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第44話『後は頼みましたよ。信吾さん。』

第44話『後は頼みましたよ。信吾さん。』


 屋上には、まだ風が残っていた。

 先ほどまで張りつめていた空気が、少しずつほどけていく。

 遠くで鳥が鳴く。だが、この場にいる三人――森田、高城、信吾――の周囲だけは、時間が止まったように静まり返っていた。


 怒りに満ちた高城の瞳が、森田を射抜く。

 その頬はわずかに引きつり、唇が震えていた。

 権力の威光を背にした余裕など、もはやそこにはない。

 ただ――己の“終わり”を悟った人間の顔が、そこにあった。


「……ふざけやがって……! こんな真似、許されると思ってるのか!」


 怒号が屋上の壁を震わせる。

 風が一瞬、彼の声をさらっていった。


 森田は一歩も退かず、静かに言い返した。


「良いんですか? あなたの言う“雑魚”が、しっかりこの映像を見ていますよ。

 ――ちゃんと直接説明しに行ったらどうですか? 政治家なら。」


 その一言で、高城は息を呑んだ。

 拳を握り、視線を逸らす。

 悔しさと絶望を押し殺すような表情のまま、荒い足取りで屋上を去っていく。

 重い扉の閉まる音だけが、虚しく響いた。


---


 森田はしばらくその背中を見つめ、低く呟いた。

「……これで、終わりましたね。すべてが。」


 覚悟を決めたような声だった。

 その表情には勝利の色も歓喜もない。ただ、虚しい戦いを終えた者の“安堵”だけがあった。


 信吾は思わず駆け寄った。

「森田さん……いまの……録画されてたんですか?」


 森田は胸元から小型のカメラを外し、差し出した。

 黒いレンズが、まだ赤く点滅している。


「これはボディカメラです。新聞記者の小林さんにお借りしました。

 ……彼は、本当にいい人ですね。」


 信吾は目を見開く。

「じゃあ最初から……?」


「ええ。最初からこうなるように、動いていました。

 相手は高城です。音声だけじゃ逃げられる。だから――証拠を“形”で残す必要があったんです。」


 その言葉には、冷静さとわずかな悲しみが混じっていた。

 信吾は小さく息を呑む。

「……随分、大胆なことをしますね。」


「そうですね。」

森田は苦笑した。

「実はあの日、“高城を説得させてほしい”とお願いしたとき――

 小林さんから、“いっそ全部映して流してしまおう”と提案されたんです。

今、考えてみれば確かに方法はもうそれしか無かったような気がします。

 それに彼にはわかっていたんでしょうね。

 高城に通るはずのない要求をして、僕がその後どう動くか、全部……。」


 信吾は神妙な顔をした。

 胸の奥が締めつけられる。

(――やっぱり、森田さんは……)

 その先の言葉は、心の中でだけ響いた。

 彼の覚悟を、誰よりも感じ取ってしまったからだ。


 森田は続けた。

「小林さんとは、今日まで細かく連携を取ってきました。

 高城を呼び出す時間、他の者にバレずに高城をここに呼び出すか、話し方、声のボリューム、ボディカメラの位置、それにこの映像が会場モニターにちゃんと映せるか。

 後は屋上は風の影響を受けやすいので、そこは正直、賭けでしたよ。」


 そう言って、森田は少し笑った。

「本当に凄い人ですよ、小林さんは。

 自分も危険を承知で……それでも、自分自身の正義のために動いてくれた。」


 「カッコいいですね。でも、小林さんはそういう人ですよ。」

 信吾は少し誇らしげに言った。


「ええ。そうですね。後は頼みましたよ、信吾さん。」

 その声には、穏やかな温度と、確かな終止符の響きがあった。

「……森田さん。この後、どうするつもりですか?」


 森田は少しだけ空を見上げた。

 冬の陽光が、その横顔をやわらかく照らしている。


「さっきも言いましたが、悪は、成敗されなければいけません。

 だから、僕は――自分で言ったことを実行しに行くだけです。」


 信吾は何とも言えない表情を浮かべた。

 尊敬、哀しみ、そしてほんの少しの怒りが混じった顔。


 森田はふと、穏やかな声に戻る。

「あっ、そうだ。小林さんに会ったら伝えてください。

 あなたのおかげで高城の本性を暴けた。それに僕が愛した場所も守ることが出来るかもしれない。

“本当にありがとうございました”と。

 それと、僕はどのメディアの取材も受けるつもりはありません。

 でも――小林さんになら、僕が知るすべてを話します。」


 信吾は震える声で言った。

「森田さん……ぼくは、あなたを仲間だと思っています。

 そんなに、一人で背負わないでください。」


 森田はやさしく笑った。

「仲間ですか……ありがとうございます。

 信吾さん、今日は一緒にいてくれて本当に頼もしかったですよ。

 信吾さんには、もっと前にお会いしたかった。

 もっと――もっと前に。」


 信吾も、小さく笑った。

「また、お会いしましょう。」


 森田は、その言葉に晴れやかに笑った。

 その笑顔は、どこか哀しく、しかし確かに誇りに満ちていた。

 まるで、過去の自分に「別れ」を告げるように。

 そして彼は階段へと歩き出した。

 背中に当たる風が、少しだけ暖かく感じられた。


 ――その背中は、哀愁と覚悟に包まれていた。


---


 森田の捨て身とも思える行動により、

 高城の計画は一瞬にして崩壊した。

 その波紋は高城本人だけでなく、

 高城の父親、そして彼らが所属する政権与党全体へと広がっていく。


 後にこの出来事は、SNS上で《森田劇場》と呼ばれた。

 「正義のために己を賭けた男」として、

 多くの人々の心を揺さぶったのだ。


 そして――その衝撃の大きさは、当然、川辺地区の開発計画にも波及する。

 静かに、しかし確実に、未来の流れが変わり始めていた。



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