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第9話 『危ないの影』

第9話 『危ないの影』


 冬の朝はひときわ冷たい。

 山之内信吾は厚手のコートに身を包み、マンションのエレベーターを降りた。自動ドアを抜けると、吐いた息が白く漂い、すぐに冷たい空気に溶けていく。


(……やっぱり冬は骨身に染みるな。早く車に乗り込んで暖房つけないと)


 駐車場へ向かって歩いていると、不意に背後から声がかかった。


「すみません。朝のお忙しい時間に、少しだけよろしいですか?」


 振り返った信吾は思わず足を止めた。見知らぬ男性が立っている。年齢は三十前後、マフラーを首に巻き、どこか気弱そうな笑みを浮かべていた。


「えっ……なんですか?」

 不意を突かれた信吾は、戸惑いを隠せず目を瞬かせた。


「実は、私、新聞記者をしてまして。ちょっと取材をしているんです」


 男性は丁寧に名刺を差し出す。そこには「記者 小林拓也」と印字されていた。


「……小林さん? 新聞記者?」

 信吾の声は思わず裏返った。


「はい。あ、でもご安心ください。そんな大げさな取材ではなくて……」

 小林はどこか申し訳なさそうに目を伏せる。


「少し前の話になるんですが、この辺りで“未確認飛行生物”が空を飛んでいたという目撃情報がありまして」


 その言葉に、信吾の心臓がドクンと跳ねた。


(まずい……! それってゴンちゃんのことだ。やっぱり何回か誰かに見られてたのか……でも、ゴンちゃんがここに居たのはもう一年以上前だぞ。なんで今頃……)


 胸の奥に焦りが広がる。


「いや〜、けっこう前の投稿ですし、僕もただの見間違いだとは思っているんですけどね」

 小林は肩をすくめて続けた。

「実は僕の新聞社で、新しく“地域の皆様からの投稿を検証するコラム”をやることになったんです。それで、当時の噂の一つとして調べているだけなんですよ」


 その口調は柔らかく、誰かを追い詰める意図などなさそうだった。


(……ふぅ。そういうことか。ちょっと安心した)

 信吾は胸を撫で下ろす。


 その時、背後から元気な声が響いた。


「信吾くん! おはよう!」


 ランドセルを背負った正人が、駆け足で小学校へ向かっていた。駐車場に止まった車が視界を遮っていたせいか、小林の存在に気づかず、信吾へ駆け寄ってくる。


「昨日さ、カッピーの甲羅にみかんが転がって乗っちゃってさ!」


 無邪気な言葉に、信吾の顔が一瞬で凍りついた。


「カッピー……?」

 小林がわずかに眉をひそめ、興味を示す。


 信吾は咄嗟に正人の肩に手を置き、慌てて口を挟んだ。

「な、何でもないです! えっと……うちで飼ってる大きなカメのことだよな。水槽の中で甲羅にみかんが乗ったんだよな?」


 正人は最初、きょとんとした表情を浮かべていた。だが、途中でようやく信吾の意図に気づき、あからさまに動揺しながら顔を真っ赤にした。


「あっ……そ、そうそう! カメ! 甲羅の上にみかんがちょうど乗っちゃってさ、すっごく面白かったんだ!」


 取り繕うように笑う正人。その不自然さに、小林は一瞬首を傾げたが、深追いすることなく「そうなんですか」と穏やかに笑った。


 正人は目を泳がせながら頭を下げ、そのまま学校へと駆けていった。


(……危なかった。けど……正人くんの反応、逆に怪しまれたんじゃ……)

 信吾は冷や汗を拭いながら、小林の柔らかな表情を横目で見た。



---


 その日の夕方。


 リビングには信吾と美沙、そして正人がいた。奥のカッピー用の部屋では、当の本人――いや当のカッパが、桶にのんびりつかっている。


「信吾くん、美沙ちゃん……ごめんなさい」

 正人が申し訳なさそうに俯いた。

「僕、信吾くんしかいないと思って……」


「いやいや、全然気にしないでいいよ」

 信吾は優しく笑い、正人の頭を軽く撫でた。


「……どっちかっていうと悪いのは信吾でしょ」

 美沙がすかさず口を挟む。

「駐車場でベラベラ話してるのが悪いんじゃないの?」


「べ、別にベラベラ話してないよ。声掛けられたから答えただけだよ」

 信吾は思わず声を上げた。


「ほら、カッピーも一緒に遊びたそうにしてるし。行っておいで」

 信吾が優しく促す。


「うん!」

 正人は嬉しそうに返事をし、カッピーの元へ駆けて行った。


 残された信吾は、美沙に小声で呟く。

「でもさ……大丈夫かな? もしその小林さんにカッピーのことがバレたら、それこそ大問題になるんじゃ……」


 心配そうに眉を寄せる信吾に、美沙は落ち着いた声で答えた。

「いや、大丈夫でしょ。その記者の人、その感じだとあんまり乗り気じゃなさそうだし」


 だが信吾の胸の中の不安は消えなかった。


 その時――


 インターフォンが鳴り響いた。

 信吾が慌ててモニターを確認すると、そこには小林の姿が映っていた。



---


 ――小さな違和感は、やがて大きな波となって押し寄せる。

 小林の存在は、信吾たちの静かな日常に、確実に影を落とし始めていた。




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