表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

35/74

第34話『川辺を照らす声』

第34話『川辺を照らす声』


 信吾と小林は、川辺の調査のために現地を訪れていた。

 夕暮れの名残が空の端にわずかに残り、町はゆっくりと夜の色へと沈んでいく。

 街灯が川面に映り込み、風が水草をさらりと撫でた。

 その音は、まるで夜の訪れを告げる小さなささやきのようだった。


「すっかり遅くなってしまいましたね」

 小林が息を白くしながら言った。


「いや〜、そうですね。結局あの後、カッピーの食べてたきゅうりを見て、“かっぱ巻きって最近いつ食べたっけ?”って話になって……最終的に“おにぎりの海苔はパリパリ派かしっとり派か”で一時間くらい盛り上がってましたよね」

 信吾が笑いながら肩をすくめる。


「意外と白熱してしまいましたね」

 小林は少し困ったように笑った。


「おかげで時間遅くなっちゃって、美沙さんとカッピーはお留守番になっちゃいましたしね」

 信吾が軽く手をポケットに入れながら言う。


「まぁ、夜は何かと危ないですし。正解かもしれませんね」

 小林が頷く。


「それにしても、小林さんと美沙さんって、やっぱり好みが正反対ですよね。でも、なんか美沙さんすごく楽しそうだったですし、意外と気が合うかもしれないですね」

 信吾が口元を緩めて言うと、


「ははは、そうですかね」

 小林は少し照れくさそうに笑い、首の後ろをかいた。


 二人の間に、冬の風がそっと吹き抜けた。

 川面には淡い光が揺れ、街の灯がゆらゆらと映り込む。

 虫の声はなく、風が葦を揺らす音だけが夜気の中に溶けていた。


「夕方の川辺って、静かですね……」

 小林が懐中電灯を照らしながらぽつりと呟く。


「ええ。でも、この静けさも今だけかもしれません」

 信吾は暗がりの向こう、遠くに続く川の流れを見つめた。

 「この辺り、高城議員たちの計画通りに埋め立てられたら、川の流れが変わって、生態系も崩れるって言われてるみたいです。魚の産卵場所も減るし、鳥たちの休憩地もなくなる……それに、カッピーたちの住処だって……」


 小林は真剣な眼差しでメモを取る。

 風がページを揺らし、ペン先が紙を擦る音が静かな夜に響いた。


「……なるほど。思っていた以上に事態は深刻かもしれませんね。数字や地図だけじゃ伝わらない“現場の声”って、こういうことなんですね」

 小林は小さく頷いた。


 その時、背後から雪を踏むような音が近づいてきた。

 振り返ると、懐中電灯を持った男性がゆっくりと歩いてくる。

 光がその顔を照らすと、見覚えのある姿が現れた。


「あっ、森田さん。こんばんは」

 信吾が笑顔で手を振る。


「山之内さん、こんばんは。こんな時間にどうしたんです?」

 森田は少し驚いたように眉を上げた。


「はい。今日は、森田さんとも前に話していた件で来てます。高城議員が進めようとしている川辺の埋め立て計画について、調べに来ました」

 信吾は隣にいる男性を紹介する。

 「こちら、新聞記者の小林さんです」


「えっ、記者の方?」

 森田が目を丸くする。


「はじめまして。地元紙の小林と申します。山之内さんから情報をいただいて、この辺りの現状を取材しています」

 小林が丁寧に頭を下げた。


「そうなんですね。私も、誰かがこの問題を真剣に取り上げてくれるのを待っていました」

 森田の顔に笑顔が浮かぶ。


「今、こちらでも嘆願書の準備も進めてるんですよ」

 信吾が言う。


「嘆願書……?」

 森田の表情がわずかに曇った。


「どうしました?」

 信吾が首をかしげる。


 森田は少し目を伏せ、苦笑いのような微笑みを浮かべる。

 「いや……本来なら、私がこういうことをやらなきゃいけないのに。何もできていない自分が、ちょっと悔しくなって」


「いやいや、そんなことないですよ。こういうのは誰がやるかじゃなくて、みんなで動くことが大事なんですし」

 信吾の言葉はまっすぐで、優しかった。


 少しの沈黙のあと、信吾が思い出したように言う。

 「そうだ。せっかくですし、小林さんの取材、受けてもらってもいいですか? ぼくなんかよりずっとこの場所のことをご存知ですし。」


 森田は少し戸惑ったように視線を泳がせる。

 「取材……ですか。うーん……あんまり得意じゃないんですけど……」


「私からもお願いします」

 小林が静かに頭を下げた。

 「もちろん、顔も名前も出しません。現場を知る人の声が、一番力になるんです」


 森田は数秒考えたあと、ゆっくりと頷いた。

 「……分かりました。私でよければ、話します。」


 風が川面を撫でた。

 その風に、森田の髪がふわりと揺れた。

 彼の瞳の奥には、なぜか戸惑いと、焦りの色が見えた。


 ――静かな川辺に、三人の足音が並ぶ。

 その音は、やがて新しい“声”へと変わっていく。


 夜の川は、何も語らない。けれど、確かに聴いている。

 小さな声でも、本気の想いは、きっとどこかへ届く――。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ