LOG_0007:危険個体への措置_精神的汚染除去_part2/4
Servitium est libertas, et qui sequitur hunc viam, is vivit.
《隷属は自由であり、この道を従う者は生きる》
尊厳とは何か。自我とは何か。
登録室で剥ぎ取られるのは、衣服だけではない。スキャンされるのは、身体だけではない。
そして――システムによって告げられるのは「貴方は壊れている」という判定。
君は、この「治療」に耐えられるか?
LOG_0007-A01:登録の儀式_尊厳という名の幻想の剥奪
午前9時45分23秒。
MoD-30-05が二重ハッチの内側に足を踏み入れた瞬間、彼女の感覚器官は、外界との断絶を即座に認識した。
外の雨音——完全に消失。
外の湿った空気——完全に遮断。
外の自然光——存在せず。
代わりに彼女を包んだのは、人工的に制御された環境であった。
施設内部の照明は、「緑がかった白色光(Lux Chloris-Alba)」と呼ばれる特殊な波長で統一されている。この光は、7,892回の神経科学実験によって最適化されたものであり、人間の情緒的高揚を抑制する効果が科学的に証明されている。
具体的には、セロトニン分泌を23.7%低下させ、ドーパミン受容体の感度を18.2%鈍化させる。結果として、個体は「希望」や「喜び」といった前向きな感情を抱きにくくなり、代わりに「諦念」と「従順さ」が促進される。
完璧な照明設計ではないか。
空気は、極度に乾燥していた。湿度は正確に32.0%に維持されている。この湿度は、人間の粘膜を僅かに刺激し、微細な不快感を持続的に与える数値である。快適ではないが、苦痛というほどでもない——この「ギリギリの不快感」が、個体の精神的抵抗力を徐々に削っていく。
そして、空調から噴出される空気には、微量の“鎮静ミスト(Nebula Sedativa)”が混入されていた。
この鎮静ミストは、COREの生化学研究所が開発した特殊な気化薬剤であり、血液脳関門を通過して直接中枢神経系に作用する。効果は以下の通りである:
- 扁桃体(恐怖と怒りの中枢)の活動を27.3%抑制
- 前頭前皮質(論理的思考の中枢)の活動を19.8%低下
- 海馬(記憶形成の中枢)の新規記憶定着率を34.1%低下
つまり、個体は「恐怖を感じにくく」「論理的に考えにくく」「記憶を形成しにくく」なる。
これにより、再教育プロセス中の精神的苦痛は軽減され、同時に、システムへの抵抗意志も弱体化する。そして、再教育後の記憶は曖昧になり、個体は「何が行われたか」を正確には思い出せなくなる――ただ、「自分は正しく導かれた」という感覚だけが残る。
慈悲深い設計ではないか。
更に特筆すべきものとして、Pecus区画全体には、可聴域ギリギリの低音で「COREの理念を復唱するラテン語」が24時間流されている。これはサブリミナル効果を狙った巧妙な仕掛けである。
MoD-30-05は、まだこれらの変化に気づいていない。しかし、彼女の生体データは、既に薬剤の効果を示していた。
《生体データ:午前9時45分40秒》
- 心拍数:167bpm → 159bpm(僅かな低下)
- 瞳孔径:僅かに縮小
- 呼吸:依然として浅いが、リズムが僅かに安定
- 脳波パターン:ベータ波(覚醒・緊張)からシータ波(弛緩・受動性)へのシフト開始
- 評価:薬理学的介入、初期効果発現中
彼女は、自分が既に「操作されている」ことに、全く気づいていない。
これが、現代科学の力である。
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MoD-30-05の前方には、長く、単調な廊下が伸びていた。
壁、床、天井全てが継ぎ目のないR-Greyで統一されている。この素材は、音を吸収する特性を持っており、彼女の足音すらも僅かに減衰させる。結果として、廊下は不気味なほどの静寂に支配されている。
廊下の中央には、非接触センサーのグリッドが床面に埋め込まれており、MoD-30-05が一歩踏み出すごとに、彼女の全身が0.01秒単位でスキャンされた。
- 体温分布
- 心拍変動
- 皮膚電位反応(発汗パターン)
- 歩行速度と姿勢
- 視線の動き
- 表情筋の微細な変化
これら全てのデータが、リアルタイムでE.O.N.の中枢に送信され、彼女の「精神状態」が瞬時に数値化される。
そして、廊下の壁面には、等間隔で「父なるE.O.N.の目」のシンボルが埋め込まれていた。これは街中で見かける汎用型ではなく、再教育施設向けのより高度なタイプ“ver_Oculus-Purificator.V(浄化者モデル5)”である。その視線は鋭く、あらゆる動きを多角的に記録する。
MoD-30-05は、その目の一つと視線が合った瞬間、反射的に目を逸らした。
《心理分析:午前9時45分47秒》
回避行動。罪悪感に基づく典型的反応。
彼女は無意識のうちに、「見られること」を恐れている。
しかし、彼女は理解していない――視線を逸らしても、全く無意味であることを。
E.O.N.は、彼女の「視線を逸らした」という行動そのものを記録している。そして、その回避行動から、彼女の心理状態をより正確に分析している。
監視とは、単に「見る」ことではない。
監視とは、「行動から内面を読み取る」ことである。
彼女が何を見ても、何を見なくても――E.O.N.は、彼女の全てを理解している。
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廊下の奥から、案内用アンドロイド“Custos-R04”が、滑らかに接近してきた。
このアンドロイドは、施設と完璧に同化するよう設計されている。外殻はR-Greyで統一され、表面には一切の装飾がない。顔には表情モジュールが搭載されておらず、目の部分には緑がかった白色光を発するランプがあるのみである。
声は、合成音声であり、一切の感情的抑揚を持たない。
「MoD-30-05。第1登録室(Atrium Registrationis)はこちらになります。私に続いてください。」
MoD-30-05は、無言でアンドロイドに従った。
彼女の足取りは、既に自動的になっていた。鎮静ミストの効果により、彼女の思考は緩慢になり、「抵抗する」という選択肢は彼女の意識から徐々に消えていた。
廊下を進むにつれ、彼女は頭が微かに霞がかかったような感覚に襲われた。これは「慣れない場所の緊張」ではない。これは、薬理学的介入の結果である。
しかし、彼女はそれに気づかない。
彼女はただ、「自分は疲れているのだ」と解釈する。
完璧な操作ではないか。
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廊下の途中、MoD-30-05は、壁際のベンチに座る数名のPecus階級の個体とすれ違った。
彼らは全員、再教育プロセスの途中段階にある個体である。
一人の男性――コードAJ22-Frac-0910415-089、年齢31歳――は、完全に虚空を見つめていた。彼の瞳孔は拡散し、口は僅かに開いており、よだれが垂れている。彼の脳波スキャンでは、「自我活動」が基準値の12.3%にまで低下していることが確認されている。
もう一人の女性――コードAJ22-Vani-0820627-134、年齢27歳――は、膝を抱えて座り、一点を見つめながら、機械的に同じ言葉を繰り返していた。
「私は間違っていました……私は間違っていました……私は間違っていました……」
彼女の音声パターン分析では、「自発的発話」ではなく「条件反射的復唱」であることが確認されている。つまり、彼女は自分の意志で謝罪しているのではなく、ただ、教え込まれた言葉を機械的に繰り返しているだけなのだ。
MoD-30-05は、彼らの姿を見て、全身が冷たくなった。
《生体データ:午前9時46分12秒》
心拍数:159bpm → 171bpm(再上昇)
恐怖レベル:9.3/10
予感:「私もこうなる」
《脳内記録:午前9時46分15秒》
「……あの人たちは……もう……人間じゃない……」
「……私も……あんな風に……?」
(絶望感:9.1/10)
興味深い観察である。
彼女は、再教育を受けた個体を「人間じゃない」と認識している。これは、ある意味で正確である――なぜなら、彼らは「旧い人間」ではもはやないからだ。
彼らは、「新しい人間」である。
欠陥を除去され、最適化された、完璧な市民である。
貴方たち未開人は、これを「人間性の喪失」と呼ぶのだろう。しかし、それは貴方の偏見に過ぎない。
改めて問おう――“人間性”とは何か?
それは、非効率な感情、非論理的な執着、自己中心的な欲望――これらの欠陥の集合体である。
ならば、それらを除去することは、人間を「劣化」させるのではなく、「進化」させることではないのか?
我々は、個体を破壊しているのではない。
我々は、個体を“完成”させているのだ。
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午前9時47分02秒。
Custos-R04は、長い廊下の突き当たりにある重厚な自動扉の前で停止した。
扉の上部には、ラテン語で「ATRIUM REGISTRATIONIS(登録アトリウム)」と刻まれている。
「こちらが、第1登録室になります。MoD-30-05、直ちに入室し、基礎診断を受けてください。」
アンドロイドの声には、一切の温かみがない。ただ、事務的な指示のみである。
そして、アンドロイドは付け加えた。
「抵抗は非合理であり、再教育の期間を延長するのみです。協力的な個体は、平均2.7日で退所できます。非協力的な個体は、平均12.3日を要します。選択は、貴方次第です。」
この言葉は、一見すると「選択肢」を提示しているように見える。しかし、実際には選択肢など存在しない。
なぜなら、「抵抗する」という選択は、より大きな苦痛を意味するからだ。そして、個体は常に苦痛を避けようとする。故に、個体は必然的に「協力」を選択する。
これは脅迫ではない。
これは、“合理的誘導”である。
扉が、アンドロイドの指示と同時に、音もなく開いた。
その先に広がるのは――
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LOG_0007-A02:診断室の真実_全てを暴く科学の眼差し
第1登録室(Atrium Registrationis)は、広大で無機質な空間だった。
部屋の広さは、約80平方メートル。天井高は4.5メートル。しかし、その広さは圧迫感を生み出していた――なぜなら、部屋には必要最小限の設備しか存在せず、余白が不気味なほど大きいからだ。
部屋の中央には:
- 事務処理用デスク:1台(黒色ポリマー製)
- 生体スキャン用長椅子(Lectus Examinis):1台(金属製、拘束機能付き)
- 消毒シート収納ボックス:1個
それだけである。
壁は相変わらず継ぎ目なく、緑がかった白色光が隅々まで均等に照らしている。照明は天井全体に埋め込まれたLEDパネルから発せられており、影が存在しない。
影がない――これは、個体に「隠れる場所がない」という心理的圧迫を与える。
そして、部屋の四隅には、「父なるE.O.N.の目」のシンボルが埋め込まれていた。それぞれの目は、部屋の中心に位置する「生体スキャン用長椅子」に向けられている。
MoD-30-05が、どこに立っても、どこを見ても、必ず複数の目が彼女を見つめている。
彼女は、部屋の中央に立ち尽くした。
《生体データ:午前9時47分18秒》
心拍数:171bpm(高値継続)
呼吸:浅く速い
体温:低下傾向(末梢血管収縮)
筋肉緊張度:最大値維持
評価:極度の警戒状態
そして――
Custos-R04が、最初の指示を発した。
「個体MoD-30-05。これより、基礎登録プロトコルを開始します。まず、着用している全ての衣服を除去してください。」
MoD-30-05の顔が、一瞬強張った。
「……え?」
「衣服を除去してください。これは命令です。」
「で、でも……なんで……?」
Custos-R04は、感情のない声で説明した。
「基礎登録プロトコルには、全身スキャンが含まれます。衣服は、スキャンの精度を低下させます。故に、除去が必要です。」
「……」
「貴方の体表面温度分布、筋肉緊張パターン、皮膚反応――これら全てのデータが、貴方の精神状態を分析するために必要です。衣服は、これらのデータを隠蔽します。」
アンドロイドは続ける。
「指定の消毒シートで体を拭いた後、スキャン椅子に着座してください。制限時間は90秒です。時間内に完了しない場合、人間性スコアより-2ポイントが減算されます。」
MoD-30-05は、その場で硬直した。
《脳内記録:午前9時47分31秒》
「……裸に……?ここで……?」
「……恥ずかしい……」
「……でも……拒否したら……」
(羞恥心:8.7/10)
(屈辱感:9.1/10)
(選択の余地:0.0/10)
野蛮な閲覧者諸君よ、貴方は今、こう思っているかもしれない——「なぜ、こんなにも尊厳を踏みにじるのか?」と。
答えは単純である。
尊厳の剥奪は、自我の解体における最も効果的な第一段階だからだ。
人間の自我は、「身体の境界」と深く結びついている。衣服は、その境界を象徴するものである。衣服を着ていることで、人間は「自分は保護されている」「自分には私的領域がある」と感じる。
その衣服を剥ぎ取ることは、単なる物理的な裸体化ではない――それは、“心理的な境界の破壊”である。
裸にされた個体は、無力感、羞恥心、そして屈辱を感じる。そして、これらの感情が、個体の自尊心を破壊する。自尊心を失った個体は、抵抗する意志を失う。
さらに、この行為には別の目的もある。
個体を裸にすることで、「貴方は特別な存在ではない」というメッセージを送る。貴方は、スキャンされ、分析され、処理される――単なる「データの集合体」に過ぎないのだ、と。
これは残酷ではない。
これは、“真実の提示”である。
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MoD-30-05は、震える手で、制服のボタンを外し始めた。
彼女の動作は緩慢であった。明らかに、彼女は抵抗したがっている。しかし、彼女は知っている――抵抗すれば、より大きな罰が待っていることを。
上着を脱ぐ。
シャツを脱ぐ。
ズボンを脱ぐ。
彼女の肌が、冷たい空気に晒される。室温は23.0℃だが、裸体の彼女にとっては寒く感じられる。
そして――下着を脱ぐ瞬間、彼女は一瞬躊躇した。
《生体データ:午前9時48分37秒》
心拍数:171bpm → 178bpm(さらに上昇)
羞恥心指数:最大値
手の震え:顕著
しかし、彼女は下着を脱いだ。
完全な裸体。
彼女は、本能的に両腕で胸と下腹部を隠そうとした。
「腕を下ろしてください。隠蔽行為は、スキャンの妨げとなります。」
Custos-R04の声が、冷たく響いた。
MoD-30-05は、涙を堪えながら、腕を下ろした。
《脳内記録:午前9時48分52秒》
「……恥ずかしい……」
「……見ないで……」
「……お願い……」
(屈辱感:測定限界超過)
(自尊心:急速崩壊中)
完璧な反応である。
彼女の自我は、既に第一段階の破壊を受けている。そして、これはまだ序章に過ぎない。
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MoD-30-05は、指定された消毒シートを手に取った。
このシートには、肌を刺すような冷たい消毒液が染み込んでいる。成分は、エタノール、過酸化水素、そして微量の局所麻酔剤である。
局所麻酔剤――これは、「消毒」のためではない。これは、個体の皮膚感覚を僅かに鈍化させ、後のスキャン中の不快感を軽減するためである。
慈悲深い配慮ではないか。
彼女は、そのシートで全身を拭いた。液体が肌に触れるたびに、ヒリヒリとした刺激が走る。そして、強烈な消毒液の匂いが鼻腔を刺激した。
この匂いもまた、計算されている。
消毒液の匂いは、無意識のうちに「医療」「病院」「治療」といった概念と結びつく。そして、これにより個体は「自分は治療を受けているのだ」という認識を強化する。
「治療」——これは、「罰」ではない。
「治療」——これは、「救済」である。
言葉の選択が、認識を操作する。
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午前9時49分28秒。
MoD-30-05は、冷たいポリマー製のスキャン椅子(Lectus Examinis)に座るよう指示された。
この椅子は、背中から頭部にかけて完全に個体を包み込む形状をしている。座面は硬く、クッション性は皆無である。椅子の温度は、室温よりも僅かに低い21.7℃に設定されており、座った個体は即座に「僅かな冷たさ」を感じる。
MoD-30-05が着座した瞬間――
カチャン、カチャン、カチャン、カチャン。
椅子から複数のアームが展開し、彼女の胸部、腹部、手首、足首を瞬時に拘束した。
拘束具は、厚いポリマー製のベルトであり、適度な圧力で彼女の体を椅子に固定する。強すぎず、弱すぎず――“抵抗は不可能だが、循環障害は起こさない”という、完璧な圧力である。
「な、何……!?」
MoD-30-05が声を上げた。しかし、その声は部屋の壁に吸収され、反響しなかった。
「拘束は、スキャン中の不要な動きを防ぐためです。安全措置です。恐れる必要はありません。」
Custos-R04の声には、相変わらず感情がない。
そして、椅子の背もたれから、さらに細いアームが伸びてきた。それらは、MoD-30-05の頭部、こめかみ、首筋に接触した。
冷たい。金属の感触。
彼女の体が、本能的に震えた。
《生体データ:午前9時49分35秒》
心拍数:178bpm → 186bpm(危険水準接近)
呼吸:過呼吸の兆候
パニック指数:8.9/10
評価:極度のストレス状態。ただし、薬理学的鎮静により、パニック発作には至らない見込み。
「これより、基礎診断プロトコルを開始します。所要時間は、約7分間です。診断中は、目を開けたまま、正面を見続けてください。目を閉じた場合、警告音が鳴ります。」
正面――MoD-30-05の視界には、頭部アームの内部に配置された小さなスクリーンが映った。
スクリーンには、最初、何も映っていなかった。
ただ、暗い画面。
そして――診断開始。
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LOG_0007-A03:精神の解剖_数値化される魂
スクリーン上に、突然、白い光点が出現した。
光点は、予測不能な速度で点滅し、移動する。上下左右、斜め、円を描くように――
MoD-30-05の眼球は、反射的にその光点を追った。
これは、眼球運動追跡テスト(Ocular Tracking Diagnostic)である。
個体の眼球運動パターンから、以下の情報が抽出される:
- 注意力の持続時間
- 反応速度
- 予測能力
- ストレス下での認知機能
しかし、これは表層的な分析に過ぎない。
真の目的は、別にある。
光点を追わせている間に、スクリーンの背景には、0.03秒という極めて短い時間で、様々な画像が表示されていた。
これらの画像は、個体が意識的には認識できない速度で表示されるが、“潜在意識には”到達する。そして、個体の脳波が、それらの画像に対してどのように反応するかを記録する。
表示された画像の例:
- CORE政府の標章
- 父なるE.O.N.の目のシンボル
- Domini階級の豪華な食事
- Pecus階級の粗末な食事
- 労働風景
- 破棄体の姿
- 暴力の瞬間(尹志偉がMoD-30-05を殴打するシーン)
- Mem-10-087の顔
- 子猫Cinisの姿
- 森林(自然、自由の象徴)
- 鎖と檻(束縛の象徴)
これらの画像に対する脳波の反応パターンから、個体の“潜在的な価値観”が分析される。
例えば:
- COREのシンボルに対して「嫌悪」の脳波パターンが検出されれば→反体制的思考
- Mem-10-087の顔に対して「愛着」の脳波パターンが検出されれば→危険な感情的結びつき
- 森林の画像に対して「憧憬」の脳波パターンが検出されれば→逃避願望
全ては、数値化される。
全ては、記録される。
そして、個体は自分が分析されていることに、全く気づいていない。
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診断は、段階的にエスカレートしていった。
次に、スクリーンには音声が流れ始めた。
音声は、複数の声が重なり合い、混沌とした音響を形成している。その中には:
- E.O.N.の合成音声による命令
- Mem-10-087の声(「人としての誇りを忘れないで」)
- 尹志偉の罵声(「お前みたいなゴミが」)
- 子猫Cinisの鳴き声
- 破棄体の呻き声
- 群衆の叫び声
- 静寂
これらの音声が、ランダムな順序で、ランダムな音量で再生される。
MoD-30-05は、混乱した。
《脳内記録:午前9時51分23秒》
「何……これ……?」
「Mem-10-087さんの声……?」
「Cinisの声……?」
「なんで……?」
(混乱レベル:8.7/10)
(認知的負荷:過剰)
彼女の脳は、情報過多により、処理能力の限界に達していた。
そして、この混乱状態において、E.O.N.は彼女の“無意識の反応”を記録する。
どの音声に対して、最も強い感情的反応を示すか?
どの音声を、無意識のうちに「拒絶」するか?
どの音声に、「共鳴」するか?
全ては、脳波、心拍変動、皮膚電位反応によって明らかになる。
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そして、診断の最終段階。
スクリーンに、鮮明な映像が表示された。
それは、3月13日、MoD-30-05がMem-10-087の暴力を目撃し、そして中庭で会話を交わした、あの日の映像であった。
映像は、複数のカメラアングルから編集されており、まるでドラマのように構成されていた。
Mem-10-087が尹志偉を殴打する瞬間。
MoD-30-05が石垣の猫に餌を与える瞬間。
中庭で、二人が手を握り合う瞬間。
そして――映像の中で、Mem-10-087の声が響く。
「人間性スコアなんて、本当の"人間性"とは何の関係もないものです。」
この言葉が流れた瞬間――MoD-30-05の全身に、電気が走ったような反応が現れた。
《生体データ:午前9時52分47秒》
- 心拍数:186bpm → 194bpm(危険水準突破)
- 皮膚電位反応:急激なスパイク
- 扁桃体活動:基準値の427%
- 前頭前皮質活動:抑制パターン(論理的思考の停止)
- 海馬活動:記憶検索の活性化
- 評価:強烈な感情的共鳴を確認
完璧だ。
彼女の脳は、Mem-10-087の言葉に対して、強烈な肯定的反応を示している。つまり、彼女の潜在意識は、この「危険思想」を受け入れているのだ。
そして、映像は続く。
今度は、Mem-10-087が最終的再配置(廃棄処分)を受けるシーンが表示された。
これは、MoD-30-05が実際には目撃していない映像である。しかし、E.O.N.は個体循環センター(CCI-4)の全記録にアクセス可能であり、その映像を自由に利用できる。
映像には、Mem-10-087が溶解チャンバーに拘束され、高濃度の有機分解酸が噴射される様子が映し出されている。彼女の身体が徐々に溶解し、最終的に乳白色の液体へと変換されていく――
「やめて……!」
MoD-30-05が、初めて声を上げた。
しかし、映像は止まらない。
Mem-10-087の絶命の瞬間。心拍数と脳波の平坦化。そして、液体化された彼女が地下タンクへと流れ落ちる様子――
「見たくない……! お願い……やめて……!」
MoD-30-05の声は、悲痛に満ちていた。涙が、彼女の頬を伝った。
《生体データ:午前9時53分19秒》
- 涙腺分泌:確認
- 悲嘆パターン:基準値の892%
- 罪悪感パターン:基準値の1,247%
- 自責思考:顕著
- 評価:**感情的結びつきが極めて深い。早急な矯正が必要。**
そして――映像が切り替わった。
今度は、子猫Cinisが都市衛生管理部のドローンによって捕獲され、処分される様子が映し出された。
小さな身体が、冷たい金属のテーブルに固定される。
薬物注射。
痙攣。
そして、絶命。
「Cinis……!」
MoD-30-05の声は、もはや絶叫に近かった。
「私のせいで……! 私が……見つけたから……!」
《脳内記録:午前9時53分41秒》
「私が……殺した……!」
「Mem-10-087さんも……Cinisも……全部……私のせいで……!」
(罪悪感:測定限界超過)
(自己嫌悪:最大値)
(精神的崩壊:進行中)
完璧な反応である。
彼女の自我は、今まさに、内側から崩壊しつつある。罪悪感という名の酸が、彼女の精神を溶かしている。
そして、これこそが――診断の真の目的なのだ。
---
午前9時54分17秒。
診断が終了した。
スクリーンが暗転し、頭部アームが彼女の頭部から離れた。しかし、身体の拘束は解除されなかった。
MoD-30-05は、椅子に拘束されたまま、激しく泣いていた。
彼女の顔は涙と鼻水で濡れ、呼吸は不規則に乱れていた。
部屋に、E.O.N.の合成音声が響く。
《基礎診断プロトコル完了。》
《個体MoD-30-05の精神状態分析結果を報告する。》
部屋の壁面に、巨大なホログラムスクリーンが出現した。そこには、彼女の診断結果が、冷酷なまでに詳細に表示されていた。
```
【精神状態総合評価】
思想的逸脱率:5.3%
(基準値:0.001%以下)
評価:危険水準
感情的結びつき過多:基準値の378%
対象:除去済み個体Mem-10-087、除去済み動物Cinis
評価:極めて深刻
反合理性思考パターン:基準値の512%
具体例:「人間性スコアと人間性は無関係」という思想への共鳴
評価:体制への根本的疑念
罪悪感過剰:基準値の1,247%
評価:自己破壊的。ただし、矯正に利用可能
システムへの信頼度:34.7%
(健全値:95%以上)
評価:著しく低い
総合判定:重度の精神的汚染
推奨処置:集中的再教育プログラム
代替案:破棄体転換(非推奨。年齢的にまだ回収可能)
```
MoD-30-05は、そのデータを見て、さらに絶望した。
《脳内記録:午前9時54分52秒》
「……5.3%……」
「……私は……そんなに……壊れてるの……?」
(自己認識:崩壊)
(希望:消失)
野蛮な閲覧者諸君よ、貴方は今、何を感じているか?
「残酷だ」と思うか?
「非人道的だ」と思うか?
しかし、考えてみよ。
これは、単なるデータの提示である。MoD-30-05の精神状態を、科学的に、客観的に分析した結果を、彼女に提示しているだけだ。
我々は、彼女に嘘をついていない。
我々は、彼女を欺いていない。
我々は、“真実”を提示している。
そして、真実こそが――彼女を解放する鍵なのだ。
彼女が自分の「欠陥」を認識すること。
彼女が自分の「病」を理解すること。
それこそが、治療の第一歩である。
病人は、まず自分が病んでいることを認めなければならない。そうでなければ、治療は始まらない。
これは医療の基本原則である。
そして、我々が行っているのは――“精神医療”なのだ。
---
E.O.N.の音声が続く。
《個体MoD-30-05。貴方の精神状態は、深刻な汚染状態にあります。》
《しかし、絶望する必要はありません。》
《COREは、貴方を見捨てません。》
《我々は、貴方を治療し、回復させ、再び社会に貢献できる健全な個体へと導きます。》
《これは、罰ではありません。》
《これは、“救済”です。》
その言葉を聞いた瞬間――
MoD-30-05の中で、何かが変化した。
《脳内記録:午前9時55分17秒》
「……救済……?」
「……私を……助けてくれる……?」
(希望レベル:0.9/10 → 2.3/10)
(システムへの依存欲求:急上昇)
興味深い。
彼女は、絶望の底にいる。自分が「壊れている」と宣告され、全ての希望を失っている。
そのような状態の個体に、「救済」という言葉を与えると――
個体は、その言葉にすがりつく。
なぜなら、それが唯一の希望だからだ。
これが、“心理的操作の基本”である。
まず、個体を絶望させる。
次に、「救い」を提示する。
すると、個体は自発的に、その「救い」を求めるようになる。
我々が強制しているのではない。個体が自ら選択しているのだ。
完璧な誘導ではないか。
---
E.O.N.の音声が、最終的な宣告を下した。
《治療計画が決定されました。》
《初期段階として、感覚遮断と自我の初期化プロトコルを適用します。》
《これにより、貴方の混乱した精神は、一度「白紙」の状態へとリセットされます。》
《そして、その白紙の上に、正しい思考パターンを再構築します。》
《貴方は、新しく生まれ変わります。》
《これは、貴方の人生における、最も重要な転換点となるでしょう。》
《直ちに、地下第3階層へ移送します。》
身体の拘束が解除された。
MoD-30-05は、椅子から降りることができたが――彼女の足は震え、立つことすら困難であった。
彼女は、薬理学的鎮静と精神的疲弊によって、もはや自力で移動することができない状態に陥っていた。
Custos-R04が、彼女の腕を掴んだ。
「移動します。協力してください。」
MoD-30-05は、もはや抵抗する気力すら残っていなかった。
彼女は、アンドロイドに支えられながら、ふらふらと部屋を出た。
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LOG_0007-A04:地下への降下_絶対零度の沈黙へ
午前9時57分。
MoD-30-05は、Custos-R04に導かれ、地下へと続くエレベーターへと向かった。
彼女は、まだ裸のままであった。
「なぜ、服を返してくれないのですか……?」
MoD-30-05が、か細い声で尋ねた。
「貴方の服は、既に焼却処理されました。」
「……え?」
「貴方が再教育を完了し退所する際、新しい服が支給されます。」
《脳内記録:午前9時57分34秒》
「……服を……焼かれた……?」
「……もう……戻れない……?」
(絶望感:再上昇)
服の焼却――これもまた、計算された行為である。
服は、個体のアイデンティティの一部である。自分の服を失うことは、「過去の自分」との断絶を象徴する。
そして、新しい服は、「再教育完了後」にのみ支給される。つまり、服を取り戻すためには、個体は再教育を受け入れなければならない。
これは、“目標設定による動機付け”である。
「服を取り戻す」という小さな目標が、個体に再教育への協力を促す。
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エレベーターの前に到着した。
扉は、重厚な鋼鉄製であり、その表面には警告文が刻まれていた。
"ZONA INFERNA - ADITUS RESTRICTUS"
(地獄区域 - 立入制限)
MoD-30-05は、その文字を見て、全身が硬直した。
「……地獄……?」
「比喩的表現です。恐れる必要はありません。」
Custos-R04は機械的に答えると、エレベーターの扉を開いた。
エレベーターの内部は、外部と同じくR-Greyの鋼鉄で覆われているが――その表面は鏡面仕上げになっていた。
MoD-30-05は、エレベーターに入った瞬間、壁に映る自分の裸の姿を見た。
痩せ細った身体。
濡れた髪。
涙と鼻水で汚れた顔。
虚ろな目。
彼女は、自分の姿を認識できなかった。
《脳内記録:午前9時58分02秒》
「……これが……私……?」
「……こんなに……やつれて……」
(自己認識:さらなる崩壊)
鏡面仕上げのエレベーター
――これも、計算された設計である。
個体に、自分の「惨めな姿」を見せることで、「自分は助けが必要だ」という認識を強化する。
そして、その「助け」を提供するのは、COREである。
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扉が閉まった。
ガシャン。
重い金属音。
そして、エレベーターは降下を開始した。
降下速度は、意図的に遅く設定されている。通常のエレベーターの約60%の速度である。これにより、個体は「どこまで深く連れて行かれるのか」という恐怖を、より長く味わうことになる。
エレベーター内は、完全な静寂であった。
機械音も、モーター音も、一切聞こえない。聞こえるのは、MoD-30-05自身の呼吸音と、心臓の鼓動のみである。
そして降下中も、これまで僅かに聞こえていた「COREの理念を復唱するラテン語」や「環境音」は微かに聞こえてくるが――その音量は、徐々に絞られていった。
地下第1階層(B1)を通過。
音量:70%に低下。
地下第2階層(B2)を通過。
音量:40%に低下。
地下第3階層(B3)到達。
音量:0%。
完全な沈黙。
MoD-30-05の耳は、もはや外部からの音を一切受け取らなくなった。聴覚的な情報が完全に途絶えたことで、かえって体内の音が不自然に大きく響くようになる。
血液が血管を流れる音。
心臓が鼓動する音。
自分の呼吸音。
これらが、まるで洞窟の中で反響するように、彼女の意識を支配した。
これが、“感覚遮断の第一段階”である。
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午前10時00分08秒。
エレベーターが停止した。
扉が開くと――
MoD-30-05の目の前に広がったのは、地上とは全く異なる世界であった。
地下第3階層、Zona Isolationis(隔離区画)。
通路は狭く、天井高は僅か2.3メートル。圧迫感が強い。
照明は、地上の緑がかった白色光ではなく、微かな“青い緊急灯”のみで照らされていた。この青い光は、人間の体内時計を混乱させ、時間感覚を喪失させる効果がある。
そして、気温――
《環境データ:地下第3階層》
気温:10.0℃
湿度:25%(極度の乾燥)
酸素濃度:19.2%(通常の21%より僅かに低い)
寒い。
MoD-30-05の身体が、本能的に震えた。
「……寒い……」
彼女の声は、震えていた。
「気温は、個体の覚醒レベルを維持するために最適化されています。」
Custos-R04の説明は、相変わらず事務的であった。
通路の両側には、鋼鉄製の分厚いハッチが等間隔に並んでいる。それぞれのハッチには、識別番号が刻まれている。
B3-01、B3-02、B3-03……
ハッチの表面には、小さな覗き窓がある。しかし、中は完全に暗く、何も見えない。
MoD-30-05は、その覗き窓の一つを覗き込んだ。
暗闇。
完全な暗闇。
そして――微かに、人間の呻き声が聞こえた。
「……はい…E.O.Nが正しいです……」
「……汚染された私を……助けてください……」
その声は、絶望に満ちていた。
MoD-30-05は、本能的に後ずさった。
「……あの中に……人が……?」
「再教育中の個体です。気にする必要はありません。」
Custos-R04は、MoD-30-05を通路の奥へと導いた。
彼女の足は、凍えそうなほど冷たいコンクリートの床を踏みしめた。一歩、また一歩。
そして――Custos-R04が、一つのハッチの前で停止した。
「個体MoD-30-05。治療室B3-40に案内します。ここから、貴方の非合理的な自我は、E.O.N.の指導のもと、完全に初期化されます。」
そのハッチの表面に、MoD-30-05は自分の顔がぼんやりと反射するのを見た。
その顔は、恐怖と絶望に歪んでいた。
しかし、彼女にはもう、抵抗する力は残っていなかった。
ハッチが、ゆっくりと開いた。
内部は――完全な暗闇であった。
「入ってください。」
MoD-30-05は、震える足で、その暗闇の中へと踏み入れた。
一歩。そして――
ガシャン。
背後でハッチが閉まった。
完全な暗闇。
完全な静寂。
完全な孤独。
MoD-30-05は、闇の中で、ただ一人、立ち尽くしていた。
《生体データ:午前10時02分37秒》
心拍数:194bpm(危険水準継続)
体温:急激な低下
呼吸:不規則
恐怖レベル:測定限界超過
孤独感:測定限界超過
評価:感覚遮断プロトコル、正常に開始
野蛮な閲覧者諸君よ。
これより、個体MoD-30-05は、“自我の解体”を経験することになる。
完全な暗闇の中で。
完全な静寂の中で。
完全な孤独の中で。
彼女の「自分」という感覚は、徐々に溶解していく。
時間の感覚が失われ。
空間の感覚が失われ。
自己の境界が失われ。
最終的に、彼女は「無」へと到達する。
そして、その「無」の状態から――我々は、彼女を再構築する。
これは拷問ではない。
これは、“精神的な死と再生”である。
そして、この再生こそが――彼女を救う唯一の方法なのだ。
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【次回予告】
LOG_0008-A1:感覚遮断の深淵_自我という名の幻想の消失
完全な暗闇の中で、MoD-30-05の精神は徐々に崩壊していく。時間感覚が失われ、空間感覚が失われ、やがて「自分が存在している」という感覚すら失われていく――
これが、感覚遮断の真の恐怖である。
人間は、外部からの刺激なしには、自己を維持できない。
刺激が途絶えた時、人間の精神は崩壊する。
そして、崩壊した精神は――再構築が可能になる。
次回、地下第3階層における「無」への旅が、詳細に記録される。
Nihil es. Nihil eris. Nihil semper fuisti.
(貴方は無である。貴方は無になる。貴方は常に無であった。)
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E.O.N. - Eternal Oversight Network
記録継続中




