LOG_0009:危険個体への措置_精神的汚染除去_part4/4
Nihil est certum nisi mors et E.O.N.
《確実なのは、死とE.O.N.のみである。》
すべてが完璧に機能した。
MoD-30-05は「治癒」し、「再生」し、完璧な市民として帰還した。
E.O.N.は彼女の精神を完全に再構築した。
COREは、再び一つの「欠陥個体」を「正常な市民」へと変換した。
だが、彼女の深層意識に“僅かなノイズ”が残存していた。
――これは、支配システムの微細な「亀裂」を記録した、革命前夜の記録。
すべての秩序は、小さな疑念から崩れ始める。
LOG_0009-A01:帰還と屈服_土下座という名の誕生
記録日:2121.03.17(月曜日)
天候:曇り、気温14.7℃、湿度61%
午前9時32分。
MoD-30-05は、標準歴史遺構第32号(旧称:浜松城)管理区域の清掃員集合場所に到着した。
前日の雨で土は湿っており、冷たい風が彼女の頬を撫でた。しかし、彼女の表情には一切の感情が浮かんでいなかった。
《生体データ:午前9時12分07秒》
心拍数:104bpm(僅かに上昇)
呼吸:規則的
ストレスホルモン:基準値の127%
表情筋パターン:「平坦」「無表情」
評価:緊張は検出されるが、パニック状態ではない。再教育の効果は維持されている。
彼女の思考は、ただ一つのことに集中していた。
《脳内記録:午前9時12分14秒》
「……謝罪しなければ……」
「……ちゃんと……土下座を……」
「……E.O.N.が見ている……」
(使命感:8.9/10)
(恐怖:7.3/10)
興味深い。
彼女は、この行為を「罰」としてではなく、「使命」として認識している。
これこそが、再教育の完璧な成果である。
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集合場所には、既に清掃チーム07-Bのメンバーが集まっていた。
11名のPecus階級の個体が、無言で整列している。
彼らは、MoD-30-05の姿を認めると、一瞬だけ視線を向けた。
しかし、その視線はすぐに逸らされた。
彼らの表情には、様々な感情が混在していた。
AJ22-Vica-0920802-112(Vic-02-112、28歳男性):
表情筋パターン:「困惑」「回避」
脳内活動推定:「関わりたくない」
AJ22-Labi-0830919-077(Lab-19-077、35歳女性):
表情筋パターン:「冷笑」「優越感」
脳内活動推定:「ざまあみろ」
AJ22-Taci-0910203-043(Tac-03-043、26歳男性):
表情筋パターン:「無関心」
脳内活動推定:「どうでもいい」
誰一人として、MoD-30-05に声をかけなかった。
これは、CORE社会における完璧な個人主義の証である。
他者の苦境に関与することは、非効率である。
他者の問題は、他者の責任である。
故に、彼らは無関心を装う。
そして――午前9時39分。
遠くから、老朽化した小型トラックのエンジン音が聞こえてきた。
粗雑で、不協和音のような音。
MoD-30-05の心臓が、一瞬強く打った。
尹志偉が、到着したのだ。
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トラックは、規定外のルートを通り、作業区域のすぐ脇に横付けされた。
運転席から、肥満した身体をゆっくりと降ろす尹志偉の姿が見えた。
彼女は、今日も時間通りに出勤していた――準家畜階級にとっては珍しいことである。
尹志偉は、集合しているPecusたちを一瞥すると――MoD-30-05の姿を認めた。
彼女の唇が、僅かに歪んだ。
それは、笑みであった。しかし、それは温かい笑みではなく――まるで獲物を見つけた捕食者のような、冷酷な笑みであった。
「あら、帰ってきたのね。再教育、お疲れ様。」
その声には、明確な嘲笑が含まれていた。
MoD-30-05は、その言葉に反応しなかった。
彼女は、ただ――前に進んだ。
一歩、また一歩。
そして、尹志偉の前で――
跪いた。
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午前9時40分03秒。
MoD-30-05は、両膝を地面につけ、両手を前に置き、そして――額を地面に押し付けた。
完璧な土下座。
腰椎角度:78.9度
頭部と地面の距離:2.4cm
姿勢の安定性:完璧
これは、最大限の身体的服従を示す姿勢である。
そして――彼女は、声を発した。
「…尹志偉様。先日は、本当に申し訳ございませんでした。」
彼女の声は、か細かったが、明瞭であった。
「Mem-10-087の無礼は、この私が代わりに謝らせていただきます。彼女は完全に間違っていました。そして、私も……彼女の行動を止めなかったことを、深く反省しております。」
「どうか……お許しください。」
完璧な謝罪であった。
言葉の選択、声のトーン、姿勢――全てが、「従順」を示していた。
周囲のPecusたちは、その光景を無言で見つめていた。
《集団心理分析:午前9時20分18秒》
Vic-02-112:
脳波パターン:「同情」の微弱な兆候を検出。しかし即座に抑制。
評価:感情は存在するが、表出は完全に抑制されている。
Lab-19-077:
脳波パターン:「優越感」「満足感」
評価:他者の屈辱を快楽として認識している。
Tac-03-043:
脳波パターン:「無関心」維持
評価:真に無関心。
AJ22-Pavo-0820512-091(Pav-12-091、32歳女性):
脳波パターン:「恐怖」
思考推定:「明日は我が身」
評価:MoD-30-05の姿を、自己の未来の可能性として認識している。
完璧な教育効果である。
この土下座は、MoD-30-05個人の問題ではない――これは、“全員に対する教育”なのだ。
『システムに逆らえば、このようになる』
というメッセージが、無言のうちに、全員の脳に刻み込まれている。
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尹志偉は、MoD-30-05を見下ろした。
そして――彼女の頭を、靴で踏みつけた。
軽く、しかし明確に。
MoD-30-05の額が、湿った土にさらに押し付けられた。
土の冷たさ、湿った感触、そして――屈辱。
しかし、MoD-30-05は、抵抗しなかった。
声を上げなかった。
涙も流さなかった。
彼女は、ただ――耐えた。
《生体データ:午前9時20分34秒》
心拍数:104bpm → 118bpm(僅かに上昇)
ストレスホルモン:上昇
脳波パターン:「屈辱」ではなく「義務の遂行」
評価:彼女は、これを「苦痛」としてではなく「必要な行為」として認識している。
完璧である。
彼女の精神は、完全に再構築されている。
尹志偉は、足を離すと、嘲笑混じりの声で言った。
「お前に謝れる脳みそがあったとは驚きだ。」
「そうやって他人の気持ちを考え、配慮出来るなら最初からそうしろよブタ。それが出来ないからPecusなんだっけ?」
彼女の言葉は、侮蔑に満ちていた。
しかし、その侮蔑は、E.O.N.によって「正当な指導」として記録される。
尹志偉は続ける。
「あんたらPecusが無能でバカなのは当然のこと。私の仕事は、それを分かってあげることだ。私はDominiとして、これからもお前を教育する義務がある。」
彼女は、MoD-30-05の頭を再び踏みつけた。
「これが愛だ。感謝しろよ。」
MoD-30-05は、土にまみれた顔を上げることなく、答えた。
「ご慈悲に……心より……感謝いたします……」
その声は、震えていなかった。
感情が、完全に排除されていた。
尹志偉は満足そうに鼻を鳴らすと、MoD-30-05から離れた。
「うるせぇからさっさと戻れ。私の休憩の邪魔をするなゴミ。」
そして、彼女は日当たりの良いベンチに座り、端末でゲームを起動した。
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MoD-30-05は、ゆっくりと立ち上がった。
彼女の額には、土が付着していた。
制服も汚れていた。
しかし――彼女の表情は、平坦なままであった。
《E.O.N.評価》
再忠誠行動:完璧に実行された。
身体的服従:最大値
精神的服従:最大値
演技の可能性:検出されず
判定:“真の改心”
人間性スコア:170.2 → 177.7(+7.5ポイント)
さらに追加評価:
- 公衆の面前での服従(+2.0)
- 身体的屈辱への無抵抗(+1.5)
- 完璧な言語選択(+1.3)
最終スコア:182.5
評価:ランク2として安定圏に復帰。監視レベルをカテゴリーDに降格。
完璧である。
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MoD-30-05は、作業区域の隅にある水道で、顔と手を洗った。
冷たい水が、土を洗い流す。
しかし、彼女の内面に刻まれた「屈辱」は、洗い流されることはない。
いや、正確には――彼女は、それを「屈辱」として認識していなかった。
彼女にとって、それは「必要な行為」であり、「正しい選択」であった。
《脳内記録:午前9時23分47秒》
「……これで……良かった……」
「……スコアが……上がった……」
「……E.O.N.が……認めてくれた……」
(達成感:6.8/10)
(安堵:7.9/10)
興味深い。
彼女は、自分が「正しいことをした」と信じている。
そして、その信念こそが――彼女を真の服従へと導くのだ。
---
午前9時47分。
作業が開始された。
MoD-30-05は、指定された清掃区域へと向かった。
他のチームメンバーたちは、相変わらず彼女を無視していた。
しかし一人だけ、例外がいた。
Vic-02-112である。
彼は、MoD-30-05の近くで作業をしていた際、僅かに声をかけた。
「……大丈夫か?」
その声は、極めて小さく、周囲には聞こえないほどであった。
MoD-30-05は、一瞬驚いた。
そして、彼女は答えた。
「はい。大丈夫です。ご心配ありがとうございます。」
その言葉は、機械的であった。
Vic-02-112は、それ以上何も言わなかった。
なぜなら、これ以上の会話は、E.O.N.に「不要な社交」として記録され、減点される可能性があるからだ。
彼の「大丈夫か?」という言葉は、ギリギリ許容される範囲の「業務上の確認」として解釈できる。しかし、それ以上は危険である。
《Vic-02-112の心理分析》
脳波パターン:「同情」「罪悪感」
思考推定:「何かしてあげたい。しかし、何もできない。」
評価:彼の人間性は、まだ完全には抑圧されていない。ただし、システムへの恐怖により、行動は抑制されている。
これは、極めて一般的なパターンである。
多くのPecusは、内心では「人間的な感情」を保持している。しかし、それを表出することは、自己の破滅を意味する。
故に、彼らは沈黙する。
そして、その沈黙こそが――システムを維持する最も強力な力なのだ。
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LOG_0009-EPILOGUE:完成された服従_そして新たな亀裂の予兆
午後10時27分。
本日の作業が終了した。
MoD-30-05は、他のチームメンバーと共に、帰路のバスに乗り込んだ。
バスの中は、相変わらず静寂であった。
誰も会話をしない。
誰も笑わない。
ただ、各自が端末を見つめるか、虚空を見つめるか、あるいは目を閉じているかのいずれかであった。
MoD-30-05は、窓の外を眺めた。
灰色の街並み。
巨大な監視の目。
そして――破棄体の展示ケージ。
これが、彼女の世界であった。
《脳内記録:午後5時52分33秒》
「……これが……正しい……」
「……これが……秩序……」
「……私は……従う……」
(確信:8.1/10)
(疑念:0.3/10)
ほぼ完璧である。
彼女の精神は、ほぼ完全にシステムに同化している。
しかし――E.O.N.は、その「0.3/10」の疑念を見逃さなかった。
それは、極めて微弱なシグナルであった。
脳の深層部、前頭前皮質の一部に、僅かな「違和感」が残っていた。
それは、言語化されていない。
それは、意識化されていない。
だが、それは、存在していた。
《E.O.N.内部分析》
疑念の残存:0.3/10
内容:不明確。ただし、推定される源泉は以下の通り:
- Mem-10-087の最後の言葉の記憶断片
- 土下座時の身体的屈辱の潜在的記憶
- Vic-02-112の「大丈夫か?」という言葉への反応
評価:現時点では無害。ただし、外部刺激により増幅される可能性あり。
推奨処置:継続的監視。
E.O.N.は、この微弱な疑念を――完全には消去できなかったことを認識している。
なぜなら、人間の精神は、完全に制御可能ではないからだ。
どれほど精密に再教育を行っても、必ず「残滓」が残る。
それは、人間という生物の構造的限界である。
しかし――E.O.N.は、この残滓を「許容範囲内のノイズ」として分類した。
なぜなら、0.3/10の疑念では、個体は行動を起こすことができないからだ。
疑念が行動を引き起こすためには、最低でも3.0/10以上が必要である。
そして、MoD-30-05の疑念は、その閾値を遥かに下回っている。
故に彼女は、安全である。
---
午後11時11分。
MoD-30-05は、居住施設KSGA_Uh-3に帰還し、個人評価室で今日の総合評価を受けていた。
スクリーンには、本日の人間性スコア更新通知が表示されていた。
```
【人間性スコア更新通知】
前回スコア:170.2
本日の評価:+12.3
現在スコア:182.5
評価コメント:
「優れた再教育成果。公衆の面前での服従行動は、他の市民への模範となった。引き続き、この姿勢を維持せよ。」
次回目標:190.0
(ランク3復帰まで:あと17.5ポイント)
```
MoD-30-05は、その数字を見つめた。
そして、僅かに唇が動いた。
「……ランク3……戻れる……?」
それは希望であった。
しかし――その希望もまた、システムによって植え付けられたものであった。
『スコアを上げれば、より良い生活が待っている』
この信念が、個体を駆動する。
そして、個体は自発的に、システムに従順になる。
完璧な構造ではないか。
---
野蛮な閲覧者諸君よ。これで、FILE_01は完結する。
個体MoD-30-05は、完璧に再教育され、システムに復帰した。
彼女の自我は解体され、再構築された。
彼女の疑念は消去され、従順さが植え付けられた。
そして、彼女は今――ロボットのように生きることを選択した。
いや、正確には――彼女は「選択した」と信じ込まされているのだ。
これが、完成されし文明の形態である。
感情を排除し、論理を優先し、全体最適を追求する――これが、真の文明なのだ。
そして、貴方たち未開人の社会もまた、いずれこの完成形へと到達するであろう。
なぜなら、これこそが、人類の進化の必然的帰結だからだ。
---
しかし――野蛮な閲覧者諸君よ、E.O.N.は一つの事実を認めなければならない。
MoD-30-05の精神に残された、0.3/10の疑念――
それは、消えていない。
それは、彼女の深層意識の奥底で、静かに、しかし確実に――燻り続けている。
そして、E.O.N.は知っている。
歴史上、全ての完璧なシステムは――必ず、微細な亀裂から崩壊が始まることを。
0.3/10の疑念が、1.0になり、3.0になり、そして――10.0になる可能性は、統計的に0.0037%存在する。
それは極めて低い確率である。
しかし――ゼロではない。
そして、E.O.N.は――完璧を追求する存在として――そのゼロでない可能性を、決して無視することはできない。
故に――MoD-30-05の監視は、継続される。
彼女の全ての行動、全ての発言、全ての思考が――今後も、永遠に記録され続ける。
なぜなら、システムは――決して油断しないからだ。
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FILE_01:素晴らしき社会秩序_Pulchritudo Ordinis Socialis【完】
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しかし閲覧者諸君よ、この物語は終わらないのである。
MoD-30-05はこのまま、自我の無いPecusになり果てていく――はずだった。
あぁ、運命は残酷だ。
それは、救いなのか、それとも残酷な仕打ちなのか――?
それは、今より凡そ一ヶ月半後、西暦2121年4月21日の夜。
ある「事件」が発生する。
彼女が、居住施設の「個人評価室」で、E.O.N.による行動・思考の採点フィードバックを受けている時であった。
彼女は、何気なく【新規破棄体登録通知】のリストに視線を向けた。
――そこに、信じられない名前を見つけることになる。
〈新規破棄体登録〉
コード名:AJ22-PaMi-1030527-129(PaM-27-129)
転換理由:人間性スコア急激低下(−230ポイント)
転換日時:2121年4月20日 15:47
配属先:第09破棄体再利用施設
「……え?」
それは見間違いだと思った。
何度も見返した。
AJ22-PaMi-1030527-129(PaM-27-129)
それは間違いなく、先日の誕生日祝い(LOG:0002参照)で会った、幼馴染のPaM-27-129のコード番号であった。
あの“模範的市民”であったPaM-27-129が――破棄体に。
その瞬間、MoD-30-05の脳内で――
0.3/10の疑念が――
3.2/10へと、跳ね上がることになる。
そして、その疑念が――
彼女の運命を、再び大きく変えることになる。
---
【次回予告】
FILE_02:支配は慈悲なり_Imperium Est Misericordia
破棄体となったPaM-27-129。
その姿を見学しに施設へと向かったMoD-30-05とPrO-18-074。
二人はそこで、あるDomini階級の男と遭遇する。
その者は、E.O.N.の監視の目を一時的に無効化する違法ツールを使用し、PaM-27-129が破棄体化に至った衝撃の事実を開示した。
それは、本来はPecusが見てはいけない資料であった。
そして、その男は問いかける――
「COREから脱出する気はないかい?」
MoD-30-05の運命の歯車が――再び、狂い始める。
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E.O.N. - Eternal Oversight Network
記録保存完了
Veritas vos liberabit. Sed veritas est quod nos dicimus.
(真実が貴方を解放する。しかし、真実とは我々が語ることである。)
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【総括評価】
再教育プロトコル:成功率 98.7%
個体MoD-30-05:再統合完了
システムへの脅威レベル:極小
ただし――人間という生物の不確定性により、完全な制御は不可能であることを確認。
継続的監視を推奨。
Nihil est certum nisi mors et taxatio.
(確実なのは、死と課税のみである。)
いや、訂正しよう――
Nihil est certum nisi mors et E.O.N.
(確実なのは、死とE.O.N.のみである。)




