第3話『赤荻さん、カッピーに会う』
第3話『赤荻さん、カッピーに会う』
十一月の夜は、風が冷たく肌を刺す。
信吾が住むマンションも、冬の空気に包まれて静まり返っていた。
ただ、一つだけ変わったのは──浴槽を占拠して眠りこける、小さなカッパの存在だった。
「……あーあ、やっぱりな」
ため息をつきながら、信吾は部屋着の上からジャンパーを羽織った。美沙は隣で笑っている。
浴槽のカッピーは、口を小さく開けて気持ちよさそうに寝息を立てていた。
両手はぷかぷかと水面に浮かび、足先はぴくぴくと揺れている。
ときおり鼻の穴から小さな泡がぷくりと弾け、皿の水面には薄い光の波紋が広がっていた。
「カッピー、気持ちよさそうだよ。ほら、手足ぷかぷかさせて」
美沙はまるで子犬でも眺めるように微笑む。
「いや、見れば分かるけどさ……。風呂が使えないのはマジで困るだろ。毎日シャワーだけってのも、冬はキツいんだよ」
信吾は眉を寄せ、だがその顔にはどこか憎めない表情が混じっていた。
そのやりとりを終えて、信吾は決意を固めた。
マンションの裏手に足を向けた。
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赤荻 泰司
マンションのオーナー兼大家さん。見た目はちょっとコワモテの熟年の壮年男性。
ドラゴン(真竜)を見守る守護者でもある。
DIYが趣味で、以前、ゴンちゃん(ドラゴン)には特製カートや、屋上に小屋を作成してくれた神。
一見無愛想だが、動物と子どもには弱い。
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そこには、“作業小屋”がある。オーナー兼大家、赤荻泰司の作業スペースを訪ねることにしたのだ。
鉄の扉を軽くノックすると、渋く低い声が返ってきた。
「おう、誰だ?」
ドア越しに響く声は、まるで金属を擦ったような重みがある。
「……山之内です。すいません、こんな時間に。ちょっと相談があって……」
信吾は肩をすぼめ、申し訳なさそうに答えた。
「こんな時間にか。まあいい。入れ」
ぶっきらぼうだが、拒絶の響きはない。
作業スペースの中は、工具や木材、ペンキや配線が乱雑に置かれ、まるで秘密基地のようだった。
赤荻さんは無精ひげを生やし、分厚い腕で木材を削っている最中だった。
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「で、何をやらかした?」
いきなりそう言われ、信吾は思わず口ごもった。
「……別にぼくが何かって訳じゃないんですけど……え、えっと……その……カッパを拾ったんです」
「…………は?」
赤荻さんの手が止まった。木屑がぱらぱらと床に落ちる。
「今、なんて言った?」
眉をわずかに上げ、きょとんとした表情になる。
「カ、カッパです。川辺で衰弱してて……姉が助けて、うちに連れてきたんです」
信吾は恐縮しながら言葉をつないだ。
「おまえら兄妹は、懲りねぇな。……次はカッパか?」
低い声で呆れ半分、諦め半分。だが目の奥には、驚きを隠しきれない光が宿っていた。
「よく事情は分からねぇが、とりあえず見せろ」
赤荻さんは軍手を外し、立ち上がった。
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信吾と赤荻さんが部屋に戻ると、美沙が嬉しそうに迎えた。
「赤荻さん! 来てくれたんですね」
浴槽の中では、カッピーがすやすやと寝息を立てていた。水面に浮かぶ皿からは、ほんのりと光が漏れているようにさえ見える。
「……ほんとにいたか。……初めて見たな」
赤荻さんは思わず息を漏らし、腕を組んで見下ろした。
「ちょっと待て、こいつ……ただの妖怪って感じじゃねえな。妙に……澄んでる」
美沙がこくりと頷く。
「そうなんです。すごく純粋で……守ってあげなきゃって思うんです」
「困ったな」
赤荻さんは頭をがしがしと掻いた。
「俺は守護者だから真竜はある程度見て来たが……カッパは初めてだ。完全に専門外だな」
信吾は焦ったように言う。
「やっぱりそうですか……じゃあどうすれば……? うちのお風呂、ずっと占拠されてて困ってるんです」
「知るか。だが放っとけねえだろ……。ただ、話を聞いた時からこうなることはだいたいの想定はしてた。だから一人に連絡してある」
「えっ……誰ですか?」
信吾が思わず身を乗り出す。
「桜小路だ。明日来るらしい」
赤荻さんは短く、確実に言った。
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桜小路さんの名前が出て、信吾と美沙は目を丸くする。
「えっ、明日、桜小路さんが? そんな……わざわざ来てもらわなくても、ぼくらが伺いますよ」
赤荻さんは鼻を鳴らした。
「いや、俺もそのつもりだったんだが、向こうが会ってみたいらしい。どうやら“興味がある”そうだ」
信吾は一瞬黙り込み、肩を落とした。
「ありがたいですけど、また面倒ごとにならなきゃいいけど……」
美沙は逆に少しわくわくしているようで、
「でも楽しみだね。カッピーのこと、もっと分かるかもしれないし」
と笑った。
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浴槽の中で、カッピーが目を覚ました。
小さな両目をぱちぱちさせ、ふにゃっとあくびをする。
水かきのついた手で目をこすり、首をかしげると、きゅるると小さな声を漏らした。
皿の水が揺れ、柔らかい光を放った。
「わっ、起きた!」
美沙は顔を輝かせ、浴槽のそばに駆け寄る。
「……なんか、夢でも見てるみたいだな」
信吾は思わず息を呑み、その可愛らしさと不思議さに肩の力を抜いた。
「……やれやれ。おまえさん、思ったよりやっかいそうだな」
赤荻さんは目を細めた。
だがその声音には、不思議な優しさが滲んでいた。
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信吾の生活はゴンちゃん(ドラゴン)の時とはまた違う騒動の予感。
そして、翌日やってくるという桜小路さんの訪問が、物語をさらに大きく動かしていくことになるのだった。




