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第10話 『記者としてのポリシー』

第10話 『記者としてのポリシー』


 インターフォンのチャイムが、リビングに響いた。

 夕暮れの静けさを破るその音に、信吾の心臓が一瞬強く跳ねる。美沙と顔を見合わせ、息を整えてモニターを覗き込んだ。


 そこに映っていたのは――小林拓也だった。朝に駐車場で出会った新聞記者である。


(うわぁ……本当に来た)

 信吾は喉が詰まるような感覚を覚え、恐る恐るモニター越しに話し始めた。


「……はい。山之内です。どう致しましたか?」


 モニター越しの小林は、深々と頭を下げているように見えた。声も朝より幾分柔らかく、申し訳なさそうだった。


「朝はありがとうございました。突然、大変申し訳ございません」

 小林は少し言葉を選びながら続ける。

「あの後、いろいろと他の方にもお話を聞いたのですが、やはり未確認飛行物体は見間違いじゃないか、ということになりまして……」


 信吾は思わず胸を撫で下ろした。

(……そうか。ひとまず安心だな)


「はぁ、そうだったんですね」

 努めて平静を装いながら返事をする。


 だが小林は、そこで言葉を区切り、少し困ったように眉を寄せた。


「それでなんですが……朝、お話を聞いた際に“大きなカメ”がいるとおっしゃっていましたよね。私も何も無く帰るわけにはいかないので、少しそのカメを見せて頂いてもよろしいでしょうか?」


 その一言に、信吾の頭の中で警報が鳴り響いた。

(まずい……! そっちに興味を示したか!)


 背中を冷たい汗が伝う。美沙も隣でわずかに目を見開いた。



---


 信吾は小声で美沙に相談した。

「どうする……?」


「強引に追い払うのは逆に心配じゃない? 玄関先で適当にあしらったら? カッピーと正人くんは私が出てこないように見ておくから」

 美沙は落ち着いた声で提案する。


「……うん、分かった」

 信吾は深呼吸し、インターフォンに答えた。


「分かりました。ちょっとそっちに行きますね」


 慌てて玄関へ向かい、ドアを開ける。


「あ、えっと……今日はちょっと散らかってて……それにカメも今、寝てるんですよ。だからまた今度に――」


「そうでしたか。本当にちょっとだけで結構なんですが、分かりました。」

 小林の声は柔らかく、どこか恐縮しているようだった。


 信吾が次に何か言われた際の言い訳を考えていると、ふと小林の肩掛けバッグにぶら下がっている尻尾がペンになっていて、手には取材ノートを持っているリスのキャラクターのストラップが目が止まった。


「そのリスのキャラクターのストラップ……なんか独特のデザインですね」


「あっ、そうなんです。うちの新聞社のマスコットで“きまっりー”って言うんです」

 小林は少し恥ずかしそうに笑った。


「なんか名前も独特ですね」

 信吾は気を逸らすように言う。


「はい、よく言われるんです」

 小林は苦笑し、そして改めて頭を下げた。

「突然失礼しました。もし何か情報がありましたら、お電話でもメールでも結構ですので」


「はい、分かりました」

 信吾は営業スマイルを貼り付けるように頷いた。


「では、またお願いします」


 小林がドアを閉めると同時に、信吾は大きく息を吐いた。

(ふぅ……危なかった)


 玄関から戻ると、美沙に「大丈夫だった」と目で合図を送る。

 美沙も小さく肩を撫で下ろした。


「危なかったね」

 美沙がぼそりと言い、信吾は苦笑で応じる。


 その時、美沙のスマホが鳴った。


「……もうすぐ雅さん、ここに着くって」

 美沙が画面を見て言う。


「えぇ~まだカッピーと遊びたいな」

 正人は名残惜しそうにカッピーの甲羅を優しく撫でる。


「また遊べるよ。別に明日だって来てもいいし」

 信吾は穏やかに答えた。


 正人とカッピーは並んで床に座り込み、じゃれ合うように笑っている。


 その時――再びインターフォンが鳴った。


「あっ、お母さんだ。僕、出るね」

 正人は嬉しそうにカッピーを連れて、玄関へ走った。


「えっ、ちょっと……雅さんにしては来るの早過ぎない?」

 信吾が眉をひそめ、インターフォンのモニターを覗くと、そこに映っていたのは――帰ったはずの小林だった。


「正人くん! 違う! 開けないで!」

 慌てて叫んだが間に合わず、正人はドアを開けてしまう。


 玄関先で小林とカッピーの目が合った。


「えっ、カ、カッパ……?」

 小林が思わず声を漏らす。


 正人も驚きで固まる。


 次の瞬間、信吾と美沙が慌てて飛び出した。


「ち、違うんです! これは……あの、その……」

 信吾は必死に言い訳を探すが、言葉にならない。


「その、知人から預かってるだけで!」

「いや、保護してるっていうか!」

 苦しい言葉を重ねるが、空回りするばかりだ。


「さっき帰ったんじゃないの? 何の用?」

 美沙は少し怒ったように問い詰める。


「あっ……いえ、帰る際にお子さんの靴がありましたので……“きまっりー”のキーホルダーをお渡ししようと思いまして」

 小林は申し訳なさそうに差し出した。


 正人は自分のせいで見つかってしまったと思ったのか、カッピーを抱きしめて号泣している。


 小林はなんとか事態を理解しようとしばらく周囲を見回し、そして正人とカッピーに視線を戻した。

 その目に宿るのは驚きと……なぜか温かさだった。



---


 重たい沈黙が流れる。

 その中で、美沙が小林に向かって口を開いた。


「それでこのあとどうすんの?……別に記事にすればいいんじゃない? こんなのスクープでしょ」


「ちょっと美沙さん!」

 信吾が慌てて制止するが、美沙は真っ直ぐに小林を見つめた。


「それがアンタの仕事でしょ? どうせなら大々的に載せればいいじゃない。世紀の発見みたいに」


 小林はしばし黙り込み、やがて首を横に振った。


「……いえ、記事にはしません」


「えっ……何で?」

 予想外の答えに信吾の声が裏返る。


 小林は静かに言葉を紡いだ。

「僕は、皆の為になる記事を書きたくて記者になったんです。確かにこれを記事にすれば、話題にはなるでしょう。でも……それは僕のせいで、この子やあなたたちの大切な時間を壊すことになる」


 そう言って、小林が必死に涙をこらえながらカッピーを抱きしめる正人の姿を見つめた。


「……それは、僕のポリシーじゃないんです」

 小林は一呼吸置き、付け加えた。

「本来だったら記事は、人を不幸にしてまで書くものじゃありませんから」


「なにそれ。 アンタ、記者としては失格ね」

 美沙が呆れたように肩をすくめる。


「ちょっと美沙さん……せっかく丸くおさまりそうなのに!」

 信吾が焦るが、小林は照れくさそうに笑った。


「良いんですよ。だから僕は、記者としてはパッとしないんです」

 恥ずかしそうに後頭部を掻きながらも、その表情に後悔はなかった。


 やがて小林は深々と頭を下げる。

「今日は……お騒がせしました。どうかご安心ください。僕は何も見なかったことにしますので」


 去ろうとする小林に、正人が声をかけた。

「……ありがとう。カッピーを守ってくれて」


 小林は一瞬驚き、そして優しく微笑んだ。

「僕は何もしてないよ。カッピーは君が守ってるんだよ。大事にしてあげてね」


 その背中を、信吾たちはしばらく黙って見送った。



---


 玄関の扉が閉まる音が響く。

 部屋の静けさの中、信吾にはふと胸の奥に温かいものを感じた。


「まぁ、写真は撮ってなかったし、仮に録音されててもなんとか大丈夫じゃない?」

 美沙が言う。


「えっ……でも、小林さんは信用できそうだったけど」

 信吾は素直な気持ちを口にした。


「いや、バカじゃないの? 記者の言葉を鵜呑みにしちゃダメでしょ」

 美沙はきっぱりと返す。


「そうかなぁ……」

 信吾はまだ納得しきれない様子だった。


 その横で、いつの間に正人は安心したのか、カッピーを抱いたまま幸せそうに眠りに落ちていった。


 ――記者の眼差しは、真実を暴くだけではない。時に、守るべきものを見極め、そっと見守るための眼差しでもあるのだ。

本当にそうだったらいいなぁ……と、信吾は胸の内で願った。


 こうして冬の夜が静かに更けていく。




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