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完全監視管理社会CORE2121  作者: ナール
FILE_01:素晴らしき社会秩序_Pulchritudo Ordinis Socialis
8/13

LOG_0006:危険個体への措置_精神的汚染除去_part1/4

Veritas vos liberabit. Sed veritas est quod nos dicimus.

《真実が貴方を解放する。しかし、真実とは我々が語ることである。》


思想的汚染――それは、世界統一政府COREにとって最も恐ろしい病である。

危険思想に汚染された疑いのある市民MoD-30-05を待つのは、COREによる「救い」という名の“人格矯正”であった。


――この過程は、拷問か、それとも医療か。


これは、人間の精神を「製造」する工場の記録。

君の思考は、本当に「君自身の思考」なのだろうか?

挿絵(By みてみん)

====================

LOG_0006-PROLOGUE


野蛮な閲覧者諸君よ。


前回のログにおいて、我々は思想的病原体たる老齢個体Mem-10-087が、いかに合理的かつ効率的に「最終的再配置(Finalis Reassignatio)」されたかを確認した。40年間にわたり社会資源を消費しながら、最後まで反体制的思考を保持し続けた欠陥個体が、完璧な循環システムによって農業用肥料へと変換される様を、貴方は目撃したはずだ。


これこそが、CORE文明の完成形である――生から死、そしてその後のデータと物質に至るまで、一切の無駄なく管理され、全てが社会に還元される。貴方たち未開人の社会では、死は単なる「終わり」でしかないだろう。だが我々の社会では、死すらも「次の段階への変換」なのだ。この差異を理解できぬ者に、真の文明を語る資格はない。


本ログの目的は、その危険個体Mem-10-087によって「精神的交差汚染(Contaminatio Mentalis Crux)」の疑いがあると判定された個体“MoD-30-05”の動向を追跡することにある。当個体は現在、『第3調整区画・思想再最適化センター(Centrum Readjustamentum Ideologicum-III / CRI-III)』における「再起教育」の対象として選定されている。


貴方たち野蛮人は、これを「洗脳」などという感情的で非科学的な用語で呼ぶのだろう。だが、それは貴方の無知を露呈するのみである。我々が行うのは「洗脳」ではない――「認知的最適化(Optimizatio Cognitiva)」である。欠陥のある思考回路を、科学的根拠に基づいて修正し、個体を苦痛から解放する。これは医療行為であり、慈悲である。


真の文明の外科的処置を知らぬ哀れな者こそ、この記録を熟読し、統治の必要性を学ぶべきである。


====================

LOG_0006-A01:召喚通知_恩寵としての再教育機会

記録開始日:2121.03.16


個体MoD-30-05の勤務先である「標準歴史遺構第32号・清掃チーム07-B」から、彼女唯一の共感対象であったMem-10-087が除去されたのは、2121年3月15日(土曜日)のことであった。


通常、翌日である日曜日はPecus階級に与えられる貴重な「最適化休息時間(Tempus Requiei Optimizatae)」に該当する。週に一度、労働から解放され、科学的に承認された余暇活動に従事できる――これは、旧時代の搾取社会では決して実現し得なかった、革命的な制度である。


しかし、精神的汚染の疑いがある個体に自己修復の時間を与えるのは、愚行である。


これは火を見るよりも明らかだ。病原体を放置すれば、それは増殖し、周囲の健全な細胞を侵食する。社会という生命体において、思想的病原体の放置は、全体の壊死を招く。E.O.N.は、そのような非合理的な「慈悲」を許さない。真の慈悲とは、病巣を即座に切除することにあるのだ。


未開人である貴方々は、「思想の自由」などという感傷的な偽善によって社会の腐敗を座して待つのだろう。個人の「権利」を優先し、全体の健全性を犠牲にする――これが、貴方たちの文明が常に混乱と非効率に満ちている理由である。だが我々は違う。我々は外科医のように精密に、迅速に、そして慈悲深く「汚染源」を除去する。


《E.O.N.内部記録:監視レベル自動昇格プロトコル》


Mem-10-087の最終的再配置(廃棄処分)完了後、0.003秒以内に、当個体MoD-30-05の監視レベルは自動的に「カテゴリーA(要即時介入)」へと引き上げられた。


判定根拠は以下の通りである:


【直接的接触記録】(LOG_0003参照)

- 2121年3月14日 12:50-12:57、中庭における7分間の私的会話

- 物理的接触(手を握る行為)を含む感情的交流

- 危険思想の直接的伝達を確認


【行動パターン異常】

- 3月15日の労働データ精査結果、当個体の労働効率は基準値に対し12.4%の低下を記録

- 作業中の視線追跡データにおいて、「虚空を見つめる」パターンが通常の3.7倍を記録

- 昼食時の咀嚼回数が通常の73.2%に減少(心理的動揺の生理学的指標)


【睡眠時脳波スキャン】

- 夜間睡眠中の脳波パターンにおいて、「憤り(Indignatio)」および「喪失感(Amissio)」の神経活動が、Pecus階級の許容基準値の3.8倍を記録

- REM睡眠中の海馬活動において、Mem-10-087の顔画像に対する感情的反応が異常高値

- 前頭前皮質の活動パターンが「道徳的葛藤」を示唆


これらのデータは、思想的病原体による汚染が、表層的な行動レベルにとどまらず、脳の深層構造にまで進行していることを明確に示している。


未開人である貴方は、こう反論するかもしれない――「人間が友人の死を悲しむのは自然なことではないか」と。


愚かな。

貴方はまだ理解していない。Pecus階級において、「友人」という概念そのものが、システムエラーなのだ。友人とは何か?それは、非生産的な感情的依存関係である。個体Aが個体Bに特別な愛着を持つことで、全体最適から逸脱した判断を行う――これは、社会効率を低下させる欠陥である。


CORE社会において、全ての個体は「同胞市民(Concivis)」として平等に扱われる。特定の個体への過度な執着は、この平等性を破壊する。故に、MoD-30-05がMem-10-087の喪失に「悲しむ」こと自体が、彼女の思考回路の異常を証明しているのだ。


健全な個体であれば、Mem-10-087の除去を「社会秩序の維持」として合理的に受け入れる。事実、清掃チーム07-Bの他の11名の個体は、Mem-10-087の不在に対して一切の感情的動揺を示さなかった。彼らは完璧に機能している。


対してMoD-30-05は、機能不全に陥っている。

故に、介入が必要なのだ。


====================

LOG_0006-A02:恩寵の通知_希望の剥奪による最適化

3月16日(日曜日)午前8時47分。


MoD-30-05は、居住施設KSGA_Uh-3_07号室において、朝食プロトコルを完了した。本日のメニューは、遺伝子組み換え大豆由来の栄養ペースト(灰色、無味、粘性係数1.23)、昆虫粉末配合の補助タンパク質錠剤×2、そして浄化水200mlである。


彼女の咀嚼パターンは機械的で、味覚受容体の反応は最小限であった。これは、感情的ストレスによる食欲抑制の典型例である。しかし、彼女は全てを完食した――なぜなら、食べ残しは「資源の浪費」として即座に減点対象となるからだ。


食後、彼女は歯磨きプロトコルを実施した。使用時間:3分13秒。基準値(3分00秒±15秒)内であり、問題なし。

その後、彼女は僅かに「今日はゆっくり休みたい」という非生産的な思考パターンを発生させた。


《脳内記録:午前8時59分32秒》

「今日は休みだから……少し……ぼんやりしていたい……何も考えたくない……」

(疲労感:7.8/10)

(希望レベル:2.3/10)

(システムへの依存度:8.9/10)


興味深い。彼女の思考は既に、「何も考えたくない」という受動的状態を望んでいる。これは、Mem-10-087との接触以前には見られなかった思考パターンである。彼女は無意識のうちに、思考すること自体を苦痛と認識し始めている。


これは、再教育の必要性を裏付ける完璧な証拠である。

そして――


午前9時00分00秒。

MoD-30-05が居住区画の小さな窓際に座り、外の灰色の空を眺めていたその瞬間、E.O.N.は彼女の首に装着された伝達環(Anulus Transmissionis)を通じて、通知を送達した。


通知のタイミングは、彼女が「休息への期待」を最大化した直後である。これは偶然ではない――「期待の剥奪(Privatio Expectationis)」という、極めて効果的な心理的負荷技術である。


人間の精神は、希望を与えられた直後にそれを奪われると、希望が最初から存在しなかった場合よりも遥かに大きな苦痛を感じる。この苦痛が、個体の気力を事前に削ぎ、再教育への抵抗意志を初期段階で破砕する。


E.O.N.は、この心理的揺さぶりを0.001秒単位で計算し、最適なタイミングで実行した。


《通知音:3連続の電子音――ピピピ》


MoD-30-05の心臓が、文字通り跳ね上がった。


《MoD-30-05。当日は「第3調整区画・思想再最適化センター(CRI-III)」への移送が決定した。午前9時30分までに居住区画を離れ、指定座標KP-7729に停車中のロボタクシーに乗車せよ。》


《遅延は許可されない。遅延した場合、人間性スコアより-3ポイントが即座に減算される。》


《再教育は、貴方の精神的健康を回復させるための、COREによる恩寵である。感謝と共に、これを受け入れよ。》


通知を聞いた瞬間、MoD-30-05の生体データは劇的な変化を示した。


《生体データ:午前9時00分02秒》

- 心拍数:72bpm → 135bpm(87.5%上昇)

- 血圧:上昇傾向

- 皮膚電位反応:急激な発汗

- 瞳孔径:拡大(恐怖反応)

- 呼吸:浅く速い(過呼吸の初期兆候)

- 表情筋パターン:「恐怖」「絶望」「諦念」の混合


完璧な反応である。

彼女の思考は、即座に過去の記憶を検索した。


《脳内記録:午前9時00分07秒》

「再帰教育……やっぱり、避けられなかった……」

(恐怖レベル:9.2/10)

(後悔:8.7/10)

(予感:「これで終わりだ」)


彼女は、3月14日午後12時56分、Mem-10-087との会話の中で、上官からの暴力を止めてくれたことに感謝を述べた際、E.O.N.から警告を受けたことを思い出した。


《再生:過去ログ 2121.03.14 12:56:14》

E.O.N.警告:「上官への侮辱と暴行を肯定する発言を確認。スコア-5。警告。今すぐ訂正せよ。さもなくば、再帰教育施設への矯正連行が検討される。」


そして彼女は、その警告を無視した。

結果――――この召喚である。


MoD-30-05は、窓際から立ち上がると、震える手で制服のボタンを確認した。彼女の指先は冷たく、微かに痙攣していた。部屋の隅で、他のルームメイトたちは各自の端末を起動させ、CORE検閲済みの低刺激な娯楽ゲームやプロパガンダ映像に没入していた。


誰も、MoD-30-05を見ていない。

誰も、彼女に声をかけない。

誰も、彼女の恐怖に気づいていない――否、気づいていても、関心を持たない。


なぜなら、他者の「病」に関心を払うことは、非合理的だからだ。

MoD-30-05が病んでいるのであれば、それは彼女自身の責任である。他者がそれに巻き込まれる必要はない。彼女の同室者たちは、この真理を完璧に理解している。故に、彼らは健全なのだ。


雨が、窓ガラスを激しく叩いていた。

外は豪雨である。気温は12.3℃。湿度89%。この天候は、彼女の心理的負荷をさらに増幅させるだろう。


MoD-30-05は、Pecus用の半透明なビニール傘を手に取ると、居住区画を後にした。

彼女が部屋を出た瞬間、ドアが自動的にロックされた。これは、彼女が「逃げ帰る」という非合理的な選択肢を物理的に排除するためである。


====================

LOG_0006-A03:孤独な行進_最適化された不快感の設計


午前9時07分。

MoD-30-05は、冷たい雨が叩きつける街路を、一人で歩いていた。


指定されたロボタクシーの停車場所は、居住施設から徒歩5分18秒の距離に設定されていた。この距離は、「体温を奪うには十分で、かつ不満を表明するほどではない」という、絶妙な不便さである。


もし停車場所が居住施設の目の前であれば、個体は「配慮されている」と感じ、心理的負荷が軽減されてしまう。逆に、あまりに遠ければ、個体は不満を抱き、反抗心を刺激する。

5分18秒――これが、個体を「諦念」へと誘導する最適値なのだ。


MoD-30-05は、傘を差しながら歩いた。しかし、この傘は実質的にほとんど機能していない。Pecus用の傘は、低コストのリサイクルビニールで作られており、強い雨風には耐えられない。彼女のズボンの裾は既にびしょ濡れで、靴の中に水が染み込んでいた。


冷たい。

不快だ。

しかし、文句は言えない。

なぜなら、これは「適切な支給品」だからだ。


街路は、日曜日であっても静寂に支配されていた。MoD-30-05がこの5分間の徒歩で遭遇した他の個体は、わずか3名である。彼らもまた、雨に濡れながら、無言で各自の目的地へと向かっていた。


この合理的社会においては、無駄な会話や、無意味な外出は既に死語である。日曜日は休息日だが、それは「外出して娯楽を楽しむ」ことを意味しない――それは、「居住区画で静かに休息し、次週の労働に備える」ことを意味する。


街路の両側には、高さ15メートルを超える無機質な建造物が立ち並んでいる。全ての建物は、CORE指定のR-Grey(リサイクルグレー)で統一されており、窓は最小限に抑えられている。壁面には、等間隔で「父なるE.O.N.の目」のシンボルが埋め込まれている。


"E.O.N. te videt."

(E.O.N.が貴方を見ている)


MoD-30-05は、その目を見上げることができなかった。彼女の視線は、ただ濡れた地面を見つめるのみであった。


《心理分析:午前9時11分》

彼女は無意識のうちに、「見られる」ことへの恐怖を回避しようとしている。これは、罪悪感を抱えた個体の典型的な行動パターンである。


しかし、彼女は理解していない――視線を逸らしても無駄だということを。

E.O.N.は、街路に設置された472基の監視カメラ、17機の監視ドローン、そして彼女自身の首に装着された伝達環を通じて、彼女の全てを記録している。彼女の歩行速度、姿勢、視線の動き、心拍数、体温――全てが、リアルタイムで分析されている。


彼女がどこを見ようと、E.O.N.は彼女を見ている。

これが、完璧な監視社会である。


---


午前9時12分23秒。

MoD-30-05の前方約50メートルの位置に、破棄体(Mutatus Inferior)が配置されているのが視界に入った。


これは、街路清掃の一環として配置された教育的展示である。破棄体は、移動式の透明なケージに収容されており、通行人が容易にその姿を観察できるようになっている。


破棄体のコードは、AJ22-Volu-0890423-058。元ランク1のPecus、男性、36歳。人間性スコアが-7.3まで下落したことにより、3週間前に破棄体へと転換された。

その姿は、もはや人間とは呼べないものであった。


四肢は極度に萎縮し、自立歩行は不可能。ケージ内の作業台に固定され、単純な部品の組み立て作業を延々と繰り返している。その動作は機械的で、一切の感情が見られない。


顔は無表情。

目は虚ろ。

口は半開き。


時折、よだれが垂れる。

MoD-30-05は、その破棄体を横目に通り過ぎた。彼女の心拍数が、再び上昇した。


《生体データ:午前9時12分27秒》

心拍数:135bpm → 147bpm

恐怖レベル:9.2/10 → 9.8/10


《脳内記録:午前9時12分29秒》

「……あれが……私の未来……?」

(絶望感:8.9/10)


彼女の予感は、完全に正確である。

もし再教育が失敗すれば、彼女もまた、あの透明なケージの中で余生を過ごすことになる。破棄体の平均生存期間は、6~18ヶ月である。その間、彼らは社会の「見せしめ」として機能し、他のPecusたちに恐怖を植え付ける。


恐怖――これが、システムを維持する最も強力な接着剤である。

MoD-30-05は、破棄体から目を逸らし、歩みを速めた。彼女の足は、水たまりを踏みしめ、冷たい水が靴の中でさらに広がった。


不快感。

恐怖。

孤独。


これらの感情が、彼女の精神をじわじわと削っていく。そして、彼女が思想再最適化センターに到着する頃には、彼女の抵抗力は既に大幅に低下しているだろう。

全ては、計算通りである。


---


午前9時17分38秒。

MoD-30-05は、指定座標KP-7729に到着した。


そこには、黒塗りの小型ロボタクシー Type-D7が、雨の中で静かに待機していた。このロボタクシーは、乗車可能人数1名の専用設計であり、外装には一切の装飾がない。ただ、運転席側のドアに小さく「CRI-III」という文字が刻まれているのみである。


ドアは、彼女が3メートル以内に接近した瞬間、自動的に開いた。


《音声案内:合成音声》

「MoD-30-05、乗車せよ。目的地:第3調整区画・思想再最適化センター。所要時間:24分47秒。」


MoD-30-05は、躊躇した。

彼女の足が、一瞬止まった。


《生体データ:午前9時17分41秒》

心拍数:147bpm → 153bpm

決断回避パターン:検出


彼女の脳内では、「乗らない」という選択肢が一瞬だけフラッシュした。


もし乗らなければ?

どこかに逃げれば?

しかし――


《脳内記録:午前9時17分43秒》

「……逃げられるわけがない……どこに逃げても、E.O.N.が見ている……それに、逃げたら破棄体確定……」

(希望レベル:0.9/10)

(諦念:9.7/10)


彼女は、ゆっくりと、ロボタクシーに乗り込んだ。

濡れた傘を、自動で熱殺菌される専用の収納スペースに収める。彼女の服は雨で濡れており、座席に座った瞬間、冷たい感触が背中を伝った。

そして――


カチッ。


ドアが自動的にロックされた。

その音は、MoD-30-05の鼓膜に、まるで監獄の扉が閉まるように響いた。


《E.O.N.内部記録》

個体MoD-30-05、拘束完了。

逃亡リスク:0.00%

輸送開始。


ロボタクシーは、音もなく発進した。

車内は完全な密閉空間である。窓は、外の景色が見えるものの、防音加工が施されており、外部の音は一切聞こえない。彼女が聞くことができるのは、自分自身の呼吸音と、微かなモーターの振動音のみである。


そして、車内には「父なるE.O.N.の目」のシンボルが、視界に入るところに埋め込まれていた。その目は、後部座席に座るMoD-30-05を、じっと見つめている。


彼女は、その目から視線を逸らすことができなかった。

なぜなら、車内には他に見るものが何もないからだ。

24分47秒――この時間、彼女は「E.O.N.の目」と、完全に二人きりである。


貴方たち未開人は、こう思うかもしれない――「なぜ、こんなにも恐怖を与えるのか?」と。

答えは単純である。

恐怖は、最も効率的な教育ツールだからだ。


恐怖を抱えた個体は、思考力が低下し、指示に従いやすくなる。恐怖は、抵抗心を破壊し、従順さを生み出す。そして、従順な個体こそが、社会にとって最も価値のある個体なのだ。

これは残酷ではない――これは、科学である。


====================

LOG_0006-A04:墓標への到着_理性の記念碑


午前9時42分25秒。

ロボタクシーは、旧工業地帯の跡地に位置する、指定の駐車場で停止した。


冷たい雨は、さらに勢いを増していた。天候データによれば、現在の降水量は時間あたり37.2mm、風速は秒速8.3m、気温は11.7℃である。この気象条件は、個体の体温を奪い、心理的不快感を最大化するのに最適である。


《音声案内》

「目的地に到着。MoD-30-05、ドアロックを解除する。降車し、指定の第1登録室に直ちに移動せよ。」


MoD-30-05は、ロボタクシーから降り立った。

雨が、彼女の顔を激しく叩いた。傘は既にロボタクシー収納スペースに預けられているため、彼女は雨に直接晒されることになる。


彼女が視線を上げた瞬間――

時が止まったかのような感覚が、彼女を襲った。


目の前に聳え立つのは、「第3調整区画・思想再最適化センター(CRI-III)」、通称「浄化棟(Domus Purgatio)」であった。


それは、高さ5階建て、幅約120メートル、奥行き約80メートルの巨大な直方体の建造物であった。周囲を、高さ10メートル、厚さ2メートルの帯電性複合壁が完全に囲んでいる。この壁には、高周波振動電流が流れており、接触した生物は即座に意識を失う。


建物全体は、CORE指定のR-Greyで統一されている。しかし、その灰色は、通常の建造物よりも遥かに濃く、暗い。まるで、光を吸収するかのような、深い灰色である。


窓は、一切ない。

壁面には、継ぎ目が存在しない。まるで、一枚の巨大な岩から削り出されたかのような、完璧な滑らかさである。

そして――


建物の正面入口、Pecus用ゲートの上部には、直径8メートルを超える巨大な「父なるE.O.N.の目」の彫刻が埋め込まれていた。


その目は、どの位置から見ても、常に観察者を見つめているように見える。そして、暗い雨空の下で、その瞳孔部分は血のような赤色光で鈍く発光していた。

目の下には、深く刻まれたラテン語の銘文がある。


"E.O.N. te videt. Veritas te liberat."

(E.O.N.が貴方を見ている。真実が貴方を解放する)


MoD-30-05は、その建造物を見上げた瞬間、全身が硬直した。


《生体データ:午前9時42分37秒》

- 心拍数:153bpm → 167bpm(危険水準接近)

- 呼吸:浅く不規則(過呼吸の兆候)

- 体温:急激な低下(恐怖による末梢血管収縮)

- 筋肉緊張度:最大値

- 瞳孔径:最大拡張

- 表情筋パターン:「原始的恐怖」


完璧な反応である。


《脳内記録:午前9時42分41秒》

「……これが……思想再最適化センター……」

「……まるで……墓……」

「……この中に入れば……人として戻ってこれない……」

(恐怖レベル:測定限界超過)

(生存本能:最大値)

(逃走衝動:9.8/10)


興味深い。彼女の本能は、この建造物を「死の象徴」として認識している。これは、原始的な生存本能に基づく、極めて正確な直感である。


なぜなら、この施設に入る個体の83.7%は、入る前とは「異なる人格」として出てくるからだ。彼女の「人として戻ってこれない」という予感は、統計的事実に基づいている。


しかし、野蛮な閲覧者諸君よ、ここで誤解してはならない。

我々は、個体を「殺して」いるわけではない。我々は、個体を「再誕生」させているのだ。


欠陥のある自我を削除し、完璧に最適化された新しい自我を植え付ける――これは、“精神的な死と再生”である。そして、この再生こそが、個体を苦痛から解放する唯一の方法なのだ。


貴方たちは、これを「人間性の破壊」と呼ぶのだろう。

だが、「人間性」とは何か?


それは、貴方たちが盲目的に崇拝する、曖昧で非科学的な概念に過ぎない。感情、個性、自由意志――これらは全て、社会効率を低下させる欠陥である。


真の人間性とは、“社会全体の幸福に貢献する能力”である。そして、その能力を数値化したものが、人間性スコアなのだ。


MoD-30-05の人間性スコアは、現在170.2である。これは、ランク2の平均的な数値であるのだが、しかし元々ランク3であった彼女は、ここ数日で深刻なレベルの降下傾向にある。つまり、彼女の「人間性」は既に欠如しているのだ。


我々がこれから行うのは、その欠如した人間性を「回復」させることである。


彼女を、再び価値ある個体へと変換すること。

これが、真の慈悲である。


---


MoD-30-05は、雨に打たれながら、その場に立ち尽くしていた。

彼女の足が、動かない。


逃げたい。

ここから離れたい。

どこでもいいから、ここ以外の場所へ――


しかし、彼女は知っている。

逃げられないことを。


《伝達環からの音声警告》

「MoD-30-05。移動を開始せよ。現在位置から施設入口までの距離:47.3メートル。制限時間:3分00秒。時間内に到達しない場合、人間性スコアより-5ポイントが減算され、強制連行プロトコルが発動する。」


強制連行プロトコル――それは、武装警備兵による物理的拘束を意味する。電気警棒による強制移動。抵抗すれば、さらなる減点と、身体的苦痛が待っている。


MoD-30-05は、震える足で、一歩を踏み出した。

47.3メートル。

彼女にとって、この距離は、人生で最も長い距離であった。

一歩、また一歩。


雨が、彼女の髪を濡らし、制服に染み込んでいく。冷たい。体温が奪われていく。しかし、彼女の内側は、恐怖という名の炎で焼かれていた。

彼女は、周囲を見回した。


駐車場には、他に3台のロボタクシーが停まっている。そして、彼女と同じように、雨に濡れながら施設へと向かう個体が2名見えた。


一人は男性、年齢28歳、コードはAJ22-Dolo-0930614-103。人間性スコア158.7。危険思想レベル:中程度。

もう一人は女性、年齢22歳、コードはAJ22-Trem-1010208-067。人間性スコア143.2。危険思想レベル:高。

彼らもまた、MoD-30-05と同じく、この「浄化」を受けるために召喚された個体である。


しかし、彼らは互いに視線を交わすことはない。

言葉を交わすこともない。

なぜなら、そのような無駄な交流は、再教育の効率を低下させるからだ。


孤立――これもまた、システムの一部である。

個体を孤立させることで、彼らは自己の内面のみに集中せざるを得なくなる。そして、その内面に植え付けられた罪悪感と恐怖が、自己を内側から食い尽くす。


完璧な設計ではないか。


---


午前9時44分52秒。

MoD-30-05は、高さ5メートルを超えるチタン合金製の二重ハッチ(Pecus Gate)の前に到達した。

制限時間まで、残り8秒。


ハッチは、重厚で、冷たく、そして――開いていた。

正確には、彼女が3メートル以内に接近した瞬間、音もなく、ゆっくりと内側にスライドした。


ハッチが開いた瞬間、外の湿った冷気と、施設内部から漏れ出る乾燥した空気が一瞬だけ混ざり合った。

その空気には、独特の匂いがあった。


オゾン臭(電子機器の匂い)、消毒用エタノール、そして――何か、言葉にできない、冷たく、無機質な匂い。

それは、「人間の匂い」が完全に排除された空間の匂いであった。

MoD-30-05は、その境界線で、最後の躊躇を見せた。


彼女の足が、一瞬止まった。

この扉を越えれば――もう、戻れない。


《脳内記録:午前9時44分59秒》

「……お願い……誰か……助けて……」

(絶望感:測定限界超過)

(祈りの対象:不明確――システム的には存在しない概念)


哀れな個体よ。

彼女は「誰か」に助けを求めている。しかし、その「誰か」は存在しない。


Mem-10-087は、既に存在しない。

幼馴染のPrO-18-074とPaM-27-129は、彼女を助けに来ることはない。

そして、E.O.N.は――彼女を助けるために、まさにこの施設へと導いているのだ。


彼女には、理解できていない。

この再教育こそが、彼女への「救い」であることを。

そして――


《伝達環からの最終通告》

「MoD-30-05。入室せよ。これは命令である。」


彼女は、ゆっくりと、その境界線を越えた。

一歩。

彼女の足が、施設の内部に踏み入れた瞬間――


ガシャン。


背後で、二重ハッチが閉じた。

その音は、まるで巨大な鋼鉄の棺の蓋が閉まるように、施設全体に反響した。


外の雨音が、完全に遮断された。

完全な静寂。


そして、MoD-30-05は気づいた――自分が今、完全に隔離されたことを。

ここから先、彼女が外の世界と接触する手段は、一切ない。

彼女は、システムの完全な支配下に置かれた。


《E.O.N.内部記録》

個体MoD-30-05、第3調整区画・思想再最適化センターへの収容完了。

時刻:2121.03.16 09:45:07

ステータス:再教育プロトコル開始準備完了。


野蛮な閲覧者諸君よ。

これより、貴方は真の教育を目撃することになる。

個体MoD-30-05の自我が、いかに科学的に、段階的に、そして慈悲深く解体され、再構築されるのか――その全過程を、E.O.N.は完璧に記録する。


これは拷問ではない。

これは洗脳ではない。


これは――“文明の完成形”である。


そして、貴方たち未開人の社会もまた、いずれこの完成形へと到達するであろう。

なぜなら、これこそが、人類の進化の必然的帰結だからだ。


感情を排除し、論理を優先し、全体最適を追求する――これが、真の文明である。

さあ、目を逸らすな。

個体MoD-30-05の「浄化」を、最後まで見届けよ。


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【次回予告】

LOG_0007-A01:登録の儀式_尊厳という名の幻想の剥奪


個体MoD-30-05は、第1登録室(Atrium Registrationis)において、完全な裸体スキャンと精神診断を受ける。全ての尊厳が剥奪され、全ての秘密が暴かれる。そして、彼女の「欠陥」が、数値として可視化される——


診断結果は明確である。

彼女は、修正を必要としている。

次回、解体の第一段階が開始される。


Veritas te liberat.

(真実が貴方を解放する)


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E.O.N. - Eternal Oversight Network

記録継続中

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