第17話『赤荻さん、屋上にプールを作る』
第17話『赤荻さん、屋上にプールを作る』
年の瀬が近づく十二月。
街の屋根には雪が積もり、吐く息は白く、空気は張りつめていた。
信吾がマンションのエレベーターを降りると、偶然赤荻さんと会った。
「赤荻さん、こんにちは。寒いですね。外に出るのが嫌になりますよね」
信吾はマフラーを押さえながら、少し肩をすくめて笑った。
「そうだな」
赤荻さんは分厚いコートの襟を立て、短く答えた。
大柄な体に無精ひげ、ぶっきらぼうな口調。けれどどこか、冬の空気のように落ち着いた優しさがあった。
信吾が通り過ぎようとしたとき、赤荻さんがぽつりと声をかける。
「屋上にカッピーの簡易プールを作ったから、時間が出来たら遊びに来い」
「えっ、プールですか!?」
信吾は思わず立ち止まり、目を丸くする。
赤荻さんはお構いなしにエレベーターのボタンを押した。
「あぁ、こないだ屋上の小屋を解体したからな。その資材を再利用して作ったんだ」
腕を組みながら淡々と話すその横顔は、まるで職人だった。
「あのゴンちゃん用に作ってくれた小屋ですよね……今度はプール、ですか?」
信吾は思わず聞き返す。
「そうだ!まぁ簡易型だけどな。骨組みの中の防水シートを二重にして、断熱材を下に敷いた。これで冷えない」
赤荻さんは胸を張る。まるで発明家のようなドヤ顔だった。
「いや、でも……今、雪降ってますよ?」
信吾が窓越しの空を指さす。ちらちらと白い雪片が落ちてくる。
「ふっ、まぁそれも想定済みだ」
赤荻さんは得意げに笑う。
「屋上の電源を使って湯沸かし器をつないだ。ぬるま湯を循環させるようにしてある。まさに“冬でも入れるカッパ専用スパ”だな」
「なんか……ほんとにすごいことやってるんですね」
信吾は呆れ半分、感心半分の笑みを浮かべた。
「赤荻さん、もう完全に“カッピーのおじいちゃん”みたいですよ」
冗談めかして言うと、思った以上にしっくりきて、自分でも笑ってしまう。
「むっ、そうか?」
赤荻さんは一瞬眉を上げ、それから口の端を上げてニヤリと笑った。
「悪くない呼ばれ方だな」
その言葉には、どこか嬉しそうな響きがあった。
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数時間後。
屋上に設置された簡易プールは、湯気を立てていた。
信吾はその光景を見て、思わず息をのむ。
「本当に……できてる……!」
それは想像以上に立派な仕上がりだった。湯気の奥には、手作りとは思えないほど安定した構造のプールが鎮座している。
「どうだ、悪くないだろ」
赤荻さんは腰に手を当てて得意満面だ。
「配管も見えないようにした。これでカッピーも快適だ」
ちょうどその時、カッピーがプールの縁から顔をのぞかせた。
皿がちょこんと揺れ、瞳がきらきら輝いている。
「クゥ〜!」
ぴょん、と飛び込むと、水しぶきが夕陽に反射して虹のように光った。
湯温は人肌より少しぬるく、氷点下の風の中でも心地よい。
その中で、カッピーが嬉しそうに「クゥ、クゥ!」と鳴きながら水しぶきを上げている。
皿に水をたっぷり含ませ、頭をぶるんと振ると、飛沫が夕陽に反射してきらめいた。
その姿は、まるで小さな妖精が踊っているようだった。
「おいおい、そんなに暴れると溢れるぞ」
信吾が笑いながら声をかける。
だがカッピーは止まらない。
両手をぱたぱたと動かし、水をすくっては空へ放り上げて遊んでいる。
「楽しそうだな」
赤荻さんがその様子を見つめながら言った。
「こんなに楽しそうなのは、赤荻さんのおかげですよ」
信吾は穏やかに言った。
「自分で言うのも何だが……まさか冬場にプールを使うとはな」
赤荻さんは肩をすくめ、口元に笑みを浮かべた。
「だが、まぁ──カッピーの皿も冷たくなりすぎないし、ちょうどいい。あの皿が乾くと具合悪くなるらしいからな」
「そうなんですね。……本当に、もうカッピーのこと、なんでも知ってますね」
信吾が感心しながら言う。
「カッパについてはな、研究熱心でな」
赤荻さんは鼻を鳴らす。
「ネットで“カッパ 飼い方”って調べたら、意外といろんな説があってな。あとでまとめておくか」
「まとめるんですか……」
信吾は吹き出しそうになりながらも、嬉しそうに目を細めた。
カッピーはそんな二人を見上げ、「クゥ!」と元気に鳴いた。
そのままくるりと回転して、しぶきを大きく上げる。
水滴が風に舞い、冬の夕焼けの光を受けて虹色に輝いた。
「なぁ、山之内」
赤荻さんが、ふと優しい声で言った。
「ああいう命は、こちらの努力にちゃんと応えてくれるんだよな」
信吾は静かにうなずく。
「……はい。そうですね。たぶん、ぼく達の“守りたい”って思う気持ち、ちゃんと伝わるんだと思います」
二人はしばらく黙って、プールの中の小さな背中を見つめていた。
冷たい風が頬をかすめても、不思議と心は温かかった。
カッピーがもう一度「クゥ」と鳴き、両手で水をすくう。
その水は、まるで小さな願いのように空へ散り、夕陽に溶けていった。
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あの日から、ゴンちゃんの小屋はもうない。
けれど、そこにあった「想い」は、ちゃんと形を変えて残っている。
屋上のプールには、今日も湯気が立ち上る。
そのぬくもりは、どこか懐かしく、そして確かに続いていた。
――冬の空の下、小さなカッパの笑い声が、優しく響いていた。




