第30話『守りたいことは自分達で守ろう。』
第30話『守りたいことは自分達で守ろう。』
一月のある静かな午後。
窓の外は白く霞み、遠くの山々が冬の光をまとっていた。リビングでは、信吾と美沙がリビングのテーブルで湯気の立つ緑茶をすすっていた。
カッピーはというと、桶ではなく、今日は風呂場の湯船でぷかぷかと浮かんでいる。少し暖かいぬるま湯の中で、時おり「クプウ」と気持ちよさそうに泡を立てていた。
そんな穏やかな午後の空気を破るように、突然インターフォンが鳴った。
信吾がモニターを覗くと、そこにはどこか見覚えのある優しい笑顔――いさむんこと伊東 勇の姿が映っていた。
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伊東 勇
カッパに詳しい人。桜小路さんの紹介で出会う。
親しみやすい人物で、初対面から距離を感じさせない柔らかい人柄。自分のことを“いさむん”と呼んで欲しいという少し変わった一面もある。
実はこう見えて生物学者であり、大学教授でもある。
カッピーの飼育や生態について、専門的な知識を分かりやすく伝えてくれる頼れる存在で、ユーモアもあり場を和ませる。
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「……あれ?今日って、いさむん来るって言ってたっけ?」
信吾は首をかしげながら慌てて立ち上がり、玄関へ向かった。
ドアを開けると、冬の冷たい風の中で、いさむんはいつもの柔らかな笑顔を浮かべて立っていた。
「突然来てしまって申し訳ないですね。ですが、どうしてもお伝えしたいことがあって……」
その声は穏やかだが、どこか緊張を帯びていた。
信吾は少し驚きつつも、「どうぞどうぞ」と笑顔で手招きし、リビングへと案内した。
美沙が顔を上げ、「伊東さん、こんにちは」と無邪気に微笑む。
いさむんは軽く頭を下げ、「あ、いえいえ、“いさむん”でお願いします」といつもの調子で答えた。
その一言で、部屋の空気がふっと柔らいだ。
「カッピーは風呂場にいますけど、会います?」と信吾が言うと、
「いえ、お話が済んでからにしましょう。あの子も今はのんびりしてるでしょうし」
いさむんは小さく笑った。
三人はテーブルを囲み、温かい湯気の立つ湯呑みを手に取った。
いさむんが一息ついてから、静かに口を開いた。
「今日はですね……お伝えしたいことと、お願いしたいことがあって、直接来たんです。」
「お願い……ですか?」
信吾が眉を上げた。
「ええ。まず一つ目は――カッピーの仲間が冬眠しているかもしれない場所が分かったんです。」
いさむんは少し身を乗り出すようにして言った。
「……えっ?」
美沙が驚きの声を漏らす。
「もしかして、それって……眠り沼のことですか?」
「そうです。よくご存じで。」
いさむんは目を丸くし、少し嬉しそうに笑った。
「いろいろあってちょっと前に森田さんっていう環境活動家の方の調査を手伝ったことがあって。いさむんにも伝えようと思ってたんです。」
信吾が思い出したように言うと、いさむんは感心したようにうなずいた。
「あぁ、森田さんですか。私も何度かお会いしましたよ。熱心な方ですよね。」
湯呑みに視線を落としながら、いさむんの声が少しだけ真剣な色を帯びる。
「どうやら眠り沼周辺の環境が、カッパの冬眠に適していることが分かってきたんです。ただ……」
そこまで言って、彼の表情が曇った。
「ひとつ、大きな問題が出てきましてね。」
信吾が息をのんだ。
「もしかして、それって……」
「はい。あの川辺の開発計画のことです。」
いさむんの声には、珍しく怒りが滲んでいた。
「工事が始まれば、あの周辺の生態系は確実に影響を受けます。冬眠しているカッパたちが目を覚ます前に、棲みかが壊される可能性があるんです。」
「……そんな。」
美沙が小さくつぶやいた。
「その話、この前ニュースで聞きましたけど、あれ本当に進められるんですか?」
信吾は腕を組み、真剣な表情で問いかけた。
「ええ。地元の議員が強引に進めているらしくて。利権も絡んでいるようです。」
いさむんは唇を結んだまま、低い声で言った。
信吾が苦い顔でうなずいた。
「私が少し調べただけでも……いろんな業者や政治家の名前が出てきて、かなり根が深そうです。」
いさむんは言葉を選ぶように、静かに続けた。
「だからこそ、守りたいんです。自然も、カッピーたちの居場所も。」
その瞳には、静かな決意の光が宿っていた。
「そのために――嘆願書を作ろうと思っています。開発計画の見直しを求める署名運動です。」
静まり返った部屋の中で、その言葉が重く響いた。
「はい。もちろん協力します。」
信吾が即答した。
「私もです。」
美沙も強く頷いた。
「カッピーの仲間が眠ってる場所を、壊させるわけにはいきませんよね。」
信吾は真っすぐないさむんの目を見つめ、静かに言った。
いさむんの顔に、ほっとしたような笑みが戻る。
「ありがとうございます。実は、今日もう一人、強力な助っ人を呼んでいるんです。その人を交えて、今後の動きを話したいと思っていまして。そろそろ着く頃だと思います。」
「えっ、助っ人……ですか?」
信吾が尋ねたその時――インターフォンが鳴った。
信吾が再びモニターを覗くと、画面にはエレガントな帽子をかぶった桜小路さんと、隣で背筋を正し、礼儀正しく立っているルネの姿が映っていた。
美沙が思わず笑みを浮かべる。
「なるほど……最強の助っ人ですね。」
いさむんが軽くウィンクをした。
「ええ。心強いでしょう? “守りたいことは、自分達で守る”――今日はそのための第一歩です。」
静かに、しかし確かな決意の空気が、リビングに満ちていった。




