後の疲れと、それでも進もうとする優しい強さが混じっていた。
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テレビのニュースはまだ高城の話題を伝えているが、リビングの中は、ほっとした温もりに包まれていた。
森田の覚悟が残した波紋は、確かに社会へと広がっていく。
けれど、この瞬間だけは、静かな日常と、小さな命の息づかいに守られている。
もしかしたら今回のすべては、言葉を持たない小さな存在が届けた“助けて”というささやかな声だったのかもしれない。誰も気づけなかった声を、信吾たちは確かに受け取っていた。
――春はもう、すぐそこまで来ていた。




