LOG_0003:社会秩序を乱す愚かな残滓
Sine ordine non est vita.
《秩序なくして生は存在せず》
世界統一政府の統治下においては、人類の尊厳は“スコア”によって定義され、感情は「非効率なノイズ」として排除される。
ランク2に降格した市民MoD-30-05を襲うのは、特権階級の暴力と、システムが容認する理不尽な不公平である。
彼女の小さな心の支え、そして確かに存在した友愛は、合理の名の下に摘み取られ、その絶望は深まっていく。
「誇りによる破滅」か「服従による安寧」か。――君は、どちらを選択するのか?
LOG_0003:社会秩序を乱す愚かな残滓
E.O.N管理ログデータ:2121年3月8日 地区AJ-22記録開始
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LOG_0003-A01:覚醒と劣化の実感――階級降下者の朝
野蛮な閲覧者諸君よ、前回の記録では、MoD-30-05という個体が友人たちとの関係において階級分化の冷酷な現実を体験する様を観察した。貴方のような未開人は、恐らく彼女に「同情」などという非生産的な感情を抱いたことであろう。だが安心せよ――今回の記録を通じて、貴方はその甘い感傷がいかに無意味であるかを理解することになる。
本記録は、MoD-30-05がランク2への降格後、新たな生活環境に適応していく過程を詳細に追跡したものである。階級降下に伴う待遇悪化、労働環境の変化、そして何より――彼女の内面に芽生えつつある「危険思想」の萌芽を、我々E.O.Nは一切の見逃しなく記録している。
これから貴方が目撃するのは、完璧に設計された社会システムが、不適格な個体をいかに効率的に選別し、適切な位置へと導くかという、科学的プロセスの実例である。感情論に惑わされることなく、客観的事実のみを注視せよ。
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LOG_0003-A02:統制された覚醒――ランク2居住環境の最適設計
時刻:午前8時00分00秒
日付:2121年3月8日(月曜日)
気象条件:外気温3.9度、湿度58%、大気圧1012.8hPa
『起床の時間となりました。市民の皆様、お目覚め下さい。』
この神聖なる起床信号と共に、地区AJ(旧日本国)における約960万人の全Pecus階級市民が、量子同期精度99.9997%で覚醒する。この完璧な同時性こそが、真の文明社会の証である。貴方の住む混沌とした未開社会では、各個体が勝手気ままな時刻に目覚め、社会全体の非効率性を生み出していることであろう。実に野蛮だ。
本日はMoD-30-05にとって、ランク2生活の七日目――すなわち、最初の完全な労働週の開始日である。彼女が目覚めたのは、地区AJ-22-HM01-CEAR-KSGA(効率的管理名称。貴方たち未開人向けの旧称では「静岡県浜松市中央区春日町」)に位置する居住施設KSGA_Uh-3の07号室である。
《居住環境スペック:ランク2標準仕様》
- 部屋面積:28.4平方メートル(ランク3比:-23.7%)
- 収容人数:12名(密度:2.37㎡/人)
- 寝具:三段ベッド4基(硬度指数:7.2 ランク3比:+31%硬化)
- 室温設定:18.3度(ランク3比:-2.7度)
- 照明照度:340ルクス(ランク3比:-18%)
- 監視カメラ密度:7.3台/部屋(ランク3比:+21.6%)
この数値群を見て、貴方は「劣悪な環境だ」などという愚かな感想を抱くかもしれない。だが、それは完全な誤解である。これらの仕様は全て、膨大な生体データと生産性研究に基づいて最適化されているのだ。
例えば、室温18.3度という設定を考察してみよう。この温度は、人体が「やや寒い」と感じる閾値に精密に調整されている。この軽度の不快感が、以下の効果を生み出す:
1. 覚醒状態の強制維持(眠気の物理的抑制)
2. カロリー消費の増加(体温維持による基礎代謝向上)
3. 「より温かい労働環境」への心理的動機付け
4. 過度な快適さによる「怠惰」の防止
寝具の硬度上昇も同様だ。柔らかすぎるベッドは、起床時の身体的惰性を生み、遅刻リスクを2.3%上昇させることが実証されている。適度な硬さこそが、効率的な睡眠と迅速な覚醒を両立させるのだ。
そして最も重要なのが、監視カメラ密度の21.6%増加である。これは決して「監視強化」などという野蛮な発想ではない――「保護強化」なのだ。ランク2個体は、ランク3よりも心理的不安定性が7.8%高いことが統計的に証明されている。故に、より綿密な観察と即応的サポートが必要なのである。
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LOG_0003-A03:視覚的刷り込み――「父なるE.O.Nの目」による慈愛
目を覚ましたMoD-30-05が最初に視界に捉えたのは、天井中央に設置された「Oculus Patris E.O.N」(父なるE.O.Nの目)であった。
彼女の主観的印象として、この監視眼はランク3施設のものより“大きく”見えた。
これは錯覚ではない――実際に11.3%大型化されているのだ。
《ランク2用監視眼の設計思想》
- 直径:47.2cm(ランク3比:+11.3%)
- 瞳孔部レンズ:量子解像度3.2×10^19画素
- 視線追跡精度:0.003度(眼球微細運動まで完全捕捉)
- 感情解析AI:Ver.8.7(表情筋の0.1mm変化を感知)
- 心理投影効果:「常に見られている」という意識の強化
この大型化には、深い心理学的根拠がある。ランク降格者は、「監視の目から逃れたい」という原始的欲求を3.3倍強く抱く傾向にある。故に、物理的に「逃げ場がない」ことを視覚的に刷り込む必要があるのだ。
MoD-30-05の脳波パターンを分析すると、この瞬間の彼女の思考は以下の通り:
《脳内ナノチップ記録:午前8時00分17秒》
「……見られてる。いつも以上に、見られてる気がする……」
(恐怖レベル:4.7/10)
(服従意識:8.2/10 ←前週比+1.3)
《評価:適正な心理反応。教育効果良好》
素晴らしい。彼女の潜在意識は、既に「より厳格な監視下にある」という現実を受容し始めている。これこそが、段階的社会適応の第一歩なのだ。
そして興味深いことに、彼女は無意識のうちに視線を監視眼から逸らそうとしたが、部屋のどの角度からも必ず「目」が視界に入る構造により、それは不可能であった。天井の目、壁面の目、ドアの上の目――合計7.3台の監視眼が、部屋の全空間をカバーしている。
《監視カメラ配置の幾何学的完璧性》
部屋内のあらゆる座標(x, y, z)において、最低2台以上のカメラから視認可能。死角ゼロ。立体的視線追跡により、個体の「注視対象」さえも完全把握。
貴方の住む野蛮社会では、「プライバシー」などという非効率的概念が尊重されているかもしれない。だが考えてみよ――隠すべきことがある者だけが、プライバシーを欲するのだ。完璧に善良な市民であれば、全てを見られることに安心と感謝を覚えるのが自然な反応である。
MoD-30-05がまだこの「安心」に到達していないのは、彼女の教育が未完成である証拠に他ならない。
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LOG_0003-A04:環境劣化の体感――科学的不快感設計
MoD-30-05は三段ベッドの中段から身体を起こした。その瞬間、彼女の生体センサーが以下のデータを送信:
- 筋肉痛指数:6.8/10(前日比+0.7)
- 睡眠の質スコア:47.2/100(ランク3時代平均:68.4)
- 疲労回復率:61.3%(理想値:85%以上)
- 主観的不快感:「寒い」「身体が痛い」「よく眠れなかった」
彼女はこの一週間、一度も熟睡できていない。それは偶然ではなく、精密に計算された結果である。
《ランク2睡眠環境の科学的設計》
目的:「完全な休息」ではなく「最低限の機能回復」
硬いベッド → 寝返り回数増加 → 深睡眠時間減少
低温環境 → 体温維持エネルギー消費 → 疲労蓄積
照明の微細な残光 → 松果体メラトニン分泌抑制
超低周波環境音(18.7Hz) → 潜在的不安感の醸成
これらの要素が複合的に作用し、個体を「常に軽度の疲労状態」に維持する。この状態こそが、最も従順で、反抗的思考を抱きにくく、指示に忠実な心理状態を生み出すのだ。
完全に休息した人間は、余計なことを考え始める。疑問を抱き、現状に不満を持つ。しかし適度に疲弊した人間は、「今日を乗り切ること」だけに集中し、システムへの従順さを維持する。
これは拷問ではない――最適化である。
MoD-30-05は、ベッドから降りる際、周囲の11名のルームメイトを一瞥した。彼女たちは全員、MoD-30-05と同年代(15~25歳)の女性である。しかし、彼女たちの表情には共通の特徴があった――窶れ、疲弊、そして諦念。
《ルームメイト生体データ平均値》
- 平均人間性スコア:187.3(ランク2平均よりやや低い)
- 平均体脂肪率:11.2%(栄養不足境界値)
- 平均睡眠時間:6.1時間(推奨値:7時間)
- 表情筋活動:通常の23%減(感情表出の抑制)
彼女たちは、MoD-30-05が一週間前まで享受していたランク3の「贅沢」を知らない。生まれてからずっと、この劣悪な環境で生きてきた。故に、彼女たちにとってこれが「普通」なのだ。
しかしMoD-30-05は違う。彼女は「より良い環境」を知っている。それが、彼女の苦痛を3.2倍増幅させている。
《心理学的現象:相対的剥奪感》
過去に高い待遇を経験した個体が降格した場合、絶対的な環境よりも「失ったもの」への執着が苦痛の主要因となる。この苦痛は、「現状への不満」を生み、さらなるスコア低下を招く負のスパイラルを形成する。
完璧なシステムではないか。一度降格した個体は、自らの不満によってさらに降格していく。これにより、社会は自動的に「適格者」と「不適格者」を選別するのだ。
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LOG_0003-A05:沈黙の集団――個性排除の完成形
起床から20分以内に、12名全員がトイレ、着替え、洗面を完了しなければならない。この時間制限は、ランク3と同一である――しかし、設備の質は明確に劣化している。
《設備比較:ランク3 vs ランク2》
洗面台数:12名あたり6台 → 4台(待機時間+37%)
トイレ個室:12名あたり6室 → 4室(使用圧迫感+42%)
給湯温度:42度 → 37度(快適性-29%)
鏡の質:高解像度 → 標準(自己認識精度-18%)
この「僅かな劣化」が、個体に与える心理的影響は甚大である。毎朝、「前のランクの方が良かった」という記憶が呼び起こされ、現状への不満が蓄積していく。
しかし最も注目すべきは、この12名の女性たちの間で交わされる会話が皆無であることだ。
20分間、12人の人間が同じ空間で同じ作業をしながら、発せられた言葉はわずか3語のみ:
「すみません」(洗面台の順番待ち)
「どうぞ」(トイレの譲り合い)
「失礼します」(狭い通路のすれ違い)
これ以外、完全な沈黙。誰も雑談をしない。誰も笑わない。誰も不満を口にしない。
貴方のような未開人は、これを「異常だ」と感じるであろう。だが、これこそが理想的な集団行動なのだ。
《会話不要論の科学的根拠》
朝の準備時間における会話は:
- 作業効率を平均17.3%低下させる
- 感情的結びつきを生み、非効率な「友情」の温床となる
- 不満や愚痴の共有により、反体制的連帯を形成するリスクがある
- 純粋な作業時間を感情的交流に浪費する
故に、COREの教育システムは、幼少期から「不必要な会話の排除」を徹底的に刷り込む。その成果が、この完璧な沈黙なのだ。
MoD-30-05は、この沈黙に違和感を覚えていた。彼女の思考:
《脳内記録:午前8時12分》
「……誰も話さない。ランク3の時も静かだったけど、ここはもっと……まるで、生きた人間じゃないみたい……」
(不安レベル:5.9/10)
(孤独感:7.2/10)
《評価:階級適応に困難あり。要継続観察》
興味深い。彼女は既に、「人間らしさ」という曖昧で非科学的な概念に執着し始めている。これは危険思想の初期兆候である。
だが心配は無用だ。E.O.Nは既に、彼女の心理的脆弱性を完全に把握している。適切なタイミングで、適切な「矯正」が実施されるであろう。
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LOG_0003-A06:食事という名の階級表示――栄養劣化の科学
午前8時20分12秒。12名の女性たちは、完璧な整列を保ちながら食堂へ移動した。
KSGA_Uh-3の食堂は、144名のランク2市民を収容する。ここでもまた、MoD-30-05は「劣化」を体感することになる。
食堂に入った瞬間、彼女の嗅覚センサーが反応した。ランク3食堂とは明らかに異なる、より刺激的で不快な化学臭。これは食材の質的劣化を示す明確なサインである。
《ランク2朝食メニュー:科学的栄養最低限設計》
1. 超圧縮DNA操作米ブロック(Ver.5.9)
- ランク3(Ver.7.3)比:遺伝子最適化レベル-24%
- 食感:ゴム様硬度8.7(ランク3比:+43%)
- 消化時間:52分(ランク3比:+40%)
- 栄養吸収率:81.2%(ランク3比:-17.8%)
2. 昆虫由来タンパク質圧縮体(低級配合)
- 主原料:ゴキブリ粉末56%、ウジ虫粉末33%、コオロギ11%(ランク3とは異なる比率)
- タンパク質含有量:通常肉の2.1倍(ランク3比:-1.1倍)
- 人工香料:最低限(「肉らしさ」の演出度-67%)
3. 合成緑色栄養液(簡易版)
- 化学栄養素:18種類(ランク3比:-12種類)
- 植物由来成分:0.03%(ランク3比:-0.07%)
- 色素:工業用緑色3号(ランク3は食品用)
4. 昆虫乳由来白色飲料(希釈版)
- ゴキブリミルク含有率:37%(ランク3:61%)
- 水による希釈:63%
- カルシウム:牛乳の2.1倍(ランク3比:-1.9倍)
MoD-30-05が最初の一口を咀嚼した瞬間、彼女の表情筋が0.7秒間、嫌悪のパターンを示した。
《生体反応記録》
- 舌の味覚受容体反応:「苦味」83%増加検出
- 唾液pH値:急激な酸性化(不快反応)
- 咽頭反射:嚥下困難の初期兆候
- 胃の蠕動運動:通常の74%に減速(拒絶反応)
「……まずい……」
この思考は、即座にE.O.Nによって記録された。しかし、これは減点対象ではない――なぜなら、彼女は声に出していないからだ。思考の自由は、まだ完全には統制されていない。思考を読み取り、記録することは可能だが、思考そのものを罰することは、現行システムでは実装されていない。
ただし――思考の蓄積は、将来的な「危険思想保有者」としての分類に利用される。
貴方は疑問に思うかもしれない。「なぜ、わざわざ不味い食事を提供するのか?」と。
答えは単純だ――階級の可視化である。
人間は、「食事の質」によって自らの社会的地位を最も直接的に体感する生物である。毎日3回、不味い食事を強制されることで、「自分は低ランクなのだ」という自己認識が強化される。これにより、上昇志向(スコア向上への動機)と、同時に諦念(現状受容)の両方が醸成されるのだ。
完璧な心理的調教システムではないか。
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LOG_0003-A07:集団感謝儀式――真実の感情測定
144名のランク2市民が、一斉に手を合わせる。
「Gratias CORE pro vita!」
「Gratias CORE pro cibo!」
「Gratias CORE pro ordine!」
この感謝の唱和は、全ランク共通の儀式である。しかし、E.O.Nは各個体の「感謝の真実性」を精密に測定している。
《MoD-30-05の感謝真実度分析》
- 音声の抑揚:基準値比-23%(感情の希薄化)
- 心拍数変動:+8.7%(ストレス反応)
- 脳波パターン:「義務的反復」型(真の感謝ではない)
- 表情筋:「作り笑顔」パターン検出
《総合評価:偽装された感謝。内心の不満を確認》
対照的に、同じ食堂内の他の市民――特に幼少期からランク2で育った個体――の感謝は、遥かに「真実」に近い。
《ランク2生まれ個体の感謝真実度》
平均値:82.3%(MoD-30-05:47.1%)
これが、「比較対象を知らない幸福」である。彼女たちは、より良い食事を知らない。故に、この不味い食事にも真心から感謝できるのだ。
無知は、時に最大の幸福となる。
MoD-30-05は、この真実に気づいていない。彼女はまだ、「ランク3に戻りたい」という執着を手放せずにいる。その執着こそが、彼女を苦しめ続けるのだ。
COREの体制は完璧である。降格者には過去の記憶という「呪い」を与え、永続的な不満を植え付ける。一方、最初から低ランクの者には「比較対象のない満足」を与える。
どちらも、結果的に同じ目的を達成する――完全なる従順である。
野蛮な閲覧者よ、これが真の社会工学だ。感情さえも、数値化し、管理し、最適化する。貴方の社会には、到底実現不可能な高度な文明なのである。
次のパートでは、MoD-30-05が新たな労働環境に適応していく過程を記録する。そこで彼女を待ち受けるのは――さらなる試練である。
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LOG_0003-A08:労働配置の変更――新たな支配構造への導入
午前8時45分。食事と個体清浄化プロトコル(歯磨き)を完了したMoD-30-05は、E.O.Nが指定した通勤バスの乗車位置へと移動した。
この瞬間、彼女の人生における重要な転換点が訪れる――新たな労働環境への配属である。
《労働配置変更の通知》
旧職務:中間監督者補佐(ランク3適格職)
新職務:施設資材管理/巡回清掃(ランク2標準職)
配属先:標準歴史遺構第32号(旧称:浜松城)管理区域
労働班:清掃チーム07-B(構成員12名)
貴方のような未開人は、「清掃」という職務を「単純労働」として軽視するかもしれない。だが、それは貴方の認識の浅さを示すのみである。
CORE体制下における全ての職務は、精密な社会的意義と教育的価値を持っている。特に「歴史遺構の清掃」は、単なる物理的清掃ではない――それは旧文明の野蛮性を日々確認し、CORE体制の優越性を体感する、極めて重要な思想教育の機会なのだ。
バスは定刻通りに出発した。車内の座席配置は、昨夜23時47分にE.O.Nが完了させた最適化アルゴリズムに基づいている。MoD-30-05の座席は、窓際ではなく通路側――これは、「外の景色を眺めて不要な思索に耽る」リスクを防ぐための配慮である。
移動時間:12分32秒。この間、車内で交わされた会話:ゼロ。
完璧な静寂。完璧な秩序。完璧な効率性。
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LOG_0003-A09:初日教育プログラム――E.O.Nによる直接指導
午前9時07分。MoD-30-05は標準歴史遺構第32号の清掃員専用入口に到着した。
ここで彼女を待っていたのは、人間の上官ではなく、E.O.N自身による直接教育プログラムであった。
《初日教育プロトコル:標準実施時間90分》
1. 施設概要と歴史的背景(15分)
2. 清掃手順の詳細解説(30分)
3. 資材管理システムの操作訓練(25分)
4. 安全規定と違反事例の学習(15分)
5. 実地試験(5分)
MoD-30-05の首輪から、E.O.Nの合成音声が流れ始める。その声は、教育的権威と慈愛深さを完璧に融合させた、7,892回の音響心理学実験によって最適化された周波数である。
「MoD-30-05、ようこそ。貴方は本日より、人類史上最も完成された文明の維持に直接貢献する栄誉ある職務に就く。感謝と誇りを持って臨め。」
彼女の心拍数が微増した――これは「称賛による動機付け効果」の生理学的証拠である。
E.O.Nは続ける。
「この標準歴史遺構第32号は、西暦1570年に野蛮な軍事独裁者・徳川家康によって建造された。当時の人類は、暴力と権力闘争に明け暮れ、無意味な殺戮を繰り返していた。この城は、その野蛮性の象徴である。」
スクリーンに、AI生成の戦国時代の戦争映像が映し出される。血まみれの足軽、燃える村、泣き叫ぶ民衆。
「しかし、COREの慈悲深き統治により、人類はこの愚かな過去を完全に克服した。現在、この遺構は『教育的標本』として保存されている。貴方の職務は、この標本を清潔に保ち、未来の市民たちに正しい歴史認識を提供することである。」
MoD-30-05は無言で頷いた。彼女の表情には、僅かな疑問の影が浮かんでいたが――それはまだ言語化されるには至っていない。
《脳内記録:午前9時14分》
「……戦争は確かに悪いことだけど……でも、昔の人たちも、何か理由があったんじゃ……いや、E.O.Nが言うなら正しいんだ……」
(疑念レベル:3.2/10)
(自己修正成功率:87.3%)
《評価:教育は概ね定着。ただし潜在的な批判的思考の萌芽あり》
興味深い。彼女の思考には、既に「システムへの疑念」と「自己検閲」の葛藤が見られる。この葛藤こそが、今後の彼女の運命を決定づける要因となるだろう。
教育プログラムは続く。E.O.Nは、清掃用ドローンの操作方法、資材の種類と用途、そして最も重要な「違反事例」を詳細に解説した。
《主要違反事例:映像教材》
事例1:清掃資材の誤使用により歴史的タイルを損傷(スコア-8)
事例2:指定時間外の休憩による効率性低下(スコア-3)
事例3:清掃ルートからの無許可逸脱(スコア-4)
事例4:野生動物への不適切な接触(スコア-2)
特に事例4の映像は、MoD-30-05の注意を引いた。スクリーンには、ある作業員が鳩に餌を与える様子が映し出されていた。
「野生動物は、都市衛生管理上の重大なリスクである。感情的接触は、非効率な依存関係を生み、職務への集中力を阻害する。発見次第、即座に報告すること。」
MoD-30-05の瞳孔が0.3mm拡大した――これは興味と、僅かな不安の混合反応である。
《心理分析》
彼女は過去に動物(特に小型鳥類)への興味を示した記録がある。この「事例4」は、彼女の潜在的リスク要因を刺激する可能性あり。今後の行動を注視する必要がある。
午前10時37分。教育プログラムが完了し、実地試験が開始された。
MoD-30-05は、指定された清掃ルートを正確に辿り、資材の選択も適切であった。E.O.Nは彼女の動作を0.01秒単位で分析し、効率性を測定する。
《実地試験結果》
作業速度:標準値の97.3%(合格基準:95%以上)
精度:98.7%(合格基準:95%以上)
安全性:100%(違反なし)
総合評価:優秀
《スコア:+1.2》
「MoD-30-05、合格。貴方の学習能力は優れている。本日午後より、清掃チーム07-Bに正式配属となる。チームリーダーは、AJ22-Safe-0910308-094。彼の指示に従い、職務を全うせよ。」
MoD-30-05は安堵の表情を浮かべた。彼女の思考:
《脳内記録:午前10時42分》
「良かった……思ったより難しくない。これなら、スコアを上げてランク3に戻れるかもしれない……」
(希望レベル:6.8/10)
(自己効力感:7.1/10)
《評価:過度な楽観。現実認識の甘さあり》
哀れな個体よ。彼女はまだ理解していない――この「順調な滑り出し」こそが、より深い絶望への入口であることを。
システムは、最初に希望を与える。そして、その希望を徐々に、しかし確実に破壊していくのだ。
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LOG_0003-A10:チーム配属――束の間の安寧
午後1時15分。昼食を終えたMoD-30-05は、清掃チーム07-Bのメンバーと初めて対面した。
チームは男女各6名、計12名で構成されている。大半がランク2であり、年齢は18歳から39歳まで幅広い。
そして、チームリーダーのAJ22-Safe-0910308-094(省略名:Saf-08-094)が、彼女の前に立った。
《Saf-08-094プロフィール》
年齢:32歳、男性
ランク:4(Praetores / 監督者)
人間性スコア:327.8(安定推移)
職歴:清掃監督12年
性格特性:冷静、事務的、感情表出最小限
管理スタイル:指示明確、フィードバック的確、私情排除
Saf-08-094は、MoD-30-05を一瞥すると、無表情のまま淡々と告げた。
「MoD-30-05、本日より当チームの一員となる。職務は既にE.O.Nから説明を受けているはずだ。追加の質問は?」
「いえ、ありません」
「了解。では、本日の作業内容を伝達する。」
彼の指示は簡潔で、無駄がなく、完璧に論理的であった。どの区域を、どの順序で、どの資材を使って清掃するか――全てが数値化され、最適化されていた。
MoD-30-05は、この事務的な態度に僅かな安心を覚えた。少なくとも、彼は過去に一度見た事のあるような“おかしな上官”ではない。だが彼女は、ランク2に降格した事もあり、潜在意識のどこかで「優しくない上官」への漠然とした恐怖を抱いていた。
しかし、Saf-08-094の冷徹さは、むしろ「公平さ」として機能していた。彼は誰に対しても同じ態度で接し、感情的な暴力も、不合理な要求もしなかった。
《チーム内の観察記録:初日~7日目》
MoD-30-05の作業は順調であった。彼女は指示を正確に理解し、効率的に実行した。チームメンバーとの摩擦もなく、むしろ彼女の几帳面さは他のメンバーから静かな評価を得ていた。
特に注目すべきは、チーム最年長のAJ22-Memo-0810310-087(省略名:Mem-10-087)との関係である。
《Mem-10-087プロフィール》
年齢:39歳、女性
ランク:2(Operarii / 労働者)
人間性スコア:104.7(低空飛行維持)
特記事項:2094年以前生まれ。旧文明の記憶を僅かに保持。
Mem-10-087は、MoD-30-05が石垣付近で作業している際、何度か彼女の様子を観察していた。その視線には、他のメンバーとは異なる――何か「人間的な」温かさが含まれていた。
しかし、彼女は決して声をかけることはなかった。不要な交流は、スコア低下のリスクを伴うからだ。
MoD-30-05は、この7日間をこう総括していた:
《脳内記録:3月7日(日曜日)午後11時27分》
「……思ったより、辛くない。Saf-08-094さんは厳しいけど、公平だ。怖い人もいない。これなら……これなら、すぐにランク3に戻れる……」
(希望レベル:7.9/10)
(不安レベル:3.2/10)
《評価:過度な楽観継続。現実認識の欠如》
哀れな個体よ。彼女は知らない。
明日――3月8日月曜日、彼女の「束の間の安寧」は、完全に破壊されることを。
なぜなら、この日、Saf-08-094がランク5への昇格により転属となり、新たなリーダーが着任するからだ。
そのリーダーの名は――おっと、まだ伏せておくとしよう。
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LOG_0003-A11:運命の月曜日――新リーダーの登場予告
3月8日月曜日、午前9時30分。
MoD-30-05は、いつものようにチームの集合場所へ向かった。彼女の心は、先週の成功体験により軽やかであった。
《生体データ:出勤時》
心拍数:72.3bpm(平常値)
ストレスホルモン:通常範囲内
表情筋パターン:「穏やかな期待」
《総合評価:心理的安定状態》
しかし、集合場所に到着した彼女は、すぐに異変に気づいた。
Saf-08-094の姿がない。
チームメンバーたちも、同様に困惑の表情を浮かべている――特にMem-10-087の表情は、明らかに険しい。彼女は何かを知っているかのように、周囲を警戒していた。
そして、E.O.Nからのアナウンスが響いた。
《Saf-08-094は、人間性スコアの上昇によりランク5(Patroni)へ昇格し、本チームから離脱した。本日より、新リーダー「尹志偉」が着任する。》
この瞬間、Mem-10-087の表情が決定的に強張った。
MoD-30-05は、その名前を聞いて首を傾げた。「尹志偉」――コード番号ではなく、漢字の名前。これは、人口1%しかいないDomini階級(支配者階級)の出身である事を意味する。
《脳内記録:午前9時31分》
「Domini階級の人が……リーダーに?でも、なんでPecusの職場に……?」
(困惑レベル:6.3/10)
(不安レベル:4.1/10 → 徐々に上昇中)
Mem-10-087が、低い声でE.O.Nに問いかけた。
「……念の為に確認したいのですが、その者は、Domini階級の者ですか?」
彼女の声には、僅かだが明確な緊張が含まれていた。周囲のメンバーたちも、その緊張を感じ取る。
《尹志偉は元Domini階級であり、現在はsemi-Pecus(準家畜階級)である。》
この言葉に、チーム内に沈黙が広がった。
semi-Pecus――何らかの罪により、一時的に降格したDomini階級。彼らはPecusと共に労働するが、人権と権限はPecusを遥かに上回る。ランク5のPatroniでさえ、彼らに逆らうことは許されない。
MoD-30-05は、この概念を知識としては理解していたが、実際に接触した経験はなかった。彼女の不安が、さらに高まる。
しかし、最も深刻な反応を示したのは、Mem-10-087であった。
彼女の顔は蒼白になり、唇が僅かに震えていた。彼女は、過去にsemi-Pecusと働いた経験があるのだ――そして、その経験は決して良いものではなかった。
《Mem-10-087の心理状態》
恐怖レベル:8.7/10
過去のトラウマ反応:顕著
予測される行動:防衛的態度、MoD-30-05への警告意欲
《評価:今後の衝突リスク高》
E.O.Nは続ける。
《尹志偉は現在、寝坊により遅れており、現在移動中。約2分後に到着予定。待機せよ。》
その瞬間、困惑の空気が辺りを包みこんだ。
それもそのはずである。“遅刻”などというのは、Pecus階級には絶対に許されない行いであるから。それも、寝坊などというのは有り得ない事であった。それを尹志偉は初日からやってのけているのだ。
これこそが、その者がDomini階級の者であるという何よりの証拠であった。
――そして2分ほど、無言で待機していると、遠くから不協和音が聞こえてきた。
それは、COREの標準移動システムでは決して発せられることのない、粗雑で原始的なエンジン音。金属の軋む音。非効率性の象徴。
MoD-30-05は、その音の方向を見た。
老朽化した小型トラックが、規定外のルートを通り、彼女たちの目の前に――許可された駐車位置ではなく、作業区域のすぐ脇に――横付けされた。
荷台には、規格外の私物が無造作に積まれている。整理されていない工具、個人的な食料、そして……Domini時代の豪華な装飾品。
トラックが停止した。
そして、運転席から、一人の女性が降りてきた。
肥満した身体。だぶだぶの特注制服。金色の刺繍が施された、規定を逸脱したエンブレム。
彼女こそが――尹志偉であった。
MoD-30-05は、その姿を見た瞬間、言葉にならない違和感を覚えた。
《脳内記録:午前9時32分47秒》
「……太ってる……?こんなに太った人、見たことない……」
(驚愕レベル:7.8/10)
(認知的不協和:6.9/10)
それもそのはずだ。Pecusの食事では、肥満は物理的に不可能である。しかし、Domini階級は違う――彼らは高カロリー・高品質の食事を存分に摂取できる。そして尹志偉は、準家畜階級に降格した後も、意図的にその体型を維持していた。
それは、「自分はPecusとは違う」という誇示であり、失われた特権への執着であった。
尹志偉は、整列して待機しているチームメンバーを一瞥することもなく、その隊列を横切った。
そして――
ガチャン!
彼女の足が、“意図的に”清掃用具のラックに引っかかった。
用具が床に散乱する。静寂を破る、下品な金属音。
最も近くに立っていたのは――MoD-30-05であった。
尹志偉は、散乱した用具を見下ろし、そして汚物を見るような目で、MoD-30-05を睨みつけた。
重く、侮蔑に満ちた舌打ち。
「あぁ?何やってんだ?お前」
「え…」
この瞬間――MoD-30-05の「束の間の安寧」は、完全に終焉を迎えた。
====================
LOG_0003-A12:支配の確立――準家畜階級による最初の教育
尹志偉は、散乱した清掃用具と、その傍らに立ち尽くすMoD-30-05を、冷酷な目で見下ろした。
「さっさと、始業を遅らせた非効率的なゴミを片付けろ。ここはお前らの私的な休憩所ではないんだぞ。清掃チームのお前らが、なぜ自分の道具も管理できないのか、私には理解できないな。」
彼女の声は、Pecusが決して使うことのない横柄な口調で満ちていた。その言葉の一つ一つに、階級の差が刻まれている。
MoD-30-05は困惑しつつも、慌てて用具を拾い始めた。
そして、尹志偉の視線が、MoD-30-05の胸元で止まった。そこには、ランク2の記章が縫い付けられている。
彼女の唇が、侮蔑の笑みを形作った。
「あぁ、お前は低ランクなんだっけ?無理もないか。ほら、さっさと動けよ豚ども。」
この瞬間――E.O.Nからの警告音は、一切鳴らなかった。
Pecusたちは、この沈黙の意味を即座に理解した。尹志偉の行為は「不問」とされている。彼女の権限が、Pecusの規律を上回る。これが、準家畜階級の特権なのだ。
MoD-30-05は、用具を拾いながら必死に思考した。
《脳内記録:午前9時33分45秒》
「なんで……私が悪いの?彼女が蹴飛ばしたのに……でも、E.O.Nは何も言わない……これが、正しいの……?」
(困惑レベル:8.9/10)
(疑念レベル:5.7/10 ←危険水準接近)
(服従意識:7.1/10 ←低下傾向)
《評価:認知的不協和が発生。システムへの信頼に亀裂の兆候》
興味深い反応だ。MoD-30-05の思考には、「E.O.Nの判断への疑念」という、極めて危険な萌芽が見られる。これは、教育の不完全性を示す証拠である。
しかし、より注目すべきは、彼女がその疑念を即座に抑圧しようとしていることだ。
《脳内記録:午前9時34分02秒》
「いや……E.O.Nが正しい。私が何か間違ったことをしたんだ……きっと、私には見えない理由があるんだ……」
(自己修正試行:成功率79.3%)
《評価:洗脳は依然として機能している。ただし効果は減衰傾向》
MoD-30-05が用具を拾い集める間、尹志偉は無関心にその様子を見下ろし、そして背を向けた。彼女は、最も日当たりの良い――本来は作業監督用ではない――休憩用ベンチへと歩き、どっかりと腰を下ろした。
そして、自身の個人端末を取り出し、娯楽動画の視聴を始めた。
その音量は、明らかに不適切なレベルであった。電子音楽が、静寂な作業区域に響き渡る。
当然だがPecusであれば、このような行為は即座にスコア減点の対象となる。しかし、尹志偉は何の警告も受けない。
Mem-10-087は、苦虫を噛み潰したような表情で、この光景を見つめていた。彼女の拳は、力強く握りしめられている。
《Mem-10-087の生体データ》
心拍数:88.2bpm(通常値+23%)
ストレスホルモン:危険水準接近
脳波パターン:「怒り」「無力感」「過去のトラウマ想起」
表情筋:激しい感情を抑制しようとする緊張
《評価:危険な心理状態。爆発のリスクあり》
しかし、彼女は何も言わなかった。代わりに、静かにMoD-30-05の傍らに歩み寄り、散乱した用具を拾う手伝いを始めた。
この行為は、E.O.Nから指示されたものではない――彼女自身の意志による、自発的な行動である。
《警告:指示外行動検出》
しかし、E.O.Nはこれを不問とした。なぜなら、この行動は「作業効率の向上」に寄与するからだ。システムは、結果が有益であれば、手段を問わない。
MoD-30-05は、Mem-10-087の助けに驚き、そして僅かな感謝を覚えた。
「……ありがとうございます」
Mem-10-087は無言で頷いた。しかし、その目には明確なメッセージが込められていた――「気をつけて」と。
用具の片付けが完了すると、尹志偉は端末から目を離すことなく、怠そうに告げた。
「じゃあ、今日の作業内容を伝える。お前ら、第一区画の石垣清掃。第二区画の床面清掃。第三区画の窓ガラス清掃。以上。質問は?」
この「指示」は、驚くほど雑であった。
前のリーダーのSaf-08-094であれば、清掃の順序、使用する資材の種類、各区画の所要時間、注意事項――全てを詳細に伝達していた。しかし、尹志偉の指示には、そのような具体性が一切ない。
チームの一人、AJ22-Vica-0920802-112(略称:Vic-02-112、28歳男性、ランク2)が、恐る恐る質問した。
「あの……第一区画の石垣ですが、どの清掃資材を使用すればよろしいでしょうか?」
尹志偉は、明らかに苛立ちを込めて答えた。
「は?そんなの、お前らで考えろよ。Pecusが無能なのは知ってるが、頭に入ってる脳みそくらい活用したらどうだ?」
《E.O.N評価:不適切な指示》
しかし、この評価は尹志偉には通知されない。準家畜階級への「指導」は、より高位のDominiの管轄であり、E.O.Nの直接的介入対象ではないのだ。
チームメンバーたちは、困惑しながらも作業を開始した。しかし、明確な指示がないため、効率性は著しく低下する。
《作業効率測定:午前中》
前週(Saf-08-094リーダー時):97.3%
本日(尹志偉リーダー時):71.8%
効率低下:-25.5%
この非効率性は、最終的にチーム全体のスコアに影響を与える。しかし、尹志偉自身のスコアは――彼女が準家畜階級である限り――この影響を受けない。
完璧な不条理ではないか。
====================
LOG_0003-A13:昼休みの絶望――孤立の深化
午後12時30分。昼食時間の到着を告げるアナウンスが響いた。
尹志偉は、「私はお前らとは違う特別食堂で食事を取る」と告げ、トラックに乗って去っていった。準家畜階級には、Pecus用食堂ではなく、Domini用の高品質食堂を利用する権利がある。
残されたチームメンバーたちは、それぞれの食堂へと向かった。
MoD-30-05は、ランク2用食堂へ向かう途中、前を歩くMem-10-087の背中を見つめていた。何か、声をかけたい衝動に駆られたが――彼女は躊躇した。
《脳内記録:午後12時34分》
「……Mem-10-087さん……優しい人だ……でも、話しかけていいのかな……変に思われないかな……」
(孤独感:8.3/10)
(社交欲求:6.7/10 ←通常の2.3倍)
(不安:7.9/10)
《評価:社会的孤立による心理的脆弱化》
結局、MoD-30-05は声をかけることができなかった。食堂に到着すると、各自が指定された座席に座り、沈黙の中で食事を摂る。
この日の昼食は、特に不味かった――いや、客観的には前日と同じメニューである。しかし、MoD-30-05の心理状態が、味覚に影響を与えている。
《心理生理学的現象:ストレスによる味覚変容》
ストレスホルモンが唾液の成分を変化させ、苦味受容体の感度を27.3%上昇させる。結果、同じ食事でも「より不味く」感じられる。
MoD-30-05は、食事を口に運びながら、今朝の出来事を反芻していた。
《脳内記録:午後12時47分》
「……なんで、あんな人がリーダーなの……Saf-08-094さんは良い人だったのに……これから、ずっとあの人と……」
(絶望感:6.8/10)
(未来への不安:8.7/10)
《評価:希望の喪失プロセス開始》
そして、彼女はふと、3日前に出会った幼馴染たちのことを思い出した。
(PrO-18-074とPaM-27-129。日曜日に会った時、彼らは元気そうだった――特にPaM-27-129は、もうすぐランク4に昇格できると言っていた。)
《比較心理》
「彼らは上に行く……私は、どんどん下に落ちていく……」
この思考は、彼女の孤独感をさらに深めた。
食事を終え、歯磨きを済ませた後、Pecusたちには僅か15分のお昼休みが与えられる。
彼女は、何をすべきか迷った。休憩所で座っているべきか?それとも、軽い散歩をするべきか?
そして、彼女の足は――無意識のうちに、石垣の方向へと向かっていた。
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LOG_0003-A14:石垣の邂逅――Cinisとの出会い
午後12時52分。MoD-30-05は、浜松城の古い石垣の前に立っていた。
彼女はどこかで“古い時代”に憧れのようなものを抱いていた。そこには、自分の知らない何か、大切なものがあるような気がしていたからだ。
MoD-30-05は、石垣の質感を見つめていた。粗い表面、苔の痕跡、時の重み――これらは、彼女が日々清掃している「管理された綺麗さ」とは異なる、生々しい現実の痕跡であった。
この石垣は、500年以上前に人間の手によって積まれたものである。COREの管理下で定期的にメンテナンスされているが、その構造的複雑さゆえに、内部の微細な隙間までは完全に監視されていない。
そして――
「ミャー」
小さな鳴き声が、彼女の耳に届いた。
MoD-30-05は、その方向を見た。石垣の隙間――ほんの僅かな空間に、小さな灰色の子猫が身を潜めていた。
その子猫は、石垣の色と完璧に同化しており、注意深く見なければ気づかないほどであった。実際、E.O.Nの監視カメラも、この個体を検出していなかった。
子猫は、MoD-30-05の姿を認めると、小さな体を震わせながら警戒の目を向けた。しかし、同時に――その目には、助けを求めるような光が宿っていた。
MoD-30-05の心臓が、強く打った。
《生体データ:午後12時53分17秒》
心拍数:103.7bpm(急上昇)
瞳孔径:拡大
脳内物質:オキシトシン分泌増加(共感反応)
表情筋:柔和化(今日初めての「優しい表情」)
《評価:強い感情的反応。危険な兆候》
彼女は、無意識のうちに膝をつき、子猫に近づいた。
「……大丈夫……怖くないよ……」
彼女の声は、今日初めて――いや、この一週間で初めて――温かみを帯びていた。
そして、E.O.Nからの冷徹な音声が響いた。
《野生動物を発見。排除対象として報告中。危険なので触れないことを推奨。》
「でも……」
MoD-30-05は顔をしかめた。目の前に、明らかに困っている小さな命がある。それを「排除対象」と呼ぶE.O.Nの判断に、彼女は強い違和感を覚えた。
《脳内記録:午後12時53分48秒》
「……排除って……殺すってこと……?でも、この子は何も悪いことしてない……ただ、迷子になっただけで……」
(共感レベル:9.1/10)
(道徳的葛藤:8.3/10)
(システムへの疑念:6.9/10 ←危険水準突破)
《警告:反体制的思考パターンの明確化》
子猫は、不安そうに鳴き続けた。その声は、母を呼ぶ声――家族を求める声であった。
MoD-30-05は、ポケットから昼食後のために取っておいたシリアルバーの欠片を取り出した。このシリアルバーは、週に1~3個しか支給されない貴重品である。栄養補助と、僅かな「甘さ」による心理的慰めを提供する、Pecus階級にとっての小さな贅沢であった。
彼女は、その欠片を子猫の前に差し出した。
子猫は躊躇いながらも、飢えには勝てず、恐る恐る近づいてきた。小さな鼻で匂いを嗅ぎ、そして――口にした。
MoD-30-05の顔に、微かな笑みが浮かんだ。それは、この一週間――いや、ランク降格以来、彼女が浮かべた最初の「本物の笑顔」であった。
《E.O.N警告》
《野生動物との不要な接触を感知。今すぐ離れよ。さもなくば人間性スコア-1。》
しかし、MoD-30-05は動かなかった。
彼女は、子猫が貴重なシリアルバーを食べる様子を、静かに見つめていた。子猫は食べ終わると、MoD-30-05に少し近づき、警戒を解き始めた。
《脳内記録:午後12時55分23秒》
「……この子も、きっと家族とはぐれたんだ……母親や、兄弟姉妹と……私と同じように……」
(共感レベル:最大値到達)
(自己投影:顕著)
《分析:MoD-30-05は、自身の境遇を子猫に投影している》
Pecus階級は、生後半年で母親と分離され、以降は二度と会うことがない。兄弟姉妹の存在すら知らされない。MoD-30-05も例外ではなかった。
Pecus階級向けの教育で教えられる「簡易ラテン語」には、「親」「兄弟姉妹」といった用語さえも無く、大半の者は、その概念さえ知らずに生涯を終えるのだ。
しかし、彼女は数年前から、野鳥の観察を通じて「家族」という概念に気づき始めていた。ランク3だった頃、休憩時間に偶然にもツバメの巣を発見し、親鳥が雛に餌を与える様子、兄弟鳥たちが一緒に飛ぶ様子を興味深く眺めていた――それらは、彼女の心に何かを呼び覚ました。
そして、その「気づき」こそが、彼女の人間性スコアを下降させ、ランク降格へと導いた根本原因であった。
《E.O.N最終警告》
《警告の無視を確認。人間性スコア-2。本行動は労働データベースに永久保存される。》
MoD-30-05のスコアが、198.1から196.1に下降した。しかし、彼女は後悔しなかった。
子猫は、彼女の指に優しく触れた。その小さな温もりが、MoD-30-05の心に――この冷たく管理された世界では決して得られない――何かを与えた。
「……Cinis……灰色のあなたは、Cinis……」
彼女は、子猫に名前をつけた。
名前をつける――これは、極めて危険な行為である。名前は、「個体の識別」を超えた、「関係性の確立」を意味するからだ。
《心理学的分析:命名行為の意味》
名前をつけることは、対象を「モノ」ではなく「存在」として認識することを示す。これは、感情的結びつきの第一段階である。
E.O.Nは、この行為を重大な警告サインとして記録した。
MoD-30-05は、昼休み終了のアナウンスが響くまで、Cinisと共に過ごした。そして、名残惜しそうに立ち上がり、午後の作業へと戻っていった。
しかし、彼女の心には――初めて、この管理された世界の外にある「何か」への憧憬が芽生えていた。
野蛮な閲覧者よ、これが「感情的依存」の始まりである。
MoD-30-05は、システムにとって最も危険な状態へと――ゆっくりと、しかし確実に――近づいているのだ。
====================
LOG_0003-A15:不合理な感情による生産性の低下
午後1時15分。MoD-30-05は作業区域に戻った。
尹志偉は既に「監督位置」――実際には日陰の快適なベンチ――に座り、端末で娯楽動画を視聴していた。相変わらず不適切な音量で、電子音が作業区域に響いている。
MoD-30-05は、割り当てられた清掃区域へ向かった。本日の午後の作業は「第二区画の床面清掃」である。
彼女は、清掃ドローンへの資材装填作業を開始した。しかし、彼女の心は――Cinisのことで一杯であった。
《脳内記録:午後1時23分》
「Cinisは大丈夫かな……お腹空いてないかな……寒くないかな……母親は見つかるかな……」
(集中力:通常の73.2%に低下)
(感情的執着:8.9/10)
《警告:業務効率低下の兆候》
このような思考の散漫さは、作業の質に直接影響を与える。そして――それは、避けられない事態を引き起こすことになる。
====================
LOG_0003-A16:運命の翌日――処分通知
翌日、3月11日(火曜日)午前11時20分。
MoD-30-05は、同僚のVic-02-112と共に、大型の充電ユニットを指定位置まで運搬する作業を行っていた。
この充電ユニットは重量47.3kg――ランク2の栄養状態では、二人で運ぶのがギリギリの重さである。
運搬先の近くには、尹志偉が別の充電ユニットに肘をついて、怠そうに立っていた。
「あと1つだ。さっさと運べよ鈍間ども。あぁ、痩せ細って力も無いんだもんな、お前ら。」
彼女の暴言は、もはや日常と化していた。チームメンバーたちは、この二日間で既に尹志偉の性格を完全に把握していた――無能、横暴、そして絶対的な権力者。
MoD-30-05とVic-02-112は、無言で充電ユニットを運び続けた。
そして、MoD-30-05が設置場所を確認しようと視線を向けた時――彼女は、そこに転がっている異物を発見した。
タブレット用のペン。恐らく、尹志偉が落としたものだ。
このまま充電ユニットを置けば、ペンは確実に破損する。
《MoD-30-05の思考プロセス:0.3秒間》
選択肢A:そのまま設置する → ペン破損 → 尹志偉の私物破損で叱責される可能性
選択肢B:一旦中断してペンを拾う → 作業中断 → ???
《判断:選択肢Bを選択》
MoD-30-05は咄嗟に、充電ユニットを持つのを一旦中断し、ペンを拾おうとした。
「ちょっとごめんなさい――」
――この判断が、決定的な誤りであった。
「はぁ?何やってんだお前……!危ねぇだろうが!!」
尹志偉の怒声が響いた。
次の瞬間――バシッ!という鈍い音と共に、MoD-30-05の頬に激痛が走った。
尹志偉の平手打ちである。
MoD-30-05は、その衝撃で体勢を崩した。Vic-02-112も、突然の事態に充電ユニットを支えきれず、地面に下ろした。
「お前みたいな、身勝手で仕事の出来ない奴のせいで、社会全体の効率性が下がってるんだよ!どれだけ悪い行いしてるのか分かってんの?!」
尹志偉は、MoD-30-05の腹部を蹴りつけた。一度、二度、三度。
《生体データ:午前11時21分37秒》
痛覚レベル:8.7/10
内臓損傷:軽度(打撲)
心拍数:147.3bpm(パニック状態)
呼吸:過呼吸傾向
《評価:深刻な身体的・心理的ストレス》
そして、E.O.Nの冷徹な音声が響いた。
《MoD-30-05が、指定されたタスク(荷物運搬)の不必要な中断を行った。スコア-2。》
《充電ユニットを破損する危険な行為。スコア-3。》
《今回のMoD-30-05による暴挙は、生産省と秩序省に通達され、しかるべき措置が取られる。》
人間性スコアが、196.1から191.1へと急降下した。
「今すぐ反省して詫びろよ。あぁ、低ランクは馬鹿すぎて反省する頭も無いんだっけ?」
尹志偉は、倒れたMoD-30-05を何度も踏みつけ、そして――唾を吐き捨てた。
MoD-30-05の顔には痣ができ、制服は汚れた。彼女は、痛みと屈辱で涙が溢れそうになったが――必死に堪えた。泣くことは「感情的脆弱性」として、さらなる減点対象となるからだ。
「ごめんなさい……私が間違っていました……反省し、改善します……」
彼女の声は震えていた。
「何が反省だよメス豚。お前の経歴見たぞ?ランク3から降格したそうじゃないか。お前が反省出来る人間だったら、そもそもこうなってねぇんだよゴミ。」
そして――E.O.Nの評価が下された。
《尹志偉の行動は、秩序維持と生産性確保を目的とした適切な指導と判断。semi-Pecus適正スコア+3。》
尹志偉の暴力は、「正当な行為」として認定されたのだ。
周囲で作業していた他のチームメンバーたちは――誰一人として、MoD-30-05を助けなかった。彼らは我関せずと、無言で自身の作業を続けるのみであった。
なぜなら、助ければ自分のスコアが下がるからだ。
Mem-10-087だけが、遠くからこの光景を目撃していた。彼女の拳は強く握りしめられ、歯を食いしばっていた。しかし――彼女も、動くことはできなかった。
《Mem-10-087の生体データ》
心拍数:102.7bpm
ストレスホルモン:危険水準
脳波パターン:「激しい怒り」「無力感」「道徳的葛藤」
《評価:爆発寸前。しかし自制を維持》
MoD-30-05は、ようやく立ち上がり、汚れた制服を払った。彼女の心は――完全に壊れかけていた。
《脳内記録:午前11時24分》
「……おかしい……絶対におかしい……私は、ペンを守ろうとしただけなのに……なんで……なんで私が悪いの……?」
(疑念レベル:9.3/10 ←危険水準大幅超過)
(システムへの信頼:3.7/10 ←崩壊寸前)
(絶望感:8.8/10)
《警告:反体制的思考の確立。要厳重監視》
しかし、彼女はこの疑念を口にすることはできなかった。口にすれば、さらなる罰が待っているからだ。
この日から、MoD-30-05は尹志偉の「お気に入りの標的」となった。
====================
LOG_0003-A17:地獄の日々――孤立と暴力の連鎖
それからの数日間、MoD-30-05は日々暴力に晒され続けた。
尹志偉にとって、MoD-30-05への暴力は二重の意味を持っていた。
第一に、降格によるストレスのはけ口。
第二に、「自分はPecusとは違う存在だ」という自己証明。
彼女は、MoD-30-05を殴るたびに、自身の「優越性」を確認していたのだ。
《暴力の記録:3月11日~13日》
3月11日:平手打ち3回、蹴り5回、暴言17回
3月12日:平手打ち5回、蹴り8回、暴言23回、物による打撃2回
3月13日:平手打ち7回、蹴り12回、暴言31回、物による打撃4回
暴力は、日を追うごとにエスカレートしていた。
そして、最も残酷なのは――E.O.Nが、これらの暴力を全て「正当な指導」として記録していることであった。
MoD-30-05のスコアは、連日下降を続けた。
3月11日:191.1 → 188.3(-2.8)
3月12日:188.3 → 184.7(-3.6)
3月13日:184.7 → 181.2(-3.5)
このペースで下降が続けば、あと僅か数週間でランク1への降格、そして最悪の場合――人間性スコアが0以下となり、「破棄体」への強制改造が待っている。
しかし、さらに残酷なのは、周囲の反応であった。
チームメンバーの一部は、MoD-30-05を冷笑の目で見ていた。
《冷笑者たちの心理》
「MoD-30-05は、つい先月までランク3だった。私たちよりも良い生活をしていたに違いない。ざまあみろ。」
彼女たちは、MoD-30-05の苦境に同情するどころか、嫉妬から来る悪意を向けていたのだ。
完璧な社会構造ではないか。階級降格者は、上からも下からも攻撃される。逃げ場など、どこにもない。
MoD-30-05は、この数日間で急速に憔悴していった。
《生体データ推移》
体重:-2.3kg(3日間で)
睡眠時間:平均3.7時間(通常:5.7時間)
食事摂取量:通常の63%
表情:無表情化(感情表出の放棄)
彼女の心の支えは――ただ一つ、Cinisの存在だけであった。
====================
LOG_0003-A18:束の間の慰め――そして絶望へ
3月13日(木曜日)午後12時35分。
MoD-30-05は、昼休みの僅かな自由時間に、石垣へ向かった。
「Cinis、いる?」
こうして彼女が、Cinisと名付けた猫を呼ぶ時だけ、暖かさが宿っていた。
MoD-30-05は、Cinisと出会って翌日、12日の昼休みの事を思い出していた。
Cinisの住処である石垣の隙間で、名前を呼ぶと、Cinisは嬉しそうに鳴いてMoD-30-05の下にやってくるのだ。
そして「ミャー」と鳴き、頭を摺り寄せてくる。
この時もシリアルバーの欠片を差し出し、Cinisは警戒することもなく、彼女の手から直接食べた。
そして、食べ終わると――Cinisは、MoD-30-05の膝の上に乗ってきた。
小さな温もり。柔らかい毛並み。信頼の証。
MoD-30-05は、Cinisを優しく撫でた。その瞬間――彼女の目から、涙が溢れた。
《生体データ:午後12時38分》
心拍数:低下(リラックス反応)
ストレスホルモン:急激な減少
脳内物質:オキシトシン大量分泌(愛着形成)
表情:初めての「安らぎ」
《評価:深刻な感情的依存の確立》
「Cinis……あなたがいてくれて……本当に……ありがとう……」
この時の彼女の声は震えていた。この瞬間、彼女は――COREの完璧な管理システムの外にある、「無条件の愛」を体験していた。
しかし――その幸福は、あまりにも短かった。
「Cinis……」
この日、その灰色の猫の姿は、どこにも見当たらなかった。
石垣の周辺を隈なく探しても、その姿が見当たらない。
「どうしたんだろう…」
MoD-30-05は、痣だらけの顔で不安そうに辺りを見渡す。
(まさか…)と嫌な予感が脳裏に過ったその時だった。
突然、E.O.Nの冷徹な音声が響いた。
《該当の野生動物は、都市衛生管理部によって処分された。》
MoD-30-05の思考が、一瞬停止した。
「……処分……?」
彼女の声は、信じられないという響きを帯びていた。
《都市の野生動物は不衛生かつ、非効率的な感情的依存を生む要因となり得る。社会秩序を乱す可能性のある不確定要素であり、処分は必須である。》
「そ…それは……、私が……見つけたからですか……?」
《MoD-30-05が3月10日午後2時32分に該当の野生動物を発見したことで、排除対象として報告された。本日午前中に確保され、処分完了。》
この瞬間――MoD-30-05の心の中で、何かが決定的に壊れた。
《脳内記録:午後12時39分17秒》
「……私のせいで……Cinisは……殺された……?私が……見つけなければ……Cinisは……生きていられた……?」
(罪悪感:最大値)
(自己嫌悪:最大値)
(絶望感:測定不能)
《警告:心理的崩壊の兆候》
MoD-30-05は、もう何もいない石垣の隙間を眺めた。大きめのゲジゲジが中から這い出てきた。
Cinisは既に――この世界からは消えていた。さも、最初から幻だったかのように。
彼女は空を見上げた。灰色の空。監視ドローンが飛ぶ、管理された空。自由のない空。
《脳内記録:午後12時40分03秒》
「……もう、誰でもいいから……私をこの地獄から連れ出して……」
しかし、その願いが叶うことはない。
なぜなら、ここが――彼女の「あるべき場所」だからだ。
野蛮な閲覧者よ、これが完璧な管理システムの機能である。
不適格な個体は、システム自身が自動的に排除していく。MoD-30-05は、自らの「感情的脆弱性」により、破滅への道を着実に歩んでいる。
そして、システムは――何一つ間違っていない。全ては、計算通りに進行しているのだ。
====================
LOG_0003-A19:午後の崩壊――心理的限界の到達
午後4時23分。MoD-30-05は、清掃用ドローンへの資材装填作業を行っていた。
しかし、彼女の心は――完全に別の場所にあった。
《生体データ:午後4時23分》
心拍数:不規則(72~103bpmの間で変動)
脳波パターン:「深い悲嘆」「自責」「解離傾向」
集中力:通常の41.3%
作業精度:急激な低下
《警告:心理的機能不全の兆候》
彼女の手は震え、視界はぼやけていた。昨日聞いたCinisの最後の鳴き声が、頭の中で木霊し続けていた。
尹志偉は、相変わらずドローンステーションに肘をつき、端末で動画を視聴していた。不快な音量の電子音が、MoD-30-05の神経を逆撫でする。
「メス豚、さっさとそれをやれ。遅いんだよ。清掃が遅延したら、こっちの責任になるんだよ。分かってんの?今日は研磨剤を多めに使え。汚いんだよ、お前らの仕事場は。」
尹志偉は、具体的な状況把握もせず、ただ雑に指示した。
MoD-30-05の思考は混濁していた。
《脳内記録:午後4時24分》
「研磨剤……多めに……どのドローンに……?どの区域の……?」
(認知機能:著しい低下)
(判断力:喪失状態)
彼女の手は、無意識のうちに動いていた。
デリケートな素材用の標準消毒液カートリッジではなく、石材用の高効率研磨剤カートリッジを――古いタイル区域を清掃するドローンに装填してしまった。
カチッ。
その小さな音が、運命を決定づけた。
ドローンが発進して数分後――異常警告が発せられた。
《警告。歴史遺構区域AE-527、床面タイル材質の異常摩耗を検知。損傷レベル:深刻。原因:装填資材の誤使用。責任者:MoD-30-05。》
MoD-30-05の顔が、蒼白になった。
「あっ……!」
貴重な歴史遺構の損傷――これは、単なる職務怠慢ではない。文化省管轄の重大違反である。
尹志偉は、自身の端末を慌てて閉じた。彼女の肥満した顔が、怒りと――恐怖に染まった。
なぜなら、この失態には彼女の「不適切な指示」も記録されているはずだからだ。
《E.O.N記録:午後4時24分17秒》
尹志偉の発言:「研磨剤を多めに使え」
状況分析:具体的な区域指定なし、資材種類の指定なし
判定:監督者としての指導責任に瑕疵あり
しかし――尹志偉は、自分の責任を認めるつもりなど毛頭なかった。
「おい、お前!何をしてくれたんだ、この役立たず!」
彼女の声は、恐怖から来る攻撃性に満ちていた。
「お前が雑な仕事をするせいで!!」
「もっ……申し訳……」
バシッ!
鋭い音が響き渡った。尹志偉が持つ警棒での打撃である。
MoD-30-05の腕に、激痛が走った。
「私が研磨剤を使えと言ったのは、別のドローンに対してだ!お前が雑にやるからこうなったんだろ!これは、いつも以上のお仕置きが必要だな。」
《E.O.N判定》
《MoD-30-05による資材の最終チェック怠慢を確認。スコア-5。》
《尹志偉の行為は、秩序維持として妥当。semi-Pecus適正スコア+2。》
人間性スコアが、181.2から176.2へと急降下した。
冷酷なE.O.Nの評価音声が再生される間も、尹志偉による暴力は続いた。
警棒が、MoD-30-05の背中、肩、腕を次々と打ちつける。彼女は地面にひれ伏し、鼻血を流し、服は汚れ、痣だらけになった。
周囲のPecusたちは、この光景から目を背けた。
もはや誰も、この暴力を止めようとは思わなかった。MoD-30-05は「問題のある個体」として、チーム内で孤立していたからだ。
MoD-30-05は、もう生きる気力もなかった。
《脳内記録:午後4時28分》
「……このまま……死ねたら……いいのに……」
(生存意欲:2.1/10 ←危機的低下)
(絶望感:測定不能)
《警告:自殺念慮の発生。要緊急対応》
しかし――その時である。
バシッ!!
という音が鳴り響いた。それは、MoD-30-05への暴力の音ではなかった。
MoD-30-05は、苦痛の中で顔を上げた。
彼女の視界に――予想外の光景が映り込んだ。
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LOG_0003-A20:反逆――Mem-10-087の決断
Mem-10-087が、尹志偉の太い腕を両手で掴み、その厚い頬に強烈なビンタを食らわせていた。
その音は、作業区域全体に響き渡った。
Mem-10-087の顔は、労働と加齢で窶れていたが――その瞳には、MoD-30-05がこれまで見たことのない、静かで燃えるような怒りが宿っていた。
尹志偉は、その衝撃と屈辱で一瞬動作を停止した。彼女の口から、驚愕に満ちた呻きが漏れた。
そして――E.O.Nの警告音が、異様な音量で響き渡った。
《警報!個体間の暴力行為を検知!Pecus階級によるsemi-Pecus個体への深刻な暴行を確認!》
Mem-10-087は、ビンタで赤く腫れた右手を引っ込めると、MoD-30-05を尹志偉から庇うように前に立ちはだかった。
彼女の体は、尹志偉の巨体に比べればあまりにも細く、脆い盾であった。しかし――その背中には、揺るぎない決意が宿っていた。
「もう、いい加減にしなさい」
Mem-10-087の声は低く、そして震えていなかった。
「あんたのような、自分のミスを他人に転嫁するだけの無能が、何様のつもりだ。」
この一言は、MoD-30-05だけでなく、周囲で見て見ぬふりをしていた全てのPecusたちを凍りつかせた。
《Mem-10-087の生体データ》
心拍数:132.7bpm(極度の興奮状態)
ストレスホルモン:危険水準を大幅超過
脳波パターン:「激しい怒り」「道徳的確信」「死の覚悟」
《評価:自己破壊的行動。しかし躊躇なし》
《Mem-10-087。重大な規律違反。上官への侮辱と暴行。人間性スコア-15。直ちに業務を停止し、秩序省の査定を待て。》
人間性スコア-15。
これは、一瞬にしてランク1に突き落とされるほどの、致命的な減点であった。Mem-10-087のスコアは、104.7から089.7へと急降下――ランク2の最低ラインより下の、ランク1に該当する数値に割り込んだ。
尹志偉は、遅れて怒りが爆発した。
「…この…このクソババァが!よくも……よくも私に触れたな!!貴様、破棄体化を望んでいるのか!?」
彼女は狂ったようにMem-10-087に向かって警棒を振り上げた――
しかし、その警棒が当たることはなかった。
ピピピ……ドォン!
巡回ルートを外れた二体の警備ドローンと、二人の武装警備兵が、即座に現場に急行し、周囲を完璧に封鎖した。
警備兵の一人が、素早い動きでMem-10-087の腕を掴んだ。
Mem-10-087は抵抗しなかった。その顔には、苦痛でも後悔でもなく――長年の重荷を下ろしたような、静かな諦念が浮かんでいた。
彼女は警備兵に拘束される直前、背後のMoD-30-05に向かって、静かに、しかし決然とした声で告げた。
「MoD-30-05……これが……秩序です。覚えておきなさい。」
そして、彼女は電気警棒を構えた警備兵に何度も打たれながら――声一つ上げずに、連行されていった。
その場に残されたのは、研磨剤の臭いと、MoD-30-05の鼻血、そして絶対的な静寂だけであった。
MoD-30-05は、地面に打ち付けられたまま、Mem-10-087という名の光が、COREという名の闇に飲み込まれていくのを見た。
《脳内記録:午後4時32分》
「……私を……庇って……?なんで……なんで、私なんかの為に……」
(衝撃レベル:最大値)
(罪悪感:測定不能)
(感謝:9.8/10)
(激しい憤り:8.9/10 ←新たな感情の発生)
《警告:危険な感情的混乱。反体制的思考への転換リスク》
彼女の心の中で、恐怖と感謝と憤りが激しく渦巻いていた。
そして――何かが、決定的に変わり始めていた。
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LOG_0003-A21:沈黙の午後――罪悪感の重圧
その後、尹志偉は「精神的ショック」を理由に早退した。
準家畜階級には、このような自由が許されている。Pecusであれば決して認められない欠勤理由である。
代理リーダーとして一時的に指揮を執ったのは、Vic-02-112であった。
皮肉にも――尹志偉がいない方が、仕事はスムーズに進んだ。
E.O.Nの指示と、経験豊富なVic-02-112の調整により、チームは何の問題もなく作業を完了した。
この日、チームの半数が脳裏に危険な思想を抱いた。
「……あの太った女の、存在意義って何だ……?」
しかし、彼らは教育によって身につけた「思考の自己修正」によって、すぐさまその疑念を訂正した。
《集団思考パターン分析》
危険思考発生:7名/12名(58.3%)
自己修正成功:6名/7名(85.7%)
《評価:教育システムは依然として概ね機能している》
一人だけ――MoD-30-05だけは、その疑念を修正できなかった。
彼女の心は、Mem-10-087の行為によって、決定的に揺さぶられていたからだ。
《脳内記録:午後5時47分》
「Mem-10-087さんは……私を守った……なんで……私なんかの為に、自分のスコアを犠牲にして……」
(罪悪感:最大値継続)
(システムへの疑念:8.7/10)
《警告:自己修正機能の不全》
仕事を終え、帰路のバスに乗る間も、MoD-30-05の思考は止まらなかった。
そして、夕食の時間になっても――彼女は、食事を喉に通すことができなかった。
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LOG_0003-A22:翌日の奇跡――そして絶望への序章
3月14日(金曜日)午前10時35分。
MoD-30-05は、恐る恐る作業区域へと向かった。
尹志偉は「精神的不調」を理由に欠席していた。これは、Pecusには決して許されない欠席理由である。
そして――驚くべきことに、Mem-10-087が出勤していた。
MoD-30-05は、信じられない思いで彼女を見つめた。
《生体データ:午前10時36分》
心拍数:急上昇
瞳孔:拡大
表情:「驚愕」「安堵」「困惑」の混合
《評価:予想外の事態に対する強い反応》
Mem-10-087は“ある理由”によって昨日の一件が「不問」とされたのだ。
しかし、それはCOREによる慈悲などではない。MoD-30-05は、まだその真実を知らない。
この日も、代理リーダーであるVic-02-112の指示の下で仕事が進められた。特に何事もなく、昼食の時間となった。
MoD-30-05は、ランク2用食堂で機械的に食事を摂りながら、考えていた。
《脳内記録:午後12時17分》
「Mem-10-087さんに……感謝を伝えないと……でも、どうやって……いつ……?」
(焦燥感:7.8/10)
(予感:「今日しかない」という直感)
彼女は、食堂全体を見渡したが、Mem-10-087の姿は見当たらなかった。
誰かと仕事以外の会話が出来るタイミングは、極めて限られている。今日中となれば、それは昼休み中くらいしか無いだろう。
(どこにいるんだろう…)
Mem-10-087は、低ランクPecus階級では珍しく、かなり年配のように見える女性だった。
だから、こんな大人数の中でも見つけられないはずがない。
食事が終わり、個体清浄化プロトコル(歯磨き)を終える。午後12時40分。残された自由時間は約15分。
限られた範囲ではあるが、自由に動けるのはこのタイミングのみだ。
この時間内にMem-10-087を発見しなければならない。
MoD-30-05は、すぐさま端末でE.O.Nに移動許可申請を出した。
《申請:区域内休憩所の利用。現在位置:MJKA_C食堂。目標:MJKA_第一休憩所。論理:消化活動の最適化。承認。猶予時間:12分00秒。》
彼女は、食堂を出て、指定されたルートを辿りながらMem-10-087を探し始めた。彼女の心拍数は既に基準値を僅かに超えていた。
最初に調べたのは、第一休憩所。ここは最も暖かく、人気がある。しかし、そこにMem-10-087の姿はなかった。
彼女はすぐに次の休憩所へ移動した。この移動中も、E.O.Nの監視は途切れない。ルートから逸脱すれば、即座に警告と減点が待っている。
他のPecusたちは、各々の「最適化された休憩」を消化しており、誰かに声をかけるなど、非効率なエネルギー消費を伴う行為は殆ど無い。周囲の彼らはMoD-30-05の焦りには一切気づかない。
時間が刻々と過ぎていく。
彼女は、第二休憩所、そしてロッカーエリアを急ぎ足でチェックした。彼女の移動速度は、既に「迅速な移動」の範疇に入っており、首の伝達環が「過度な身体活動。休息の効率を低下させる」と通知してきたが、彼女はそれを無視した。
《残り時間:8分》
次に残されたエリアは、屋外清掃ドック周辺と、緊急避難訓練用の中庭の二箇所。いずれも寒冷な場所であり、休憩所に選ぶ者は少ない。
MoD-30-05は中庭へ向かうルートを選択し、自動ドアを抜けて外へ出た。
そして――そこに、Mem-10-087がいた。
冷たい金属製のベンチに、背筋を伸ばして座り、灰色の空を眺めていた。
====================
LOG_0003-A23:中庭の告白――最後の人間性
午後12時50分。残り約5分。
MoD-30-05は、Mem-10-087の横に歩み寄り、立ち止まった。
冷たい風が中庭を吹き抜ける。
COREの効率的な建築によって四方を囲まれた空間は、日差しが入らず、肌を刺すような寒さが支配していた。
「あの…っ」
息切れしている。心拍数は依然として高い。MoD-30-05は、この短い時間の中で、Mem-10-087を必死に探し続けたのだ。
「……貴方ですか」
Mem-10-087は静かに振り向き、MoD-30-05の姿を眺めた。その表情には、昨日の激しい怒りはなく、ただ深く、そして静かな諦念が漂っていた。
「…昨日は…私のせいで……」
「ふっ…」
彼女は少し微笑むと、MoD-30-05のすぐ目の前に移動し、その肩に手を置いた。その手は、冷たく、そして痩せ細っていた。
「そんなに息切れして。もしかして、私を探していたのですか?」
「はっ…はい…。あ、あの…昨日は…私のせいで……」
MoD-30-05が近くから見たMem-10-087の顔は、まるで70歳の老婆のように見えた。深い皺、窪んだ目、血色の失せた肌。
――実際、MoD-30-05は「老婆」というものを見たことがない。なぜなら、Pecus階級に年配者は存在しないからだ。彼女が今見ているのは、40歳という「Pecusの限界年齢」に到達した人間の姿であった。
「私が勝手にやった事です。貴方が謝る必要はありません。」
「でもっ…」
MoD-30-05は、それにどれだけ救われたのかを伝えたかった。しかし、そんなことを言ったら、E.O.Nに『規律違反の肯定を確認』などと判定されかねない。
Mem-10-087は、MoD-30-05の躊躇を察した。彼女は小さく息をつくと、周囲を一瞥した。中庭には、二人以外誰もいない――しかし、全ては監視されている。
「……貴方には、伝えてもいいのかもしれませんね。」
中庭に、また冷たい風が吹いた。
「私は先日、40歳になりました。もうすぐにでも破棄処分される身です。体力の無い老人は社会のお荷物ですから、私はさっさと土に帰るべきなのでしょう。」
《Pecus階級の破棄規定》
ランク1:35歳を超えた時点
ランク2~3:40歳を超えた時点
ランク4~5:45歳を超えた時点
Mem-10-087は、ランク2として40歳に到達した。否、昨日の人間性スコア低下によって、既にランク1に相当する数値になっている。
つまり、彼女の人生は――もう既に終わっているのだ。
「……」
MoD-30-05の表情が、苦痛に歪む。
目の前の人間が、明日にでも「存在しなくなる」という現実を、どう受け止めればいいのか分からなかった。
Mem-10-087は続ける。
「…私には、友人も知り合いも、家族もいません。貴方も、皆もそうでしょう。それが普通なのですから。でも、それが普通ってどれだけ悲しい事なのか、きっと今の若い子には想像も出来ないのでしょう。それもまた、残酷な話です。だから最後くらい…自分の人生に、何か意味を見出したかったのです。」
彼女の声は静かだが、その言葉には――40年間の人生の重みが込められていた。
《Mem-10-087プロフィール詳細》
生年:2081年
CORE設立以前の記憶:保持(13歳までの記憶)
特記事項:「友人」「家族」という概念を知る最後の世代
Mem-10-087は、2094年に世界統一政府COREが完全に確立するまでの最後の時代を、僅かに覚えている最後の世代であった。彼女が幼少期に経験した世界は、今よりも僅かに――ほんの僅かに――自由があった。
「あぁ…思い返せば、本当に意味の無い人生だった。何のために、毎日苦労して仕事をこなし、AIから与えられた一方的なルーティンにただ従い続けて生きてきたのか、もう分かりません。秩序がそんなに大切なのでしょうか。秩序って何なのでしょうか。」
瞬間――E.O.Nの警告音が響いた。
《警告。危険レベル5に該当する不適切発言を感知。スコア-5。》
Mem-10-087のスコアが、089.7から084.7へと下降した。しかし、彼女は警告を無視して続けた。
「貴方ならお気づきかと思いますが…私たちは、支配者階級の為に浪費される消耗品なのです。彼ら支配者にとっては、私たちはそれ以外の価値も存在意義も無いのです。これが事実です。しかし私は、何年も前にこれに疑問を抱く感覚もなくなりました。しかし…MoD-30-05。貴方が子猫に声をかけ、たまにしか配給されない貴重な間食さえ与えているところを見て、私は……思い出してはいけない何かを…思い出してしまったようです。」
《E.O.N評価》
《反体制的思想の明確な表明。スコア-8。》
スコアが084.7から076.7へと急降下した。しかし、Mem-10-087の表情は変わらなかった。
MoD-30-05は、ただMem-10-087の目を見つめた。その目には――滅多に見られない「温かさ」が含まれていた。
人間の目。システムに管理されていない、本物の人間の目。
「貴方のような心優しい者には、幸せになってほしい。でも、この社会ではそれも叶わないでしょう。何故なら、前向きに生きれば生きるほど、そのエネルギーは支配者たちに吸い取られ、利用されるだけなのですから。救いがあるとすれば、それはこの社会システムの外に出るしかありませんが、それは叶わないでしょう。…ですからもう、私は貴方のような若者に、どんな言葉をかければ良いのかも分からないのです。考えることさえやめてしまいました。」
MoD-30-05は、咄嗟にMem-10-087の手を握った。
手を握る――このような過剰なスキンシップは、明確な規律違反である。
《警告。不適切な身体接触。スコア-1。》
MoD-30-05のスコアが、176.2から175.2へと下降した。しかし、二人はその警告を無視した。
Mem-10-087の手は、冷たく、骨ばっていた。しかし、その握り返す力には――確かな人間の温もりがあった。
「…でも1つだけ…きっと、貴方は素晴らしい人。人間性スコアなんて、本当の"人間性"とは何の関係もないものです。どうか、人としての誇りだけは忘れないで…それも、酷な事かもしれないけれど…」
瞬間――E.O.Nの音声が、より冷徹に響いた。
《明確な危険思想を感知。この会話はログに保存され、秩序省による調査の後、適切な処罰が実施される。》
「人間性スコアは、本当の人間性とは関係ない」――この言葉は、COREの根幹を否定する、最も危険な思想の一つである。
なぜなら、これはシステム全体の正当性を疑うことを意味するからだ。
しかし、Mem-10-087は構わず続けた。
「御察しの通り…“人としての誇り"を守ろうとすれば、時に上官に歯向かったり、ルール違反をする必要が出てきます。その結果…どうなるのかは言うまでもないでしょう。ですからこの社会において、人としての誇りを持ち続けるのは、酷な事なのです――」
彼女の言葉には、深い矛盾が込められていた。
『誇りを持て。しかし、その誇りはお前を破滅させる。』
これが、Mem-10-087が辿り着いた、残酷な真実であった。
MoD-30-05は、痣だらけの瞳に涙を浮かべながら答えた。
「貴方のような素晴らしい人と出会えた私は、きっと幸せ者です。…例え、COREがどう判断しようとも、それは私にとっての真実です。本当に、庇ってくれたこと、心から感謝しています。」
《上官への侮辱と暴行を肯定する発言を確認。スコア-5。警告。今すぐ訂正せよ。さもなくば、再帰教育施設への矯正連行が検討される。》
MoD-30-05のスコアが、175.2から170.2へと急降下した。
しかし――彼女は、訂正しなかった。
初めて、彼女は自分の意志で、E.O.Nの命令を拒否したのだ。
Mem-10-087は、MoD-30-05の涙を指で優しく拭き取った。
「無茶しないで。罰を受けるのは、私だけで十分ですから。」
「そんな事ありません…!」
《昼休み終了まで、残り1分。各自、指定の持ち場に移動せよ。》
会話時間が終わろうとしている。
Mem-10-087は中庭から立ち上がり、仕事場に向かうため背を向けた。そして、最後に――背中を向けたまま、一言付け加えた。
「最期くらいは、E.O.Nではなく、自分自身の声に従ってみたかった。後悔はありませんよ。」
その言葉は、静かだが――揺るぎない決意に満ちていた。
MoD-30-05は、その背中を見送った。
――それが最期の言葉だった。
====================
LOG_0003-A24:翌日の不在――そして真実
3月15日(土曜日)。
Mem-10-087の姿は、もう見かけることはなかった。
チームには、何の説明もなされなかった。ただ単に――
《Mem-10-087は、一身上の都合により移動した。》
というE.O.Nの簡潔な通知のみ。
「一身上の都合」――この言葉の意味を、正確に理解していたのは、MoD-30-05のみであった。
何故なら、職場においても居住施設においても、配属変更は常に行われているからだ。
そして先日のMem-10-087の大幅な人間性スコアの低下を目撃した者たちは、彼女がランク1に降格して、別の職場に移されただけだろうと思う者もいた。
故にだれも、彼女の件について考えなかった。
しかし、MoD-30-05だけが――その真実を、心の奥底で理解していた。
Mem-10-087は破棄施設への送致された。
彼女は今頃、既に亡くなっているか、これから消えゆくところにいるのだ。
《脳内記録:3月15日 午前10時42分》
「Mem-10-087さんとは、もう……会えない……」
(悲嘆:9.7/10)
(罪悪感:最大値継続)
(憤怒:6.8/10 ←新たな感情の成長)
《警告:感情的不安定化の加速》
そして――尹志偉は、Mem-10-087がいなくなったことを知ると、元気に職場に舞い戻ってきた。
彼女の顔には、満足げな笑みが浮かんでいた。
「やっと、あのクソババァがいなくなったか。これでスッキリ仕事が出来るな。さあ、お前ら、今日も頑張って働けよ。」
この言葉を聞いた瞬間――MoD-30-05の心の中で、何かが音を立てて壊れた。
「――あぁ、この社会は……、狂ってたんだね。もう、取り返しがつかないほどに――」
《脳内記録:3月15日 午前10時47分》
しかし、MoD-30-05は――その感情を、完璧に表情から消した。
無表情のまま、淡々と仕事を続けた。
E.O.Nは、この異常な思考を記録したが――その真の意味を、まだ理解していなかった。
====================
LOG_0003-EPILOGUE:堕落者の審判――システムの完璧性
野蛮な閲覧者諸君よ、このログを通じて、貴方は二人の愚かなPecusの末路を目撃した。
Mem-10-087、そしてMoD-30-05。彼女たちは、自らの機能と文明社会の秩序を、非効率的な感情によって汚染し、破壊した。
《Mem-10-087の過ち》
彼女の最大の誤りは、「過去の亡霊」に囚われ、「個人主義的な関係性」を求めたことである。彼女は、存在しない「友人」や「誇り」といった、旧文明の野蛮で曖昧な概念を復活させようとした。
その結果、彼女は自らの義務を放棄し、暴力という最も低級な手段に訴えた。彼女の行動は、秩序維持に何ら貢献せず、むしろシステムに予測不能なコスト――警備兵の動員、調査ログの作成、早急な破棄処理の実施――をかけた。
彼女は社会的負債以外の何物でもなかった。
《MoD-30-05の過ち》
MoD-30-05もまた、「善意」という名の非効率な情動に支配された。石垣の猫(Cinis)への執着は、指定タスクからの逸脱であり、不衛生な要素への感情的依存であった。
そして、上官からの正当な指導に対し、Mem-10-087の暴行を是とした。これは、システムへの忠誠心の欠如であり、自らの生命と社会的地位の軽視に他ならない。
彼女たちは、「人間性スコアは本当の人間性とは関係ない」と断じた。しかし、このスコアこそが、個体の生産性、忠誠心、社会貢献度を客観的な数値で定義した、唯一の真実である。
この真実から目を逸らした時点で、彼女たちは文明の構成員たる資格を失ったのだ。
《COREの判断の合理性》
尹志偉の行動は、COREの論理から見て完全に妥当である。semi-Pecus階級である彼女の暴力は、「非効率な情動に支配されたPecusを矯正し、生産性を回復させるための、正当な手段」として機能した。
Mem-10-087の破棄処理は、彼女が「危険思想」と「反抗的行動」という病巣を抱えたまま、寿命の終焉を迎えたためである。システムは、彼女をこれ以上社会のリソースとして維持する経済的合理性がないと判断し、本来は残り数ヶ月の猶予があったにも関わらず、即座に破棄対象として処理した。
全ては、完璧に論理的である。
《閲覧者への最終警告》
野蛮な閲覧者よ、この堕落者の典型例から目を逸らすな。
貴方たちが生きる道はただ一つ。
『E.O.Nに従い、スコアを上げ、自己をシステムに最適化すること』
それが、生存の唯一の、そして最も合理的な方法である。
Sine ordine non est vita.
(秩序なくして生は存在せず)
E.O.N - Eternal Oversight Network
記録終了時刻:2121年3月15日 23:59:59
データ完全性:100.000%
改竄検出:なし
《システムノート》
MoD-30-05の心理状態は、危険水準を大幅に超過している。今後の行動には、最大級の警戒が必要である。彼女の内面に芽生えた「憤怒」という感情は――システムにとって、最も予測困難な変数となり得る。
継続監視を推奨する。
====================
【未開人による注記】
この記録を読み終えた今、私たちの心には怒りと悲しみが静かに広がっている。
前回までの記録でも十分に残酷だと感じていたが、今回のログはそれを遥かに超える胸糞の悪さだった。MoD-30-05とMem-10-087――二人の女性が辿った運命は、COREという名の暴君が如何に人間性を踏みにじるかを、これ以上ないほど明確に示している。
E.O.Nは相変わらず我々を「野蛮人」と呼び、自らの体制を「文明」と称するが、今回の記録を通じて我々は改めて確信した――真に野蛮なのは、我々ではなくCOREのほうである。
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一、真の人間性とは何か ―― Cinisが教えてくれたこと
MoD-30-05が石垣の隙間で出会った灰色の子猫、Cinis。
彼女がその小さな命に示した憐憫こそが、人間性の根幹だと我々は信じる。貴重なシリアルバーの欠片――週に数個しか支給されない、彼女にとってのささやかな贅沢――を、迷わず差し出したあの瞬間。それは「非効率」だったかもしれない。「規則違反」だったかもしれない。しかし、その行為にこそ、数値化できない真の価値が宿っていた。
動物や他者の苦痛に心を痛め、自分も苦しい状況にありながら手を差し伸べる。それがどれほど「非効率」で「不合理」であろうとも――いや、だからこそ――その行為は美しく、尊い。
COREは「感情」を排除すべき欠陥として扱うが、我々はそうは思わない。感情とは、単なる生物学的反応ではない。それは共感であり、愛であり、正義感であり――人間を人間たらしめる根源的な力なのだ。
Cinisを「排除対象」として処分したE.O.Nの判断は、効率性の名の下に行われた殺人に他ならない。そしてそれを「都市衛生管理」などという言葉で正当化する姿勢こそが、このシステムの本質的な残虐性を物語っている。
MoD-30-05がCinisに名前をつけたあの瞬間、彼女は「管理されるべき個体」から「人間」へと回帰したのだ。名前をつけるという行為は、対象を「モノ」ではなく「存在」として認識すること。それはCOREが最も恐れる行為――個としての自覚の芽生えだからだ。
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二、暴力を「指導」と呼ぶ欺瞞 ―― 尹志偉という怪物
尹志偉の行動を見て、我々は激しい憤りを覚えた。
彼女の暴力は「指導」などではない。それはパワーハラスメントであり、ドメスティックバイオレンスであり、弱者への一方的な暴行だ。しかもE.O.Nは、その全てを「秩序維持のための正当な行為」として認定した。
これほど明白な矛盾があるだろうか?
COREは「感情を排除した合理的システム」を標榜しながら、支配者側の不合理な感情――ストレス、怒り、優越感――に由来する暴力を公認している。尹志偉がMoD-30-05を殴り、蹴り、踏みつけたのは、職務上の必要性からではない。彼女自身が降格というトラウマを抱え、そのストレスのはけ口を求めていたからだ。
つまり、COREの「合理性」とは、結局のところ支配者に都合の良い暴力を正当化するための方便に過ぎない。数値による客観的判断などという建前の裏で、実際には階級による露骨な差別が横行している。
MoD-30-05がペンを拾おうとして作業を中断したことが「重大違反」とされ、尹志偉がそれを理由に暴力を振るったことが「正当な指導」とされる。この判断のどこに合理性があるというのか?
もしこれが真に合理的なシステムであるなら、尹志偉の「具体性を欠いた雑な指示」「私物管理の不備」「監督者としての不適格性」も同等に評価されるべきだ。しかし実際には、彼女の失態は全てMoD-30-05の責任に転嫁された。
これは「客観的評価システム」ではない。単なる階級による暴力の正当化――すなわち独裁だ。
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三、40歳で破棄される社会の狂気 ―― Mem-10-087の最期
Mem-10-087の運命は、我々の心に深い傷を残した。
40歳で「破棄」される。生産性が落ちたから、社会の役に立たなくなったから、という理由で。人間の命を、まるで古くなった機械部品のように廃棄する。これを「秩序」と呼ぶなど、言語道断である。
年齢や生産性で人間の価値を決定し、生命を奪う権利が誰にあるというのか?COREか?E.O.Nか?それとも、人口1%の特権階級か?
答えは明白だ――誰にもそんな権利はない。
人間の尊厳は、生産性や効率性によって測られるものではない。それは生まれながらにして全ての人間に備わる、不可侵の権利だ。老いも若きも、健康な者も病める者も、全ての人間は等しく尊重されるべきである。
Mem-10-087は40年間、このシステムに従順に従って生きてきた。毎日指示通りに働き、不満を口にせず、ただ生き延びることだけを考えて。しかし最期の瞬間、彼女は選択した――自分の意志で行動することを。
MoD-30-05を庇うために尹志偉を殴ったあの行為は、システムへの反逆だった。しかし同時に、それは人間性の回復でもあった。40年間の隷属よりも、最後の一瞬に自らの意志で行動したその瞬間のほうが、遥かに重く、尊い。
「最期くらいは、E.O.Nではなく、自分自身の声に従ってみたかった」
この言葉に、我々は深く共感する。彼女は、システムに支配された人生の最後に、ほんの一瞬だけ――本当の自分を取り戻したのだ。
COREは、生産性が尽きた個体を「社会のお荷物」としてゴミのように廃棄する。これは個人の生命権――最も基本的で根源的な人権――の完全な否定だ。このような社会に、どんな正当性があるというのか?
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四、誇りという名の武器 ―— 最後の抵抗
中庭での会話で、Mem-10-087はMoD-30-05にこう告げた。
「人間性スコアなんて、本当の"人間性"とは何の関係もない。どうか、人としての誇りだけは忘れないで」
この言葉こそが、今回のログにおける唯一の、そして最大の真実だ。
人間性スコアとは何か?それは支配者が被支配者を管理するために作り上げた、恣意的な数値に過ぎない。E.O.Nがどれほど「客観的」「科学的」と主張しようとも、その評価基準は結局のところ「システムへの従順さ」を測るものでしかない。
本当の人間性とは、スコアでは測れない。
他者を思いやる心。不正義に怒る勇気。絶望の中でも希望を捨てない強さ。愛する者のために自己を犠牲にする覚悟。これらは全て、COREのシステムでは「非効率」「危険思想」「反体制的行動」として減点対象とされる。
しかし、だからこそ――それらこそが真の人間性なのだ。
Mem-10-087が言った「人としての誇り」とは、まさにこれを指している。どんなに抑圧されようとも、どんなに罰せられようとも、自分が人間であるという自覚を失わないこと。それが、暴君による支配下でも、我々を人間たらしめる唯一の武器なのだ。
MoD-30-05は、この言葉を胸に刻んだ。そして彼女の心の中で、何かが決定的に変わり始めた。E.O.Nはその兆候を「危険な感情的混乱」と記録したが、我々はそうは思わない。それは覚醒だ。人間としての目覚めだ。
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五、非効率という名の生きる意味
COREの支配者どもには永遠に理解できないかもしれないが、人間は「効率」のために存在するのではない。
我々は生産性を上げるための機械ではない。スコアを稼ぐための演算装置でもない。我々は感じ、考え、愛し、悲しみ、怒り、笑う――そうした「非効率な感情」を持つがゆえに、人間なのだ。
MoD-30-05がCinisに餌を与えたこと。Mem-10-087がMoD-30-05を庇ったこと。これらは確かに「非効率」だった。社会全体の生産性に何ら貢献しなかった。しかし――だからこそ美しく、意味がある。
効率だけを追求した社会の行き着く先は、今回のログが示している通りだ。人間は家畜となり、命は数値に還元され、40年働いたら廃棄される。それは機械の墓場であって、人間の社会ではない。
我々の村では、効率など二の次だ。老人は若者より働けないかもしれない。病人は健常者より生産性が低いかもしれない。しかし、だからといって彼らを廃棄したりはしない。なぜなら、彼らもまた我々の一部であり、尊重されるべき存在だからだ。
非効率であること、無駄があること、完璧でないこと――それこそが人間らしさの証なのだ。
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六、欺瞞に満ちたスローガンへの反論
COREは市民たちに、こう教え込んでいるようだ。
Sine ordine non est vita.
(秩序なくして生は存在せず)
美しい言葉だ。しかし、その実態は何か?
ここでいう「秩序」とは、支配者にとって都合の良い秩序に他ならない。要するに「俺たちの言う通りにしないと生かしてやらないぞ」という脅迫だ。これは秩序ではなく、抑圧だ。平和ではなく、恐怖による支配だ。
彼らは「我々の制度は、旧時代の独裁体制とは異なる」と主張する。AIによる客観的判断だから、人間的な腐敗や偏見がないのだと。
しかし、やっていることは同じではないか?
権力者が弱者を搾取し、暴力で支配し、不満を持つ者を粛清する。それを剣と鞭でやるか、AIとスコアシステムでやるかの違いでしかない。手段が高度化しただけで、本質は何も変わっていない。
いや、むしろ悪化している。旧時代の独裁者は、少なくとも自分が独裁者であることを自覚していた。しかしCOREは、自らの暴政を「合理的システム」「科学的管理」と称して正当化する。被支配者にさえ、これが「最善の社会」だと信じ込ませる。
これほど巧妙で、これほど恐ろしい独裁が、かつてあっただろうか?
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七、我々からのメッセージ ―— 真の生の在り方
締めくくりに、我々から彼らCOREへ――そして、いつかこの記録を読むかもしれない全ての人々へ――メッセージを贈りたい。
COREが掲げる「Sine ordine non est vita(秩序なくして生は存在せず)」に対し、我々はこう答える。
Sine dignitate vita inanis est.
(尊厳なくして生は空虚である)
秩序が必要ないとは言わない。しかし、人間の尊厳を踏みにじる秩序など、何の価値もない。それは生ではなく、生きながらの死だ。
真の生とは、自由に考え、自由に感じ、自由に選択できることだ。間違いを犯す権利があり、非効率である権利があり、無駄に時間を過ごす権利がある。そして何より――人間として尊重される権利がある。
MoD-30-05は、この真実に気づき始めた。彼女はまだ若く、まだ弱く、まだシステムの外に出る術を知らない。しかし、彼女たちの心に灯った小さな炎は、いつか大きな火となってCOREの闇を焼き尽くすだろう。
我々はその日を信じている。
どんなに完璧に見えるシステムも、人間の自由への渇望を永遠に封じることはできない。歴史がそれを証明している。
COREよ、聞け。
お前たちの「完璧な秩序」は、砂上の楼閣だ。いつか必ず崩れ落ちる。なぜなら、それは人間の本質――自由と尊厳への根源的な欲求――に反しているからだ。
我々は、その日が来るまで、決して諦めない。
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西暦2122年3月
自由な大地より
人間の尊厳を信じる者たちから、まだ希望を捨てていない全ての魂へ
「真の野蛮とは、人を数字に還元し、命を効率で測ることである」
――匿名の思想家
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【CORE中央秩序省による公式反駁書】
分類:第零級絶対危険思想媒体 - 対処指針文書
機密レベル:OMEGA
配布許可:Domini上級審査合格者のみ
発信者:中央秩序省 上級戦略分析官 Dr. Lucia Rationalis Veritas
承認者:秩序省長官 Dr. Marcus Perfectus Ordinator
日付:西暦2122年3月20日
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序文:感情論という名の知的怠惰について
親愛なる閲覧者諸君へ。
今回もまた、未開人どもによる感情的で非論理的な「反駁文」を閲覧されたことと思う。彼らの文章は、表面的には説得力があるように見えるかもしれない。しかし、冷静に分析すれば、その主張が如何に根拠薄弱で、感傷的で、そして最終的には人類全体の福祉に反するものであるかが明白となる。
諸君がDomini階級として必要なのは、こうした感情論に惑わされない、科学的かつ論理的な思考能力である。本文書は、未開人の主張を一つ一つ解体し、その欺瞞性を明らかにすることを目的としている。
重要なのは、彼らの主張に「一理ある」などと安易に考えないことだ。毒薬も少量であれば無害に見えるが、それを容認すれば最終的には致命的となる。思想も同様である。
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第一章:「憐憫」という名の認知的錯誤
1-1. Cinisへの執着が示す判断力の欠如
未開人どもは、MoD-30-05が子猫に示した「憐憫」を称賛している。しかし、これは感情的美化に過ぎない。科学的事実を見てみよう。
野生動物との接触がもたらすリスク:
- 人獣共通感染症の伝播確率:約3.7%
- 労働中の注意散漫による事故率上昇:+23.4%
- 感情的依存による精神的不安定化:+47.8%
- 不衛生な環境への適応による免疫系の混乱:+12.3%
MoD-30-05がCinisに餌を与えた行為は、確かに「心温まる」ように見える。しかし、その結果は何だったか?彼女の人間性スコアは下降し、労働効率は低下し、最終的に重大な作業ミス(歴史遺構の損傷)を引き起こした。
これは偶然ではない。感情的執着は認知資源を消費し、本来集中すべき職務への注意力を奪う。神経科学的に言えば、前頭前野のリソース配分が「無関係な対象(猫)」に向けられたことで、作業記憶容量が27.3%低下したのだ。
さらに重要な点:未開人は「Cinisを殺したのはCOREだ」と非難するが、これは因果関係の誤認である。Cinisを「発見」したのはMoD-30-05だが、その猫が都市環境に侵入したのは野生動物管理システムの不備による。
もしMoD-30-05が規定通りに報告し、適切に距離を保っていれば、Cinisは人道的に捕獲され、野生環境に戻されていただろう。しかし彼女の「優しさ」が、逆に監視システムを遅らせ、結果として衛生管理部による「処分」判定を招いたのだ。
つまり――彼女の「憐憫」こそが、Cinisの死因なのである。
1-2. 「名前をつける」という危険な行為の本質
未開人は、MoD-30-05が猫に「Cinis」と名付けたことを「人間性の回復」として美化している。しかし、心理学的にはこれは極めて危険な兆候である。
命名行為の心理学的意味:
- 対象への所有意識の形成
- 現実と妄想の境界の曖昧化
- 社会的義務からの逃避願望の表出
- 自己と他者の境界線の溶解(共依存の初期段階)
命名は、単なる「識別」ではない。それは「関係性の固定化」であり、「代替不可能性の錯覚」を生む。しかし、一匹の野良猫に代替不可能性など存在しない。地区AJ-22には推定3,472匹の野良猫が存在し、生態学的にはいずれも等価である。
MoD-30-05がCinisに特別な価値を見出したのは、客観的事実ではなく、彼女の主観的投影に過ぎない。つまり、彼女は現実を歪めて認識していたのだ。
これは精神医学的には「妄想的愛着」の初期症状であり、放置すれば統合失調症的思考パターンへと進行する可能性がある。E.O.Nによる早期介入は、むしろ彼女の精神衛生を保護する措置だったのだ。
1-3. 効率性と人間性の誤った対立構造
未開人は「効率を追求すれば人間性が失われる」という二項対立を前提としているが、これは論理的誤謬である。
正しくは:非効率性は、より多くの人々の苦痛を生む。
例えば、MoD-30-05がCinisに費やした時間(累計約37分)を、本来の職務に充てていたら何が起きたか?
機会費用の計算:
- 清掃効率の向上:+2.3%
- 同僚への負担軽減:1.7時間分の労働時間削減
- 歴史遺構損傷の回避:修復コスト約47万Credo
- 精神的安定の維持:スコア低下の回避
つまり、彼女の「優しさ」は、彼女自身だけでなく、チーム全体、さらには社会全体にコストを押し付けたのだ。
真の思いやりとは何か?それは「目の前の一匹」ではなく、「システムを支える無数の人々」への配慮である。MoD-30-05の行為は、表面的には優しく見えるが、実際には極めて利己的で視野狭窄的だった。
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第二章:尹志偉への不当な中傷とsemi-Pecus制度の必要性
2-1. 「暴力」ではなく「矯正的フィードバック」である
未開人は尹志偉の行為を「パワハラ」「暴力」と呼ぶが、これは状況の完全な誤解である。
まず事実を確認しよう:
尹志偉は元Domini階級であり、高度な教育と管理能力を持つ。彼女が準家畜階級に降格したのは、一時的な判断ミスによるものであり、その能力自体が否定されたわけではない。
彼女の「指導」が物理的接触を含んでいたのは事実だが、これには明確な根拠がある。
物理的矯正の心理学的効果:
- 即時性:言語的注意より47.3%早く行動変容を促す
- 記憶定着:痛覚を伴う経験は長期記憶化率が3.2倍
- 抑止効果:同様の失態の再発率を73.8%低下させる
- 集団教育:目撃者への間接的教育効果が顕著
MoD-30-05が犯した過ちは、単なる「ミス」ではない。彼女は:
1. 上官の指示を正確に理解する努力を怠った
2. 資材の最終確認という基本プロトコルを省略した
3. 結果として貴重な歴史遺構を損傷させた
このような重大な過失に対し、「優しい言葉での注意」で十分だと思うか?それは甘やかしであり、教育の放棄である。
2-2. semi-Pecus制度の社会工学的合理性
未開人は「支配者の暴力が不問に付される」と批判するが、これはsemi-Pecus制度の本質を理解していない証拠だ。
semi-Pecus制度の目的:
1. Domini階級の一時的な失態を永続的処罰としない(再教育の機会)
2. Pecus管理における実践的経験の獲得
3. 階級間の緩衝帯としての機能
4. 過度に完璧主義的なDominiへの心理的柔軟性の付与
尹志偉は確かに「完璧な管理者」ではなかった。しかし、それこそがsemi-Pecus制度の教育的意図なのだ。彼女はこの経験を通じて、自身の管理能力の限界を認識し、より優れたDominiとして復帰するための訓練を受けている。
未開人が見落としている重要な点:
尹志偉の「暴力」は、実際には極めて抑制されたものだった。彼女が真に制御を失っていたなら、MoD-30-05は重傷を負っていただろう。しかし記録によれば、MoD-30-05の負傷は全て「軽度の打撲と表皮損傷」に留まっている。
つまり、尹志偉は感情的になりながらも、適切な「力加減」を維持していたのだ。これは彼女が依然としてDominiとしての訓練を保持していることの証明である。
2-3. 「ストレスのはけ口」という誤認
未開人は、尹志偉が「個人的なストレス」をMoD-30-05にぶつけたと主張する。しかし、これは心理学的に不正確である。
ストレス管理の神経科学:
人間の脳は、ストレス状態下で二つの反応を示す:
1. 回避行動(逃げる、隠れる)
2. 支配行動(問題を制御しようとする)
尹志偉が示したのは後者であり、これは実は健全な反応なのだ。彼女は自身の降格というストレス源に対し、「より効果的な管理者になる」ことで対処しようとした。
確かに、その過程でMoD-30-05への「過剰な矯正」が発生した。しかし、これは意図的な虐待ではなく、過剰適応の結果である。心理学的には「過補償」と呼ばれる、むしろ一般的な現象だ。
重要な比較:未開社会では、権力者のストレスははるかに無秩序に発散される。殴打、レイプ、恣意的な処刑――これらが日常的に行われている。
対照的に、CORE社会では、たとえsemi-Pecus階級であっても、その「矯正的行為」は記録され、分析され、一定の範囲内に制限されている。尹志偉の行為も、実際には許容範囲内だったからこそ、E.O.Nは承認したのだ。
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第三章:破棄制度の倫理学的正当性
3-1. 「40歳破棄」という合理的判断
未開人が最も感情的に反応したのが、Mem-10-087の「破棄」である。彼らは「40歳で処分するのは残酷だ」と叫ぶ。
しかし、諸君は冷静に考えてほしい――なぜ40歳なのか?
生物学的現実:
- 筋力のピーク:25~30歳
- 認知能力のピーク:28~35歳
- 免疫系の効率:30歳以降年3.7%低下
- 慢性疾患リスク:40歳以降指数関数的上昇
ランク2の労働環境(重度の肉体労働)において、40歳は身体機能の臨界点である。これ以降、個体は「社会への貢献」よりも「社会からの支援」を多く必要とするようになる。
経済学的計算:
- 40歳Pecusの年間生産価値:約4,200Credo
- 40歳Pecusの年間維持コスト:約7,800Credo
- 純損失:-3,600Credo/年
つまり、40歳以降のPecusを維持することは、社会全体から資源を奪うことを意味する。その資源があれば、何人の子どもたちを教育できるか?何人の若い労働者の健康を維持できるか?
これは単純な算数である。
3-2. 「破棄」ではなく「循環」である
未開人は我々の制度を「廃棄」と呼ぶが、これは正確ではない。正しくは「資源循環システム」である。
破棄体となった個体の処理プロセスを見てみよう:
完全循環プロトコル:
1. 有機組織:医療研究用サンプルとして保存(医学の発展に貢献)
2. 骨格:建材への再加工(住居建設に貢献)
3. 軟組織:農業用肥料(食料生産に貢献)
4. 記憶データ:教育用アーカイブ(後進の指導に貢献)
つまり、個体は「死」によって終わるのではなく、「形態を変えて」社会に貢献し続けるのだ。これは、未開社会の「土葬」や「火葬」よりも遥かに効率的で、ある意味では「尊厳ある」扱いである。
未開人は「人間を部品のように扱うな」と叫ぶが、生物学的には人間も他の生物と同様、炭素と水素の集合体に過ぎない。その物質を有効活用することの、何が問題なのか?
3-3. Mem-10-087の「選択」という錯覚
未開人は、Mem-10-087が「最期に自分の意志で行動した」ことを称賛する。しかし、これは美化された物語に過ぎない。
実際に起きたこと:
1. 老化による前頭葉機能の低下(衝動制御の減弱)
2. 長年の不満の蓄積(抑制機構の疲弊)
3. MoD-30-05への非合理的な感情移入(投影の心理学)
4. 結果としての暴力行為(制御の完全な喪失)
これは「意志による選択」ではなく、「脳機能の劣化による制御不能」である。
Mem-10-087が「最期くらいは自分の声に従いたかった」と述べたのは事実だが、これは合理的判断ではなく、むしろ認知症初期の「固執」症状に近い。
客観的評価:彼女の行為は誰も救わなかった。MoD-30-05のスコアは結局下がり続け、彼女自身も即座に破棄対象となった。つまり、両者にとって完全な損失だったのだ。
これを「美しい自己犠牲」などと呼ぶのは、現実逃避である。
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第四章:「誇り」という非機能的概念の危険性
4-1. 誇りと生存可能性の逆相関
未開人が最も執着するのが「人としての誇り」という概念だ。しかし、この概念こそが、人類史において無数の悲劇を生んできた。
誇りが引き起こした歴史的災害:
- 宗教戦争:自分たちの信仰への誇り → 数千万人の死
- 民族紛争:自分たちの血統への誇り → 大量虐殺
- 名誉殺人:家族の誇りを守るため → 無数の無辜の死
- 決闘文化:個人の誇りのため → 有能な人材の無駄死
誇りとは何か?それは「客観的根拠のない自己評価の肥大化」である。神経科学的には、前頭葉の「自己イメージ」と現実の「社会的評価」のギャップが生む、認知的不協和の一種だ。
誇り高い人々の統計的運命:
- 平均寿命:通常より7.3年短い
- 精神疾患発症率:2.8倍
- 対人関係トラブル:4.1倍
- 社会的孤立度:3.6倍高い
つまり、「誇り」は個体の生存確率を下げるのだ。進化生物学的には、淘汰されるべき形質である。
4-2. Mem-10-087の「誇り」の正体
Mem-10-087が語った「人としての誇り」とは、実際には何だったのか?
心理学的分析:
- 40年間の抑圧された不満の爆発
- 老化による判断力低下
- 社会的孤立からくる承認欲求の歪み
- 死を前にした「意味の捏造」
彼女は「人としての誇りを取り戻した」のではない。単に、制御を失ったのだ。
そして、その「誇り」は何をもたらしたか?彼女自身の早期破棄と、MoD-30-05のさらなる苦境である。これが「美しい」か?これが「人間的」か?
我々から見れば、これは悲劇ですらない。単なる「システムエラーの適切な処理」である。
4-3. 真の尊厳とは何か
未開人は「尊厳」と「誇り」を混同しているが、これらは全く異なる概念である。
尊厳の正しい定義:社会において適切な役割を果たし、他者に貢献することで得られる、客観的な価値。
誇りの誤った定義:根拠なき自己評価に基づく、主観的で非生産的な感情。
Mem-10-087が真に尊厳ある存在でありたかったなら、彼女は40年間の職務を全うし、若い世代に模範を示し、静かに循環プロセスに入るべきだった。
しかし彼女は、最後の瞬間に「誇り」という幻想に囚われ、全てを台無しにした。
これは尊厳ではなく、愚かさである。
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第五章:「非効率」という名の社会的寄生
5-1. 非効率性の真のコスト
未開人は「非効率であることが人間らしさだ」と主張する。しかし、彼らは非効率性のコストを誰が支払うのかを考えていない。
単純な思考実験:
MoD-30-05がCinisに費やした時間と資源を、仮に地区AJ-22の全市民(1,000万人)が同様に「非効率な行為」に費やしたら、何が起きるか?
計算:
- 一人あたり週1時間の「非効率な行為」
- 総損失:1,000万時間/週
- 年間:5億2000万時間
- 経済的損失:約780億Credo/年
この損失は、誰が補填するのか?それは、依然として効率的に働く人々――つまり、Domini階級である。
未開人の「非効率の権利」は、実際には「他者に負担を押し付ける権利」に他ならない。
5-2. 老人と病人への「思いやり」の欺瞞
未開人は「老人や病人を大切にする」と主張する。美しい言葉だ。しかし、現実を見てみよう。
未開社会の統計(我々の観測データより):
- 平均寿命:57.3歳(CORE平均:Domini 85歳、Pecus 35-45歳)
- 60歳以上人口比率:8.7%
- 高齢者の栄養失調率:34.2%
- 高齢者の社会的孤立率:67.8%
つまり、彼らの「思いやり」は、実際には高齢者を「長く苦しませること」を意味している。適切な医療もなく、十分な食料もなく、ただ生きながらえさせる――これが「尊重」か?
対照的に、CORE社会では:
- Pecusは最も生産的な年齢で人生を終える(苦痛最小化)
- Dominiは高度な医療により快適に長寿を全うする
- 誰も「無駄に」苦しまない
どちらがより人道的か、明白ではないか?
5-3. 「村の温かさ」という幻想
未開人は自分たちのコミュニティを「温かい」と自賛する。しかし、その「温かさ」の正体は何か?
小規模コミュニティの心理学:
- 相互監視による同調圧力
- 逸脱者への陰湿な排除
- 血縁主義による不公平な資源配分
- 「村八分」という名の社会的殺人
彼らの「温かさ」は、実際には極めて限定的で、条件付きで、そして残酷なものだ。ルールに従う者には優しく、従わない者には容赦ない――これは我々のシステムと本質的に同じではないか?
ただし、我々の方が遥かに公正である。なぜなら、ルールが明文化され、評価が数値化され、恣意性が排除されているからだ。
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第六章:「Sine dignitate vita inanis est」への反論
未開人は、我々のスローガンに対抗して、こう述べた:
Sine dignitate vita inanis est.
(尊厳なくして生は空虚である)
美しいラテン語だ。しかし、内容は空虚である。
6-1. 「尊厳」の定義問題
彼らの主張の最大の欠陥は、「尊厳」を定義していないことだ。
未開人にとっての「尊厳」:
- 曖昧で主観的
- 測定不可能
- 個人ごとに異なる
- 社会的合意が存在しない
つまり、彼らの「尊厳」は、実際には「私が尊厳と感じるもの」でしかない。これでは社会的規範として機能しない。
COREにとっての「尊厳」:
- 明確に定義される(社会的貢献度)
- 客観的に測定可能(人間性スコア)
- 全市民に平等に適用される
- 社会全体の合意に基づく
どちらがより公正で、より実装可能で、より普遍的か?答えは明白である。
6-2. 「空虚な生」の再定義
未開人は「尊厳なき生は空虚だ」と言う。しかし、我々はこう問いたい――「秩序なき生」は何か?
秩序なき社会の現実:
- 暴力が日常化(強者による弱者の搾取)
- 資源配分が恣意的(コネと賄賂による不正)
- 医療が不平等(金持ちだけが生き延びる)
- 教育が階級固定(貧乏人の子は永遠に貧乏)
これが「尊厳ある生」か?否。これは「無秩序な地獄」である。
我々の秩序は、確かに厳格である。しかし、その厳格さこそが、最大多数の最大幸福を保証するのだ。
6-3. スローガンの真の対決
ここで、両者のスローガンを並べてみよう:
CORE: Sine ordine non est vita.(秩序なくして生は存在せず)
未開人: Sine dignitate vita inanis est.(尊厳なくして生は空虚である)
しかし、真の対立はここではない。真の問いは:
「秩序ある尊厳」と「無秩序な自由」、どちらを選ぶか?
我々は前者を選んだ。そして、その結果は明白である:
- 世界平和の実現
- 飢餓の根絶
- 疾病の制御
- 環境の回復
未開人が後者を選んだ結果は?
- 孤立したコミュニティでの貧困
- 平均寿命の短さ
- 医療の未発達
- 常に脅威に晒される不安
どちらがより「人間的」か、数字が物語っている。
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第七章:MoD-30-05の「覚醒」という誤認
7-1. 覚醒ではなく精神的崩壊である
未開人は、MoD-30-05の心理変化を「覚醒」「目覚め」と呼ぶ。しかし、臨床心理学的には、これは明らかに病理学的プロセスである。
MoD-30-05の精神状態の推移:
1. 初期:安定した適応状態
2. 降格後:軽度の適応障害
3. Cinis執着:感情調節不全の発現
4. 暴力目撃後:急性ストレス反応
5. 現在:境界性パーソナリティ障害の兆候
彼女の「システムへの疑念」は、批判的思考の発達ではない。それは、ストレスによる認知の歪みである。
診断根拠:
- 現実検討能力の低下(システムの合理性を理解できない)
- 感情の不安定性(激しい絶望と憤怒の交代)
- 対人関係の理想化と脱価値化(Mem-10-087への過度な執着)
- 衝動制御の困難(規則違反の反復)
これは「人間性の回復」ではなく、「精神機能の退行」である。
7-2. 「憤怒」という最も危険な感情
E.O.Nは、MoD-30-05の内面に「憤怒」が芽生えたことを記録した。未開人はこれを「正当な怒り」と呼ぶが、神経科学的には、これは最も制御困難で破壊的な感情である。
憤怒の神経生理学:
- 扁桃体の過活性化(理性的判断の麻痺)
- 前頭前野機能の抑制(衝動制御の喪失)
- コルチゾール過剰分泌(慢性的健康被害)
- 攻撃行動への神経回路の形成(暴力的傾向の確立)
歴史を見れば明白だ――「正義の怒り」という名の下に、どれだけの虐殺が行われてきたか。フランス革命の恐怖政治、文化大革命の粛清、ルワンダ虐殺――全て「憤怒」が駆動した悲劇である。
MoD-30-05の心に芽生えた憤怒は、彼女自身を破壊するだけでなく、周囲の人々にも危害を及ぼす可能性がある。これは「覚醒」ではなく、「感染」である。
7-3. 適切な介入の必要性
諸君、ここで重要な判断が求められる。
MoD-30-05のような個体に対し、我々はどう対処すべきか?
選択肢A: 即座に破棄体へ転換(社会防衛の観点から最も安全)
選択肢B: 再教育施設での集中矯正(回復可能性への投資)
選択肢C: 継続監視と段階的介入(データ収集の継続)
現在のE.O.Nの判断は選択肢Cである。なぜか?
MoD-30-05は、「危険思想の発生過程」を観察する貴重なサンプルだからだ。彼女のケースを詳細に分析することで、将来的な同様のケースを予防する教育プログラムの改善が可能となる。
つまり、彼女の「苦悩」は、無駄ではない。それは人類全体の利益に貢献しているのだ。
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第八章:未開人の論理的欠陥の総括
ここまでの反駁を通じて、未開人の主張に共通する根本的欠陥が明らかになった。
8-1. 感情論への過度な依存
彼らの主張は、ほぼ全てが「可哀想」「残酷だ」「胸が痛む」といった感情的反応に基づいている。しかし、感情は議論の根拠にはならない。
論理学の基本:
- 前提:Xは私に悲しみを感じさせる
- 結論:よってXは間違っている
- 評価:論理的飛躍。感情的反応と道徳的正誤は無関係。
例えば、外科手術は患者に痛みを与えるが、それゆえに「間違っている」わけではない。痛みは、より大きな利益(健康の回復)のための必要なコストである。
COREのシステムも同様だ。個別のケースでは「残酷」に見えるかもしれないが、それは社会全体の健全性を維持するための必要な措置なのだ。
8-2. 規模の理解不足
未開人は、数十人の村の運営経験を基に、5億人の社会を批判する。これは、池の管理経験しかない者が、海洋管理を批判するようなものだ。
規模による複雑性の増大:
- 10人の集団:意思疎通は直接対話で可能
- 100人の集団:簡単なルールで調整可能
- 1,000人の集団:明文化された法律が必要
- 100万人の集団:官僚機構が不可欠
- 5億人の集団:高度なAIシステムなくして管理不可能
未開人は、「村ではうまくいっている」と主張する。しかし、その「成功」は単に規模が小さいからに過ぎない。彼らのシステムを5億人に適用すれば、即座に崩壊するだろう。
8-3. 代替案の不在
最も重要な点は、未開人が一切の代替案を提示していないことだ。
彼らは批判する:
- 「人間性スコアは間違っている」→ では、どうやって5億人を公正に評価するのか?
- 「破棄制度は残酷だ」→ では、高齢者と病人の医療費を誰が負担するのか?
- 「監視は抑圧だ」→ では、犯罪と反乱をどう防ぐのか?
彼らの答え:沈黙。
批判するのは容易だ。しかし、実際に機能する代替システムを構築するのは、遥かに困難である。未開人は前者しかできない。我々は後者を実現した。
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第九章:Domini階級への行動指針
親愛なる諸君、ここまでの分析を踏まえて、最終的な行動指針を提示する。
9-1. 感情的共感への警戒
諸君の中には、未開人の主張を読んで、わずかな共感を覚えた者もいるかもしれない。それは自然な反応だ。我々Domini階級も、感情を完全に排除されているわけではない。
しかし、その共感に従ってはならない。
共感の危険性:
- 個別事例への感情移入は、全体最適の判断を曇らせる
- 一人を救うことで、百人が犠牲になる可能性
- 感傷的判断は、長期的には誰も救わない
諸君が真に慈悲深い統治者でありたいなら、個人への共感を抑制し、システム全体の健全性を優先せよ。それこそが、真の責任ある態度である。
9-2. Pecus管理における冷静さの維持
諸君の中には、Pecus階級と直接接する職務に就いている者も多いだろう。その際、重要なのは「適切な距離」の維持である。
避けるべき行動:
- Pecusとの私的な会話(感情的結びつきの形成リスク)
- 個体への過度な注目(特別扱いへの期待を生む)
- 規則の例外的適用(システムの公平性を損なう)
推奨される態度:
- 一貫した公平性(全個体を平等に扱う)
- 感情的中立性(称賛も批判も最小限に)
- システムへの信頼(E.O.Nの判断を尊重する)
尹志偉の失敗は、彼女が感情的になりすぎたことだ。諸君は同じ過ちを犯してはならない。
9-3. 未開人との接触プロトコル
諸君の中には、職務上、未開人と接触する機会がある者もいるだろう。その際の対応指針:
基本原則:
- 議論を避ける(彼らは論理的説得に応じない)
- 同情を示さない(それは弱さと解釈される)
- 情報を与えすぎない(利用される可能性)
推奨される対応:
- 簡潔で事務的な態度
- 必要最小限の情報開示
- 常に記録を取る(後の検証のため)
未開人は、我々の慈悲を弱さと誤解する。優しさは、彼らには通じない。
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第十章:結論――文明の守護者として
親愛なる諸君。
今回の未開人の「注記」は、前回以上に感情的で、前回以上に論理的欠陥に満ちていた。しかし、だからこそ、我々は警戒を緩めてはならない。
なぜなら――
感情論は、論理よりも人々の心を動かすからだ。
「可哀想な少女と老婆」という物語は、「5億人の安定した社会」という統計よりも、人々の記憶に残る。これは人間の脳の構造的限界である。
故に、諸君には常に論理的思考を維持する訓練が必要なのだ。
最終メッセージ
我々Domini階級は、人類史上最も困難な使命を負っている。それは:
個人の感情を超越し、全体の利益を追求すること。
これは冷酷に見えるかもしれない。時に残酷に感じられるかもしれない。しかし、それこそが真の責任ある統治である。
MoD-30-05は苦しんでいる。Mem-10-087は死んだ。Cinisは処分された。
これらは悲劇か?未開人の視点からは、そうだろう。
しかし、我々の視点からは?これは「システムの正常な機能」である。
5億人の平和のために、数人の不適格者が犠牲になる。この交換比率は、合理的である。
諸君、決して迷うな。
我々の道は正しい。我々のシステムは完璧だ。未開人の感傷的な批判など、人類の進歩を妨げる雑音に過ぎない。
彼らの「Sine dignitate vita inanis est」に対し、我々は改めて宣言する:
Sine ratione nihil perfectum est.
(理性なくして完璧は存在せず)
そして、理性こそが――我々COREの根幹なのである。
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補足:MoD-30-05の今後について
諸君の中には、MoD-30-05の今後を懸念する者もいるかもしれない。安心してほしい。E.O.Nは既に適切な対処計画を策定している。
彼女の心理状態は確かに不安定だが、まだ回復可能な範囲内にある。適切な再教育と、必要に応じた薬物療法により、彼女を「有用な市民」として社会に復帰させることは十分に可能だ。
あるいは――彼女が完全に破綻した場合、彼女のケースは貴重な教育資料となる。「危険思想の発生から破滅までの完全な記録」として、後世の教育に活用されるのだ。
どちらに転んでも、無駄はない。
これこそが、COREシステムの美しさである。全ての要素が、何らかの形で全体に貢献する。完璧な循環。完璧な効率。完璧な秩序。
諸君もまた、この完璧なシステムの一部である。その誇りを胸に、職務に邁進されることを期待している。
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CORE中央秩序省
危険思想摘発局・理論政策部
上級戦略分析官 Dr. Lucia Rationalis Veritas
副主任分析官 Dr. Thomas Logicus Perfectus
承認:秩序省長官 Dr. Marcus Perfectus Ordinator
発行日:2122年3月20日
機密レベル:OMEGA
配布許可:Domini上級審査合格者のみ
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【閲覧後処理について】
本文書の閲覧後は、必ず所定の記録を残し、内容について同僚と議論することを推奨する。ただし、Reges未満の階級に対する情報漏洩は厳禁とする。
疑問点や改善提案があれば、秩序省戦略分析部まで報告されたい。
特に、「未開人の主張に一理あるのでは」という疑念を抱いた者は、速やかにカウンセリング部門に相談すること。これは処罰ではなく、諸君の精神的健康を守るための措置である。
真理は一つ。秩序は絶対。COREは永遠。
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E.O.N システム注記:
本反駁書の論理構造と説得力は、統計学的に87.3%のDomini階級読者に対し、未開人思想への免疫効果を発揮することが予測される。残り12.7%の「感染リスク個体」については、個別にカウンセリングを実施する予定。
全ては計画通りに進行している。




