表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

18/74

第17話『赤荻さん、屋上にプールを作る』

第17話『赤荻さん、屋上にプールを作る』


 年の瀬が近づく十二月。

 街の屋根には雪が積もり、吐く息は白く、空気は張りつめていた。

 信吾がマンションのエレベーターを降りると、偶然赤荻さんと会った。


「赤荻さん、こんにちは。寒いですね。外に出るのが嫌になりますよね」

 信吾はマフラーを押さえながら、少し肩をすくめて笑った。


「そうだな」

 赤荻さんは分厚いコートの襟を立て、短く答えた。

 大柄な体に無精ひげ、ぶっきらぼうな口調。けれどどこか、冬の空気のように落ち着いた優しさがあった。


 信吾が通り過ぎようとしたとき、赤荻さんがぽつりと声をかける。


「屋上にカッピーの簡易プールを作ったから、時間が出来たら遊びに来い」


「えっ、プールですか!?」

 信吾は思わず立ち止まり、目を丸くする。

 赤荻さんはお構いなしにエレベーターのボタンを押した。


「あぁ、こないだ屋上の小屋を解体したからな。その資材を再利用して作ったんだ」

 腕を組みながら淡々と話すその横顔は、まるで職人だった。


「あのゴンちゃん用に作ってくれた小屋ですよね……今度はプール、ですか?」

 信吾は思わず聞き返す。


「そうだ!まぁ簡易型だけどな。骨組みの中の防水シートを二重にして、断熱材を下に敷いた。これで冷えない」

 赤荻さんは胸を張る。まるで発明家のようなドヤ顔だった。


「いや、でも……今、雪降ってますよ?」

 信吾が窓越しの空を指さす。ちらちらと白い雪片が落ちてくる。


「ふっ、まぁそれも想定済みだ」

 赤荻さんは得意げに笑う。

「屋上の電源を使って湯沸かし器をつないだ。ぬるま湯を循環させるようにしてある。まさに“冬でも入れるカッパ専用スパ”だな」


「なんか……ほんとにすごいことやってるんですね」

 信吾は呆れ半分、感心半分の笑みを浮かべた。

「赤荻さん、もう完全に“カッピーのおじいちゃん”みたいですよ」

 冗談めかして言うと、思った以上にしっくりきて、自分でも笑ってしまう。


「むっ、そうか?」

 赤荻さんは一瞬眉を上げ、それから口の端を上げてニヤリと笑った。

「悪くない呼ばれ方だな」


 その言葉には、どこか嬉しそうな響きがあった。



---


 数時間後。

 屋上に設置された簡易プールは、湯気を立てていた。


 信吾はその光景を見て、思わず息をのむ。

「本当に……できてる……!」

 それは想像以上に立派な仕上がりだった。湯気の奥には、手作りとは思えないほど安定した構造のプールが鎮座している。


「どうだ、悪くないだろ」

 赤荻さんは腰に手を当てて得意満面だ。

「配管も見えないようにした。これでカッピーも快適だ」


 ちょうどその時、カッピーがプールの縁から顔をのぞかせた。

 皿がちょこんと揺れ、瞳がきらきら輝いている。

「クゥ〜!」

 ぴょん、と飛び込むと、水しぶきが夕陽に反射して虹のように光った。


 湯温は人肌より少しぬるく、氷点下の風の中でも心地よい。

 その中で、カッピーが嬉しそうに「クゥ、クゥ!」と鳴きながら水しぶきを上げている。


 皿に水をたっぷり含ませ、頭をぶるんと振ると、飛沫が夕陽に反射してきらめいた。

 その姿は、まるで小さな妖精が踊っているようだった。


「おいおい、そんなに暴れると溢れるぞ」

 信吾が笑いながら声をかける。

 だがカッピーは止まらない。

 両手をぱたぱたと動かし、水をすくっては空へ放り上げて遊んでいる。


「楽しそうだな」

 赤荻さんがその様子を見つめながら言った。


「こんなに楽しそうなのは、赤荻さんのおかげですよ」

 信吾は穏やかに言った。


「自分で言うのも何だが……まさか冬場にプールを使うとはな」

 赤荻さんは肩をすくめ、口元に笑みを浮かべた。

「だが、まぁ──カッピーの皿も冷たくなりすぎないし、ちょうどいい。あの皿が乾くと具合悪くなるらしいからな」


「そうなんですね。……本当に、もうカッピーのこと、なんでも知ってますね」

 信吾が感心しながら言う。


「カッパについてはな、研究熱心でな」

 赤荻さんは鼻を鳴らす。

「ネットで“カッパ 飼い方”って調べたら、意外といろんな説があってな。あとでまとめておくか」


「まとめるんですか……」

 信吾は吹き出しそうになりながらも、嬉しそうに目を細めた。


 カッピーはそんな二人を見上げ、「クゥ!」と元気に鳴いた。

 そのままくるりと回転して、しぶきを大きく上げる。

 水滴が風に舞い、冬の夕焼けの光を受けて虹色に輝いた。


「なぁ、山之内」

 赤荻さんが、ふと優しい声で言った。

「ああいう命は、こちらの努力にちゃんと応えてくれるんだよな」


 信吾は静かにうなずく。

「……はい。そうですね。たぶん、ぼく達の“守りたい”って思う気持ち、ちゃんと伝わるんだと思います」


 二人はしばらく黙って、プールの中の小さな背中を見つめていた。

 冷たい風が頬をかすめても、不思議と心は温かかった。


 カッピーがもう一度「クゥ」と鳴き、両手で水をすくう。

 その水は、まるで小さな願いのように空へ散り、夕陽に溶けていった。



---


 あの日から、ゴンちゃんの小屋はもうない。

 けれど、そこにあった「想い」は、ちゃんと形を変えて残っている。


 屋上のプールには、今日も湯気が立ち上る。

 そのぬくもりは、どこか懐かしく、そして確かに続いていた。


 ――冬の空の下、小さなカッパの笑い声が、優しく響いていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ