第18話『記者の原点』
第18話『記者の原点』
夕方。
信吾は台所でフライパンを振りながら、リビングで美沙と遊ぶカッピーをちらりと見た。
カッピーは両手を前に出して、美沙と向かい合っている。
どうやら“相撲ごっこ”をしているらしい。小さな畳の上で、美沙が「はっけよい」と掛け声を合わせるたび、カッピーが「クゥッ」と鳴いて手足をぱたぱた揺らした。
「おいおい……何やってんだよ、それ。確かにカッパは相撲好きって伝承はあるけどさ、ほんとに好きなんだな」
信吾が笑いながら言うと、美沙が振り返った。
「だって、楽しいんだもん。ね、カッピー」
「クゥ!」
そんな優しい時間が流れていた――その時。
ピンポーン、と部屋のインターフォンが鳴った。
「ん? 誰だろ……美沙さん、ちょっと出てくれる?」
信吾が言うと、美沙はカッピーを押しながら答えた。
「今、無理! カッピーと真剣勝負中だから!」
「……いや、だからさっきから何やってんだよ。もう。分かったよ、ぼくが出るよ」
信吾は少し呆れながら手を拭き、インターフォンのモニターを覗き込んだ。
そこに映っていたのは――新聞記者の小林拓也だった。
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小林 拓也
地元の新聞記者。第10話でカッパの存在を知ったが、そのことは記事にはしないと言った心優しい男性。本来の仕事は地域の人々の暮らしを伝えることだと考えており、温かみのある記事を書くことを大切にしている。
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(えっ、小林さん?……なんでまた? まさか、やっぱりカッピーの記事を――)
胸がざわつく。
信吾は慌ててリビングに戻った。
「美沙さん! 新聞記者の小林さんが来てる。どうする?」
「はぁ!? あの人!?」
美沙が勢いよく立ち上がる。
「……いいわ。私が出る」
「大丈夫かな……」
信吾は不安げに呟いたが、美沙はすでに玄関へ向かっていた。
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玄関のドアを開けた美沙は、露骨に警戒した声を出した。
「……何の用?」
「いえ、先日は突然お伺いしてしまって。本当に申し訳ありませんでした」
小林は深々と頭を下げる。その姿勢に、前回とおなじ誠実さがあった。
「結局、記事にする気になったとかじゃないでしょうね?」
美沙は眉をひそめ、語気を強めた。
「いえ、そんなつもりはありません」
小林は静かに首を振った。
「ほんとに?じゃあ何の為に来たの? 変なことしてたら追い返すからね」
美沙が畳みかける。
「美沙さん、まあまあ」
信吾が間に入り、手を軽く上げてなだめた。
「小林さんも、何か話があるみたいだし、いったん中で聞きましょう」
少しの沈黙の後、美沙はふぅと息を吐き、渋々うなずいた。
「……分かったわよ。リビングへどうぞ」
小林は丁寧に頭を下げ、靴を脱いで室内に入った。
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ソファに座ると、美沙が腕を組んで切り出した。
「で、ほんとに何しに来たの?」
「僕はただ、先日、無礼なことをしてしまったので……そのお詫びを言いに来ました」
小林はまっすぐに頭を下げた。
「ふーん。ほんとにそれだけ?」
まだ疑いの色を消さない美沙に、信吾が笑って肩をすくめる。
「美沙さん、そんなに睨んだら怖いって」
その一言で場が少しやわらいだ。
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しばらくの静寂の中、信吾は場の空気を変えようと口を開いた。
「そういえば……小林さんは、どうして記者になったんですか?」
信吾が尋ねた。
小林は少しだけ遠くを見るようにして口を開いた。
「きっかけですか……そうですね……僕は、あの記事に救われたんです」
「記事に救われた?」
信吾は目を丸くして小林を見た。
「はい。僕、高校の時、けっこう強豪のバレー部にいたんです。でも顧問がとても厳しくて……いや、“厳しい”というより、今思えば体罰でした」
「体罰!?」
信吾が思わず声を上げる。
「はい。当時は“愛のムチ”だと思い込んでいました。だけど、心も身体も限界で……。チームの皆も、笑いながら泣いてたような毎日で」
小林は苦笑した。
「そんなある日、急にその部が問題になったんです。週刊誌にスクープされたらしくて」
「誰かがリークしたんですね」
信吾が頷きながら口を挟む。
「はい、そうみたいです。その記事を書いた記者が熱意を持って取材してくれたみたいなんです。おかげで、ようやく地獄みたいな日々が終わったんです。」
小林は手を組みながら、静かに続けた。
「もちろん、バレー部自体は小さくなって、次の大会も辞退しました。世間的には“問題校”扱いでしたし。でも、僕にとっては……あの記事は救いだったんです」
「なるほどな」
信吾はしみじみと頷く。
「でも、その記者だって別にアンタ達を守りたくてその記事を書いた訳じゃないでしょ」
美沙が腕を組みながら言う。
「はい。まぁ、確かにそうだとは思います。でも、その記事が無ければ、今の僕はいませんでした。だから思ったんです。――僕も誰かを救える記事を書きたいって」
その言葉に、リビングの空気が少し温かくなった。
「……人を貶める記事じゃなくて、人を支える記事を書きたいんです」
小林の声には迷いがなかった。
「ふーん……でも、キレイ事言ってたら、いつまでも四流記者止まりなんじゃない?」
美沙が少し意地悪く笑う。
「はい。僕はそれでもいいです」
小林は穏やかに笑い返した。
「四流でも、心に嘘はつきたくないので」
その言葉に、信吾は思わず感心したように頷いた。
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帰り際。
「今日は突然すみません。本当にありがとうございました」
小林が丁寧に頭を下げる。
「いえ、こちらこそ。……またいつでも来てください」
信吾が笑顔で言った。
玄関の脇では、カッピーが「クゥ」と鳴きながら手を振っているかのように見えた。
「はは、ありがとう。君も元気でね」
小林が笑い返し、ゆっくりと外へ出ていく。
ドアが静かに閉まる。
「……小林さんって、信用できる気がするなぁ」
信吾がぽつりと言うと、すぐ後ろから声が飛んだ。
「いや、あんな三流記者、信用しちゃダメ」
「ん? さっきまで“四流”って言ってなかった?」
「うるさい!」
美沙が少し膨れて、ぷいっと顔を背ける。
信吾は小さく笑い、温かいリビングへと戻った。
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――真実を伝える言葉は、刃にも、灯にもなる。
誰かを傷つけることも、誰かを救うこともできる。
小林のように、後者を選ぶ記者が、きっと世界を少しだけ優しくしていく。
信吾はそんなことを思いながら、カッピーの元へ向かった。




